クイズ
特に言うことは無し
そろそろここらから加速するかもって感じです。
万条目家の屋敷の応接間には、再び静寂の帳が降りていた。
テーブルで黙々と本のページをめくる少女秘書楓。その脇には畳まれたノートパソコン。向かい合うように座る哲也少年。
秘書が倒れた主人を寝室へ運んでからもう十分が経過しようとしている。にも関わらず、どちらも自分から話しかけることは無い。二人の間には、ページをめくる音だけがある。
そのまま三時間が経過した。
「ねえ田中ちゃん……」
「“ちゃん”と呼ばないでください」
楓がぴしゃりと言う。哲也が少し傷ついたような顔になって言い直す。
「あ、ごめん。田中さん。さっき万条目ちゃんが倒れたのって、ひょっとして僕のせい?」
三時間と十分をかけて、ついに哲也が答えにたどり着く。
楓が手にしていた本をしおりも挟まずパタンと閉じた。
「ひょっとしようがひょっとしまいがひょっとしなかろうがお嬢様が倒れたのは余すことなく一片残らず貴方の責任です。お嬢様が常識知らずにも程があると仰っておられました。お嬢様を呆れさせる輩は諏訪様――いえこれからは諏訪さんと呼ばせて頂きましょうか――お嬢様を呆れさせたのは諏訪さんで二人目です。
そう言えばお嬢様が病院にもう一度連れて行くようにと仰っていましたね。今すぐ医者に手術の手配をしましょう。貴方を治すにはダイナマイトを使った脳手術がいいでしょうね」
「いや、治るどころかそれ僕死んじゃうよ?」
「“馬鹿は殺して治せ”と言うでしょう。ニトログリセリンのお世話になりたくないのなら常識知らずを披露するのを謹んで下さい。それとも実はあれはわざとだったのでしょうか?」
キツイ言葉を受けて哲也は悄然とうなだれる。
「解ったよ。後で万条目ちゃんにも謝っておく。あ、でもわざとじゃないよ? 万条目ちゃんがいなかったら、僕は今頃公園でダンボールに農薬を混ぜて作った肉まんを食べるはめになっていただろうからさ。怨むどころか凄く感謝してるよ」
「わざとでないのは解りました。突っ込むべきところはここでないと思いますが一応。農薬は肉まんでなくギョウザの件です」
「? どういうことか分からないけど、わざとじゃないことを理解してもらえてよかったよ。それから君にも謝らないとね。……ゴメン」
「どういうことでしょう? 私が謝られるようなことは何もないと思いますが」
神妙な顔つきで突然哲也が頭を下げた。高級テーブルの表面に額が乗る。
「だってほら、こんな広い屋敷でも女の子が知りあったばかりの男と一つ屋根の下で暮らさなきゃいけないなんて、凄く嫌でしょ。だから謝らなきゃいけないなって。
僕は出来るだけ早く、経済的にも社会的にも自立して出ていくことにするよ」
「成程そういうことでしたか。しかし心配には及びません。この程度苦でもありませんから。私はお嬢様に地獄の底まで付いていく覚悟ですし、お嬢様の命の恩人である諏訪様も地獄のソコまで――そうですね針山地獄の手前あたりまでは見送る所存です。」
「上手いコト言うもんだな、田中さんって国語が得意なんだね」
そういって哲也は笑う。
表情に現れることはなかったが、楓は内心舌を巻きたい気分だった。
家族が離散したと言って同情心と恩に付け入って居候を要求する。その上支離滅裂な発言で主を困らせる、そんな彼には敵意があるとおもっていた。それなのに、こうもあっさりと謝るとは完全に予想外だった。
もっともその思い込みには彼女が絶大な信頼をよせる根拠があり、哲也の行動が彼女の心を信頼で満たすことは無い。
「あ、そういえば一つ聞きたいことがあるんだけど」
なんでしょう、と楓。
「さっきの話を聞くと人気のあるクリスマスやバレンタインデーの付喪神の方が、忘れられかけてる日本の文化よりずっと強いと思うんだけど、どうやって勝つつもりなの?」
「この屋敷が彼らに攻撃されない理由は後々話すとしましょう。私たちが彼らに勝つ方法。そうですね、このクイズの答えが分かりますか?
“コンピューターの計算プログラムにおいて、いかなる引数が入力された時にも、最小限の計算で四則演算かける割る足す引く――×・÷・+・-の計算と数字の一だけを使って百以上の返り値を出力するにはどのようなプログラムを作ればよいか?”」
「なにそれ!? すごく難しくない?」
哲也の額に深いしわが寄る。
背に陽炎ができそうなほど悶々と考え込む哲也の姿を、楓の感情の波紋の無い瞳が映していた。
待つこと数分。
「これってつまり、“1とかける、割る、足す、引くの記号を使って、どんな数を入れても最小限の計算で100より大きい答えが出てくる式を作れ”っていうことだよね?」
少年の数分間は、問題文を理解することに消費された。
「時間切れです。正解は“百以上の値になるまで計算し、答えが百になったら計算を切り上げるプログラム”です。プログラミングの初歩C言語でいう“for文”。最も良い計算の順番は割愛します」
「僕プログラミングなんてやったことないのに解る訳無いよ。田中さんはパソコンとか扱えるクチ?」
「万条目グループホームページ管理は私の仕事です。出現は非常に極めてまれですが情報操作のためハンドルネームが必要な掲示板に出現する際には“筒井筒 ツツジ”を名乗ります。
で、実は先ほどのクイズとは関係がないのですが、“勝つまでやる”が私達に残された唯一の手段です。出会えば勝ち目のない強力な個体に見つからないよう細心の注意を払いまた完全な逃走ルートを確保し、スキを衝いて相手の戦力を少しづつ削る。こうしてこれまでは曲がりなりにも闘うことが可能でした。しかし分家のサンタはともかくあの三人が出てきた今そんな卑怯で姑息な安全策が通じるとは思えません。彼らのうち一人とでも遭遇してしまえば逃走すら不可能でしょうから」
淡々と語られた現状は絶望へとつながっていた。
「さてそんな暗い話は綺麗さっぱり忘却し夕食を食べに行きましょう。もうそろそろ使用人が食事の用意を終えているでしょうから」