マスコット、決意する
チュンチュンチュン……
自分が鳴いたのではなく、天然物のスズメが楽しそうに外で囀っていた。どうやら異世界にもスズメは居るらしく、彼らはその鳴き声で太助に朝が来た事を伝えてくれている。
(ふわあ……良く寝た)
ただでさえ大きなトビ助の口を思いっきり開き欠伸をする。異世界転生して二日目の朝が始まろうとしていた。
昨日クマ肉をご馳走になった太助はそのまま彼女の家に泊めてもらう事にした。気を遣ってくれた少女エルはトビ助の寝床を作ろうと藁を集め始めたのだが、それを太助は慌てて止めさせた。
(流石にこんな形とはいえ、藁の上で寝るのは、ねえ……)
元人である身としては藁の上で寝るのはどうにも抵抗感があったのだ。
幸いにもこの身体は寒さにも強いらしく、またこの地域の気候も穏やかでそのまま寝ていても問題がなかった。エルは自分用のベットで、太助も床でお互い別々に寝ることになったのだが―――
(―――これは一体どういうことだ?)
どうやら自分は少女に抱き着かれる形で眠っていたようだ。
太助は仰向けの姿勢のまま、壁を枕代わりにして横になっていた。そこへ寝ぼけたのか暖を求めてなのか、エルは自分のベッドではなくいつの間にかトビ助を抱き枕のように抱いてスヤスヤと可愛い寝息をたてていた。
(うーん、まあいいか)
これがもし日本であるならば、出会ってまだ僅かな少女の家にお邪魔して、しかも抱き合いながら眠るという、字面だけならば完全に犯罪臭漂う状況ではあるのだが、今の自分は身も心も健全なマスコットだ。やましい気持ちなどこれっぽっちもない。うん、問題ないな。
「ううん……もう朝?」
トビ助が身じろいだ拍子に目が覚めたのか、寝ぼけ眼なままエルはそう尋ねた。それにトビ助は頷くとエルは一旦起きようとするも再びお腹の部分へ抱き着いてきた。
「……もうちょい。トビスケあったかい」
トビ助の身体は羽毛に包まれていて、抱き心地も良いとファンのお子様には定評があった。年頃の女性に抱き着かれてしまうと少し照れてしまうが、子供に抱き着かれるくらいなら慣れている。だが基本過激なおさわりは厳禁だ。ファンやチアにセクハラ行為をしようものなら、現代日本ではすぐにネット動画などに投稿されてあっという間に悪評が拡散されてしまう。マスコット警察の目が厳しいのだ。
それにしてもまさか抱き枕にされるとは思ってもみなかった。太助としても可愛い少女に抱き着かれて悪い気はしないのだが、ここは大人として紳士的に対応をしなければならない。
「チュ、チュチュン!」
(ほら、起きろ!)
「うう……もう少し……」
朝の“もう少し”はとても魅力的だ。それは分かるがここは心を鬼にしてトビ助はそのまま立ち上がった。するとなんと少女は暖を逃すまいと抱き着いたまま離れないのだ。
「チューチューチューン!」
(おーきーろー!)
「や」
そんなこんなで慌ただしくも二日目の朝を迎えるのであった。
朝は昨日のクマ肉の残りを少しだけ頂いた。昨日に続いて朝食も肉続きだと胃もたれしそうではあるが、トビ助の胃は丈夫なのか気分は悪くならなかった。むしろ問題なのは……
(この子、大丈夫か?朝から肉をそんなに食べて……)
昨日も思ったがこの少女、エルは歳や外見の割によく食べるのだ。見ているだけでこっちが胃もたれしそうだ。果物や野菜も摂らないと身体に悪そうだが、そういえば昨日彼女が倒れていたことを思い出す。
結局昨日の彼女はどうやら空腹で倒れていたようだ。外を見ると小さい家庭栽培の畑はあるようだが見事に荒れ果てていた。恐らく帰って来ないお爺さんが管理していたのだろう。エルには農作業のノウハウは持ち合わせていないのか、畑は放置されたままであった。
太助があれこれと考え事をしていると、突如エルが立ち上がった。
「ちょっと出かけてくる」
そう言い残してエルは庭の方へと出ていった。一体何をするのだろうかと気になって窓から覗いて見ると、そこには何と一振りの斧が立てかけてあった。
(……おいおい。ありゃあ武器か?)
一瞬薪でも叩き斬るのかと思いきや、その斧は薪を切るにしては物騒なデザインをした大きな斧であった。ファンタジーもののゲームなどでよく登場する武器といえばしっくりとくる。
「……っ!……っ!」
その巨大な斧を少女は縦へ横へと素振りをする。武器の鍛錬なのだろうか、素人目の自分から見てもなかなか様になった動きだと思う。
「……ふう。次」
すると今度は長い棒のようなものを持ち出した。
(あれって……槍か?)
長い棒状の先に先程の斧を小さくしたような刃が取り付けられていた。それは一般的な直槍ではなく長柄武器と呼ばれる代物であった。エルはそのハルバードをこれまた華麗に振り回す。
(凄いな……異世界の幼女は皆こうなのか?)
その後もエルは短剣に大剣、弓までも扱いこなし、最後には素手のまま拳や脚を動かして鍛錬を続けていく。
「ふう、疲れた」
「チュンチュー」
(お疲れー)
汗だくになったエルを労おうと太助は小屋から出てきた。幼いながらも一人過酷な森の中で生活する少女にとって武器の扱いは必須なのだろうか。そんな彼女の努力に太助はある種、尊敬の念を抱いて労おうとした。
だがそこでエルは驚きの行動に出た。
「んっしょ……」
「チュ!?チュチュンッ!」
(お、おい!?ちょっと待てッ!)
なんと少女は人目(鳥目)も憚らず汗まみれになった服を脱ぎ始めたのだ。慌てた太助は羽根で顔を覆う。
「?どうしたの?」
「チュチュン!チュン!」
(服着ろ!服!!)
「??服着たら水浴びできない。変なトビスケ」
エルは素っ裸のまま気にした素振りも見せずに井戸から水をくみ上げ、水で汗を流していく。少女の説得を諦めた太助はそのまま彼女を見ないように小屋の中へと戻っていった。
(ふう、常識があるのかないのか……もう少し慎みを持ってもらわねば……ん?)
そこで太助はある事に気が付く。
(さっき……言葉が通じた?)
彼女は確かに“服を着たら水浴びができない”と言っていた。つまりトビ助の囀り声をきちんと理解していたことになる。そういえば昨日から突然“トビスケ”と自分の名前を呼び始めた。これは一体どういうことだろうか。
(うーん、もしかして……)
はっきりと確証は持てないが、太助は一つだけその原因となりうる“設定”に心当たりがあった。
“お付きの人とは以心伝心”
トビ助の設定の一つだ。ここでいうお付きの人というのは、今まではマネージャーである佐々木さんのことを現していた。彼は何時も自分に付きっきりで、時にはトビ助の通訳として、時には絡まれ役やつっこみ役として一緒にファンを笑わせてきた。マスコット“トビ助”は佐々木さんの存在なくして成立しないキャラであったのだ。
しかし異世界であるこの世界に佐々木さんはいない。ではその代りとなり得るのは一体誰なのか。それがもしかしてエルなのではないだろうか。
(お付きとして設定が認識したから名前も言葉も伝わった?少し強引な推論かな?)
あれこれと考えていると扉が開く音が聞こえた。玄関を見ると片手に服を持ったままですっぽんぽんな少女がそこにいた。
「ただいま」
「チュチュン!」
(服着ろ!)
その前にまずはこの少女に色々と常識を教えなくてはならないようだ。
「おい、ムント。そっちはどうだ?」
声を掛けられた俺は家族ぐるみで親しい友人ハンスに答えた。
「……いや、こっちにはいないみたいだ。ハンスの方は?」
「……駄目だ、逃げられた。畜生、ようやく育てたっていうのに……」
ハンスは悔しそうに肩を震わせると、森の奥を睨みつけながら大声を張り上げた。
「やい、コソ泥ども!今度うちの畑を荒らしたら、ただじゃあ済まさねえぞ!」
「お、おい。あんまり大声を出すなよ。ゴブリンならまだしも、他の魔物まで呼び寄せてしまったらどうする!?」
俺は声を荒げたハンスを宥めようとする。この男は普段こそ気の良い男だが稀に後先を考えない行動を取ることがある。ここは魔物も往来する森の中、人の領域ではないのだ。不必要な騒ぎは避けるべきだとムントは考えるがハンスはまだ腹の虫が治まらないのか声のボリュームを上げたまま言い返した。
「はん!それならその魔物を返り討ちにして喰っちまえばいい!久しぶりの肉だ。きっと村の皆も喜ぶってもんさ!」
ここ最近村では不作が続き、食糧がずっと不足し続けていた。それは都会の街でも同じ状況らしく本来であれば国に治める税は下がるのが通例だが、ここら一帯を治めている現領主の考え方は違っていた。むしろ街の経済状況が悪いのだからと、村から搾取する税を増やしたのだ。
これには周辺の村々も領主へ訴え出たのだが、見せしめとばかりに一つの村が処分されたと風の噂で耳にした。なんでも領主に反乱を企てた罪として焼打ちにあったらしい。
「くそ!あの強欲領主が!そんなに金が欲しいならテメエらで畑でも耕せってんだ!」
「馬鹿!そんなこと言ってるとお前も領主に殺されてしまうぞ。それより早く帰ろう。ここ最近聞きなれない魔物の遠吠えが聞こえてくるってジンさんや冒険者たちが噂をしていた」
「ったく。相変わらず気が小せえなあ、ムントは……。分かった分かった。帰ろうぜ、ペルナ村へ」
野菜泥棒を取り逃したハンスとムントの二人はすごすごと村へ引き返していった。
「チュン!チュ、チュチュン。チュチュ。チュン!」
(やあ!俺、水野太助。日本人だ。よろしく!)
「?……何言ってるか分からない」
(……ですよねぇ)
どうやら言葉が通じている訳ではなかったようだ。少しだけ期待していただけに太助は落胆する。
だが服を着ろ云々のやり取りは兎も角、エルが“トビスケ”という名前を知っていた件については偶然で片づけるわけにはいかなかった。何らかの不思議パワーが働いて少女に名前が伝わったのは間違いがないのだ。
(不思議といえばこの箱も謎だよなぁ)
太助は昨日まで背負っていた挟み箱に視線を移した。この箱の中には入れた覚えのない大量のあんパンと牛乳が入っていたのだ。
試しにと箱の蓋を開け中に手を突っ込んでみると、何とも奇妙な手触りであった。箱の底は精々30cmがいい所の筈なのにどんどんと奥へ手(羽根)が入っていく。まるで異次元にでも通じているかのようだ。しかし箱の中は無限とも思えるかのような広さではあるが肝心の中身が何処にも見つからない。
(もう何にも無いのか?……いや、もしかしたら!)
ある予感が閃いた太助はカレーパンを思い浮かべながら箱の中を弄った。するとあら不思議、ほかほかのカレーパンが出てきたのだ。しかも今度は全く包装されていないむき出し状態のであった。当然辺りにはカレー独特の食欲をそそる匂いが立ち込める。
「それなに!?それなに!?」
食いしん坊の少女がそれを見逃す筈がなかった。目をキラキラと輝かせ、太助が取り出したカレーパンを涎を垂らしながら見つめてくる。
始めからあげる気でいた太助はカレーパンをエルへと手渡す。初めて見る食べ物なのかエルはカレーパンを物珍しそうに観察するも、誘惑には勝てなかったのかそれを迷いなく口の中に入れた。
「―――っ!?」
中のカレーが熱かったのかハフハフと息を漏らすも、エルはあっという間にカレーパンを平らげてしまった。そしてこちらへと物欲しそうな視線を投げかける。どうやらおかわりを要求しているようだ。
仕方が無いので太助は次々とカレーパンを取り出していく。どうやら、あんパンの時と同じ様に数に制限はないのか大量に取り出せるようだ。カレーの匂いと美味しそうに食べているエルの姿に釣られた太助も自分の分をひとつ取り出して口に含んだ。
(……うめえ)
このトビ助の身体でも味覚は人間の時と然程変化がないようだ。二人で一緒にカレーパンを食べ続けていくが、エルが6個目を要求してきた所で打ち止めにした。不満そうな表情を浮かべるエルだが子供の頃からこんな偏食をしていては絶対身体によくない。ここは心を鬼にして首を横に振った。
その後エルは太助の目を盗んで挟み箱から勝手にカレーパンを取り出そうとするも、羽根で少女の手を叩いて牽制をする。
「うぅ……ケチ」
(何とでも言うがいい。こちとら長年マスコットを演じてきたのだ。子供に懐かれるのも貶されるのにも耐性がついとるわ!)
マスコット“トビ助”はあくまで良い子の味方なのだ。悪い子には然るべき対処をするまでだ。
「……まぁいいや。一杯食べられたから当分平気」
お腹を軽くさすった少女は満足げにそう告げると、テーブルの上に置いてあった短剣を腰へと身に着けてこう告げた。
「食べ物探してくる。トビスケはお留守番」
(って、まだ食い足りないのかい!?)
思わず心の中でつっこむも、流石に少女を一人で森の中へと行かせられない。太助は当然のようについていくことにした。エルもそれに対して特に咎めるような事は無く、二人で再び森の中へと踏み込んでいった。
「ふぅ。今日はいまいちだった……」
二人が帰ってきたのは日が暮れる少し前であった。
太助はその間、ずっとエルの後を付いていくだけであった。人がほとんど踏み入れていなさそうな森で、色々と食べられそうな物があってもよさそうではあるのだが、彼女のお眼鏡にかなう食べ物は殆どなかったようだ。偶に木の上に登っては果物を獲ったり、食べられそうな動物を探しているようだが成果は芳しくなかった。
道中エルの話(独り言)を聞いていた太助は、最近ここの森での食糧事情が厳しい事を知る。どうやら余所から新しい魔物の群れが移住してきたようで食べられそうな動植物はそいつらに全て狩りつくされてしまったそうなのだ。
それでも生きる為必死に食料を探していた少女であったが、遂に体力に限界が来て昨日倒れてしまったのだ。そこへ現れたのが俺という訳だ。
(成程……やはり空腹で倒れていたんだな。それにしても食糧難かぁ……)
先程は食い過ぎだと戒めた太助であったが、そういう事情があるのなら彼女ががめつくなるのも仕方がない。この機を逃したら何時また食べられるのか分かったものじゃないからだ。明日明後日の食べ物が得られる保証などどこにも無いのだ。
(できる事ならこの子の力になってあげたい。けど……)
トビ助の挟み箱ならいくらでも食べ物を取り出せる可能性がある。だがそれは絶対ではないかもしれない。それに太助はずっとここに居る気はないのだ。
(元の世界に帰りたい!帰ってエクスプレイズの優勝を見届けたい!)
この世界に飛ばされた最初こそ諦めかけていたが、段々とその思いが強まっていくのを太助は感じていた。それは球団マスコットとして生まれ変わったこの身体の本能がそうさせるのか、はたまた水野太助としての純粋な思いからだろうか。何としてでも日本へと戻ってあの運命の日に行われた試合の結果を見届けたかったのだ。
(こんな姿になって、しかも異世界だなんて……戻るなんてもう無理かもしれない。だけど……!)
そう、この世界にはどうやら魔法が存在するらしい。魔法ならば何でもありなのではないだろうか。元の姿に……元の世界に帰る手段が何かしらあるのではないだろうか。そう考えるようになったのだ。
しかしだからといってこのままエルを見捨てるのも気が引ける。彼女の生活環境はどうにかして改善してあげたかった。これでは近い将来エルは確実に飢え死にしてしまう。
(人里を探そう!きっとどこかに村や街があるはずだ!そこでこの子を引き取ってもらおう)
太助はそう決意をするのであった。
「どうしたの?」
翌朝、昨日と同じ鍛錬の後、水浴びをして着替え終えたエルの手を太助は握った。
(未だにコミュニケーションを取る手段は限られているが……こうなりゃあ、出たとこ勝負だ!)
エルを引っ張る形で小屋の外へと連れ出すと、そのまま目的地へと誘導しようとした。
「そっちに何かある?」
彼女もそんな太助の思いを察してくれたのか、途中から抵抗する事無く付いて来てくれた。
(よし!まずは村へと案内をする。その後は……その時考えよう!)
エルが朝練をしている間、何と太助は村を探し当てることに成功をしていたのだ。
最初は彼女から聞き出そうと考えていたのだが、どう伝えたものか困ってしまい、結局自力で探し当てる事にしたのだ。空を飛ぶことは出来ないがトビ助の跳躍力は凄まじく、ジャンプで高い木の枝へと飛び乗ることができた。鳥類の恩恵かはたまた設定の為か視力も非常に高く、遙か南方に小さい集落のようなものを発見することに成功したのだ。
(あそこに行けば誰か一人くらいこの子の事を知っている人がいるかもしれない。あわよくばその人がエルの面倒を見てくれれば……!)
そんな太助の思惑を知る由もない少女は導かれるまま南方へと目指していった。