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白い手  作者: 杜 社
4/4

十年後

蛇足的な後日談とも言えます。

その日、俺は、十年ぶりに母校を訪ねていた。

 訪ねるといっても、平日の昼間に勝手に敷地内へは入れないから、ぐるっとフェンスと塀越しに懐かしい校舎やグランドを眺めるだけだが。

 この時間、体育の授業はないようで、グランドには人影もなく静かなものだった。

 今思えば、この頃が一番楽しかったし全てが充実していた。

 憂うことなんて、何一つ思い至らなかった。

 確かに、家からの期待や、柵はあったけど、それ以上に学校と何より部活があった。

 空いた時間の全てを練習につぎ込むくらいには、夢中だった。

 同い年で、同じ部活にいるあの天才に少しでも追いつきたかったから、色々必死だった。


 グランドを眺めいていたら、次々蘇ってくる、懐かしい記憶たち。

 でもその中に、違和感があることに気がついた。

 あんなに、あこがれていた彼の事がよく、思い出せない。

 顔も、名前も、交わした言葉も・・・。

 

 一度それに気が付いたら、気持ちの悪さが胸に広がる。

 まるで、そこだけ消しゴムで消されてしまったように、記憶が欠落していた。

 いわゆる、ストレスというヤツかもしれない。

 秘書の神宮寺にも心配をかけている自覚はある。

 あいつは、昔から俺の状態をよく見ていた。

 だから、今日、会社を抜け出してきたことも恐らくお見通しだろう。


 少しでも、気分転換になればと送り出してくれたんだろうと思うと、ちょっと自分が情けなくなる。

 会社の業績が振るわなくて、あがいているのは何も俺だけじゃない。分かってる、つもりだ。

 業績だって、今の国際情勢の影響が大きい。単に、一企業の舵取りの話では収まらないところまできているし、中小零細企業はすでに息も絶え絶えな所が多いだろう。

 今出来ることは、自社の被害を最小限に食い止めること。

 頭ではそう分かっているし、現状打てる手は打っている。


 それでも、まだ及ばない。まだ、足りないと追い立てられる。


 二年前、俺が社長に就任してから、ジワリと増え続ける負債に下がりはじめた業績カーブ。

 就任前から、そうなる火種があるのは知っていた。社内にも、社外にも。

 俺は、どこで間違えたんだろう。

 いろんな事が分からなくなって、気が付いたら会社をでて最寄の駅から電車に飛び乗っていた。

 ああ、今日の重役会議どうしたんだろう。社長(俺)がいないから延期か。

 神宮寺の胃に穴が開くのは、もう時間の問題かも知れない。


 そういえばいつだったか、誰かに世間知らず呼ばわりされたことがあった。

 それが、悔しくて一般常識の勉強にも力をいれたんだった。

 あの天才と並びたくて。

 あれ?”天才”って誰のことだ。

 俺は、誰のことを言っているんだろう。


 当時の部活のメンバーを順に思い出してみても、該当者は誰も残らない。

 俺の記憶の中に齟齬がある事だけは、分かった。

 フェンスに沿って、グランドの周りを歩く。

 部活の日々が蘇る。やっぱり、記憶がかみ合わない。

 そう思いながら、歩いていると学校の脇に見覚えのある側溝が目に入った。


 一度だけ、学校から歩いて帰ったことがあった。 

 そうだ、確か、頼み込んで、寄り道に付き合ってもらったんだ。

 ・・・・・・誰に?

 俺は、やっぱり誰かを忘れている!


 この道を辿れば、取り戻せるだろうか。

 大事な思い出も、忘れてしまった誰かも。

 何もかもを。


 何だか、宝探しでもしている気分だ。

 久し振りに気分がいい。

 それが、社長業からの現実逃避だったとしても、構わなかった。

 

 俺は、当時の記憶を辿りながら懐かしいその道を、ゆっくりと歩き出した。


 相変わらず、肝心なところは欠けたままだったが、それでも色々思い出してきた。

 あの、側溝を通り抜け、当時住んでいた本家に向かって歩いていく。

 当時と変わらない所、変わってしまった所、一つ一つ確認しながら、進んだ。

 それは、パズルのピースを探して嵌め込んでいく感覚に似てると思った。


 あちこちのピースが埋まっていく中で、肝心なところはまだぽっかりと穴が開いたままだ。

 

 裏野ハイツ。


 そのアパートは、十年前から変わらず古めかしいままだった。

 立て替えれられたわけでも、更地になったわけでもない。

 もちろん、違う建物なんかでもない。

 記憶の中、そのままの姿だった。


 ―― 窓に手がかかってるのが見えた気がしたんだ。――


 不意に、懐かしい声が聞こえた気がした。

 そうだ、あの二階の窓に。

 声につられるように、俺は、アパートを見上げて、そして、見つけた。


 最後のピースを。



*************************************


 どうやら、僕は少しぼんやりしていたようだ。

 ゆっくり、意識が現在に戻ってくる。

 残念ながら懐かしい記憶を辿る旅は、ここまでのようだ。

 さすがに、そろそろ社に戻らなくては。


 僕の有能な秘書神宮寺のことだ。

 今頃は、本家に連絡して、帰り用の車を待機させていることだろう。

 これ以上遅くなって、神宮寺のお小言が増えるのは是非とも避けたいところだ。


 そして僕は、十年振りに見た古いアパートの外観を一瞥して、本家に向けて歩き出した。

これで、最後になります。ここまでお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございました。

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