加護持ち
「許さん…わしの身体をよくもっ! 逃がさんぞっ」
右腕があるだろう着衣の部分が不自然に窪んでいる。
どうやらテーブルをぶつけられた衝撃でもぎ取れてしまったようだ。
「その顔を見る限り、死霊の隷属以外にも禁忌に手を出してるな。右腕はほとんど腐っていたか?」
「……! 貴様、魔術師には見えぬが…その知識、どこから手に入れた」
「その問いに答える必要性を感じないな」
レスティナは魔術師くずれの男と話しながらヘルメに合図を送った。
ヘルメは心得たというようにスクムを庇いながら下がる。
「くく…、まぁよい。どうせ貴様は死ぬのだ」
魔術師くずれは懐から魔術を使う際の媒介である木の枝を取り出すと左手でかざした。
「さぁ、いずるがよい我が僕よ。―――ウォカーレ・ベースティア・オブターティオ!」
地面に光と共に魔方陣が現れる。
禍々しい気配が魔方陣からぼこぼこと音を立てながら溢れ出し、大きな影が現れる。
全貌があらわになったその大きな生き物を見たレスティナはこの魔術師くずれの男がなにを行ったのか正確に理解した。
死者の使役だけではなく、この魔術師くずれは魔術師が行ってはならないとされる最大の禁忌を犯したのだ。
この世に生きとし生ける生命の寿命や交わり、神々の定めた理を侵すべからず。即ち生命の禁忌を。
「きさま……」
「見るがいい! 我が下僕、人造生物をっ!」
虎の顔に熊の上半身と山羊の下半身。尻尾は蛇。
複数の獣を混ぜ合わせて継接ぎされた醜悪な生き物は涎を垂らしながらレスティナに向かって咆哮を上げた。
「死霊の隷属などただの実験にすぎぬわ! すべてはこの為の準備よ、見よこの素晴らしい完璧なる我が論理の結晶をっ」
「この愚かものが…」
「愚かなのは貴様の方だ! 検体はまだ一つで事足りる。貴様はキメラの餌にしてくれるわ! 行け!」
「グオオオオォォォ」
山羊の筋肉がしなりをあげて脈打ちレスティナめがけて飛びかかった。熊の鋭い爪が狙いに向けて振り下ろされる。
レスティナは素早く避けた為、勢い余ったキメラはその場の地面をごっそりえぐり取った。
「ふ、ふはははっ! どうだっ、わしが作り出した生命体の力は! それぞれの獣の能力を最大限に引き出し特化させた、わしの最高傑作よ!」
「ぐるるるるっ」
「……なるほど」
鋭い牙をむき出しにして威嚇してくるキメラの動きを冷静に観察していたレスティナは、首をこきっと鳴らした。
「人間じゃないなら、手加減はいらないな」
姿勢を低く屈め敵を見つけた獣のように前かがみになり、地面を踏みしめ脚に力を込めた。瞬間、そこからレスティナの姿が消えた。
獲物を見失ったキメラが戸惑った一瞬の隙にレスティナは素早くその懐に入り込み拳を叩きこんでいた。
「ギャォッ!!」
巨体が一瞬地面から浮き上がった。
口から泡を吹きよろめいたキメラだったが、怒りに目を充血させて吠えた。
尻尾の蛇が「シャァァァ」とレスティナの右手に巻きつきものすごい圧力で締め上げる。
レスティナはこちらを噛み砕こうとしてくる蛇の頭を足のベルトから左手で抜き放った短刀で一刀両断にした。
「グギャャャッ!」
太い剛腕から繰り出される攻撃を俊敏な動きで避けて曲芸師のように飛び上りキメラの頭を踏み台にしてさらに跳ぶ。
近くのにあった太い木の幹を蹴って急激な方向転換。
その反動を利用してばねのように鋭い動きでキメラの頭部を蹴り付けた。
ぼきりっと骨が砕かれた音が響き渡るとキメラの巨体は土埃を立てながら地に伏した。
「なっ! …なにぃっ?!」
魔術師くずれは自分が見た光景が信じられなかった。
地面に着地してからゆらりと立ち上がり、地面でヒクヒク痙攣するキメラを見下ろすレスティナの姿にぞっとした。
長い間研究し論理を完成させ、最近になってようやく完成した人造生物がこうも簡単にあっという間に倒されてしまった。
こんなことありえるはずがないのに、脳が理解するのを拒否する光景が今まさに目の前で起こっている。
レスティナは頭蓋骨が粉砕しているだろうにまだ動く生き物を見つめた。
捻じ曲げられて創られた歪な魂を開放するには術の供給となっている核部分を依り代となっている肉体から切り離さなければならない。
だからレスティナは心臓があるだろう部分を短刀で切り裂いた。
「ばかなっ! 胴体の筋肉組織は鋼の如き硬さだぞっ」
魔術師くずれを無視して切り裂いた胸の中に見つけた拳一つ分の鈍く輝く石を見つけると、それを力任せに引きちぎる。
「や、やめろぉぉぉ!」
石に吸着していた血管がぶつぶつと音をたてて千切れていけば、キメラの動きはようやく停止して瞬く間にさらさらと砂になって崩れていった。
「魔術師として禁忌を犯した代償は高くつくぞ」
「おのれっ、おのれぇ! その人間と思えぬ怪力と身体能力…貴様っ、加護持ちか!?」
「そうだよ。もって生まれた戦の神とやらの加護だ」
「何故だ! あ、ありえぬ! 人間嫌いとされている戦神の加護をもつ人間がこの世に存在いするはずがないっ」
「さて何故だろうね。私にもわからないよ。でも今それはどうでもいいことだ」
レスティナは目を細めた。その手に持つ短刀がキラリと光るのを見て魔術師くずれは唾を飛ばしながら叫んだ。
「…いいのか、わしを殺せば契約魔術でつながっているそのガキも死ぬのだぞっ! …ひひっ、貴様にできるのか?!」
「………」
レスティナの動きが止まったのを見て魔術師くずれはたたみ掛けようとしたが、それを遮ったのはスクムだった。
「わたしは死ぬのなんか怖くないっ! だってもうとっくに死んでるんだからっ」
スクムはキッと魔術師くずれを睨みつけた。
「そいつをやっつけて――――っ!」
魂からの絶叫だった。
レスティナは何の躊躇もなく魔術師くずれの心臓に短刀を突き立てた。
何が起きたのか理解する暇もなかった。魔術師くずれは驚愕に目を見開いたまま絶命した。
地面に倒れ込んだ魔術師くずれの身体がどろりと腐敗した匂いをまき散らしながら溶けていく。
レスティナはそれを見ることなくスクムのもとへ走った。
魔術師くずれが絶命したと同時にスクムも崩れ落ちたのだろう。
ヘルメが抱きとめていたスクムは元々不自然に青白かった肌がどんどん土気色となっていく。
「スクム」
「…これでやっと、お父さんとお母さんのところに行けるかな…」
「ああ…スクムを待っててくれているよ。君はもう自由だ」
「うん…、おねぇちゃん…ありがとう……」
安心した安らかな顔で眠るように眼を閉じたスクムの肉体は早回ししたように萎れていき、残ったのは衣服を着た骨だけだった。
ヘルメは静かにその亡骸を地面に横たえた。




