8話 束ねる寄せ集め
「先輩、ありがとうございました。先輩にとって、悪い過去だったのか、いい思い出だったのか分からないですけど……先輩もそんな風に想っていたことがあったって知って、なんだか少し……いえ、結構励まされました」
「励ませたんならよかった。……ふふっ、やっぱりキミは素敵な人だと思うよ!」
「な、なんですか急に」
「事故、だったんだよ。普通だったらさ、辛い過去って決めつけて思い出させてごめんって言いそうなのに、キミはいい思い出だって言ってくれる」
「す、すみません。僕、無神経なこと言ってたかも……」
「違う違う! 責めてるんじゃないの。本当に悪い過去だったけど、いい思い出だったの。だから、そんな矛盾した気持ちを無かったことにしないで自然と認めてくれるキミは、全ての感情に向き合おうとする素敵な人なんだよ」
嬉しそうに微笑んだ先輩の顔が、赤い夕日に照らされていた。
「先輩。その、僕……さっきの話はちゃんと引き受けようと思います。嫌々引き受けようとしてたわけじゃないことを明穂に伝えて、今度こそちゃんと皆の役に立ちたいから」
「うん。いいと思う」
「だから、すみませんけど暫くは放課後に部活に来る時間はなくなりそうなので……」
「いいよいいよ! 今は納涼祭の準備を頑張ろう! 小説なら家でも書けるし、どこまで進められるか競走ね! そうだ、私もクラスの手伝いでもしようかなー」
僕の言葉を遮って、先輩が明るい声色で応える。それに安心して顔を上げると、笑っているのに先輩の表情はどこか寂しそうに見えた。
「あの、先輩……」
「ん、何?」
僕の見間違いだったのだろうか。僕の思い上がりだっただろうか。ただの気のせいかもしれないけど、何か言わないといけない。そう思った。
「先輩。交換日記、しませんか?」
僕は何を突拍子もないことを言っているんだろう。先輩もいきなりの提案に驚いて目を見開いている。ただの気のせいだったとしても、先輩も僕と過ごすこの時間を大切に想っていてくれていたのなら、僕から何か伝えたいと思った。
「え?」
「いや、なんか、毎日部室に来ていたのが急になくなったら小説書くのをサボっちゃうかもしれませんし、お互いの近況報告っていうか……。……いえ、違います。僕がただ、この時間がなくなるのは少し寂しいなって思っただけです」
言葉を飾らなくていい、という先輩の言葉を思い出して、僕は恥ずかしさを装飾するのをやめた。そんな僕を見て、先輩は意外そうな表情をしていて、すぐに嬉しそうに笑った。
「いいよ、やろう。交換日記! 他愛のない話も、普段なら口には出せないことも、沢山書いてね!」
「……! はいっ!」
「よし、じゃあ……探しに行っておいで! 明穂ちゃんも待ってるよ!」
ばしっと先輩に背中を力強く叩かれて、僕は明穂を探しに廊下を走った。心なしか、走る足取りが軽かった。
◇ ◇ ◇
人目につかない心当たりの場所を探し終えた僕は、裏庭で蹲って泣いている明穂を見つけた。丸まった小さな背中は教室で見るよりもずっと小さく見えた。
「……探したよ。こんなところにいたんだね」
僕の声に明穂の肩がびくっと震える。
「来ないで……っ!」
嗚咽混じりのか細い声で拒絶された僕は、そっと近づいて隣に座ると無言でハンカチを差し出した。
「……いらない」
ハンカチを受け取る素振りを見せない明穂に、僕は黙ったまま反応が返ってくるのを座って待った。
「……せっかく透真が空気を戻してたのに、勝手に怒って、クラスの空気を悪くして。あたしのこと怒ってるでしょ」
「……怒ってなんかいないよ」
「嘘。透真は優しいから……あたしを悪く言ったり出来ないだけ。……こんなことで泣いてる自分も嫌なの。もう……あっちいってよ」
かける言葉が見つからない。これ以上、そばにいて欲しくないのかもしれない。そう思って立ち上がろうとする僕の足を先輩の言葉が止めた。
ここで明穂を置いて戻ったら今までと同じじゃないか。綺麗な言葉じゃなくても、拙いままでもいいから、僕を心配してくれていた明穂に向き合わないと駄目だ。
「……嫌だ」
「……はぁ!?」
子供みたいな返事の僕に、明穂が間抜けな声を出す。
「……まだ、自分の言葉で何も明穂に伝えられてない、から。話したくなるまで、僕はここにいるよ」
明穂が驚いたように顔を上げた。止まらない涙を何度も擦っていたのか、赤くなっている目が痛々しくて、思わず僕は服の袖で涙をそっと拭った。
「……っ!?」
「あ、ごめん。つい……。嫌だったよね、本当にごめん」
「……嫌、なわけじゃない、から。……びっくりしただけ」
二人の間に沈黙が流れる。
「……さっき怒ったのって、僕の為……だよね。その、代わりに怒ってくれてありがとう」
「……本当にそう思ってるの? あたしが泣いてるから、そうやって言ってくれてるんでしょ。……透真は優しいもんね」
おずおずと切り出した僕に、明穂は自嘲気味に笑って言った。
「…………」
「……やっぱりね。透真はさ、いつもそうやって黙っちゃうよね」
いつもだったらここで会話を諦めている。ヘラヘラした笑みを張りつけて、当たり障りのない一番短くて正しい回答で僕は適当にこの場をやり過ごしていた。
それは相手を煩わせたくなかったからだったけれど……それが本当に僕のことを想ってくれる人に対して、どれだけ不誠実だったかなんて気づいていなかった。
「……ごめん。こうやってすぐに適当に誤魔化す僕のことを見ていてくれたのに。嘘じゃないよ。僕が隠そうとしていたことに明穂が気づいてくれていたことが本当に嬉しかったんだ」
「……やっぱり我慢……してたんだね」
「そうじゃないんだ。僕は、言いたいことを我慢していたわけじゃないんだ。やりたくないことを引き受けてたわけじゃないんだ。ただ、上手く伝えられなかっただけで……」
「なに、それ。意味わかんない……。押し付けられて、困った顔してたじゃない!」
「そりゃあ、押し付けられてたら嫌だって思うけど、全部が全部押し付けられてたなんて思ってないよ。頼みやすい僕に頼んだだけで、お礼だって奢って貰ったり、代わりに日直をやってくれたり、そういう立ち位置に僕がいるっていうだけだから」
「……そんなの、透真の優しさにつけ込んでるだけじゃん。透真だって、断りたいのに諦めてたんでしょ?」
「うーん……。僕はいつも頭の中で色々考えちゃって、なんて言おうかなって言葉を選んでいるうちにも、時間は進んでいて、それでいつも途中で話すのを諦めてただけなんだ」
上手く言葉に出来てるとも思わない。きっと、明穂は今僕が何を言いたいのかわかっていないだろう。心配してくれていることはわかるのに、圧倒的に噛み合わない会話に僕は何度も伝えることを諦めそうになる。
「僕は言葉にするのが時間がかかる。だから、僕は本心から怒ってなかったけど、押し付けられたわけじゃないけど、それでも明穂が僕のかわりに怒ってくれて嬉しかったって、本当はそれだけ、伝えたかったんだけど……伝えるのって難しいね」
「なによ、それ……」
「……上手に伝えられなくてごめんね」
「……謝らないでよ。多分、透真が言いたいことの十分の一も伝わってないかもしれないけど、理解出来てないかもだけど、あたしが透真のこと決めつけてたってことはわかった、もん」
「明穂……」
「それでも、的外れに怒ったあたしも、少しは透真の役に立ったのかもって、信じてもいいのかなぁ……?」
明穂の涙声が僕の鼓膜を震わせた。
支離滅裂だった言葉の寄せ集めが、僕の心のほんの少しの欠片でも明穂に届けられた気がして、じんと鼻の奥が熱くなった。