アナスタシア
――――夢――――
金属同士をすり合わせる音がしていた。
遠く、遠く――子供の頃に見たアロネダヴィドのパーツ闇市の時と同じ音。
遠く、遠く――小さな少年は鋭い目を走らせる。遠巻きに立ち並ぶ日除けの天幕。その下に薄汚れた男達。鉄の塊を背後に死んだような目をして辺りを見る。
企業にも国にも属さず、中立機関であるアロネダヴィド施設も利用しない、放浪者の集まり。何故か少年は、いずれ自分もこうなるだろうと確信しながら、その闇市をじっと、じっと、眺めていた。
――――目覚め――――
「もしかして起きたー?」
いつのまにか工具をすり合わせるような音は消え、代わりにすぐ近くから間の抜けた女の声がした。
男は即座に起き上がり、硬いベッドから滑るように立ち上がると腰のホルスターに手をやる。が、そこに銃は無かった。
「おお、元気! いやー、血も出てたし中は蒸し風呂だし、こりゃもうだめかなーって思ったんだけどねー。良かった良かったー」
遅れて強烈な目眩と頭痛に見舞われた男はふらりと膝を突く。苦虫を噛み殺したように顔をしかめ、女の顔を睨んだ。
肩にかかる程度の赤茶けた髪は綺麗に揃えられ、顔も整っている。汚れた白のツナギさえ着ていなければ美女と呼んでも良い逸材だ。が、終始ヘラヘラと笑みを浮かべており、間延びした口調も相まって素材を台無しにしていた。
「ん。水でも飲んできた方が良いね。外に貯めてあるから」
にこやかにそう言うと、あまりにも無警戒に背を向けて歩き出すと、大きなレンチで機械のボルトを外し始めた。
「……何故助けた?」
「はぁぁぁ? あー、そうか。外から来たんだもんねー」
女は依然として無警戒に背中を向けたままだ。
「質問に答えろ」
「それは良いけど……とりあえず水を飲んできたら? あー、生水怖い? なら火はそこにあるから」
確かに男は喉が乾いていた。女の言葉が事実であれば、空調も聞いていない機内にずっと居た事になるのだから、それも当然だ。荒野の一部は砂しかない砂漠となっており、日中の気温が50℃を越す事もよくあった。締め切られた機内では熱中症になってもおかしくはない。
「……俺のダヴィドはどこだ」
「引っ張ってきたけどまだ動かないよ。まさか水飲む為だけに起動するの?」
そう言って、最後のボルトを外し終えた女が振り返った。
「……火を借りる」
「はいよー」
――――エデンと腹の中――――
中で軽く泳ぐ事のできそうな巨大な水瓶。その側には土の壁。それが天高く聳え立っている。どこまでも、どこまでも。果ては見えず、夕闇に溶け込むように、男には感じられた。
鍋に水を入れた男が部屋に帰ってくるなり、口を開いた。
「ここは、アルザレイか」
「はぇ? あー、アルザレイね。あたし達はエデンって呼んでるけどね」
「エデン? 冗談だろう」
冗談じゃないよー、そう言いながら、女は自分の腕程の長さのレンチをブンブンと振り回す。
男の知る西の最果て――グレートウォールに面したその集まり――アルザレイは、無法者が跋扈する地獄のような場所の筈だった。エデン――楽園――などと呼称されるモノである筈が無いのだ。
この地、アルザレイには国の力は何一つ及んでいない。法は人々を保護せず、また武力も彼らをバケモノから守らない。
流通の輪から外れたアルザレイは企業もまた見捨てるような過酷な地だ。この場所では物は手に入らない。それどころか通貨すら存在しない。存在したとしてもそれは燃料に変わるか電子の海に還るかのいずれかだ。
「この世の地獄だと聞いたが?」
男の言葉に女は目を細める。否、顔を顰めた。そのままジッと男を睨むと、女は不意に別の機械を持ち上げ、背中を向けて作業台に固定し始める。
「じゃあお兄さんの居たところはバケモノのお腹の中なんじゃない?」
背中越しだというのにあからさまに拗ねているのが分かる声色で女が言う。
「……バケモノの腹の中、か。違いねぇな」
国に企業にマフィアにルーダー。武力を持つそれぞれの組織が互いを貪り食おうと暴れ回り、民衆はそれに振り回される。そんな社会での飼い殺しはバケモノの腹の中と呼ぶに相応しい。
――――相互扶助の精神――――
「ご飯、食べる? それとも地獄のお芋は食べれない?」
グレートウォールに沈む太陽。もはや荒野の果てまで陰り、辺りは冷え込んできていた。アロネダヴィドを整備する男の元にやってきた女は、未だにじとーっと男を睨んでいる。
「バケモノの食いカスよりはマシか。貰おう」
男の言葉にこれ以上無いくらい頬を膨らませると、ぷいっと顔を背けた。
「やっぱあげないっ」
女は弱い光を放つ家の中へと足早に去っていく。唖然としていた男だったが、再び工具を手にアロネダヴィドの装備のボルトを緩めにかかる。
「……やれやれ」
それから十分もせず男の前に女が姿を表した。
「……ご飯、食べないの?」
「くれないんだろ?」
ぷーと膨らんでいく頬。男は小さくため息をついた。
「貰えるもんなら貰うが」
「地獄のお芋、要るの?」
「腹が減ってりゃ地獄の芋でも天国の芋に早変わりってな」
「むぅー」
納得はしていない様子だったが、家に戻った女は小ぶりな芋が6つ程入ったスープを持ってきた。
「……修理は明日にして、今日は休んだ方が良いよ。体壊しちゃうよ。寝るところ用意してあるから」
「……何故、助けた? まさか俺に惚れたか?」
親切にされる理由など他に思い当たらなかった。放っておけばダヴィドも手に入り、余計な世話を焼く必要も無かった筈だ。ルーダーとして一流の腕前は持っていたが、助けられたからと言って協力する義理は無い。つまり、生かす理由が無い。
男の心底からの言葉に、女は悲しそうに眉尻を下げた。
「……本当にバケモノのお腹の中、だったんだね」
「何……?」
女はそっと手を伸ばした。温かな食器を持っていた両手がえ始めた荒野の大気に凍えた男の手を優しく包み込む。
「ここでは皆で助け合うんだよ」
「……俺はルーダーだが」
「ルーダーだってメカニックとは助け合うでしょ? それと同じで、皆と助け合うの」
「そこらのメカニックの手を借りるような二流じゃないんでな」
「あたしだって自分で整備するルーダーだよ」
「お前が?」
「ここではルーダーも助け合うんだよ」
「……なんの為に?」
ルーダーはダヴィドと共にある。そしてダヴィドは力と万能の象徴だ。ロストテクノロジーの塊であるダヴィドは、それ単体で国家や企業とも渡り合う事ができる。故に、助けなど必要は無い。
起動さえすれば燃料を必要とせず、水を無限に作り出し、外部からの供給さえあれば健康的な食事すら作り出す。装甲や武装などの外部パーツの修繕こそ必要だが、本来備わっていたパーツは自動的に回復する。つまり、メカニックさえ不要なのだ。
それ故の疑問。なんの為に助け合うのか。
「寂しいから、じゃダメかなぁ?」
ぐっと女の手に力がこもる。
「おい、スープが溢れる」
顔を顰める男。それに対して女は悲しげに眉を歪ませた。
「寂しかったね」
「寂しいと思った事は一度も無いがな」
「それが寂しいんだよ。寂しいと感じない事が寂しいの」
「……訳が分からん。なんでも良いから食わせてくれないか。天国の芋が冷えきって地獄の芋に変わる前にな」
「……むぅー」
女は不満気に頬を膨らませると男から離れた。
「……やっぱり俺に気があるんじゃないのか?」
「はぇ?」
「頬を膨らませて――離れたくないんだろ?」
「お兄さんになんて全く興味無いもんっ。冷えたってエデンのお芋は地獄のお芋になんてならないんだからっ」
――分からん。
男には女の考えている事が全く分からなかった。分かったのは、アルザレイを地獄と呼ぶとやたらと頬が膨らむという事だけだった。
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