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戦場の花嫁  作者: 杏樹
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今に至る



 どこかで鳥が鳴いている。

 顔を上げれば薄暗い窓の外の木にずんぐりとした小鳥が止まっていた。

 まだ朝日は昇っていないのだが、この小鳥は朝食を探しに来たのだろうか。

 小鳥はぴょんと跳ねてその小さな嘴で一生懸命木の実を突いている。


 一生懸命に木の実を頬張る小鳥の様子を、作業を中断してしばし観察していたヘルメは馬蹄の音に視線を下へと向けた。

 馬に跨ったレスティナを確認し、ヘルメは立ち上がって出迎えの準備をし始めた。

 てきぱきと動き回り着替えと風呂の準備をする。

 それらが必ず必要になることをヘルメは知っていた。


 私用でアルハムラ城を秘密裏に出立したレスティナはまる一日城を空けた。

 城の馬を馬屋へ帰すとレスティナは侍女達に遭遇しないように自室へと戻ってきた。


 まだ夜明け前だが念には念を入れる必要があった。

 今のレスティナの状態を見たら王宮に使える繊細な女性など、何事かと悲鳴を上げかねないだろう。

 身を覆うマントの下は血まみれだった。


 怪我をしているわけではない。すべて返り血だろう。

 衣服にべっとりと染み込んだ深紅の色彩をまといながら歩くレスティナの瞳は、まるで深淵の沼底を覗きこんでいるように冷え冷えとしていて何の感情も映っていない。

 冷たい空気にさらされて冷えたのだろうか青白い顔と相まって、まるで死の(モルス)に仕え人を冥府へと誘う(モル・)乙女(リエール)の様だった。

 そんな状態のレスティナの有様を見てもヘルメは取り乱すことはない。

 

「お帰りなさいませ」

「ああ」


 レスティナは持っていた西瓜ぐらいの包みを適当な場所へ置く。

 ヘルメは顔を顰めた。それを見て取りレスティナはヘルメが言いたいことを理解した。


「血抜きはした」

「そうですか。ならば宜しいですが…、ここにおいては目立ちますよ」

「この部屋に私の許可なく入れるのはお前ぐらいだから心配ない。それにすぐに使う」


 それだけ言うとレスティナは面倒くさそうに服を脱ぎ始めた。

 ヘルメはそれを手伝う。


「私の情報はお役に立ったようで」

「ああ」

「…お疲になりましたか?」

「別に疲れては…いや、そうかもな。悲鳴を上げて喚き散らす婦人の相手をしてきたからな。少し疲れた」


 そう言いつつもレスティナに目立った疲れは見えない。

 レスティナはめったに心の内をみせることはないから、嘘か本当か長く付き合っているヘルメでも判断に迷うことがある。

 こういう眼をしている時のレスティナは特にそうだった。

 だからそれ以上ヘルメは何も聞かなかった。


 血に濡れた上着や赤黒く染み汚れた下着も取り除くと、引き締まった艶やかな白い肌が現れた。

 しなやかな四肢は真珠のように輝いているが、その彼方此方に多数の古傷が存在していた。


 髪を縛っていたリボンを解けば黒く長い髪が背中に散った。

 いつも艶やかな髪だが今は所々血の固まりがこびりついる。

 それをヘルメは苦々しく思い、レスティナを部屋に作られた簡易な浴室へと導いた。


 大理石の浴槽にはたっぷりとお湯が注がれており、湯気が立ち上っている。

 レスティナは軽く肢体を洗うとゆっくりと浴槽に浸かった。

 丁度いい湯加減が冷えた身体にゆっくり浸透していく。


 浴槽には同じ大理石で作られた洗髪台として使える頭座がある。

 高貴な身分の者は湯に浸かりながらここで召使に髪を洗わせたりもする。

 レスティナはあまり好んで使わないが、今日ばかりは逃げられそうになかった。

 ヘルメがやる気満々の視線でレスティナを促しているからだ。レスティナはちょっと嫌そうにしていたがヘルメの無言の圧力に屈した。

 ヘルメは手馴れたように洗いはじめる。レスティナの長い黒髪に少しずつ湯をかけながら丁寧に梳かす。


「私をお連れ下さればレスティナ様に穢れ一つ許しませんのに」


 ぶつぶつと恨み言のように呟かれ、レスティナは思わず声を上げて笑ってしまった。


「ティナ様、笑い事ではございません。私は貴女が血に塗れた姿を見るのは嫌いではございませんが下種の血で汚れるのは許せません」

「私の血に塗れた姿が好きなのか? どんな趣味だよそれ」

「事実です。貴女が戦場で敵の血を浴びて輝く。あの瞬間が私にとっては何よりも眩しい光なのです。それなのに小者ごときに自らの手を下さずとも、それこそ我らに一言お命じになればよいのです」

「これは私がはじめた戦だからね。ヘルメたちに命じたら意味がないだろう」


 レスティナが腕を動かせばと、ちゃぽん…と湯水が楽しげな音をたてた。


 贅沢にも浴室の一部はガラス張りになっている。風景を楽しむ為に設計されているのだろう。贅沢なことである。

 レスティナは外に目を向けた。空は薄暗い蒼から橙色へと変化している。

 辺りは明るくなり朝日が上りはじめたのだ。


 降り続いていた雨はいつの間にか止んでいた。




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