マスコット、少女と出会う
近くに綺麗な泉を発見した俺は駆け足で近寄っていく。普段なら着ぐるみを着こんでいればもっと重く感じる筈だが、まるで生まれ持った自分の身体の様な感覚で身軽に動かせる。それに心なしか力が溢れているかのように錯覚をする。その割にはかなりの鈍足ではあるが―――。
俺は透き通った泉を覗き込むと、水面に反射した自分の姿を観察する。
黄色いふさふさの羽毛に包まれた全身
両方の大きな羽根
プリティーな小さい尾とつぶらな瞳
チャームポイントである頭部の跳ね毛
そして背中に背負っているトレードマークの挟み箱
見間違うはずが無い。水面に映ったその姿は水野太助が10年間演じ続けてきた<大江戸エクスプレイズ>の球団マスコット、スズメと飛脚をモチーフにしたゆるキャラ“トビ助”そのものであった。
(これって着ぐるみじゃあ……ないんだよなぁ?)
あれこれと全身をまさぐるも、チャックのようなものは皆無であった。そもそも作り物とは思えない出来栄えで、瞬きもできるし口も動かせる。何れも着ぐるみには無かった仕掛けだ。だが肝心の言葉はというと―――
「チュンチュン!チュンチュチュン!」
スズメのような鳴き声を発するだけだ。どうやら自分は事故で死んで、何故かマスコットのトビ助として生まれ変わってしまったようだ。非現実的な事態ではあるが、状況が否応にでもそう判断をさせる。
(参ったなぁ。ここは一体どこなんだ?森の中のようだけど……)
見たことも無い木々や動植物が見られる。少なくとも日本国内ではないことだけは確かだ。
一番最初に太助の脳内に過ったのは、ここが異世界である可能性だ。そんな物語を漫画やゲームで見たことがある。そもそも死んでマスコットに生まれ変わるといった現象が既にファンタジーだ。ここが別の惑星でも大昔の地球であろうとも今更ではあった。
(とにかく他の場所に移動しよう。こんな森の中にいても何の情報も得られそうにない)
見知らぬ森で水源を発見できたのは幸いだ。この口で飲めるのか疑問だが、生物である以上水や食べ物は必須だろう。何か入れ物でもあれば水を持ち運べるのだが、あったとしてもこの手(羽根)ではそれも難しい。
泉のある場所をしっかり記憶しておきながら太助は場所を移動し始めた。やはり普段より身軽に感じるものの、歩くスピードは鈍足であった。球場でマスコットをしていた時との全身の感覚の差に微妙な違和感を覚えながらも、奇妙な森の中をてくてくと突き進んでいく。
(近くに人里でもあればいいんだけど)
しかしこんな格好で人と遭遇しても果たして受け入れてもらえるのであろうか。そもそもここが日本ではなさそうなのは森の動植物を見る限り明白であり、仮に海外であったとしてもそもそも言葉が分からない。太助は英語すらまともに話せない上に、更に今の自分は「チュンチュン」と囀ることしかできないのだ。
この状況で人と遭遇しても、下手をしたら猟銃で射殺されかねない。
(冗談じゃない!?“マスコットが撃たれた”だなんてスポーツ紙のネタにされるのは御免だ!)
何時もなら名を売る為にあれこれとネタを提供する側だが、さすがに命を賭けてまではしたくない。
そんなことを考えていると、遙か前方に人影らしきものの姿が見えた。
(おお!?あれは……人?って俺の視力凄いな!?あんな遠くのものまで視えるとは……)
人影らしきものが居る場所は、ここからまだ数百メートル先はあるかという位置であった。森の木々が邪魔をしていて顔までは視えなかったが、生前と比べるととんでもない視力であった。
(そういえば、鳥は目がいいんだっけ?トビ助の“設定”にもそう書いてあったしなぁ)
設定とはトビ助の生みの親である小学生、ユウタ君(10才)がイラストと同封して送ってくれたトビ助の生態のことである。トビ助は球団創設時に、一般公募の中から選ばれて生み出されたマスコットだったのだ。
当時10才であったユウタ君考案のトビ助はその可愛らしい容姿もあってなかなかの人気ぶりであった。そしてそれを更に後押しするのがユウタ君(10才)の考えた数多の設定だ。その内容は多種多様で、球団職員や中身である俺もその設定を極力なぞる形でトビ助の人物?像を構築していったのだ。
設定の一部を上げるとこんなものがある。
球団創設と同時にコウノトリと不死鳥との間に生まれた(何故かスズメ)
最強無敵のマスコット
人の言葉を喋れない
困った人は放っておけない
女性や子供には弱い
お休みはひと月に一度だけ
背中の箱(挟み箱)にはなんでも入っている
鳥だけど空は飛べない
鳥だけど猫舌
監督とはマブダチ
社長ともマブダチ
マネージャーには頭が上がらない
チアにも頭が上がらない etc.
これでもまだ氷山の一角で、他にも細かい設定がびっしりと盛り込まれていた。当時ユウタ君からの手紙を読んだ職員は苦笑いしたそうだが、その熱意を買って採用されたというエピソードがあった。
トビ助の設定はファンブックにも記載されている公式設定なものから、球団関係者のみが知っている裏設定など様々で、俺の最初の仕事はこの“ぼくが考えた最強マスコット”的な設定を一から十まで覚えることであった。
(うん、もう半分くらい忘れたけどね)
ついこの間も設定を度忘れをし、家に大切に保管している原本(手紙)を読み返しては、常に頭の中に叩き込んでいたものだ。
とにかくそういうわけで、このトビ助には多くの設定が盛り込まれていた。そしてその手紙にはこうも書いてあったのだ。
“鳥なので目が凄くいい(夜目が利く/嘘を見抜く/才能を見抜く)”
(いや、夜目が利くってのは分かるけど、嘘や才能を見抜くって何よ?)
所詮小学生の子供が考えた設定であり、中には色々と無茶な内容も書かれてあった。若い頃の俺はその無茶な設定を遵守しようと、相手の言葉が真実かどうか常に神経を尖らせたり、新人選手の将来を予想したりと色々な苦労をしていた。
そしてそんな設定のお蔭か、はたまた鳥類だからなのか、まだかなりの距離があるというのに人影らしきものの姿が段々と明確に視えていく。
(ん?結構大柄な人だなぁ。毛がもっさりしていて……って、人じゃねえ!?)
走っていた太助は慌てて急停止し、その人影をじっくりと観察した。
(……あれ、クマだよな?)
どこからどう見てもまごうことなきクマである。クマを見た太助はつい先刻体験した事故の記憶を呼び起こす。
そもそも太助が死んだ最大の原因は信号無視をしたトラックの所為である。そのトラックは我が球団の親会社である<大江戸急便>のライバル会社<ベアー通運>のものであった。クマをマスコットとした運送会社である。転がりながらも見たトラックの横腹には、クマのマスコットがしっかりとプリントされていた。
(あのクマ野郎の所為で俺は……!)
直接の死因はその直後に併走していたバイクに撥ねられたからであるが、一度そう思うと段々とクマに対する苛立ちが込み上げてきた。完全なとばっちりだとは思うが、腹が立つのだから仕方がない。
何とかお返ししてやろうかと一瞬感情が高ぶるも、大分距離があるとはいえ檻などで隔たれていない場所で見るクマの迫力に太助は思わず尻込みをしてしまう。
幸いにクマはまだこちらに気が付いていないのか、二足立ちの姿勢から四足歩行に切り替えると、何かを見つけたのか迷いなく別の方向へと進みだした。
(……ここは気付かれないうちに退散するか)
戦術的撤退を考えたその時であった。クマの視線の先に―――人が倒れているのを見てしまった。
(マジか!?人が……しかも女の子が倒れている!?)
森の中ではかなり異質な、長い黒髪の幼い少女が倒れていた。クマはどうやらその年端のいかない少女の元へと向かっているようだ。間違いなく食べる気だろう。
(―――させるか!)
太助は即座に走り出した。人影の正体が巨大なクマで危険だということも重々承知していたが、気が付いたら身体が勝手に動き出していた。そんな自分の身体に本人が一番驚いていた。
(え?俺、クマに向かってるの!?倒せると思ってるの!?馬鹿なの!?)
自分の愚かさを心の中で呪いながらも全力疾走で駆けていく。もっともこの身体は泣けてくるほど鈍足であったが……。
この足の遅さではクマに気が付かれたが最後、逃げることすらままならず自分も喰い殺されてしまうだろう。それは頭で理解しているのだが、ピンチの少女を見捨てるという選択肢は端からなかったのだ。
(―――そうか、“設定”か!きっと今の俺は完全にトビ助なんだ!“困った人は放っておけない”)
それならこの不可解な行動にも説明がつく。太助ならばともかく、トビ助ならば絶対に少女を見捨てたりしない。恐らくこの身体はトビ助の“設定”が無意識下で若干の影響を受けているのだろう。
(ならば鈍足なのも頷ける。ちっきしょー!鳥類なのに飛ぶこともできやしない!)
“トビ助は足が遅い”“鳥だけど空は飛べない”これもユウタ君の書いた設定にあるトビ助の弱点だ。このままではクマに辿り着くまで時間が掛かり過ぎる。一方のクマはピクリとも動かないまま倒れている少女のすぐ近くまで迫っていた。
だが、トビ助は―――
(―――ピンチの時でも諦めない!)
走っても駄目、飛ぶのも無理。ならば―――ジャンプでどうだ!
俺は再び急停止すると、今度は短い足を目一杯曲げて力を溜め込んだ。足は遅いものの、この姿になってから力は有り余っていたのだ。
(トビ助は“見かけによらず力持ち!”)
もしその設定が有効ならば、かなりの跳躍力を持っているのでは?そう考えた俺はジャンプしながらクマに近づこうと目論み、試しに全力でジャンプをしてみることにした。
「チュチュン!」
掛け声にしては間の抜けた囀りをした俺は全力で上へと飛んだ。
(んな!?)
すると景色はあっという間に様変わり、木々で埋め尽くされていた視界が一瞬で真っ青な青空へと切り替わった。自分の遙か下には広大な森が広がっていた。
(なんて高さだ!枝に飛び乗るどころか木のてっぺんを飛び越しちゃったぞ!?)
エクスプレイズの助っ人外国人で四番を務めているニックのパワーならば、今の自分と同じくらいの高さまでフライを打ち上げられるのではと頓珍漢な思考が過ってしまう。
飛び上がりきると、その後はニュートンの法則宜しく地面へと落下していく。
(……これ、無事に着地できる……よね?)
自分で飛んで大怪我していたのでは間抜けにも程がある。かなり不安ではあったが、着地した瞬間に足をクッションの要領で折り曲げると、少しだけ衝撃はあったものの問題なく着地が出来た。
(―――これなら!)
ニヤリと、太助は足を屈めた状態のまま、今度はクマに狙いを定めて力を溜める。今度は上ではなく横へと飛ぶのだ。クマはもう少女から目と鼻の先であったが、これならば間に合うと太助は半ば確信をする。
「チュチュチューン!」
目一杯の囀り声を上げた俺は一気に真横へと跳躍をした。恐ろしいまでのスピードで熊へと迫っていく。進路上を妨害していた枝は愚か、近くに生えていた木々さえ吹き飛ばし弾丸のようにクマへと飛翔していく。
直後、自分がバイクに撥ねられた時以上の衝撃音が鳴り響いた。俺に体当たりをされたクマは何が起こったのか理解できないまま吹き飛ばされて、内臓をぶちまけながら絶命した。正直、可哀そうな気もしたがそれもこれも全部<ベアー通運>が悪い。うん、そう思うことにしておこう。
何はともあれ、無事少女は食べられずに済んだのだ。
(ふ、俺は最強無敵のマスコットだ!)
マスコット病とでもいうのだろうか、ついポーズを取ってしまう。だが何時までも格好つけているわけにはいかない。少女はまだ倒れたままだ。クマには襲われていなさそうだが、そもそも最初から倒れていたのだ。もしかしたら既に死んでいるかもしれないと最悪な結末が脳裏をよぎる。
(……うーん、外傷はない……かな?)
少女の年齢は10才くらいであった。小柄だが長く綺麗な黒髪の女の子であった。見た限りでは出血や怪我をしている箇所は見られない。呼吸もしているようなので最悪の事態は免れたかとほっとする。
だが、自分は医者ではないので見ただけでは詳しい容態が全く分からないのだ。下手に動かすのも危険な気がするが、かといってこのままでも状況は悪くなる一方だ。
どうしたものかと頭を悩ませていた、その時
ぐうー
可愛らしいお腹の鳴る音が聞こえてきた。
「……お腹……減った」
どうやら意識を取り戻したのか、少女が弱々しい声で呟いた。
「チュ?チュチュンチュン、チュン?」
(お?お腹が減ってるだけ、なのか?)
少女に声を掛けようとするも、この身体では言葉を発する事が叶わず、囀ることしかできなかった。少女は一言呟いてからはもう余力が無いのか、お腹の音を響かせながら倒れ込んだままであった。
「チュチュン?」
(大丈夫か?)
俺はそんな少女を介抱しようと手(羽根)を少女の身体へと伸ばした、その瞬間―――
ガバッと少女は羽根に抱き着くと、なんとそのまま俺をかじり始めたのだ。
「チュチュチュチュッ!」
(いててててっ!)
びっくりした俺は慌てて振りほどこうとするも、あちらも食べるのに必死なのか、なかなか離そうとしない。あちこち走り回り、何度か羽根をばたつかせると遂に完全に力尽きたのか、少女は羽根から振り落とされて再び地べたへと投げ飛ばされた。
(うわ、大丈夫か!?)
慌てて俺は少女の元へと駆け寄ると、お腹の鳴る音が元気よく聞こえてきた。思ったよりも頑丈なのか、少女は怪我をしたようには見えなかった。
(うーん、どうしたものかなぁ……)
行き倒れの腹ペコ少女の扱いに太助はどうしたらいいのか困り果ててしまった。