それでも回っている
星屑がひとつ、雨になって町に降る。
ふたつめの星屑は雨を多くし、町は緑に富むでもなく次第に沈んでいく。
みっつめの星屑がついに太陽を壊し、雨は海となり二度と涙は見えなくなった。
よっつめの星屑は助けを助けとせず、触れた箇所はぼろぼろと砕け散る。
いつつめの星屑がいっぱいになり、丸呑みされた町は誰と知れずに忘却の色。
むっつ、ななつと待たぬうち、ついに星屑は降る場所すらも失い欠片のみになった。
「……何だこれ」
自身の案内人が誠司に「はいコレ」と手渡した依頼書はどこからどう見ても依頼書とはとても呼べるようなものではない、詩のような文面で書かれた物だった。薄くぞんざいに扱えば容易く破れてしまいそうな、向こう側が透けて見える見たことの無い素材で構成された暗い空模様に似た色の用紙に穴を開けて書かれた文字。触れれば人肌程度に温かく、曰くそれは「心の一欠片だから」だそうだ。
「依頼書なのに文面が詩なのがそんなに誠司くんは不思議かい?」
じっと意味をどうにか解読してやろうと依頼書の文字を睨みつける誠司の右斜め後ろから案内人がひょっこりと顔を出し、ふふっと微笑む。解読できないのを小馬鹿にしているのかと言い返そうとしたが、案内人はごめんと謝るとよしよしと誠司を撫でながら訂正した。
「僕らは想像主を詩が解読できないからって馬鹿にはしないよ。写し身で一番の理解者が下卑た事をしては誰が想像主を護るんだい?大丈夫、僕らの知識は想像主に依存するけど誠司くんは賢いからね。……だから困るんだけど」
「……困るって何が?」
一瞬、自身の案内人の狐面で覆われた素顔が曇ったような気配に誠司が反応を見せたが、はっとしたように案内人は平然を装う。
「いやいや、何でも無いよぉ。依頼書が詩って話だよねぇ?」
「……そうだけど……いや、うん。それを教えてくれ」
誠司はこの行動を良く知っている。見すぎている、知りすぎてしまっている。脳裏に蘇る光景を振り払うように案内人の話を聞く方に意識を向け、案内人もまたそういった意識も共有されているのか表情を強ばらせた後何事も無いように説明を始めた。
「基本として、僕らは想像主の心に存在している。全てが心、さっきも言ったけどその依頼書もそう。だから、個々の世界の物は原則として壊してはいけないんだ。民家があるからって戸棚から貴金属持ってくのもダメだよ、無断で出入りなんて論外!……でもね、例外の壊してもいい、むしろ壊してくれて一向に構わないものがある」
「壊していいもの?」
基本的に余計な事をしてはいけない、そんな中で壊していいものがある。とすればーー……誠司の中で一つこれかと思い当たるものが。
「良くないものか?」
「そう。僕らはそれを侵食と呼んでいてね、原因は簡単に言ってしまえば重圧とか……まああれだ、ストレスだねぇ。聞きはしないかい?親の夢を叶える為に生かされているような必死に好きでもない勉学を強いられた子どもたち、周囲より目立って優れていたが故に妬まれ虐げられる、合わないというだけで標的にされてしまう恐怖」
最初に言ったのは毒親と言われている類のものだろうか。よくテレビで聞く恵まれない境遇やいじめ、そういったものが想像主にとって個人差はあるとしてもどれだけの負担を与えるか。それは剣を振るう加害者には楽すぎて分からない、脆い盾でいつそれが壊れるかヒヤヒヤしながら一撃一撃を受ける被害者にしか負担が大きくて分からない、見えないだけに深く抉り取る傷だ。
「侵食は想像主が負担と感じれば感じるだけ強い、それに傷つけられたりすると僕らは虚無に転じ、新しい侵食としてまた別の住人や案内人を攻撃していく。原理としてはゾンビ鬼ってやつと同じだよ、だから身内じゃ手一杯ってわけ」
「強いのか、その侵食と虚無って言う奴は」
「さぁ、強弱の線引きも個々だから僕にはどうとも。でも万が一住人が皆全滅しても、案内人がいればどうにか持ちはするよ」
「どうにか?持たなかったらどうするんだ?」
聞きたかった、或いは聞いてみたかった言葉を聞けたとでも言わんばかりに案内人はどうだろう?と歪んだ口元を袖で隠しながら試すように笑う。知ったように笑うその様に苛立ちを覚えながらも誠司が誤魔化すように頭を撫でようと伸ばされた手を叩き拒絶すると、落ち着きを取り戻したようにパタパタと獣耳を動かしながら一歩後に下がる。
「世界にいるのは二種類、想像主の写し身たる案内人と案内人を目指し世界に生きる住人たち。長々となってしまったけれど、依頼書を出したり出来るのはほとんどの権利を持つ案内人だけなんだ。依頼書が詩で出来ているのはね、簡単に外部に想像主の情報が漏れないようにする為の細工ってわけだ」
「想像主の情報?心を守れってわりにそこは秘密にするのか?」
「誠司くん、勘違いしてはいけないよ。人は皆、価値観が同じであるようにインプットされているわけではない。誠司くんはもう感覚を手放してしまったのかもしれないけれど、皆が皆感覚を手放しているわけじゃない。誠司くんが悪いと言いたいわけじゃないよ、誠司くんを中心に世界が回っているわけじゃないとだけ理解してほしいんだ。理解が無いと他所の世界に入れてもすぐに追い出されてしまうだけだよ」
ただ闇が広がるだけの自身の物だという世界を見ればそれは分かる。他の世界にはいるという住人はここには誰一人として存在していない。いるのは命綱としての役目も担う奇妙な格好をした白黒の案内人だけ。他が皆、このような粗末な世界だというわけではないのだ。
この世界には本来居るべき住人がいない、おかしな世界。それが他所の世界から見た誠司の世界。
「さて、初めて来た依頼書だけど……」
「!」
案内人はそう言いながら誠司の手から依頼書を奪い取ると、うーんと唸りながらもどうにかそれを解読して見せようとする。しかし、知識の元は誠司から来ているというのもあってか数秒散々唸った後「やっぱりやーめた!」と大切な物であろうはずの依頼書を宙に投げた。依頼書はひらひらゆらゆらと宙を重力とは関係ない動きで宙に揺らぎ、どうにかそれを誠司は背伸びと精一杯のジャンプで再度手にする。
「星屑と雨が関係してるみたいだねぇ。意味はまぁ……あれだ、依頼書出した案内人のいる世界に行けば分かるかなぁ」
「星屑と雨……。星屑って言っても要は隕石だろう?太陽壊すくらいなんだから、それも相当でかい隕石のはずだ」
「さぁ?だとしても、どうして星屑が依頼書に書かれているか分かるのかい?雨の意味は?依頼書の詩がちょっとでも理解できないと依頼してきた案内人の所には行けないんだよ」
星屑は隕石に違いないと思った誠司だったがどうもそういう意味でもないらしい。町を海にしてしまうだけ降ってしまった雨という事は、今その世界自体は雨によって海に沈んだ町という事だろうか。
世界の大体の全体図を得た所で、まだその世界に入る為の知識が足りていない。
「雨……雨が海に……」
「おや、何か思い出せないのかい?」
「雨の由来、みたいなやつがな……前にテレビでやっていたのを聞いた気がするんだ。ただ何だったかが思い出せない」
「それは本当に知識として誠司くんが得たものなのかい?」
「?」
誠司の返答が返ってくるよりも先に、よし来たと案内人はパチンと指を鳴らす。するとどうだらう、底も見えない暗闇の中、霧を裂くように頭上が白い閃光をあげながら案内人目掛けて降って来たではないか。
慌てて案内人から離れた誠司だったが、閃光は案内人の手中に収まると長方形に形を変えていく。光は緩やかに失われ、そうして手元に残った1冊の古びた赤茶色の分厚い本には達筆な字で『Memory』と書かれていた。
「これは案内人の最終兵器。想像主が大事に思っているもの、思っていたものの形をした思い出の結晶みたいなもの。誠司くんの場合はこれね」
「ただの本だろ」
「もぉー、誠司くんってば見たら分かる事言う~!」
案内人は本を右手の上でくるくると空中回転させながらやれやれとため息をすると左手をその上にかざす。途端に本の回転は止まり、回転が止まった本はバラバラと強風に曝されているようにページを捲り、とあるページに差しかかるとその動きを止めた。
「あったあった……えっとぉ……雨は天女の涙って説があるって書いてあるねぇ」
「その本にそう書いてあるのか?」
「誠司くんの事しか書かれてはないけどねぇ。星屑については分からないけど、雨っていう所が想像主の涙って事は分かったねぇ……確定じゃないけどぉ」
町を沈めるだけの大雨を降らす涙と聞くと相当な泣き虫のように思う。だが、案内人曰く涙と言っても目に見えて泣く涙と目には見えない涙の2パターンがあるらしく、涙だからといってただの泣き虫とは限らないのだそうだ。
「ここにいても誠司くんのいる現実の世界の時間は進まないし、もしかしたらそっちで依頼してきた案内人のいる想像主に会うかもしれない。だから一回解散しようかな」
「それもそうだな。それで、どうしたら戻れるんだ?」
誠司が視線を本から案内人へと切り替えると、案内人は返答の言葉を返すより先に誠司の額を人差し指でつつき、そっと呟く。
「閉門」
案内人の行動に文句を言うより早く誠司の足元がキラキラと青い粒子を放ちながら消えていき、速度を上げながらそれは徐々に上へ上へと登っていくではないか。
「僕らはいつも側にいる。けれど本来、僕らは君たちに触れる事も話し合う事も褒めてあげる事もできない」
恐らく、今まさに消えかけている誠司にはこの声は聞こえてはいない。それでもいい、構わないと案内人は続ける。
「本当はコソコソしなくてもいい。ただそうできない世の中だから、僕らは僕らのコミュニティで助け合わないと生きられない。命を絶つよりも早く、時間よりも早く、決意よりも早く、助けの声に気づいてあげなくちゃいけない。でもきっと誠司くんなら、今の誠司くんならーー……」
誠司の頭まで粒子は登り、誠司はあっという間に現実世界へと意識を戻していった。テレビのチャンネルが切り替わるように微かに誠司に届いていた案内人の声はそれ以上先の言葉を囁かなくなり、耳に入る音は賑やかなクラスメイトたちの声に、目に入る色は世界の真っ暗な闇から鮮やかなオレンジを映し出しゆっくりと人影から細部まで細かい部分までを映す。
こうして自身の世界から現実世界へと戻された誠司は一人、現実世界で依頼書を送ってきた案内人の想像主を探す羽目になったのである。
(……あいつ、あんな所で何してんだろ)
自身の案内人に対してまるで感情の無い事を淡々と考え、どうでもいいと思考を切り捨てた誠司は次の授業に備え机から参考書を取り出すのだった。