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月を雲が隠し、ひんやりとした空気が震える。
家々の明かりは消えて外に人の姿はない。
商売屋はすでに店じまいをして、人々は寝静まる時間だ。
小さな明かりがついているのは簡易的な宿所ぐらいだった。
静まり返るその町の一等暗い路地裏に不意に気配が出現した。
夜の闇に紛れたその人影は一軒の木賃宿に入っていく。
人影は古びた扉を開けて暗い室内を伺う。
部屋に一つだけある小さな窓には分厚い幕が下りていた。
人影は室内に置かれている椅子に座っている人物を見つけると部屋の内部へ、ひらりと入り込み扉を閉めた。
室内では一つだけ灯された蝋燭の明かりだけが、唯一の光源だった。
小さな机を挟み二つの人影は向かい合った。
「上首尾のようだな」
室内にいた椅子に座っている頭巾を被った方が口を開いた。
頭巾で顔の半分を覆っているためその表情をうかがい知る出来ない。
唯一窺い知れる口から発せられた声は随分と嗄れていた。
「お前はこのまま待機し、諜報活動に専念せよ。それと…」
温もりがない淡々とした事務的な口調で言葉を紡いでいたが途中で途切れた。立ったまま無言で言葉を聞いていた人物が僅かに身じろぎした。
頭巾の人物が口篭もったことに軽い驚きを感じたようだ。
「……近々あの黒豹がやってくるようだ」
立っている人物の気配が一瞬にして変わった。
張り詰めたような緊迫感が漂う。頭巾の人物はそれを諌めた。
「あれは我らの手に負えるものではない。手はけして出すでないぞ」
立っている人物から送られる無言の抗議にも頭巾の人物は取り合わなかった。
「…あの娘は人にして人にあらず。うかつに手を出せば喰い殺されるのはこちらの方だ。眠れる獣は起こさずにすておいた方がよい。努々忘れるな…」
もう行け。そう言って枯木の枝のような腕を振った。
終始無言で頭巾の人物の言葉を聞いていた人物は何か言いたげにしていたが、結局命令に従って部屋を後にした。
木賃宿から出た人影は雲の間から覗いた月明かりに照らされる前に闇へと消えた。
人影が居なくなっても頭巾の人物は微妙だにしなかった。
だが、ややあって消え入りそうなぐらいの小声で呟いた。
「もう二度と会うことはないと思っていたのだが、運命の女神は残酷なことをする…」
まるで自分自身に言い聞かすような、いやにゆっくりとした口調に諦め交じりの声だった。




