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甘き雪解け水 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と、内容についての記録の一編。


あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。

 ふうう、生き返る〜。よく冷えた水って、身体が震えそうなくらいおいしくないですか、先輩?

 昔は味のついた清涼飲料水をたくさん飲んできましたけどね、この頃はあまり身体が受け付けてくれなくって。太りやすいものに、本能で拒否反応が出るんでしょうか……。 

 ふああ、結局三杯ほどいただいちゃいました。所詮は水ですから、余っても下から出るだけ。安いものです。

 あ、そうそう。水といえば、少し前に面白い昔話を聞いたんですよ。友達から。

 先輩、この手の話に興味ありましたよね? 良かったら聞いてみませんか?


 とあるお武家さんの一族。その中で最も年長にして、若い頃に一族を大いに盛り立てた傑物と評されている老人が、病の床にありました。

 一族の者と奉公人たちは長きに渡って看病を続けてきましたが、いっそう外の空気が冷たさを増し始めた時期。自分の寝所に主だったものを集め、ある希望を出したのです。

「はるか以前に飲んだ、雪解け水を飲みたい」と。


 若き頃の彼は、武術の腕を磨くと共に見聞を広めるため、二年近く全国を巡っていました。

 そのうち、ほとんどは野宿だったそうです。水や食料は現地で調達し、それに含まれる毒で苦しむこともありました。腹痛や嘔吐、下痢に発熱、しびれと幻覚などに襲われ、命を取り留めたのが奇跡と思える場合も数多かったと語ります。

 しかし、中にはこれまで口にしたことがない美味も、いくつか存在しました。彼が話す雪解け水も、そのひとつだったらしいのです。

 旅先でたまたま通った山だったため、彼は詳しい名を聞くことをしませんでした。ただ山頂付近に見事な雪が積もっていて、ふもとから見上げても壮観だったという記憶だけが残っていたとのこと。

 

「ただの水ではなかった。もっと、歯にも舌にも口内にも、とろける甘い糸が絡みつき、へばりつき、離さないのだ。あれは水でありながら、飴のごときとろみと甘みがあった。あれを今一度、味わいたい」


 話を聞いた者は、どうにか老人の頼みをかなえたいと思いました。しかし、人口が集中している場所以外の正確な地図が、まだ少なかった時代。

 人々は、かの霊峰「富士の山」を初めとし、頂に雪を残す山を目指して、一部の奉公人たちを全国へ送り出したのです。


 甘い雪解け水。実際に味わった者がいない一同の捜査は、難航しました。

 当初は、家から比較的近場にある雪解け水が届けられ、よく煮沸されたのちに老人へ献上されましたが、いずれもひと口飲まれただけ。「あの雪解け水ではない」と告げられながら。

 もしや水あめと勘違いしているのではと、腕の立つ飴職人が呼び寄せられて、自慢の飴が用意されたものの、老人が体験したものを再現することはできなかったんです。

 下々の中には「おいぼれのわがままに、いつまでも付き合っていられるか」と悪態をつく者さえ出てくる始末。彼らへの対処にも追われるようになり、関係者の気苦労が増えていきました。

 ――早く、望みの物を用意してやってくれ。

 館に勤める誰もが、多かれ少なかれ、思い始めていた頃。


 ひとりの若き奉公人が、とある山のふもとまでやって来ていました。

 その山は、富士の山や他にもいくつか候補に挙げた山々に比べ、遠目にも高さが低いと感じたそうです。けれども、その頂付近には白い雪が積もっているのが見えたとか。

 ダメで元々と、ふもとにある小さな村に赴き、手近な茶屋で水を所望する奉公人。出てきたのは白湯でしたが、ぐいっとひと口飲んでみて、奉公人はあの老人が話したものと同じ味が口の中へ広がったのを感じたそうです。

 奉公人はにわかに信じられず、時間をおいて何度か飲んでみました。そのたびに味わった箇所から溶けてしまうほどの甘さを覚え、喉元を過ぎても口の中で溶け残る様は、まさに山の上にとどまり続ける、雪の姿にそっくりだと感じたそうです。


 ――もしや、これこそが我々の求めていたものか。


 奉公人は店主に、これがどこで採れた水を使っているか聞くと、予想通り、店の裏にそびえたつ山の、白い雪の部分を指さしました。


「あの中の深く深くに掘ったところから採り、溶かして温め、使っております。表面はあきませんな。ほこりなどが混じり、きたのうこと限りなしですわ」


 奉公人は、ぜひ自分の手で採りたい。どうすれば良いか、と詰め寄ります。店主はちょっと考えた後、村の神社を訪ねるように教えてくれます。

 早速、そこへ赴いた奉公人は、境内を掃除していた住職に事情を告げて、山に登ることと、雪を採取することの許しを請いました。あまり広めたくはない、という意向の住職は、ひとつかみだけの採取と、こちらの指示には従う、という二点を奉公人に約束させます。

 承諾した奉公人は、その日は寺社の中で過ごすことに。身体を清めるという名目の沐浴、寝る時の場所と着物も指定され、やや窮屈な一晩を過ごしたとか。


 翌日。修験者が行う身支度をさせられた奉公人は、雪を掘って持ち帰るため、先が槍のようにとがった、袖にしまえるほどの大きさの竹の節を持たされ、案内人と一緒に山を登り始めます。

 案内人はまだ髪を剃っていない、十歳と少しの少年。しかしたおやかな体つきと所作は、ひと目見ただけだと、女子と思ってしまうほど整ったものだったとか。

 彼もまた修験装束に身を包んでいましたが、二合目まで登ったところで「暑い、熱い」と手甲を取り、白衣の袖までまくり始める様子は、なんとも無礼な振る舞いに思えたそうです。ただ従うと決めた以上、奉公人は何も口出ししません。

 軽やかな足取りで先導する稚児は、黙って歩き続けることができず、奉公人にどこから来たのかを始め、様々なことを尋ねてきたそうです。

 中でも、病床にある主人のために、ここまでやってきた奉公人の身の上を聞くと、いたく感心した姿を見せながらも、首を傾げたそうです。

 

「ちょっと昔のことに、どうしてそんなにこだわるんだろ? それでみんなに迷惑をかけて、あなたを始めとする多くの人が、身を削っているんだって? 不思議だなあ」と。


「いかにも、年月としつきの重みや忠義を知らない、童のいいそうなことだ」と奉公人はため息をつきかけたとか。

 

 やがて、目指していた山頂付近にたどり着く二人。そこにはふもとから見たような、白い肌が広がっていました。

「ついてきて」と、稚児は変わらず半袖のまま、雪の上へ足跡を残していきます。続く奉公人ですが、何歩も歩かないうちに違和感を覚え始めたようです。

 雪をじかに踏んだことのない彼ですが、話に聞いたことはあります。新しい雪はサクサクと、それなりに積もった雪はキュッキュッという音と共に、足の裏全体をくすぐるような感触がするとのことでしたが、そのいずれでもなかったのです。


 フワフワとしていました。まるで真新しいわら山を、足でどんどんかき分けていくような、どことなく頼りない足場のように感じたとか。

 気を抜くと沈みそうになる、粘り気に富んだ沼のごとき雪原を軽やかに歩んでいく稚児は、やがて足を止めました。


「うん、ここがいい。ねえ、ここを掘ればいいよ。渡した竹でザックザックと掘って、深くに埋まっているものね。ただ、僕が声を掛けたらただちに止めてほしいんだ」


 稚児はポンポンと、深めに足跡をつけた後、その場から少し退きまた。奉公人は言われた通りに、竹の節を刺しては雪をすくって捨て、を繰り返していきます。

 二尺(約60センチ)ほど掘ると、真っ白かった雪が狩り時の稲穂のように、黄金色を帯び始めました。


「うん、そろそろかな。そこの雪をすくってもらって……」


 稚児がそう口にする直前、奉公人は思わず口を手で押さえてしまいました。危うく手にした竹ざおを取り落としそうになり、目を見張ります。

 とたん、稚児が近づいてくると、奉公人の首を両手で包み、「ぐい」と音が出そうな勢いで自分に向かせます。

「何を見た」と、先ほどまでの気楽な口調はどこへやら。威圧するような低い声で詰問してきました。


「いや、じわじわ変わっていた雪の色が、先ほどのひとすくいをしたとたん、いきなり濃さを増したものだから……」


 下手な言い訳だと奉公人自身も思いましたが、稚児はしばらく奉公人の顔をにらんだ後、「あとは自分がやる」と竹の節を奪い、ひとかき、ふたかき。

 やがてその節の中に、もはや金の粒と見まごうほどの色をした雪を詰めて、奉公人に手渡してきます。

 帰りは行きと違い、稚児は一言も口を聞かなかったそうでした。


 住職に礼と、出立のための挨拶をして、黄金色の雪を持ち帰った奉公人。一見、雪には見えないその姿に眉をひそめた一同ですが、湯に溶かして沸かしたところ、果たして老人の語った味を持つ水だったことが分かったのです。

 老人は翌日から歩き回れるほどに回復。奉公人にたっぷりと褒美を取らせましたが、奉公人自身はすぐに暇乞いをして、その武家の屋敷から離れてしまったとのこと。


 およそ二十年後。別の武家に仕えて、家族も得ていた彼は、かつて仕えていた家が滅んでしまったことを聞きます。屋敷も、部下たちの住まいも、そのことごとくが同じ日に、原因不明の火事で焼け落ちてしまったとのこと。

 一族は主だった者が命を落とし、若輩の者たちは行方が分からなくなってしまったそうです。

 彼は晩年。家族にあの雪の下で目にしたものを語りました。

 それは口。自分が両腕を広げても、なお及ばないほどの長さを持つ大きな口でした。

 半開きになっていて、そのすき間からきりを思わせる鋭い歯が、たくさん生えていたとのこと。

 

 件の山は、今となっては雪が完全に姿を消しているそうです。

 言い伝えによれば、ある日の未明に山の方で大きな音がし、家の外に出た人が見たのは、山頂を覆わんばかりの大きい羽を広げた何かが、かなたへ消えていく姿だったとか。

 その日より、山からはすっぱり雪が消え、今日にいたるまでひと粒も降っていないそうですよ。

 

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