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悪役公爵令嬢のご事情  作者: あいえい
5/9

彼女たちの事情

本編はこれで最後になります。

この語は、アヒムについての外伝が続く予定です。

4.


「みなさん、ご心配をおかけして、本当に申し訳ありませんでした」

 ミアが改めて、ヴォルフガング達に頭を下げると、男たちは我に返った。

「一体どういうことだ?」

「ミュラー夫人って、何かの冗談だよね?それに、そうだよ、君は男爵令嬢になったんだから、家主の許可なしで、そんな簡単に結婚なんてできるはずがないさ」

 矢継ぎ早に繰り出される質問を、どうか私の話を聞いてください、という一言で治めると、ミアは静かな口調で話し出した。

「これは冗談でもなんでもありません。私は一昨日ここにいるトーマス・ミュラーさんと結婚しました。今の私の名前はアメリア・ミュラーです。確かに母は男爵様と結婚して、貴族になりましたが、私は変わらず平民です。母の結婚式の後で養子縁組をしようという話も出ていましたが、正式な手続きは何も行っていません。私は特権階級の持つ権利もなにもない一方で、貴族令嬢としての責任も持ち合わせていません。つまり、私も夫も平民ですから、私たちの結婚には何の障害もないんです」

 一息に言い切った彼女の顔は今では紅潮して、瞳はきらきらと輝きを増していた。

「い、いや、しかし・・・。そうだ!そちらのミュラー氏はどうか知らないが、君はまだ成人していないだろう。成人前の女性が結婚するときには、しっかりとした成人2名以上の同意が必要なはずだ」

 国では未成年者が婚姻する場合、親の他に少なくとも一人の成人の同意と署名が必要だった。町役人や、村長、組合長などある程度の肩書を持ったものが務めることが慣例となっており、親が金銭目的などのような身勝手な都合で、年端も行かない少女を結婚させることを防ぐことが主な目的である。勿論、抜け穴も多く、幾多の問題を内在していたが、一定程度の効果をあげていた。

男たちはその問題に想到して、ほっと安堵の表情を浮かべたのだった。

「貴女の母君である男爵夫人の様子からして、母君の同意は得ていないのだろうし、君の交際範囲から言って、君たちの結婚に同意してくれるような人間なんているはずがない」

「おりましてよ」

 男たちの一縷の希望が込められた台詞を遮ったのは、エレオノーラだった。無情ともいえるその仕打ちに、男たちは暗い瞳でエレオノーラへ視線を移した。

「何を隠そう、私がその一人ですの。実は私、先日誕生日を迎えまして、成人の仲間入りを致しましたの。それに、これでもヴァルトハウゼン公爵家の後継者ですから、後見人の資格は十分でございましょう?友人として、年若い女性として、愛する人と添い遂げたいというミアさんの強い想いに、喜んで助力させていただいた次第でございますわ。それに、お友達として結婚式にも同席させていただきましたの」

 にっこりとほほ笑むエレオノーラに、ヴォルフガングが漸く口を開いた。

「し、しかし、結婚には二人以上の同意が必要なはず。もしや、メイ殿が?」

 男たちの視線が扉近くに控えるメイに注がれた。

「メイですか?あら、殿下も冗談をおっしゃるのですね。いやですわ、いくらドラゴンスレイヤーとしてその名が轟いているメイといえど、他国人である彼女が聖女であるミアさんの結婚の証人になることは難しいのではないでしょうか。ふふ、ご心配なさらずとも大丈夫ですわ。皆様がそうおっしゃるだろうと思いまして、ミアさんに証人たちの署名の控えを持ってきていただいておりますの」

 エレオノーラの言葉に、ミアはそっと小箱からひと巻の羊皮紙を取り出した。

「これは一体、どういうことだ」

 男たちは並んだ署名に瞠目した。

「なぜ、ここに、よりにもよって彼女たちの名前が並んでいるんだ」

 顔を青ざめさせた男たちの視線の先には、宰相の令嬢や侯爵令嬢、辺境伯令嬢と言った高位貴族令嬢の名前が連なっていた。

「皆様、お友達のために快く署名してくださいましたわ」

「な、そんな馬鹿なことがあるはずない。少なくとも、姉はミアのことを・・・!」

 辺境伯令息の言葉を遮ったのはエレオノーラの冷たい声だった。

「快く思われていませんでしたね」

 名を連ねていたのは全て、ヴォルフガングやグレゴール達の姉妹や許嫁たちだった。彼女たちは、兄弟や婚約者を惑わせたミアに対して悪感情を抱き、大なり小なりの嫌がらせを行ってきた。しかし、その度に骨抜きにされた男たちが庇うものだから、令嬢達の憎悪はいや増しに増していき、ミアが世間的に聖女として認められるに至っても、その嫌悪感を拭い去ることはできなかった。そのため、影響力のある彼女たちの嫌悪の的であるミアを擁護する貴婦人たちはいなかった。特に宰相夫人は現王妃と同腹の姉妹であり、昔から仲が良いと評判の彼女たちの絆はここでも発揮され、その結果、王妃の感情に王室の人々も染まった。そのため、ミアは社交界から敬遠され、ご婦人たちからは白い目で見られ続けていたのだった。そこに現れたのがエレオノーラである。これまで沈黙を保ち続けてきたヴァルトハウゼン公爵家がついに動いたことに、貴婦人たちは神経をとがらせ、エレオノーラの思惑を探ろうと躍起になっていた。

一方で、エレオノーラの元には、元々あらゆる類の情報が正確に集められていたから、彼女が割いた労力と言えば、週末のティーパーティーの招待状に署名したことだけだった。

「ですが誤解だったことが判って、和解したのですわ。なんて喜ばしいことでございましょう?ねえ、ミアさん」

 両手を顔の前で合わせて、にっこり微笑むエレオノーラの手をミアがそっと握りしめた。

「それも、これも、全てエレオノーラ様のお力添えのおかげです。お忙しい中で、皆さんと私の誤解を解くために橋渡しをしてくださったんですもの。感謝してもしきれません」

 エレオノーラは自身のお茶会で、令嬢達にまるで物語を読み聞かせるように、とある恋物語を話して聞かせた。裕福ではないながらも、お互いに思いやり、幼い頃から暖かな友情を育んできた少年と少女。長じてからは次第に心惹かれ合い、そこにあるのは友情ではなく愛情であることに気付くのに時間はかからなかった。しかし、両想いの、舞い上がるような幸せな時間はそう長く続かなかった。将来を誓い合った矢先、少女に特別な力があることが判明したのである。哀れなことに、周囲の大人たちの思惑で、少女はあれよあれよという間に、聖女として担ぎ上げられ、愛する恋人とは引き離されてしまう。それでも想い合う二人は何とか周囲の目をかいくぐって、文を交わし合い、それも難しくなると一輪の花に自らの思いを託したりもした。今や立派な青年に成長した少年は、愛しい恋人が多くの身分の高い紳士たちから好意を寄せられていることを風の便りとして耳にする。聖女となった少女との身分差を感じ、周囲からもいい加減に諦めるようにと言われる日々。ある日、少女が貴族の養女となると耳にした青年は、決然として立ちあがると、闇に紛れて少女の元へと忍んでいった。恋人から、幸福といつまでも貴女を愛していると告げられた少女は、自らも変わらぬ愛を告白する。そうして、二人は手に手を取り合い、駆け落ちした。

と、このような内容を、近頃若い令嬢の間で流行している小説に寄せて語って聞かせたのだった。

そこに、妖精の様に可憐なミアが、これまた線の細い優しげな美青年に手を取られて現れたのである。令嬢達は思わず、ほうっとため息を漏らした。

ミアは令嬢達の前で膝をつき、顔の前で手を組むと涙ながらに謝罪した。意図して行ったものではないものの、ご令嬢達に不快な思いをさせてしまったことを心を込めて謝罪したのである。恋人と共に深々と頭を下げた二人に、流石の令嬢達も心を動かされたようだった。その上、この席を設けたのがエレオノーラその人だという点も令嬢達に大きな影響を与えた。

聖女とその恋人は過去の繋がりを捨てたも同然で、頼れるものは何もない状態である。そんな彼らのよすがとは何か。これまではともかく、今後はヴァルトハウゼン公爵家が聖女の後ろ盾となるということなのではないか? 王家ですら憚り、その顔色を窺うというヴァルトハウゼン公爵家を敵に回すということは、貴族社会からの追放を意味していた。それに、エレオノーラが語り、ミアが認めた「事実」というものも令嬢達にとって好都合だった。ともかく、令嬢達に選択肢などなかったのである。

「では、本当に?」

 見つめ合う二人に男たちは茫然とした様子で口を開いた。

「はい。ご令嬢の皆様とご一緒させていただいた席で、エレオノーラ様が私と夫のことを話題にしてくださったんです。このままでは愛するトムと引き離されてしまうかもしれないと弱音を吐いた私を、皆様とても案じて、心配してくださいました。皆様とてもお優しくて、出来ることが力を貸すと、快く仰ってくださったんです」

 ミアが感極まった様子で目を潤ませると、エレオノーラがミアとその夫を微笑ましげに見つめて言った。

「私たちのような貴族の子女にとって、結婚とは義務と言っていいものですわ。その過程で愛情が芽生えればよいのですが、どうしても、こう言っては何ですけれど、不幸な結婚が多いことも確かです。あとは、無関心でしょうか。私たちにとってミアさんのような自由な恋愛、それも想い想われる関係は、理想ですの。でも、その分めったに手にすることのできないとても眩しいものでもありますわ。ですから、手を差し伸べたくなったのでしょうね。勿論、ミアさんのお人柄に心を打たれたということも大きいのですが」

「それで、証人になったと?」

「「はい」」

 幸せそうに微笑む二人の返答に、今度こそ男たちは押し黙った。


 新しい紅茶が運ばれてくる頃には、男たちは一様に砂をかみしめたような表情をしていた。それでも時々、未練がましく「聖女の夫がこんなどこにでもいる、ただのミュラー氏だなんて。ミュラー夫人!悪い冗談にもほどがある」などとブツブツ呟いては、

「あら、私の乳母の一人もミュラーといいますが、彼女もその夫も教養のある人格者でしてよ。今はマナーハウスで祖母に仕えておりますが、彼らならば安心して任せられると、父のヴァルトハウゼン公爵も仰っていましたわ。人品というものは姓や生まれに限らず、その方の生き様に左右されるのだと最近とみにそう感じておりますの。殿下達もそうお思いになりませんこと?」

 といった風に、エレオノーラにぴしゃりとやられては口を噤んだのだった。

 間もなくして、男たちが悄然と肩を落として帰っていくと、ヴァルトハウゼン公爵家にはいつも通りの優雅な静けさが戻ったのだった。

「最後まで未練がましい者たちでしたね」

 何度も、ミアのいる部屋の窓を振り返りつつ帰っていった男たちを乗せた馬影が消えると、メイがさっとカーテンを閉めた。

「あらあら、失恋したばかりの若者たちに手厳しいことね」

 侍女の言葉を、全く心のこもっていない調子で窘めるエレオノーラの向かいには、興奮で頬を紅潮させたミアが腰かけていた。

「エレオノーラ様、本当にありがとうございました。これでようやく皆さんも諦めてくださったと思います」

 ミアは無意識に左手の薬指に光る指輪に触れながら、頭を下げた。

「ふふ。頭を上げてちょうだいミアさん。貴女と学園の中庭で初めてお話しした時にはこんな風になるなんて誰が想像できたでしょう」

「あの時は、エレオノーラ様のご事情も知らずに本当に無礼なことを申し上げてしまって、大変申し訳ありませんでした。もう本当に、穴があったら入りたい気分で一杯です」

 ミアは再び、膝に頭がつくほど頭を下げた。

「あらあら、その件はもう何度も謝罪して頂いたでしょう?聖女であり、大切なお友達でもある貴女に、そう何度も頭を下げられては私の立つ瀬がないわ」

「トムにも昔から、君は直情径行なところがあるから気を付けなさいと言われていたんです。ああ、それなのに、あの時といい、お屋敷に初めてお伺いした時といい、事情を知りもしないで偉そうにエレオノーラ様とアヒム様に乱暴な言葉を申し上げてしまって。今でも思い返すと、恥ずかしくて顔から火が出てしまいそうです」

 耳まで真っ赤に染め、両手で顔を覆ったミアに、メイが冷たいおしぼりを差し出した。顔から手を離したミアは、メイの手をぎゅっと握りしめると感謝の言葉を述べる。

「メイ様にも、感謝してもしきれません」

「ミア様、私に敬称は不要だと何度も申し上げたはずですが」

「いいえ!メイ様、つまりドラゴンスレイヤーのマイア様は幼い頃から私のヒーローなんです。私が何度母に寝物語で、マイア様の英雄譚を話して聞かせてくれとせがんだことか。トムにもそれは何度も人形劇に付き合ってもらいました」

「では、せめて様、だけでもおやめください。他の召使たちに示しがつきませんので」

 やれやれと言った調子で窘めると、ミアは少ししゅんとした様子でうなずいた。その様子がまるで水を被ってしまった子猫のようで、エレオノーラとメイは思わず笑みをこぼす。

「用意させた住まいの様子はどうかしら?不足はなくて?少し手狭かと思ったのだけれど、アヒムも把握していない、ちょうどよい家があのコテージくらいだったものだから。もっと良い住まいが見つかったら、直ぐにお引越ししていただくので、もう少し待って頂戴ね」

「足りないものなんて、とんでもありません!おうちだけではなく、メイドさんや従僕の方までつけていただいて、本当に感謝しています。それに、お家も本当に素敵で。子どもの頃、いつか住んでみたいと思っていたドールハウスみたいで、トムとも素敵すぎて却って申し訳ないくらいだねって話していたんです」

「そう?だったらよいのだけれど。それと、これもどうするかお話ししなくてはいけないことなのだけれど、お母様である男爵夫人へのご説明もしなくてはね。こちらに関してはミアさんの口からお話しすべきだと思うの」

「はい。母へはまず手紙を送ろうと思っています。それから、トムと一緒に男爵様の御宅へ、心配させてしまったことへの謝罪と、わたしたちの結婚の報告をしに行こうと思っています。母が私を男爵家の養女にしようとしたのも、結婚相手に貴族の方をと考えていたのも、全て私のためを考えてのことなので。すっごく怒ると思いますが、最後にはきっと許してくれると思います」

「そうね。私もそうするのがよいと思うわ」


 エレオノーラとアヒムの関係を知ってから数日後、メイは学園でミアに声を掛けられた。授業を抜け出し、わざわざ侍女用の控室のある棟で待ち伏せていたミアは、切羽詰まった調子で、どうにかして内密にエレオノーラに取り次いでもらえないかと訴えた。

 エレオノーラから、ミアの周囲を探るよう命を受けていたメイは、ミアの話の裏を取った上でエレオノーラに報告した。単純なお人好しの聖女ではないかもしれない、とのメイの言に、エレオノーラは初めて興味を持ったという風に、にやりと笑みを浮かべた。

「では、近いうちに席を設けてちょうだい。ああ、そうそう、勿論アヒムには決して覚られない様にね」

 丁度、ヴァルトハウゼン公爵から、エレオノーラの伴侶としての教育の一環として、領地に関する仕事を任されていたアヒムは、エレオノーラの傍を離れることが多くなっていた。アヒムの息のかかった従僕や侍女も少なくなかったものの、アヒム本人ではない以上、メイたちエレオノーラの勇敢で優秀な侍女団の手にかかれば、彼らの目をかいくぐることは難しいことではなかった。

 それよりも、親切や護衛を名分にミアに付きまとう、ヴォルフガングやグレゴール達を蒔くことの方が骨が折れる仕事だった。彼らは休日であっても、誰かしら偶然を装ってミアの周りをうろついていたから、ミアは中々彼らから見逃してもらうことはできなかった。

「目障りだわね」

 しかし、エレオノーラがそうつぶやいた翌日には、ヴォルフガング達は各々様々な理由で学園以外の外出が難しくなっていた。ミアもまた、残念がる彼らに調子を合わせつつ、母の結婚準備や、聖女として教会への奉仕で忙しいため、顔を合わせる機会が減ることを謝罪したのだった。

 そうして迎えた2度目の顔合わせは、エレオノーラが保有する首都の近郊の邸宅の一つで、1度目とは打って変わって、エレオノーラとミア、メイ3人だけで行われた。ミアは、改めて先日の非礼を謝罪し、無礼を働いたにもかかわらず、こうして席を設けてくれたことに対して礼を述べた。

「誤解が解けたことは喜ばしいことですわ。私としてはじっくりとお話して、友好を深めたいのですが、お互いに様々な制約を抱える身です。早速、ご用件を伺わせていただけますか?メイから、概要は聞いておりますが、シュトラウス嬢のお考えを改めてお話しくださいませ」

 謝罪を受け入れたエレオノーラは、鷹揚に笑みを浮かべて促した。ミアは思い人であるトムとのいきさつを中心に、幼少期から、聖女になってから一変した生活について語った。ところどころ、思いが昂じて、声を詰まらせたりもしたものの、簡潔で理路整然とした話しぶりは、彼女の知能が低くないことをうかがわせた。

「つまり、シュトラウス嬢は、男爵令嬢となり、身分の高い紳士と縁を結ぶことを望んでいらっしゃらないのですね?」

「はい」

「恋人のために?お母様は貴族との婚姻を望んでいらっしゃるのですよね。シュトラウス嬢はお母様と大変仲がおよろしいと伺っておりますわ。お母様はミア様の将来の安泰を願っていらっしゃるのでしょう。それに、貴族でないために、シュトラウス嬢が他のご令嬢方から心無い仕打ちを受けていらっしゃるというお話も風の噂で耳にいたしましたわ。ヴォルフガング殿下達も、それで大層お心を砕いていらっしゃるとか。僭越なことを申し上げるようで恐縮ですが、シュトラウス嬢の恋人は、とても良い方なのだと思いますが、平民でいらっしゃることですし、今後、気がかりなことも多いのではないでしょうか。貴族の一員となり、貴族の夫を持てば、社交界における立場も安定すると思います。本当に後悔なさいませんか?」

「確かに、ヴァルトハウゼン様のご指摘は正当なものだと思います。それに、母の私に対する愛情深い配慮は痛いほど感じております。母と結婚される男爵様にも、血のつながらない私を養子に迎えてくださるという、そのお優しいお心に深く感謝しております。ですが、二人の未来のためにも、お互いの愛情に応えるためにも、この決断は必要不可欠なものだと考えています。例え、この婚姻によって将来苦労があったとしても、きっと大なり小なりの苦労はあるでしょうが、この決断を後悔したりは決して致しません」

 遡ること数刻前、ミアは迎えに来た馬車の中で、メイに言われた言葉を何度も反芻していた。

「お嬢様は厳しいお方です。困っていらっしゃるご令嬢を見捨てるようなお方ではございませんが、ご令嬢の返答次第で、その救済の程度も通り一遍の親切で終わるのか、それとも真実の友として手を差し伸べてくださるのか決まるでしょう」

「マイア様もそうだったんですか?」

 ミアの質問にメイは小さく頷くと、少し間を開けて話し出した。

「エレオノーラ様はドラゴンスレイヤーとして、英雄としてあがめられながらも、一人の女性として、人としてどうすべきか迷っていた私を救い上げてくださいました。立場は異なりますが、恐らく、アヒム殿も同じような経験をお持ちなのでしょう。だからこそ、一度公爵家を出ながら、再びお嬢様の元に戻られたのだと思います。」

 それ以上メイが語ることはなかったが、ミアは決意を新たにした。車内では沈黙を保ちながら、この国屈指の高貴な女性であり、遠くない将来に莫大な財産と強大な権力を手にすることになる女性に、自らと愛する者の未来を差し出そうと考えていたのである。自分一人で立つことはできないから。それでも、何とか自分の信じる未来を、こうありたいという未来を掴み取るために。

「女性にとって、結婚は生きていくための唯一の正当な方法です。生きるための糧、暖かで快適な暮らしを約束してくれるたった一つの道です。そう考えるのは母も例外ではありませんし、私もそう考えていました。実は父は腕の良い家具職人でしたから、平民ながらも割と余裕のある暮らしをしていました。毎年、服を新調して、時には少し高価な装飾品を買うこともありました。しかし、父を亡くしてからというもの、生活は一変しました。頼りになる親戚もいませんでしたから、家を引き払い、装飾品を売りながら何とか母娘二人で生きてきました。今の家に引っ越すまでは、安い家、安い家へと転居を繰り返しました。母は明日のパンを得るために、慣れない仕事をして、心無い言葉を投げかけられて涙した日は両手で数えきれないほどあったと思います。母や器量が良い方ですから、幼い娘がいなければすぐに再婚することもできたでしょうが、母は愛する父の形見である私を愛していました。あとで知ったことですが、何度も再婚の話を断っていたそうです。大層苦労してきた母を見ながら、なんでこんなに頑張って働いても、私たちの暮らしは良くならないんだろうって不思議に思っていました。仕事はあるんです。でも、男の人たちの様な実入りのいい安定した仕事ではありませんでした。私は両親がそろっている友達や、そのお母さんの満ち足りたような姿を見ながら、いつもやりきれない思いで一杯でした。幸運な偶然が重なって、私に聖女としての力があるとわかってからは、それまでより生活はぐんとよくなりました。何より、母につらい仕事をさせなくてもよくなったことは本当に嬉しかったです。私の稼ぎで、私と母を十分養っていくことができるようになりましたから。ですが、生活が変わって、景色が変わると私の周りも一変してしまいました。身分の高い方々との交際は戸惑うことばかりで、私の粗野なふるまいは皆さんを不愉快にさせてしまうようでした。ですが、ヴォルフガング殿下やグレゴール様たちが気にかけてくださったおかげで、徐々に新しい世界にも慣れていきました。ですが、出来ることが増えた分、しがらみも多くなりました。住む家も大きくなって、快適になりましたが、以前の友人たちと会うことは難しくなりました。新しい知り合いからは、聖女としてもっと相応しい交流関係を築くべきだと言われました。それに、身に余ることではありますが、どうやら、高貴な方々のうち何人かは私に好意を寄せてくださっているということも分かりました。本来であれば心から感謝し、快く受け入れるべきことなのでしょうが、どうしてもできませんでした。心に決めた人がいるのに、どうしてそんなことができるでしょうか。その上、高貴な方々にはれっきとした、身分の釣り合った立派なお相手がいらっしゃるのです。そんな破廉恥な、人道に悖ることがどうしてできましょう。ですが、その方々は私がそのうちのどなたかの求婚を、喜んで受け入れるだろうと信じて疑っていないようなのです。私が身を引けば、身分の低さゆえの遠慮だと勘違いして、もっと勇気を出して歩み寄るようにと励ますのです。終いには身分の壁を壊そうとまでしようとなさいました。皆様が母と男爵様の再婚を何とか成就させるために奔走される様子に、皆様の本気を感じて私は怖くなりました。私は、どうしても彼らを理解できないし、結婚することはできないと思いました。ある晩、母ならばきっとそれを分かってくれると信じて、思い切って相談しました。母は私に同情してくれましたが、返ってきた言葉は私の期待したものではありませんでした。安定した将来のためであるのだから、紳士たちの申し出のうち一つを是非とも受け入れるべきだと言うのです。しばらくは昔の恋人を思い出して、胸が痛むだろうが、新しい生活の中で、次第にその痛みも薄れるだろうといって、母は私の頭をなでました。私は、世の中の母のような生き方を否定するつもりは毛頭ありません。それも幸せの形ですから。ですが、私は幸運なことに、生きていくために十分な、いえそれ以上の糧を自分の力で得ることができます。私にとって結婚は、安定した豊かな生活のための、ただ一つの選択肢ではなくなりました。私は聖女としての務めに責任と誇りを持っています。生涯をかけて誠実にこの責務を果たしていくことを誓っています。そして、だからこそ、この人生をトーマスと共に支え合っていきたい、彼だからこそ結婚したいと思っているのです。しかし、聖女と認められたとはいえ、今の私の発言権はほどんどなく、あまりにも無力でした。未婚で平民で成人すらしていない私ではそのスタートラインに立つこともできないのです。身の程を知らぬ不躾な願いだということは十分理解しています。ですが、どうかエレオノーラ様のお力をお貸し願えませんでしょうか。どうか何卒お願い申し上げます」

 言葉にじっと耳を傾けていたエレオノーラは、跪き、深く額づく少女を冷徹な瞳で見つめていた。そして、おもむろに立ち上がるとミアの肩を抱いて、そっと抱き起こすと、涙をこらえる彼女の耳に、囁いた。

「お相手を連れていらっしゃい。それから先のお話をいたしましょう。お茶と冷たい布を用意させます。気持ちが落ち着いたら、今日はお帰りなさい」

エレオノーラは彼女にやさしく微笑むと、メイへ目配せした。ミアがパチパチと瞬いたその拍子に大きな瞳からポロリと涙がこぼれ落ちるた。エレオノーラの視線を追ってミアがメイを見ると、メイもまた微笑んでいた。


 ミアを載せた馬車が初めの角を曲がる頃、メイはエレオノーラに尋ねた。

「あの娘はお眼鏡に適いましたか」

 エレオノーラはメイをちらりと見遣ると、口の端だけで人の悪い笑みを浮かべた。その、淑女らしからぬ表情にメイは苦笑する。遠い故郷で出会ったあの日、やけ酒による二日酔いで口の軽くなったメイに、辛辣な皮肉を放った時も同じ表情を浮かべていた。そして、不貞腐れたメイに彼女は、少女特有の高い済んだ声音で言ったのだった。

「苦しいのであれば、何故その場所に留まる必要がある。貴女であれば新たな道も開けように。確かに、一人で新たな道を行くのは恐ろしいことだろから、それならば私の元に来ればいい。案じることはないわ、貴女一人増えたところで私も私の家もびくともしないから。だけど、貴女のような人が何もしないで過ごすのは宝の持ち腐れだわ。貴方が貴女らしい道をしっかりと歩み出すことができるまで、私がしっかりとこき使ってあげる。だから、安心して私についてきなさい」

 今でもしっかり耳底に残る台詞と笑い声を、メイは時々思い出す。あの日、あの港町で、場違いなまでの上等な訪問着を身に着けた、少し傲慢な少女に出会っていなければ、今頃自分はどうしていただろうかと。果たして、英雄の称号にふさわしい人品を保つことができていただろうか。

「そうね、まだまだ自分本位で粗削りなところも多いけれど、見どころがなくはないわ。何より、あの騎士気取りの愚か者たちに対する、けんもほろろな台詞と言ったら。あの娘の境遇からしたら、のぼせ上がってもよさそうなものなのに。そうね、あの奇妙にお堅い所も悪くはなかったわ」

「つまり、お気に入られたということですね」

「まだ気が早いわ。例の恋人に会ってみなくてはね。あの娘の幼馴染が品性が劣るということもないでしょうけれど。でもそうね、報告によると、聖女としての力は相当なものだというし、彼女を抱き込むことができれば、メイ、貴女の能力と合わせて、相当な抑止力になると思わない?」

 誰に対しての、とは言わなかったが、それが誰を指しているのかを間違いようがなかった。ここ数年来、エレオノーラの悩みの種は彼一人だった。公爵家の跡継ぎであることを除く、彼女の大部分の関心事はほとんど全て彼に向けられていると言ってよかった。彼女を熱烈に愛しながらも、それゆえに彼女の頭を悩ませる、有能すぎる男がメイは大嫌いだった。だが、彼以上の男がいないことも事実であったから、何とかして彼を制御しようと奔走するエレオノーラに全力で協力してきたし、今後もそうするつもりである。メイにとっても、アヒムと一対一で互角に渡り合えない以上、彼女に不足している部分を補ってくれるかもしれないミアは、どうしても欲しい人材と言えた。


 日を置かずに実現した、ミアの恋人であるトーマス・ミュラーとの面会は恙なく終了した。前評判通りの誠実な人柄といい、ミアに対する愛情といい、適当な後ろ盾を持たない基盤の弱さも全てが申し分なかった。懸念することと言えば、結婚によって彼が生まれ育った環境を離れざるを得ないということだった。彼の仕事は、聖女という特殊事情を抱えるミアを支え、家庭を守ることだった。一家の生計はミアが一手に担うことになるだろうし、ミアが彼を扶養するという世間一般とは転倒した人生に、彼が果たして適応することができるだろうか。ミアもまた、そうした生活の中で彼に対する心配りを忘れずにいられるだろうか。

 そう言った懸念は残ったものの、エレオノーラは彼らに手を貸すことを決めた。それも、彼らを手のうちに囲い込むという形で、完璧に遂行された。彼らは、公爵家の屋敷内にある礼拝堂で、公爵家所属の神官の手によって挙式をあげたのだった。ミアは質素ではあるが、彼女の可憐さを引き立たせる白いドレスに、繊細な意匠が施されたベールをかぶって挙式に臨んだ。式には、神官の他にエレオノーラとメイが参列した。

 すべてが終わった頃、エレオノーラは父公爵宛に、聖女を預かることになったと、手紙を書いて送った。帰宅した公爵からは独断で行ったことに対して、少しばかりの小言をもらったものの、それ以上のお咎めはなかった。可哀想なのはようやく枕頭を離れたばかりの、義弟、アロイスだった。ミアに恋心を寄せていた彼に、想い人の結婚は衝撃が強すぎたようだった。晩餐の席で、ミュラー夫人を紹介された彼は、翌日から再び病室へと逆戻りしていた。


 それから、どうなったかというと、ミアはエレオノーラの見込み通り、実力を発揮してくれた。メイが彼女の右腕であれば、ミアはエレオノーラの左手といったところだった。メイとミアは互いに不足分を補いつつ、エレオノーラを支え続けた。一番割を食ったのは、アヒムだった。これまでミアに対しては、微塵も関心を向けていなかった彼にとって、ミアはメイと並ぶ目の上のたんこぶとなったのだった。

彼はしばらくの間、目に見えて不機嫌になったが、反対にエレオノーラは終始上機嫌だった。だが、余裕の生まれたエレオノーラは、アヒムに対してもこれまで以上に寛容的になり、親切な好意を示したから、アヒムもすぐに自分は幸福なのではないかと思い直したのだった。そのため、アヒムはミアとメイを排除しようと強硬な手段を講ずる計画をお蔵入りにしたのだった。相変わらず、目障りな存在だとは思い続けていたが、それを上回る幸せと喜びを、エレオノーラをから得ることがきたから。

エレオノーラはしばしばアヒムに悩まされはしたものの、10年後には無事に爵位を継承し、30数年後に子供にその位を譲るまで、ヴァルトハウゼン公爵家の威信を損なうことはなかった。有能すぎる夫と、部下たちの支えもあり、ヴァルトハウゼン公爵の威光はさらに増していった。

ミアはエレオノーラの仲介で母親とも和解した。数年はトムとの結婚を残念がっていた母も、男爵との間に娘を授かると、すぐにそちらに夢中になり、ちょっとした無理な頼みごとをするときを除いて、手の離れた娘のことなど忘れがちになった。ミアはトムとの間に十人の子どもを授かった。聖女として常に重責を負い、エレオノーラの片腕としても働いていたから、世間一般の女性の様な関わり方はできなかったが、賑やかな家庭を愛し続けた。国王から一代限りの女伯爵の位を授けられたのち、一時、トムが子供を連れて実家に戻るという危機を迎えたものの、最終的には一家は再び一つになったのだった。


エレオノーラとミア達の在り方は、世の中の女性たちに何らかの影響を与えたのだろうか?それは、数十年後、彼女たちの孫の世代になってようやくぼんやりと形を表すことになるのだろう。

最後まで本編をお読みいただき、誠にありがとうございました。

初めての長編になります。ご感想などお寄せいただけますと、励みになります。

この後に続くアヒムの外伝でもお会いできることを楽しみにしております。

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