待ってました望むところだ
「何があった」
「王妃と国王陛下が対立なさいました」
レオパルドスの国王と王妃の関係は愛妾フローネが亡くなってからというもの良好とはいえなかった。
特に国王の王妃に対する態度から宮廷の裏では公然とその不仲説が囁かれている始末だ。
だが今まで表立って対立したことはこれまで一度もなかった。
「どうしてそんなことになった?」
眉を顰めるレスティナにヘルメは一瞬言葉を紡ぐのを躊躇った。
それを見逃すレスティナではない。
「私か、原因は」
「……」
その沈黙が雄弁に物語っている。
レスティナは面白そうに口端を吊り上げたが目の奥で深紫の光が鋭く輝いている。
「正確に言えば発端は貴女の異母妹君です」
「ハヴリーン?」
「貴女の異母妹君が間直に迫った同盟結婚が嫌だと王妃に泣きついたのです」
「同盟結婚…アルヴァルチアと交わされたあれか」
眉を寄せて考え込むレスティナにヘルメは頷いた。
「王妃は貴方が軍を率いて城を出た直後に会議の場に現れ、宰相や大臣達がいる前で国王陛下に直訴なさったのです」
「しかしあの結婚は前々から決められていたことだろう。それに今の情勢を考えたら破棄などできないことはいくら王妃だって分かっているはずだ」
王妃は傲慢で我儘だが頭が悪いわけではない。
むしろ苛立たしいほど狡猾な女である。
今の大陸情勢を考えると政略結婚が嫌だという理由で同盟破棄など考えられないことは十分理解しているはずだ。
この政略結婚のそもそもの理由はこの中央大陸の西方に位置する最強の大国と謳われるガリア帝国にある。
ガリア帝国は古よりり長く続く王家が治める歴史ある国だ。
帝国と称えているように数多の国が共存するディア・マトリカリア大陸において自他共にその力を認められている。
強力な軍と絶対的な王権力を誇る大陸屈指の王国である。
それに比べてレオパルドスは和平を掲げる小さな国だ。もちろん元々軍事力にはあまり力を入れていない。他国を牽制し自国へ侵略させないための自衛手段程度だ。
これまではそれでもよかったかもしれない。
しかし近年大陸の情勢は雲行きが怪しくなってきている。
なぜならガリア帝国がその武力をもって歯向かう国々を次々と従属化させているのだ。
もしガリア帝国に睨まれてしまえば、いつその火の粉がこの国に飛んできてもおかしくない。
前々からそれを懸念していたレオパルドスの国王マジェルは第二子が産まれた時、友好国であるアルヴァルチアに同盟を申し込んだ。
その証がレオパルドス王国第二王女ハヴリーンの結婚である。
「陛下もそれを指摘なさいました。しかしあろうことか王妃は…」
声に侮蔑を含みヘルメは怒りも顕にしていた。
「王妃はハヴリーン様の代わりに、レスティナ様を輿入れさせれば良いと言ったのです」
吐き捨てたヘルメの言葉を聞いて驚きのあまり思考が止まったがそれは一瞬のことだった。
すぐにレスティナは立ち直り思案し始めた。
「…それはまぁ、王妃も大胆なことをしたな。よりにもよって私を?」
レスティナは呆れたように吐き出した。
「今回のリノケロス進軍に裏で糸を引いていたのはやはり王妃か」
レスティナは苦々しく呟いた。
可能性として一番に考えていたことだった。
大方目障りなレスティナを国境付近まで追いやっておいて邪魔が入らないうちに周りから丸め込むつもりなのだろう。
王妃にはそれができる権力がある。
他国と手を結び軍まで動かして愛する自分の娘の為に、そしてそれ以上にそうまでして消したい存在の為にとうとう動いたのだ。
「直ぐにご帰還下さい」
「いや、予定通りに休んでから明日帰路に発つ」
「ティナ様!」
焦った様に促すヘルメにレスティナは冷静に言い放った。
「私一人のことに戦闘を終えたばかりで休息が必要に兵達を動かすことはできない」
「しかしそれでは……」
遅すぎます…、と力なく言うヘメルに苦笑する。
「分かっている。王妃は大臣や有力貴族達を丸め込んでくるだろう。自分で言うのもなんだが、救国の英雄を国外へ差し出すんだ。この国の戦力を削ることになる。あの王妃も今回ばかりは大きな賭けに出たな。しかし今こちらで出来ることはない。焦って動けば逆につけ入られるかもしれない。今はまだ様子を見る」
レスティナは薄く目を細めて少しだけ沈黙すると、ヘルメに王妃の動向から目を離すなと命令した。
小さく頷いたヘルメが音もなく天幕から消える。
レスティナは低く笑った。
「やってくれる、先手を打たれたな」
レスティナの呟きは簡素な天幕の中に吸い込まれ、晴れ渡る空に響くことはなかった。