016 こんな美少女と歩いている俺が注目されないはずがない
◇ ◇ ◇
俺は今、刹菜という“S級美少女”の隣を歩いている。
改めて言うまでもないが、刹菜は誰もが振り返るほどの美貌を持っている。
輝く金髪を高く結い上げたポニーテール。その下から覗く白い首筋と、繊細な鎖骨。
細く長い脚はスカートの裾からすらりと伸び、まるで空気の中を泳ぐように軽やかに歩く。
……で、結果的にどうなるか。
こうなる――
「見て、刹菜ちゃんだ。かわいい〜」
「え、あいつあの刹菜と一緒に歩いてんの? うらやましっ」
廊下をすれ違うたびに、明らかに周囲の視線がこっちに集まってくる。
談話スペースにいた生徒たちも、会話を止めてこちらに注目していた。
「隣の男子、誰? 普通にイケメンじゃない?」
「うわ、美男美女じゃん」
ある女子グループに至っては、俺の方についても盛り上がっていた。
一方の刹菜は、そんな周囲の反応をどこ吹く風とばかりに、自然体で俺の隣を歩いている。
ただ、その頬はほんのりと紅潮していて、どこかくすぐったそうに笑っていた。
「……すごい見られてる気がするんだが」
俺が小声でそう言うと、刹菜はさらりと言ってのけた。
「いいじゃん。かっこいい彼氏と歩いてるって、見せびらかしてるの」
「……さいですか」
もはやツッコむ気力も湧かず、俺はただ軽くため息をついて額に手をやった。
「ねぇリント、なんで急に『校内デートしよう』なんて言い出したの? 教室で言われて、びっくりしたっていうか……心臓止まるかと思った」
刹菜は頬を赤く染めたまま、俺の顔をちらちらと伺ってくる。
戸惑いと、それに微かに混じる期待の入り交じった視線だった。
「記憶喪失の件で、校内の構造、まだちゃんと把握できてないんだ。今更かもしれないが、簡単に案内してもらおうと思って」
時間的には半年通っているが、記憶を失った今の俺にとっては、入学してからまだ数日しか経っていないようなものだ。
理由を淡々と告げると、刹菜は「あ……」と間抜けな声を漏らして、それからほんの少し視線を逸らした。
「なーんだ……そゆことね。……なら、別にいいけど……」
笑って誤魔化そうとするその表情は、どこか残念そうだった。
……すまない刹菜。でも、これは必要なプロセスなんでね。
◇ ◇ ◇
「この渡り廊下を越えると、別校舎。こっちは『予備コース』の生徒たちがいるよ」
刹菜は進行方向を指しながら説明する。
「予備コース?」
「うん、いわゆる補欠合格者のコース。本科生とはカリキュラムも別。あたしたちは『特進コース』だから、あんまり関わる機会もないかな」
彼女の話によれば、この予備コースは表向き補欠合格の集まりという扱いだが、実際は違うらしい。
刹菜曰く、学園がここ数年で資金集めのために作った制度で、高額の学費を払えば誰でも入学できる仕組みになっているとか。
名門私立校・桜王学院。偏差値78を誇るこの学園では、学費も当然ながら高額だ。それでも通うのは医者や政治家の家系、財閥の令嬢などが普通にいる世界だからだ。
例えば、鈴乃。
彼女も「一ノ瀬グループ」の社長令嬢だもんな。……桁が違うぜ。
「まあ、超絶頭いいリントには関係ないかも」
「そんなことはない」
「謙遜しなくていいよ。リントが天才なの、知ってるから」
刹菜は自信満々な笑みを浮かべてそう言った。
◇ ◇ ◇
本校舎二階の西棟。三年生の自習スペース前を、刹菜と並んで歩く。
窓から差し込む陽光がまぶしい。
ふと、前方から歩いてきた三年生らしき生徒たちが、俺たちを一瞥してざわめいた。
「ね、あれ、刹菜ちゃんじゃない?」
またか……。さすが校内の二大美女なだけはある。顔が広い。
「綺麗すぎでしょ……お人形さんみたい」
「てか隣の人もめっちゃイケメンじゃん」
「もしかしてカップル? 尊い……」
聞こえてくる声に、刹菜が肩をすくめた。
「……めっちゃ見られてるね、あたしら。カップルだって」
「おまえが目立ちすぎなんだろ」
「リントもでしょ? あたし一人じゃあんなふうにならないし」
ジッと見てくるので見返すと、刹菜はすぐに視線を逸らした。
「で、ここが三年生の自習スペース。試験前になると、けっこう静かになる場所かな」
刹菜が説明を締めくくる。
「刹菜、突然だけど一番使ってるシャーペン、貸してくれないか? できれば買い換えたいものが望ましい」
「……え? なんで急に」
「ちょっと見せたいものがある」
戸惑いながらも、刹菜は筆入れからシャーペンを取り出して渡してくれた。
「はい、これ。でも何に使うの?」
「まあ、見てなって」
俺は受け取ったシャーペンを軽く持ち上げる。
「ここに一本のペンがあります」
「……うん、あたしのだけど」
「まあまあ」
俺の指がほんのわずかに動いたかと思った次の瞬間――ペンが、指の間からスルリと消えた。
「えっ……!」
そして、何事もなかったように反対の手から現れる。
刹菜の目が驚きでまんまるになった。
「すごっ! 今の、どうなってんの!? マジで消えたと思ったんだけど!」
ぱちぱちと手を叩いて喜ぶ刹菜。その顔はきらきらと輝いている。
「てかリント、手品もできるわけ?」
「少しだけな」
「ねぇ、さっきのどうやったの? 気になって夜しか眠れない」
刹菜は身を乗り出して俺の顔を覗き込む。
「夜寝れるなら大丈夫だな」
「うそ。朝も眠れる」
「遅刻するなよ」
「冗談はいいから……結局どうやってやったの?」
「天才マジシャンのハワード・サーストンが説いてるサーストンの三原則ってのがあってな。『種明かしはしない』が原則なんだよ」
「えー、いじわる」
ぷくっと頬を膨らませる刹菜。
「教えてくれてもいいのに……」
そう言って、上目遣いでこちらを見上げてきた。
ちょっとだけ傾いた拍子に、ワイシャツの第二ボタンの隙間から――
柔らかな曲線。まごうことなき白い胸の谷間が。
「うっ……!」
なんつー破壊力。これを素でやってるんだから凄いよな。
そして、ふわりと香る柑橘系の匂い。
こんなハニートラップに引っかかってたまるか。
理性をフル稼働して、俺は無理やり視線を逸らした。
「……よし、行くぞ」
咳払いを一つして、背筋を伸ばして歩き出す。
「あ、逃げた」
背後からそんな声が飛んできたが、スルーだ。
「刹菜はそこにいて」
「え? 今度は何? リントってよく分かんないよね」
ここからは、少し真面目な用件だ。
俺は一望して、すぐに目当ての先輩たちを見つける。彼女らは別々で、窓際の丸テーブルにいた。
机の上には参考書が広がり、疲れたような表情を浮かべている。
……進路相談の時期。焦りも苛立ちもピーク、か。
「さて――」
俺は足を止め、シャーペンを床へ落とした。
コツン、コロコロ……と軽い音を立て、ペンが転がる。先輩の足元へ。
「あ、ごめんなさい、それ俺のです」
軽く頭を下げて近づくと、シャーペンを拾い上げてくれたのは――《《サイドテール》》の、たぶん中島美紀先輩の方だ。……うん、なんとなく、そんな気がする。たぶん。たぶんで判断していいのかは微妙だが。
「あっそう……」
短く、不愛想な声。それでも彼女は、細く整った指先でシャーペンをつまむように持ち上げてくれる。その所作には、どこかぎこちなさがあったが、特に問題はなさそうだ。
「ありがとうございます、助かりました」
俺はそれを受け取って、もう一度、軽く頭を下げた。
奥に座っていたもう一人のサイドテール――おそらく、里山倫子先輩(仮)にも、まったく同じ行動を取る。
おそらくこのやり取りを見ていた刹菜は、きっと軽いデジャブを感じているに違いない。
「あ、ごめんなさい、そのシャープペン俺のです」
「あ、そうですか……」
「ありがとうございます、助かりました」
……はい、これで終了。
――と、思ったところで。
後ろから聞こえていた小さな足音がふと止まり、刹菜が俺の隣に並んでくる。
無言の圧力。じとーっと、うっすら湿気を帯びた視線が突き刺さる。
「……なんだ?」
「べっつに~?」
むすっとした顔のまま、彼女はそっぽを向いた。
……全く、女って生き物は難解だ。少なくとも線形代数(大学数学だよ☆)よりは難しい。
「……機嫌悪い?」
「全然まったく? 先輩に親切にしてもらって良かったね。よかったね~ほんとによかったね~」
「皮肉下手すぎか」
「べつに皮肉とかじゃないし? 事実言っただけだし?」
軽くため息をついて、歩き出そうとしたときだった。
ひやり、と。背筋に氷の針が触れたような感覚。
「またか」
―――誰かに見られている。
一瞬の直感。しかし、確かな気配。
俺は何気ないふりをして、ゆっくりと視線を横に滑らせる。
だが……誰もいない。
ただの思い過ごしか。それとも―――
「どうかしたの?」
刹菜が首をかしげて俺を見る。
「いや……なんでもない」
軽く首を振ってそのまま歩き出す。
だが胸の奥に引っかかった違和感は、まだ消えていなかった。
一応、りんとの謎行動はちゃんと回収します
序章は「りんとの秘密」にフォーカスあてているので、次章からラブコメしまくる予定です。だから許して~