5.とある愛され冒険者の目覚め
温かな日向の中で裸になり、太陽から降臨した絶世の美女に、そっと両頬を撫でられて、口づけをする夢を見ました。
美女と言っても、例の石棺の白骨化したミイラです。顔立ちを拾っていくと普通に不気味なんですけれど、先ほども申し上げた通り、私にとって生涯で最も美しい人だと、今も感じているんです。
夢の中で「楽しんで」と、言われたのは覚えています。天上の楽のような声色です。
が、いきなり、美女のミイラがベロベロと顔中舐めまわし始めたところで、何か息苦しくなって目が覚めました。
石棺の中で、魔物たちに添い寝されていました。肩の噛み傷が痛まないように、絶え間なく舐められながら。石棺の中は、ミチミチもふもふです。
魔物の種類が気になる? ええと、あれは確か、ダイアーバックという種で……え、何です? ……オオカミの魔物でしたけれど……そんなので伝わりますか? オオカミの魔物と一口に言ってもですね……まだ何か?
ラン、ク……?
ああ、また吟遊詩人の創作ですか。本当、何でもやってくれますね。
あの、魔物の危険度に、ランク分けはありません。森で出会うシロアリと、自宅で出会うシロアリの危険度なんて段違いでしょう? その魔物の習性と、出会う季節と場所、各種痕跡、遭遇した際の距離感。これらの相互関係でいくらでも変動するんです。そんなレッテル貼ったところで、誤解を蔓延させるだけです。冒険者に油断を誘うだけの要素は害悪ですよ。
……まあ、私一人で、魔物は数えきれない。ほぼ孤立した地下空間。危険度で言えば、万に一つも生還は望めない状況です。
何ですか? 難易度SとかAとか。基準も知らない判定で、私が説明できる訳ないでしょう。
魔物関連の情報はもっと高度に整備されて、冒険者組合で共有されていますから、一度ちゃんと取材なさることをおすすめします。不意の遭遇時の対処法まで、結構詳しくまとめられていて面白いですよ。
ところでまさか、冒険者までランク付けされてませんよね? ……そうですか。はぁ……まあ、もう良いですけど。腕っぷしから器量まで、番付表が出回っているんですから、それと大差ありません。話の腰を折ってすみませんね。
目が覚めた私は、思わずオオカミの魔物たちを追い払いました。
身体を起こすと、肩の傷が痛みます。石棺の外から、魔物たちは私のことを心配そうにオロオロ見下ろしていました。……ああ、いえ、当時は、虎視眈々と私が弱るのを、よだれ垂らして待っているように見えていたんでした。
目覚めると魔物に囲まれているんです。そう思わなきゃおかしい。……どうやら私は、知らない間に力に毒されていたようです。ときどき、こういう常識とズレが出てつらいんですよね。まるで自分がわからなくなることが、しょっちゅうあるんです。
そうです。そのときの私は、孤立無援。恐怖に駆られて、肩の痛みを忘れて、石棺の隅に縮こまりました。オオカミの魔物が、目を爛々と光らせて、私を取り囲む。灰銀色の毛皮越しにも、筋骨が詰まっているのが窺えます。
襲われたらひとたまりもありません。
魔物の包囲から目が離せませんでした。助けを呼びたい一心でしたが、目覚めたばかりで状況がわかりません。魔物に包囲されているのですから、近くに仲間や他の徒党がいるとは思えませんでした。
何か、何か武器を。
石棺の中を無我夢中で手探りします。ミイラが忽然と消えていましたが、構っていられませんでした。
私の剣の刃が指に当たりました。構わず取り、柄を握り直し、私を囲む魔物たちへ、代わる代わる切っ先を向けてやりました。文字通り、腰が抜けた剣捌きでしたからね。それほど有効ではなかったんじゃないでしょうか。
にもかかわらず、魔物たちときたら素直に退くんです。九死に一生を得た気分でした。そのときはまだ、幸運に感謝するあまりに、異常に気づけませんでした。
代わって、ドライア……花の魔物が姿を現しました。
花の魔物たちは、芳しく咲き、若緑のツタを、私の頭上高くに掲げました。ツタに何かが這っています。多分、何か、虫の魔物でしょう。虫がツタの表面を削ったのだと思います。花の魔物の体液が、しとしとと、私に注がれます。
目を庇いましたが、無駄でした。体液は特に、傷口を重点的に注がれていたのです。
染み……はしませんでした。むしろ、痛みが引いていきます。花の甘い香りの助けもあって、スーッと、冷静になっていくようでした。
あの体液は麻酔でしょうけれど、意識を奪うには至りません。肩から先の感覚こそ鈍りましたが、腕は相変わらず動かせます。
続けて、花の魔物たちはお辞儀をして、頭の花から蜜を滴らせました。赤い花びらが、祭壇の松明を空かして揺れています。蜜はまるで上質な軟膏のように、傷口に馴染みました。
そうしている内に、花は散って、実を結び、彩り鮮やかに熟して、音もなく咢からこぼれました。
空腹でした。石棺に落ちた果実の、潰れた面から、酷く食欲を誘う香りが弾けます。ぷん、と濃厚な甘い香り、爽やかな香り、芳醇な果汁が詰まっていると思わせる香り……実ごとに違う香りが漂っています。
腹が鳴りました。我慢できません。食べたい。その一心に染まるまで、さほどかかりません。
恐る恐る一口つけると、後は止まりません。ただただ、極上に潤いました。花の魔物だったものが枯れていく中で、私は、それらの置き土産を、一心不乱に貪っていました。
肉があれば。ふと、そんな心が浮かびました。ひょっとすると、口にしていたのかもしれません。
人心地つきかけた折に、絶叫が響いたおかげで目を白黒させてしまいました。石棺の縁から辺りを窺うと、オオカミの魔物が、シカの魔物に襲いかかっています。
記憶が叩き起こされました。ここは異常なダンジョンのど真ん中だと。
逃げなければなりません。しかし、どこへ? 魔物がひしめく最奥の祭壇から、ネズミ一匹逃れられっこありません。
シカの魔物が瞬く間に腑分けされていきます。異様な光景でした。同種の仲間が殺されているにもかかわらず、遠くからでもなく、シカの群が、どことなく誇らしげ……いえ、羨まし気に、その惨殺を眺めているのです。
シカを食らっていたオオカミたちが、一斉に耳をそばだて、こちらに目を向けました。考えの読めない目が、口々に、シカの部位を咥えています。
咄嗟に隠れました。今度こそヤバイ。何の気紛れで私に添い寝していたのかは知りませんが、やはりここは凶暴な魔物の巣窟なのです。ひょっとしたら、少しでも長く生かしておいて、後々食べる気だったのかもしれません。
考えが悪い方へ、悪い方へと傾きます。
ドチャリ、と目の前に、肝臓が落ちました。
ギョッとして見上げます。するとそこには、シカの肉を、次々と石棺へ捨てるオオカミたちがいました。
ある童話を思い出しました。大きな肉を咥えた犬が、橋の上から川面を覗くと、水鏡にも同じくらい大きな肉を咥えた犬がいます。「それを寄越せよ」と犬が吠えると、肉は川に落ちて、水鏡に映った自分も、肉を失っていたというやつです。
その時は、その童話の、肉が無くならないパターンです。
一頭が、じれったそうに石棺に侵入します。私はみっともなく足掻いて、縁まで後ずさります。足が滑って、思うように逃げられません。呼吸が荒く、サルのようにホッホッホッと吠えていた気がします。
ところがです。おもむろに、その一頭は、鼻先で肉や内臓を、私の足裏につく距離まで詰めて、ずずいと勧めたんですよ。そして、じっと、深い黄金の瞳で、私の目を見て、目と肉とを往復させます。
目配せ、としか考えられないくらい、繰り返されました。
呼吸が落ち着くにつれて、頭の靄が晴れていくように、私は冷静さを取り戻していきました。恐る恐る肉を一つ取ると、オオカミの魔物は満足げに立ち、石棺から出て行きます。
彼らは甲斐甲斐しく、私に肉を分け与えてくれていたのです。
オオカミたちに敵意はないようでした。人に飼いならされたオオカミを見たことがありますが、それよりももっとリラックスしているように思います。そうしたオオカミは、もっと犬のようにヘラヘラするものという印象がありましたが、そうではないんですね。穏やかでもオオカミはオオカミ、魔物は魔物、といった風体でした。
ただ、シカの魔物の腸と膀胱を食い破ってしまっていたんですね。肉はどれも臭いが酷くて、焼いたところで、とても口にできそうにはありませんでした。
果物を食べる前なら、あるいは食べてしまっていたかもしれません。が、グロすぎて、せっかく美味しくいただいた果物を吐きそうでした。
肉を全部、なるべく遠くに投げました。食べようと思わなければ、我慢できない臭いでもありませんでした。
オオカミたちは私を注視して、肉に気を取られる素振りすら見せません。
「き、君らで食べたらどうだ」
オオカミたちは返事するように吠えて、尻尾をうきうきと振って、我先にと投げた肉を貪りました。肉を奪い合う唸り声、固い肉の繊維を断ち、骨をバリバリと咀嚼する音、嚥下する音。どれも空恐ろしく耳に迫ります。
チャンスです。好戦的なオオカミたちに比べれば、花の魔物もシカの魔物も、まだ大人しいものです。私はこっそり、石棺から出て、逃げようとしました。
逃げようとしたのですが、その光景に圧巻されてしまって、立ちすくみました。
石棺から出た途端、魔物の群が、一斉に私に傅いたのです。




