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カップに飲み残したコーヒー

作者: 竹仲法順

     *

 朝忙しい時がある。会社に勤めていると、どうしても時間通りに出勤する必要があるからだ。タブレット端末とスマホなど、業務を行うのに必要なものをカバンに詰め込んでから部屋を出る。オートロックなので、自動で鍵が掛かるのだ。

 最寄りの地下鉄の駅へと向かった。長袖だったけれど、生地は薄手で着心地がいい。今年の夏は紫外線にやられていたのである。暑かったので、その反動で秋が来ると寒さを感じていた。

 地下鉄に揺られながらスマホを取り出し、ネットに繋ぐ。そしてニュースを読み始めた。いつも朝の通勤時間帯にやっていることなので抵抗はない。ただ、今朝気付けの一杯をカップにわずかに飲み残していたのが気になる。まあ、コーヒーなど飲もうと思えばいくらでも飲めるのだし、気にしてもしょうがないのだけれど……。

 社に着き、フロアに入っていって、

「おはようございます」

 と言うと、主任の鹿島(かじま)が、

「ああ、桑原(くりはら)。おはよう」

 と返し、メガネを掛けてパソコンに目を落とした。そしてキーを叩き始める。朝だけは早いんだからと思い、前日洗って食器乾燥機に入れていたカップを取り出し、コーヒーを一杯淹れる。そしてデスクに行き、電源ボタンを押してパソコンを立ち上げた。OSが古いのでスピードが遅いのだけれど、作業するのには最新式のものより遥かにいい。

     *

「桑原」

「はい」

 午前十時半頃、鹿島が呼んだので立ち上がり、主任席の前へと向かう。

「ご用件は何でしょう?」

「ああ。君が作って送ってきた資料読んで手直ししておいたよ。また細かいところ修正する点があったら、しておいて」

 この主任はいつも部下のことをあまり顧みない。雑用係のようにして使っている節がある。あたしも呆れていた。まあ、別にどうでもいいのだけれど、また二重で手直しとなると大変だ。受け取り、すぐにデスクへと戻った。正午まで時間があるので、それまでにこの資料を作り直しておけばいい。そう思っていた。

 昼になると、鹿島が背広を羽織り、男性社員たちと一緒に昼食を取りに出かけた。うちのフロアは女性社員にお弁当が用意されていて、ランチに行く手間が省ける。いつも仕出し屋が五人分のお弁当と注文伝票を置いていくのだ。その日の昼は食事を取るのが若干遅れてしまって、午後零時半過ぎにやっと有り付いた。

     *

 コーヒーメーカーでコーヒーを淹れ、一杯飲んだ後、午後からも仕事を続ける。ずっとパソコンに向かっていた。特殊な能力はないのだけれど、一応実践的なビジネスのやり方は一通り知っている。そういった意味では能力の差など、関係ないのだ。小手先のことに拘っていたら、仕事が進まない。

 午後はずっと詰めていた。慢性的に運動不足で逆に疲れてしまう。だけど仕方なかった。マシーンのキーを叩きながら、いろいろ作る。普通に作業ばかりだった。午後三時過ぎに後輩の女性社員の大河原(おおがわら)聖月(みづき)が、

「桑原先輩、今からカフェで軽くブレイクしません?」

 と言ってきた。

「うん。聖月ちゃんのやりたいことは分かるんだけど、ちょっと今は無理かな。手が離せないし」

「そうですか。じゃあ、あたし、愛生(あおい)と一緒に行ってきます」

「悪いけどそうして。今、あたし仕事の真っ最中なのよ」

「桑原先輩は頑張り過ぎなんですから」

 聖月が笑い、同僚の生田愛生を連れてフロアを突っ切った。そして社内にあるカフェへと向かう。単に体よくあしらっただけで、気に留めてない。何もあたし自身、ブレイクするなら、フロアにセットしてあるコーヒーメーカーで淹れたコーヒーでも出来る。聖月はカフェで千円ちょっと支払い、エスプレッソのコーヒーとスイーツを頼んで一息つくのだろう。全く優雅でいいわねと思っていた。

     *

「桑原」

「はい」

 午後四時十五分頃に鹿島がいきなり呼んできたので、椅子を立ち、主任席へと向かう。そして訊いた。

「また何か?」

「いや。今日は残業してもらおうって思って」

「そんなに仕事あるんですか?」

「うん。大河原とか生田より、君の方が慣れてるって感じててな」

「……そうですか」

 一瞬たじろいだのだけれど、その後、表情を引き締めて言った。

「分かりました。ちゃんとやりますので」

「頼んだよ。俺は上の人間と打ち合わせがあって男性社員は皆、定時にフロア出るから。鍵預けておくから、仕事終わったら施錠してくれ」

「はい」

 頷き、フロア隅のコーヒーメーカーに行って、一杯コーヒーを淹れ直した。そしてデスクへと歩き出す。さすがに疲れていた。あたしも三十代である。鹿島が勤続年数の長いあたしをいずれ責任あるポジションに据えると、一年ほど前に言っていた。その時のことを鮮明に覚えている。まあ、それに対して別に何も言わなかったのだけれど……。

 パソコンを使いながら、作業を続けていると、午後五時になった。鹿島と他の男性社員が揃って出ていく。電話応対などをしていた聖月や愛生も業務が終わったと思ったようで持っていたカバンを抱え、

「お疲れ様でした。お先します」

 と言って揃ってフロアを出、歩いていく。結局一人残され、コーヒーをまた淹れ直してがぶ飲みしながら、デスクで作業する。キーを叩きながら、残業をこなす。後でコンビニでパンかおにぎりでも買って夕食を取ってから、残った仕事をやり遂げるつもりでいた。

     *

 それにしても今朝、家を出てから、飲み残したコーヒーのことがやけに気になっていたのである。ずっと頭から離れなかった。だけど、人間だからそういったこともある。一々細かいことを気にしていたらキリがない。そう思い、仕事をこなした。平日は暇がないのである。その分、休日は家でゆっくりするのだけれど……。

 午後九時前の地下鉄の駅は閑散としていた。人はほとんどいない。こんなものだろうと思っていた。この時間帯まで働くのはきつかったが、慣れてしまっている。ずっとそんなことを感じながら、会社員生活を送り続けていた。

 駅で待ちながら、買っていたブラックの缶コーヒーを一缶飲み、目を覚ます。居眠りしないように、だ。ここは一地方都市だから、いったん地下鉄の駅を乗り過ごしてしまったら戻らないといけない。気を付けていた。何せクタクタに疲れてしまっているので、家に帰ったらシャワーを浴び、眠前にアルコールフリーの缶ビールをきっちり一本飲む。そして眠るだけだ。

 案の定、流しには愛用しているカップが置いてあり、コーヒーをわずかに飲み残していた。キッチン用洗剤を塗ったスポンジで洗い、食器乾燥機に入れる。毎日、睡眠は十分取れていた。その夜も入浴後、タオルで髪を拭いて乳液などを付けてからベッドに入る。あっという間に寝入ってしまった。また新しい朝が訪れ、気力が充実するのを感じ取りながら……。

                               (了)



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