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014 ゼロ番目の



◇ ◇ ◇



 今朝は例の公園で待たずに桜王学院に直行した。

 理由は鈴乃や刹菜が登校してくる前に、玄関に訪れ、自分の靴箱の中を見たかったからだ。


「ん?」


 昨晩の件で、仕掛けた側から何かコンタクトがあると踏んでたんだが……靴箱の中はカラ。しかし―――。

 俺はスマホを耳に当てると、女性の声が聞こえてくる。


『どうだ、何か見つかったか』


 落ち着きと知性を湛える、いつも通りの低音ボイス。

 

「いや、中には何も。四六時中鈴乃と刹菜がくっついてくるおかげで、学校内で一人になるタイミングを見計らうのはほぼ不可能。だから靴箱に……と思ったんだが」


『おまえの思い過ごしじゃないのか? 本当にただのカツアゲだったのかもしれんぞ』


「それはない。最初に『誰に雇われた?』ってカマかけたら、あいつら『そんなん言うわけないだろ』って言ってたし、カツアゲじゃないのは間違いない。狙いは俺だろうな」


『おまえは少々自意識過剰なところがあるからな』


「失礼な。それに……俺、《《中には》》って言ったろ」


『なるほど。何か気になるものでも見つけたか』


「ああ、ちょっとな」


 靴箱を開ける前に気が付いた。――誰かが明けた形跡がある、と。

 埃の位置の変化や、わざと甘く閉めていた扉が最後まで閉まっている点を踏まえると、誰かがこの靴箱を開けたのは確実だろう。

 

 だが妙だな。なんで開けて、何もしなかったんだ?

 上靴を入念に調べたが何かが仕込まれた形跡はない。 


『そうか……ならばその程度の者の仕業ということだ……』


 俺は素早く靴を履き替えた。

 そして、「すみません」と声をかけ、玄関前の購買のあばさんに《《ある事》》を尋ねてから、奥の人気の少ない階段で教室の階まで上がる。


『気は済んだか。私は眠いし頭の調子が良くない……』

「また偏頭痛か?」

『のようだ。ということで切るぞ』

「あ、ちょっと待て。ね――」


 プツンと切れる音。それからツーツーと木霊した。


「ったく……猫みたいな女だな……」


 憎まれ口をたたきながら階段の角を曲がり、教室に差し掛かる廊下に辿り着くと――


「うおっ、びっくりしたー。こんな角っちょで何してんだよ」


 目の前に刹菜が立っていた。腰に手を当てて、ジト目で俺を見つめている。

 周囲を探してみたが鈴乃はいない。どうやら先に教室へ向かったらしい。


「べ・つ・に! おはよっ!」

「お、おはよ……」


 朝から元気だなー、と思いながら何食わぬ顔で返す俺に、刹菜はさらにぐいっと身を乗り出す。


「で、今の誰!」

「ん?」

「だ・か・らっ! い・ま・の・だ・れ!」

「はあ?」


 首を傾げると、ムスッとして顔を近づけてくる。


「今通話してた相手! 絶対女でしょ。猫みたいな女って言ってたし」 

「ん、ああ。母さんみたいなもん。怪しい女じゃないぞっと」


 猫みたいに自由な女って意味なんだけどな。


「えぇ〜? でもさ、リントのお母さんって……もう……」

「だから"現在の"保護者だって言ってんの」


 そう、保護者兼、俺の頼もしい味方と言える存在。

 保護者って言っても、部屋の掃除はしないし、洗濯もしない。おまけに芸術的な料理の不味さ。

 いい所って言ったら顔とスタイル、頭脳……か? スタイルはちょっと現在はあれだが、頭の切れと知識量はピカイチ。


「ふーん、じゃあその人がお母さん代わりなんだ?」

「まあ、そんな感じかな」

「そっか。じゃあ、リントはゼロ番目だね」

「ん? なんだよゼロ番目って」

「だってそのお母さんから赤ちゃんが産まれたら、一人目になるのでしょ? つまり一番目。じゃあリントは? ってなったときにゼロ番目じゃん?」

「よく分かんない理論だが……」


 呆れたように言いながらも、その奇妙な言葉が妙に耳に残った。


 ――ゼロ番目。


 その響きが、脳の奥で鈴を鳴らす。

 待てよ。そのフレーズ、どこかで……。



『―――ゼロ番目だねっ!』



「…………」


 ゼロ番目……? 本来、どう足掻こうが順序の最初は「一番目」でありこれは変わらない。

 日本語や文化といった問題ではない。ゼロ番目なんてものは概念として存在しない。

 一応、数学や物理、プログラミングといった限られた特殊な場面で使用する場合はあるが、一般的な会話で使用するのは珍しい。

 だから、それを口にする人間もかなり珍しいということになる。



『……じゃあ、君はゼロ番目だねっ!』



 なんだ、この記憶。


 一体どこで――?


 ぼんやりとした純白の中。

 手を伸ばすと、 温かい感触が蘇る。

 それは、陽だまりのように温かい誰かの笑顔。

 記憶の奥底から、大切なぬくもりがゆっくりと蘇ってくる。


「俺は……」


 自然に、口を開きかけた瞬間。


 ――ズンッ!


 身体の奥底から、何かが脈打った。

 激しい違和感。めまい。息が詰まる。


「っ……!」

「リント……!?」


 刹菜が慌てて駆け寄ろうとする。

 だが俺は両手で頭を抱え、しゃがみ込んだ。

 いてえ。頭が割れそうだ。

 脳裏に、見たこともない光景が走馬灯のように流れる。


 誰かが泣いていた。

 どこか、白く、無機質な場所で――。


 音のない空間に、擦れるような嗚咽だけが響いていた。

 壁も床も、病室のように真っ白で、感情の色を拒絶していた。


「……なんだ、これ……」


 駄目だ。何かが、目覚めようとしている。

 それを押しとどめるように、俺は必死で意識をつなぎ止めた。


「リント、大丈夫……!? 保健室一緒に行こうか!?」


 刹菜の泣きそうな声。その声だけが、かろうじて現実に繋ぎ止める鎖だった。

 震える手で彼女の手を取った。


「……ごめん、少し、だけ、待ってくれ」


 頼るように、彼女の肩に額を押し当てる。瞬間、鈴乃とは違う、爽やかな柑橘系の香りが鼻腔をくすぐる。


「わあっ」


 刹菜は一瞬、肩をびくりと震わせたが、すぐにそっと俺の背に腕を回してくれた。


「……びっくりした。……でも、こうしてる方が安心する。……でしょ?」


 その声はどこか照れているようで、でも、優しかった。

 彼女の母性じみた温もりで、俺は必死に意識を保つ。


「ちょっと……心臓に悪いけど。……でも、まあ……今だけだからね? 特別なんだからね?」

「……助かる」

「ほ、ほんとにわかってる??」


 死ぬほど感謝しているが正直余裕はない。

 そう、この記憶はパンドラの箱だ。かすかな本能が、そう警告していた。

 今ここで思い出せば、自分はきっと戻れなくなる。


「リント……もしかして入学後の記憶が戻ったの?」


 刹菜の問いかけに、俺は震える声で答えた。


「……その記憶だったら、良かったな」


 それ以上は言葉にならなかった。

 しばらくして、ようやく俺は顔を上げた。ざまねえ。

 刹菜は心配そうに覗き込んでくる。

 その顔を見て、ふと俺は思う。


 ……俺は、こんなふうに誰かに心配されるような存在だったか?


 あの暗い場所で、誰かが手を伸ばしてくれた記憶なんてなかった。

 けれど今、こうして彼女が必死に自分を支えようとしてくれている。


「……ありがとな。まるで彼女みたいだ」


 震えた声で、俺は言った。


「……調子乗るな、ばかリント」


 そう低く呟いた。次の瞬間、柔らかい感触が俺の頭に落ちてきた。

 刹菜の手。そっと撫でるような、ぎこちない優しさ。


「あれ、思ったよりあたり強いのなんで」

「だから、『みたい』は余計だってば」


 真っ赤になった耳や頬。視線は明後日の方向を向いているが、その横顔がやけにいじらしくて、俺は何も言えなくなった。

 この温もりが、俺の世界を、俺が見ている世界を、また少し明るくする。

 激しい揺れが止まり、静寂が訪れる。


 だけど――


 俺は……また、何か、大事なことを……。


 喉元までこみ上げた疑念を、俺は必死に押し込めた。


 まだだ。まだ、全部を知るには、早すぎる。


 そして――


 俺の背後。階段の奥。

 誰かが、こちらを見ている。――が、気づかないフリをする。


「よし、もう大丈夫。本当に助かったマジで」


 そう言って立ち上がる。


「ほんとに平気? さっき倒れかけてたじゃん……心配だけど」

「ああ、平気。完全に治った。俺、こう見えても打たれ強いから」


 本当は刹菜がいてくれたおかげだ。

 ありがとう。刹菜。


「……根性だけでどうにかなるもんなの?」

「なるなる。ほら、Easy(イージー) peasy(ピージー)ってやつ」

「……なにそれ」

「"ちょちょいのチョイ"って意味。アメリカ版"余裕のよっちゃん"だな」

「よっちゃんって誰……?」

「え……まさか知らないのか……」


 聞くと、刹菜はポニテを揺らしコクリと頷いた。

 「余裕のよっちゃん」はもしかしたら死語なのかもしれない……ということがたった今判明した。


「Easy peasyのほうは?」

「知らないけど?」

「文化の違いを感じるな……」

「なにそれ、リントも日本人じゃん」

「ああ、まあ……それはそうかもしれんが……」


 俺は多少のショックを受けながらも、刹菜と並んで歩き出す。

 その後ろの空き教室付近で、何者かがそっと動く音がした。


 静かに、確かに。


 俺は視線一つ送らずに、その場を立ち去った。





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