7.とある愛され冒険者の撤収
粗末な食事でしたが、果物では癒えなかった貧血が、少しマシになったように感じました。人心地つけるには充分でした。
改めて、自分の置かれた状況を整理する余裕ができました。
好戦的だった魔物が、一転して人と友好的になっています。正直、ダンジョンの異変の質が変わっただけで、根本的に何も解決していないように思えました。
そこで私は、ある噂を思い出しました。
今まで私は、あのダンジョンが特別異常だと強調してお伝えしてきました。確かにあのダンジョンはとびきり異常だったのですが、実を申しますと、ダンジョンの異変には、幾つも前例があります。
例えば、寒冷地の生態系から逸脱して、火山帯の魔物が出没するようになったダンジョンがありました。現地の魔物も、火山に適応した亜種が生まれていたとも聞きます。
ダンジョンに異変が起きたら、どうだったか覚えていますか? そうですね、最奥部に、異変を引き起こす原因があります。既知の最奥部より、更に奥へのルートが発見され、開放されると、異変が拡大するんです。
この事例では、新たに発見された最奥部に、“劫火の霊宝”なる物が安置されていたそうです。遺異物――いわゆる、アーティファクトで通っているんじゃありませんか? 吟遊詩人の話の中でなら。
この遺異物の詳細は話の筋に関係ないので省略しますが、最初に触れた冒険者が、何を隠そう、若かりし頃の“煉獄”です。お察しの通り、全てを焼き尽す“竜の息”に相当する火炎魔法を、何発でも行使できるあの叙事詩の中の魔法使いですよ。
知らないのは当然ですね。“煉獄”は、この私に尋ねられてやっと、口を割ったんですから。
それにしても、眉唾だった“煉獄”が実在し、逸話もほぼ真実とはねえ……。
ええ、実際に見せてもらった“煉獄”の魔法は、噂に違わず異常な威力でした。“劫火の霊宝”に触れたことを境に、その能力に目覚めたのです。
一方、当時の私は“煉獄”の噂を疑っていました。ですが、ダンジョンに異常をもたらした何かが、私に宿った可能性。それが頭の片隅にあったのは確かです。
消えたあのミイラが気になって、あらぬ妄想に耽りかけるのを、頭を振って払いました。あれが消えたのも、何か関係があるように思えます。本当に能力を得たのだとすれば、私はその性質を知る前に、迂闊に動いてはいけないとも思いました。
ですが、仮に何らかの能力に目覚めたとしても、目の敵にされるより、仲良くしてくれる方がずっとマシですよね。喫緊の事態は一応終息したと見なして、私はダンジョンから撤収することにしました。
……うーん、今になって思い返すと、当時の私は呑気ですね。「撤収することにしました」って。「よっこらせ。さぁーて、帰るかあ」って心境っぽくないですか? 魔物の穏やかさに釣られていたんでしょう。異変に晒されすぎて、感覚が麻痺していたんだと思います。
疲労と痛みを引きずって、私は出口を目指して歩きました。シカの魔物の一頭が、首を貸そうとしてくれました。
ですが、まだそこまで信用しきれなかったもので、下がらせました。これがまた、しょんぼりと素直に言うことを聞くんです。健気でしたよ。ただ、気を許しても何があるかわかりません。
私は鞘に納めた剣を、杖代わりに使いました。楽なのかどうか、微妙なところでした。
私の背後を、当然のように魔物の群がぞろぞろとついて来ます。
でしょうね。私はうんざりと、笑って乾きました。ただ懐かれたからって、ああはなりませんもの。私が行くならどこまでも一緒じゃなけりゃ嘘ですよ。
帰りの道中、私の心は打算と釈明の間で揺れていました。
そのときの私は疲労困憊です。肩の傷も酷く、敵対的な魔物に遭遇しても対処できる状態ではありません。助けもあてにできません。大規模な戦闘の直後です。ダンジョンの外だけでも、死傷者の対応に追われているのは想像がつきます。ダンジョン内部の調査や救助を始めるとすれば、私なら増援の到着を待ちます。
その点、考えようによれば、私は一足先に増援を受けていたんです。
ここの魔物たちは使えます。何故だか私に心底懐いた、気色悪いほど可愛い奴らです。きっと私の力になってくれるでしょう。
そう期待しないことには、撤収は絶望的でした。地下深くのダンジョン最奥から、地上に帰るまでに何が起こるか……あなた、同じ立場なら、独力で帰ろうと思います? でしょ?
魔物に頼る。止むを得ません。仲間たちの壮絶な戦いを伝えられる人間は、一人でも多い方が良いでしょう。“生還は暗黙のクエスト”という、冒険者の箴言があります。異変の解決は、生きて帰るまでなんです。
ですが、帰ったところで、帰還を待つ人々が見るのは、魔物の大群を連れた私ですよ。もー、ヤバい。何と説明すれば良いのか、私自身わかっていませんもの。適当な理由をでっち上げたくもありません。
それでも何とか言い訳を捻り出さなきゃいけません。
「友達になった」「送りオオカミってやつですよ」「実は私、魔物の血を引いてたらしく」あ……いやー、あーあ、言っちゃった。違うんです。今の無し。ダメ? 意地悪ですね。
あー、もう。……どれもアホ丸出しだったでしょう。口が滑って、つい。ああ、嫌だ。消えてしまいたい。当時は本当にこんな言い訳を考えていたんですから、吟遊詩人を笑えません。……これだけは言っておきますが、後でスカッとするって、こういうことじゃありませんからね? そこのところ、誤解しないでくださいね?
魔物を連れる私、それも、くたくたなので、足を引きずりながらゆっくりと練り歩く様は、見ようによっては威厳があるように見えたんじゃないでしょうか。まるで物語に聞く魔王だな。と、言い訳の文言の代わりに、そんなしょうもないことばかり頭に浮かびます。
無意識に、帰り道で目の当たりにするであろう光景を、想像しないようにしていたんだと思います。できるだけ、無関係な思考で頭を埋めるようにしていたんです。瞬きも忘れていて、途中、目が痛くなりました。
血生臭さと、腐敗臭が濃くなってきました。
階段を上るにつれて、死体の山が床から生えました。階上の景色が小出しにされて見えただけなんですけどね。
一面、息絶えた魔物の中に、鎧や盾の鈍色が垣間見えました。
頭が真っ白になりました。
せっかく余計なことばかり考えていたのが、総崩れでした。カラン、と杖代わりにしていた剣を、床にこぼす音が、妙に甲高く、地下空間に響き渡ります。
私は疲れも痛みも忘れて、魔物の死体の山へ走って、一心不乱に貼りつきました。
死体に群がるハエがブワワッと飛散し、手で追い払いました。ブンブンと、耳障りな羽音が縦横無尽に織り重なります。
山の斜面を掘り返すように、ぐったりと重い死体を、何体も何体も引きずってどけていきました。ほとんどは、仲間に牙を剥き、爪を立てています。仲間割れもあったと知るのは、このときです。引き剥がすのが大変でした。
死体の山に作った隙間は、思いがけず崩れませんでした。死後硬直ですね。おまけにお互い噛んで掻いてで、死体同士が複雑に絡んでいます。そのせいでしょうね。
無我夢中で掘り進めて行くうちに、鎧の主の姿が見えてきました。
リーダーは、息をしていませんでした。