第二章 「決意を新たに」
日渡くんと出会った次の日、私は「白の箱庭」に来ていた。
理由は、ただ気になったからだ。
自分の抜け落ちている記憶、彼との出会い、そして、私自身の病気。
確証はないけど、これらが全部、同日の出来事だとしたら・・・
「・・・なんてね」
そんな難しいことなんてどうでもいい。
日渡くん、私たちと話していた時、笑ってはいたけど、それが寂しさを隠しているのだということは皆気づいていた。
「やっぱりこのままじゃ、ダメだよね」
それから私は、日が傾く頃まで森を散策していた。
「・・・あれ、征ちゃん?」
家への帰り道、前を征ちゃんが音楽プレイヤー片手に歩いているのが見えた。
私はその背中に駆け寄って声をかける。
「お、奏じゃないか。久しぶりだな」
「たまに会ってるじゃん・・・どこ行ってたの?」
「ん、ちょっと煮詰まってきたからさ、気晴らしに散歩してきたのさ」
「わあ、何か征ちゃん受験生っぽいよ」
「ぽいじゃなく、受験生なんだ!」
「そだっけ?」
「こいつは・・・」
最近は会う機会がずいぶん減ったけど、元気そうでよかった。
お姉ちゃんがいつも気にかけてるから、あまり心配はしてなかったけど、実際に会ってみて少しほっとした。
「・・・で、お前はどこに行ってたんだ?制服のままで」
「私も散歩だよ、裏の森を」
「1人でか?」
「うん、そうだよ」
「何でまた・・・」
「うーん、まあ何ていうか・・・ちょっとした自分探し、みたいな?」
「・・・何だそりゃ?」
「ちょっと昨日、そのー、いろいろとありまして・・・」
私は曖昧に返事をした。
これはあくまで私と彼の問題だし、何より受験で忙しい征ちゃんに、変な負担をかけたくなかった。
「まあ、お前が何をしていようと別にいいんだけどさ。あまりあいつらに心配させるようなことはするなよ。・・・といっても、今のお前なら大丈夫だろうけど」
あの日から、私はそんなに過保護にはされなくなった・・・もちろんいい意味で。
みんなから信用を得られるくらいには、成長できたみたいだ。
「わかってるよ」
だから、その信用を裏切ることのないよう、私は自分らしくいよう。
そう、決めた。
「それじゃ、行ってくるな」
「うん、いってらっしゃい。楽しんできてね。お兄ちゃん、お姉ちゃんをしっかりエスコートしてあげるんだよ?」
「エスコートて・・・ん、まぁわかってるよ」
「ホントに大丈夫かなぁ~・・・ってお兄ちゃん、時間時間!」
「えっ・・・お、やべっ! じゃ、じゃあ行ってくるな」
携帯を確認しながらバタバタと出ていくお兄ちゃんを見ながら、私はふぅと息をこぼす。
「さてと、オシャレとかがダメダメなお兄ちゃんも無事送り出せたし、私も支度しなくちゃ」
さっきので散らばった靴を綺麗に戻して、私は自分の部屋へと向かった。
---12月24日
今日は、俗に言うクリスマス・イヴだ。
この日は毎年4人で集まって、1日パーティー騒ぎをするのが常だったんだけど・・・今年は違う。
お兄ちゃんとお姉ちゃんが恋人同士となった今、今日この日は二人きりで楽しむのが、世の中の定番なんだから。
・・・なのに二人とも、前日、私を気遣ってなのか、例年通りにパーティーの買い物に連れていこうとするんだもん。
そりゃ寂しくないわけじゃないけど、そんな気遣いを今更されたくはなかったから、半ば強引に二人でデートするように言いくるめたんだ。
「ん、こんなもんかな」
鏡の前で、いつものように髪を整える。
そして鏡台の引き出しから、水色のリボンを取り出す。
けれど私は、それをすぐには結ばず、手にとってしばらく眺めていた。
「ほら、奏。後ろ向いて」
「ん、お兄ちゃん、こう?」
「うん。それから、目をつむって」
「え、どうして?」
「どうしても。すぐ済むから」
「・・・うん」
「もういいよ。奏、鏡を見てみて」
「うん。・・・わぁー!」
「誕生日プレゼント。奏に似合うと思って。その・・・どう、かな?」「すっごい可愛いよ、このリボン!ありがとうお兄ちゃんっ!」
「・・・そっか、よかった。うん、どういたしまして」
「でも私、髪がまだ短いから、あんまり似合わない」
「そうだな・・・でも、髪がもっと伸びたら、絶対可愛いくて似合うと思うよ!」
「ほんと?」
「ああ、本当だ」
「うん、それじゃあ髪頑張って伸ばす。伸ばして、リボンをつけて、お兄ちゃんに可愛いって言ってもらう!」
「お兄ちゃんにもらった、初めての誕生日プレゼント、だったんだよね」
懐かしい記憶に想いを馳せながら、リボンを身につける。
それから私は鏡台から離れて、机の上においてある鞄と携帯を取る。
その時ふと、写真たてが視界に入ってきた。私が高校に入学して、幼なじみ皆で撮った写真だ。
「もう、1年になるんだっけ。早いなあ」
この一年、いろんなことがありすぎて、時間がこんなにも過ぎていたことをあまり自覚していなかったんだ。
私は写真の中のお兄ちゃんを見る。
この一年でお兄ちゃんは、随分変わったと思う。
優しいところはそのままに、何だか以前より、強くなった。
そして、変わっていくお兄ちゃんを見ている内に、私もどんどん惹かれていったんだ。
私は視線を横へスライドさせる。
葉ちゃん・・・お兄ちゃんが好きになった人。
私の大切な、お姉ちゃん。
お兄ちゃんより優しくて、ある意味でお兄ちゃんよりも私の幸せを考えてくれていた。
何でそこまで私を第一に考えてくれるのか、薄々は気づいていた。
だけど結局、私はその優しさに甘えてしまった。
その繰り返しが、いつかお姉ちゃんを苦しめるのではないかと、頭ではわかっていたのにも関わらず・・・
そう・・・全部、私の我が儘。
だからこそお姉ちゃんには、もう柵に捕われず、今まで私のために自分を犠牲にしてきた分、幸せになってほしいと思う。
「・・・矛盾してるよね、やっぱり」
ただ一つだけ誤算があった。
私のお兄ちゃんへの想い、やっぱり完全には消えてないみたい。頭で納得していても、心が求めてしまう。
でも私は、この感情をもう表には出さない。あくまでも、妹として居続ける。
「自分で決めたんだ。どんな結果になっても、お兄ちゃんを好きで居続けるって」
後悔は全くしていなわけじゃない。
それでも私は、皆みたいに強くなろう。
そう、誓ったのだから・・・
少し逡巡した後、私はリボンを解いて、引き出しへ戻した。
これは、私なりのケジメ。新しい私へと向かうための、儀式。
お兄ちゃんからもらった大事なリボン・・・今は大切にしまっておこう。
もしも、このリボンをまた付ける日が来るとすれば、それは私が『柚原奏』に戻ったとき。
つまり、本当の意味で、お兄ちゃんを諦め、お兄ちゃんの妹として帰ってきたときなのだから・・・
鍵をかけて家を出る。
風の当たる感じがいつもと違うように思えた。
きっと、髪を結んでないせいだろう。
私は髪を右手で軽く押さえながら、いつものように・・・だけど、ほのかに新しい感覚を覚えながら、学園への道を歩き始めた。
途中、日渡くんの家の前で一度立ち止まって、彼の部屋の方を見る。
「きっと・・・ううん、絶対に思い出すから」
改めてそう自分に言い聞かせて、私は再び歩き始めた。
やがて学園が見えてきた。
校門前で待ってる友達二人に声をかける。
『・・・誰?』
・・・酷い。いくら髪型を変えたからって、二人そろって言われると結構ショックだよ・・・
「何で髪結んでないくらいで私だってわからないのさ・・・」
右隣には、セミロングの茶髪で、見た目どおりスポーツ会系の『高坂由希』
左隣には、お姉ちゃんと同じ黒髪ロングで、ちょっと引っ込み思案な『柊紗弥香』
映画館に向かう道すがら、両隣を歩く二人に私はジト目を向ける。
「だからゴメンってば~。でも奏、結んでるときとは随分印象違うよ?」
「そうだね。こっちの方が、ちょっと大人っぽく見えるかな」
由希に続けて、さやちゃんも言葉を紡ぐ。
「そういえば、二人の前で髪を解いたことってなかったっけ・・・」
修学旅行とかも別の班だったから、確かになかったかもしれない。
「でもさ、何で急に髪型変えたのさ?」
「・・・うん、まあ何とも話しづらくはあるんだけど、さ」
私はそこで一度言葉を区切って、歩く足を止めた。
私の数歩先で足を止めて、二人が振り返ってくる。
「強いて言うなら、私が私に戻るため、かな」
そう呟きつつ、視線を二人に戻して笑って見せる。
「・・・そっか」
やや間があって、由希から短い返事が返ってきた。
由希とさやちゃんは、私が中学に入って以来の友達だ。付き合いは、お姉ちゃんや征ちゃんの次に濃い。
だから、今までの私のことも知っている。お兄ちゃんへの気持ちも、お姉ちゃんへの憧れも、あの事件以来の、私自身の決意も・・・。
その上で私を気遣って、時には相談にも真剣に乗ってくれる二人には本当に感謝している。
私があの時決断できたのも、二人が密かに相談に乗ってくれたおかげだったのだから。
「よし、それじゃあ行こっか!」
私は明るくそう言って、歩みを再開する。二人も笑って私に続いて歩き出した。
(本当に、私って幸せ者だね。こんなにも、私を助けてくれる人がいるんだから)
今更面と向かってありがとうを言うのは恥ずかしいから、そっと心の中で告げておく。
さて、何はともあれ、せっかくのクリスマス・イヴ。
親友二人と一緒に、今日という日を全力で楽しまなくちゃね!
窓の外は雪がチラチラと降っている。
もう数日前から積もってるくらいだから、それほど感激はしないけど、一応ホワイトクリスマスになった。
「そっか・・・もうクリスマスの季節なんだなー」
お母さんはこの時期になると、とても忙しいから深夜まで帰ってこない。
だからどうというわけじゃないけど、やっぱり寂しくはあった。
「そういえば冷蔵庫の中、もうあんまり入ってなかったっけ・・・」
退屈してたし、少し運動するには丁度いいと思い、僕はかけてあったコートを羽織って車椅子を動かした。
そして、玄関まで辿り着いたとき、ふいにチャイムが鳴った。
「はーい」
僕は返事をしつつ、引き戸を開けた。
「よっ、君が茉莉くんかい?」
突然フランクに話しかけてきた男の人。正直面識がなかった。
「あの、どちらさまですか?」
少し戸惑いがちに質問する。
「俺か?俺は奏たち三人の兄貴みたいなもんだ。いわゆる幼馴染ってやつさ」