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「趣味はゴミ拾いです」
合コンの場で趣味を聞かれた彼はそう答えた。
駅前通りにあるどこにでもあるような居酒屋で、男女三人ずつ、週末の夜に席を共にした。
舞は出会いが無い日常に嫌気を感じていたため、気合を入れて参加したのだが、自分の予想を上回る年齢差に愕然としていたところだった。
彼の名はマモル。彼の回答を聞いた瞬間、プッと噴出しそうになったが、何とか堪えた舞。ネタなのかバカなのか、どちらだろうか、と腹の底で爆笑した。マモルはブサイクというほどではないものの、イケメンではない。少なくとも、舞のタイプではなかった。
舞を誘った同僚の加奈とその友人の里穂は、店内に笑い声を響かせながら楽しく過ごせていた様子だった。愛嬌のある彼女たちは男どもにも人気があるのだろう。ただ、裏表が激しいとか尻軽だとか揶揄されているのも知っている。そういう女になりたくないと思う反面、羨ましく思うこともある。特にこういう場では、話題も見つからず静かに食事を進める二人よりも、笑いながら会話できるグループに入れたらいいのに。
舞は他の男性二名とはほとんど会話を交わすこともできず、結局一人の連絡先も交換できないまま幕を閉じる結果となった。
******
舞とユウミは大学時代の友人だった。今日はランチを楽しむ為に久しぶりに会った。休日の昼時はどの店も満席で待ち時間が長くなる。
少し早めに店に着いた二人は、席に座ると同時に次から次へと店に入る客が列を作っていく様子を見ながら
「ちょうどいいタイミングだったね」
「ホント、運がよかったわ」
と自分たちの幸運に満足した。
「ご注文がお決まりになりましたら、ボタンでお呼びください」
お冷を持ってきたアルバイト店員が言い終わるのを待たずに、舞は「わかってます」と言わんばかりに笑顔でうなずいた。ユウミはテーブルの隅に立てられていたメニューを手に取る。
外は久しぶりのポカポカ陽気。肌寒い日が続いたこともあり、なおのこと日差しを求めて外に出る人も多いのだろう。
そんなことを考えながらボーっとしている舞。するとユウミから声がかかってきた。
「もう決まった?」
「は?まだメニュー見てないし」
そう言ってユウミからメニューを取り上げる。
「ほんっとに相変わらずなんだから」
狙ってボケてるのか、本当にバカなのか、長い付き合いだけれども判断がつかない。そういうところがユウミの魅力の一つなんだと舞は思っている。
二人はパスタにサラダとドリンクが付いているランチセットを選んだ。
注文した料理がお盆に乗ってテーブルの上に置かれた。お盆にはフォークと割り箸も乗せられている。サラダはフォークでは食べにくいと言う人が多いので、店側の配慮なのだろう。
「あー、この割り箸見たら思い出しちゃうわー」
「えー、なになに?割り箸がどうしたの?あ、わたしこれいりませーん」
ユウミが定員に割り箸を返す。
その様子を見て、舞は眉をひそめながらユウミに質問した。
「何故、割り箸を返したの?」
「え?使わないと思ったから」
何故そんな質問をしてくるのか不思議そうに舞の顔を見るユウミ。
気が付けば、お互い眉をひそめた顔で向き合っている。
「割り箸がどうかしたの?あ、欲しかった?」
「いりません!」
そう言いながら笑いあう二人。
「で、割り箸で何を思い出したの?」
うーん、とちょっと考えて、舞はユウミに
「もしかして、マイ箸とか持ってる?」
「マイ箸?持ってないよ。まだそこまでは行ってない」
そこまでは行ってない、か。そのうちそこまで行くつもりなのだろうか。舞はそう思い、このことを話すべきか迷った。
でも、ユウミならわかってくれると期待して、話すことにした。
「この前、合コンに行ったんだけどね」
パスタをフォークに巻き付けて頬張りながら、そう切り出した。
「変な男がいてね、たいしてカッコ良くもないんだけど、たまたま私の正面に座った訳。そこからもう最悪でしょ?しかも十ほど年が離れてるの。オジサンもいいとこよ」
ユウミは口から一本飛び出たパスタをチュルンと口に吸いこみながら舞の話を聞いている。
「その人、目の前に割り箸があるのを見た瞬間、舌打ちしてさ、割り箸を定員に返して、胸ポケットからマイ箸を出したのよ。とりあえず、マイ箸持ってるの?すごいね、って声掛けた訳。一応、合コンだからね。気を使って話掛けた訳よ。そしたら、当然でしょ、みたいな顔して、まるでマイ箸持ってない方が悪いみたいな言い方してくるのよ。酷くない?」
「うん、酷いねー。何食べたの?」
「えーっと、刺身とか、煮物とか、いろいろ。『だいたいだいだい』ってお店知ってる?駅前通りの。そこのコース料理頼んであった」
「あー、知ってる。行ったことないけど。料理のお皿の隅っこにだいたいだいだいの切れ端が乗せてあるんだっけ?」
「そう、全部の料理じゃなくて、でもだいたい乗ってる」
「じゃあ、まあ、箸は使うよね」
急に話が飛んだり戻ったりすることは珍しいことではない。ちょっと戸惑いながらも舞は続ける。
「そうなの。で、そいつさ、マイ箸を使って黙々と食べ続けるのよ。そしてどこかで誰かが割り箸を割る音を聞くたびに、チッって舌打ちするの」
舞も自分の割り箸を割って、サラダに手を付ける。
ユウミの口からはパスタが一本出ており、チュルンと吸い込んだ。
「でさ、そいつに、いつも割り箸使わないの?って聞いてみたら、そんな質問俺にするなよって顔で睨みつけるのよ!そしてさらに説教たれまくりよ。割り箸は使った後どうなるかわかるか?燃えるゴミになるだけだぞって。燃やすってことは二酸化炭素が出るわけだから大気中の二酸化炭素濃度が上がってさらに地球温暖化が促進されるっとかなんとか。知ってるわよそれくらい。でね、それくらいはわかりますって可愛く言ったんだけどね、そしたらなんて言ったと思う?分かってるなら何故実践しないの?だって!地球温暖化させたいの?だって!ほんと頭にくる!」
思い出してイライラ感情も舞い戻ってきたのか、カツカツ、と、パスタ皿とフォークのぶつかる音もだんだんと大きくなっている。
ふと舞はユウミに目をやると、ユウミの口から一本のパスタが伸びている。かと思うとチュルンと口の中に吸い込まれた。
「ちょっとあんたさ、さっきからその食べ方なんとかならないの?」
イラついた声をユウミにぶつける。するとユウミは嬉しそうに、「気づいた?ツッコまれるの待ってたの」といって微笑んだ。
「こう一本だけだすの、結構難しいんだよ」
「もういいから、普通に食べて!っていうか、話聞いてる?」
「聞いてるよぉ」ちょっとだけしゅんとしながらユウミは答えた。
「それでね、私も悔しいから、言い返したりしたのよ。割り箸だって、間引きした木材を利用して作っているから、割り箸を使うことで林業をしている人たちへの支援にもなるって聞いたことあるけど、って言ったの。そしたらさ、森林の話になって、木を切り倒しすぎだとか、本来は間引く必要なんてないとか、あと炭素を固定化するにはうんたらかんたら言ってさ、何なのあの人!」
フォークで皿を割ってしまうのではないかというくらい舞のイライラも頂点に達している。
「へー、そうなんだ。でも、木を間引く必要ないって言ってたんだ。この前テレビでやってたけど、人が間引きしなきゃ森は死んでしまうって言ってたけどなぁ」
「でしょ?私もおかしいと思ってちょっとつついてみたんだ。言われっぱなしもしゃくだから。そしたら、大昔の人がいない時代は森林がなかったのか?だってさ。なんか屁理屈じゃない?」
「そうなんだ。舞ちん、ヤな思いしたんだね。よしよし」
ここまで言い終えた舞は気が済んだのか、落ち着きを取り戻した。
「そうそうそれでさ」
ちょっと半分笑いながら続ける舞。
「マイ箸って、帰ってから洗うわけでしょ。洗剤使うんなら、その分水が汚れちゃうんじゃないの?それはいいの?って聞いてみたのよ。そしたらさ、洗剤使うなんて勝手に決めつけるな、って言ってさ」
今にも吹き出しそうに話し続ける。
「使ってたマイ箸をお冷の中に入れてシャカシャカやってるのよ。そしてそのお冷を飲んじゃったの。笑えないんですけど。マジウケる」
笑えるのか笑えないのかよくわからないな、とユウミは思ったが口には出さなかった。
「しばらく開いた口が塞がらなかったんだけど、そしたらそいつが言い訳がましく、もともと食べれるものしか付いてないんだから、その水を飲んでも大丈夫でしょ、だって。ありえないでしょ、そんな人見たことない」
舞は手元にある、氷がまだ融けきっていないグラスを持って、ユウミに見せるようにカラカラ言わせた。
「濡れたマイ箸は、ペーパーナプキンで拭きとってたわ。自分の口を拭いたナプキンを再利用してた!」
舞は一人で笑いながら話した。
「もうみんなが食事を済ませた頃にね、食べきれずに残す人っているじゃない。男性でも女性でも。どちらかというと女性に多いけど。そいつは食べ残しも嫌いみたいで、残っている食べ物を食べていいか聞きまくってたよ。女性陣もみんな気持ち悪がってたわ。なんか、貧乏くさい感じ。あーやだやだ」
舞は眉間にしわを寄せながら話す。ユウミも眉間にしわを寄せて愛想笑いしている。
「結局残ったものほとんど食べたら食べ過ぎでおなか壊したらしいの。ほんとバカだよね」
「すごいね、その人」
「ホント、すごい。いろんな意味で」
二人ともパスタをほとんど食べ終えていた。
舞はメニューを手に取り、デザートの欄を眺めている。
「ところで、マイ箸の話してたとき、駄洒落が飛び出したりしなかったの?」
「ダジャレ?」
「舞ちゃんが持つ箸なら、どんな箸でもマイ箸だね。舞だけに、とか」
「あー、そんな親父ギャグ言ってくるヤツいたら、額に箸を突き刺してるわ」
舞は苦笑しながら返答した。
「だよねー」とユウミも笑いながら、舞が見ているメニューを覗き込んだ。
「今日はアイスにしようかな」
「わたしもー。融けてなくなっちゃうから、カロリーゼロだよねー」
そんなはずはないのだが、二人はアイスクリームを追加で注文した。
「ところで、ユウミは彼氏できたの?」
「ううん、いない。今はお兄ちゃんのお世話で手一杯で。お兄ちゃんが結婚するまでは無理かなー」
「お兄さんいたんだっけ?」
「うん、年の差あるけどね。十歳違い」
「へー、年の差あるね」
舞はちょっと嫌な予感がしたが、気にしないことにした。
「ユウミのお兄さんって、病気なの?お世話って?」
「お兄ちゃん?元気だよ。でもなんだか自立したいからって、家を出てアパートで独り暮らししてるの。家の近くなんだけどね。お母さんがちゃんとご飯食べてるか心配だからって、私がおかずをお兄ちゃんとこに届けたりしてるの」
「え?それって、自立できてないんじゃ?」
「うん、うちのお母さん、過保護なんだよねー」
「まぁ、親って、そんなもんなのかねー」
そう言いながら、舞も自分の親が心配して度々鬱陶しいくらいに電話してくるのを思い出していた。
「それと、お兄ちゃんたち、なんか秘密の会議とかしてるから、時々お手伝いしてるの」
「秘密の会議?なにそれ」
「興味ある?」
そういう言い方されると気になってしまう。
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ある日、舞は近くのスーパーで買い物をしていた。仕事帰りの夕暮れ時、専業主婦たちはすでに買い物を済ませた時間なので幾分空いてきている。買い物カートを押し、生魚のコーナーに足を進める。この時間なら割引しているはず。いろいろな刺身も安くなっているので品定めをしていると、見覚えのある顔があった。瞬時に顔を背けるが、間に合わなかった。向こうも気づいたらしい。
「こんばんは。先日はどうも」
「こんばんは。この近くなんですか?」
何気ない社交辞令の挨拶だけで取り繕うつもりだったのだが、男は舞の買い物かごを見て言った。
「なぜ、こんな発泡トレイ付きの野菜なんか買うんですか?」
かごの中には、青果コーナーで見つけた二個セットのトマト、椎茸、四分の一カットの白菜が入っていた。それぞれが発泡トレイに透明なフィルムで覆われている。
発泡トレイなんか食べられないでしょ。ゴミになるだけだよね?わざわざトレイ付きの物を買う人の気が知れない。少しでもゴミを削減しようという気持ちがないの?
舞はそういう風に言われている気がして、カッとなった。
「何を買うのも自由でしょ。あなたに指図される覚えなんてないわよ!発泡トレイだってちゃんとリサイクルに回すからいいでしょ!」
ちょっと声を荒げてしまったことで、周囲の人から注目を浴びた。
「いや、そうじゃなくて……」
そう言いかけたマモルを背に、舞は足早にその場を立ち去った。
発泡トレイがどうしたってのよ。そんなの普通でしょ。そんなところを見るより、ちゃんと料理するんだね、とかそういうところを見なさいよ。舞はレジに並んでいる間も、買い物カートの取っ手を握りながら人差し指でトントン叩き、イライラを隠せなかった。
舞に順番が回ってきたとき、店員は申し訳なさそうに「たいへんお待たせいたしました」と頭を下げた。店員の胸には「研修中」の文字が書かれている。舞は店員に誤解を与えてしまったことに気づき、「あ、いえ、大丈夫です」と笑顔で答えた。少なくとも本人はそのつもりだった。店員は焦っているのか、何度も商品を落としたりバーコード読み取りに手間取ったりした。金額を読み上げる声も震えているように聞こえる。笑顔が逆効果だったのかもしれない。これも全部あの男のせいだ。舞はそう思った。
精算を終えた商品を買い物袋に移すとき、野菜類だけじゃなく、合い挽き肉も、特売の刺身も、惣菜も、発泡トレイに乗っていることに気が付いた。確かに、発泡トレイは多いかも。
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休日の朝、買い物するのに駅まで向かう。繁華街まで足を延ばそうと思い、ちょっと早めに家を出る。
前回の合コンは運が悪かっただけだけど、やっぱり服装も流行も考えたコーディネートを取り入れた方がいい。今日はどんな洋服と出会えるかな。舞はウキウキしながら足を進める。それこそ周りに人がいなければスキップしそうなくらい心が躍っていた。いや、気が付いたらうっかりスキップしていた。思わず顔が熱くなる。
着ている服が新しくなれば、運気も新しく変わってくるはず。グッとこぶしを握り締めた。
駅まで行く途中、街の至る所で、ゴミ拾いをしている人たちがいた。そうか、今日は町内一斉清掃の日か、と舞はチラシが入っていたのを思い出した。歩道の縁石の傍や、乾ききった側溝の中からゴミを拾ってビニール袋に入れている。その中に、あいつの姿を見かけた。手にしている透明な袋の中には、ビールやコーヒーの空き缶がいくつか入っていた。
そういえば、ゴミ拾いが趣味とか言っていたっけ。まさか本当にしてるとは。
スーパー以来会っていないが、今会うとやっぱり気まずい。
舞は相手に気づかれないように、足早に歩道を歩く。ヒールのカツカツする音がやけに大きく聞こえる。
相手は下を向いているし、道路の反対側だし、気づかれることはないはず。
みんながゴミ拾いしているのに、それに参加していない自分が悪者に思われちゃうじゃない。でも、昨日の夜も遅かったから、仕方ないの。そう自分で言い訳しながら、春風がゆるやかに流れる青空の下、一人駅へと向かった。ただ、何故か先ほどのようにスキップしたくなるような心境ではなくなっていた。