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7話 隠したい心に耳を傾けて

 



 教室を飛び出した明穂を追いかけて、僕は廊下へ急いだ。けれど、廊下に明穂の姿はなく、僕は途方に暮れていた。


「ずるいよ……」


 思わず本音が溢れる。


 僕は慌てて口を押さえて周囲を見回した。誰もいないことにほっと胸を撫で下ろした。

 感情のままの言葉をそのまま伝える素直さも、言い逃げするように泣いて出ていったことも、自分の中の理性が留めてしまう行動が出来るのが羨ましかった。


 このまま一人で教室に帰る訳にもいかずに、とぼとぼと夕日に照らされた廊下を歩いていると、いつの間にか無意識に部室の前まで歩いて来てしまったようだ。


 ふわりと潮風の匂いがして、顔を上げると先輩が部室のドアの前で仁王立ちしていた。


「…………先輩」


「どうした? 後輩くん。もしかして、私に早く会いたくなっちゃった?」


 振り返った先輩が、僕に気づいて歯を出して豪快に笑う。その姿を見たら、なんだか急に力が抜けた。


「そうですね。会いたかった、かもしれないです」


「えっ、いつもそんな乗り方しないのに。……もしかして、クラスで何かあったの?」


 先輩だったらなんて言うんだろう。きっと、陽みたいにその場を明るく盛り上げて、誰も泣かせたりなんてしなかっただろう。

 劣等感と無力感の板挟みで、そんな情けない自分を知られたくは無いのに、それでも話してしまったのは()()()先輩に励まして欲しかったのかもしれない。


「実は……」


 断りたかったわけでもないのに、余計なことを言いたくないからと心配事を尋ねられなかったこと。へらへらと笑って誤魔化して、何事も無かったようになればいいと思っていたこと。

 いつも僕を心配してくれていた子を泣かせてしまったことを、僕は途切れ途切れで先輩に告げた。


「透真くんはさ、何も言わずに引き受けたのは優しさだったの?」


「優しさ、だったんですかね。いや、ただ……早く嫌な空気が無くなればいいってことだけ考えていました」


 自己犠牲と言えば聞こえはいいけど、本当は言葉に出来ないのがもどかしくて、説明しても分かってもらえる気がしなくてそれ以上話をするのが面倒臭かっただけだ。


「そっか。それじゃあ、その明穂って子はそれに気づいたんじゃないのかな。……自己犠牲だって、別に悪いことじゃないんだよ。空気が悪いのは誰だって居心地が悪いし、早く終われって思ってる。透真くんの選択に救われた子も多かったと思う」


 だけどね、と先輩は優しい表情で言った。


「その選択は、透真くんの心は救ってあげられないんだよ。その明穂ちゃんって子は、キミよりもずっとキミを大切に考えてくれていたんだね」


 先輩の言葉に僕ははっとさせられた。

 明穂は、僕自身を(ないがし)ろにする僕に怒っていたのか……。


「言葉にするのを諦めちゃうのはキミの悪い癖だよ」


 痛いところを突かれたのがわかる。


「たどたどしくてもいいから、キミが今、何を思っているのか伝えようとしなくちゃ伝わらないよ。その子だって、キミがいつも無理して笑ってるって気づいていたから、友達なのに何も話して貰えないのが寂しかったんじゃない?」


「……でも、本当にその答えが正しいのか、僕には分からなくて」


「綺麗な言葉にならなくても、(つたな)くてもいいんだよ。嫌、とか嫌じゃない、とかただの単語でもいいんだよ。まずは、君の思ってることを話してみることから始めてみよう?」


「……聞いて、くれますかね。面倒くさく、なっちゃわないですかね……」


「大丈夫。キミの友達だもん。ちゃんと聞いてくれるよ」


 気づかれたくない癖に、本当は気づいて欲しい癖に、その先輩の言葉を聞いた僕は、ずっと誰かに大丈夫だと言って欲しかったのだと思った。


  「……先輩」


「どうした、後輩くん」


「……先輩は普段は凄く楽観的に見えるのに、意外と人のことを見てるっていうか、俯瞰(ふかん)してるっていうか……しっかり心と向き合えるんですよね」


「ふっふっふ、今更気づいたか。私のこと尊敬しちゃったかな?」


「……はい。たった二歳しか違わないのに、なんだか僕が凄く未熟なような気がして、少しだけ……嫌になりますよ」


「……キミと私はそんなに違わないよ。私はただ、キミより二年先に生きていて、二年先にそういう葛藤とかを通り越してるだけでさ。先輩ぶって、大人びた振りをしてるだけなんだから」


 自己嫌悪に陥ってしまいそうな僕を励ます為か、自嘲気味な僕に対して先輩は過去を振り返るようにして言った。


「先輩みたいな人でも、僕みたいにうじうじしたりするんですか?」


「キミは私のことをなんだと思ってるのかな? 私だってただの高校生。正しいことなんかわからないし、落ち込んだりもするし、うじうじだってするよ」


 意外だ、と僕の顔にでも大きく書いてあったんだろう。先輩は苦笑いをしてどこか懐かしむようにぽつりと呟いた。


「……私がキミと同じ一年生だった頃、このまま死んでやろうかと思って、春の海に入ったことがあったんだ」


 事も無げに告げられた言葉に僕は先輩を二度見する。そんな僕のことなど構いもしないで先輩は話を続けた。


「スポーツ推薦で陸上部に入って、全国で戦えるレベルの選手として私の将来は約束されてた。なのに、たった一度の事故で私の足は使い物にならない我楽多(がらくた)に成り下がってしまった」


「事故……」


「そ。しかも、運悪く陸上部のライバルだった子を助けて、私だけが駄目になっちゃったの。だから、あの子が死んじゃわなくてよかったって心から思ってるのに、助けに入ったことを何度も後悔したし、その子が成績を残す度に恨めしくて、私じゃなくてあの子だったら良かったのに、なんて思ってた」


 酷いでしょ、と言った先輩に僕はそんなことない、と在り来りな言葉しかかけられなかった。


「しかも、その子がいつまでも私に負い目を感じていて、気にして欲しくないっていうのも私の本音の一部だったから、表向きはもう気にしないで、大丈夫だよってずっとにこにこ笑ってた。今のキミみたいに。そしたら……それが続いていたある日、ぷつんと私の中の何かが切れちゃった」


 一言で纏めきれない矛盾した心の片方を無視して限界を迎えた先輩。それは確かに今の僕の状況に似ていた。


「死にたかったわけじゃないの。ただ、なんとなく限界が来ちゃっただけ。病院の帰りに乗った電車の椅子に海が表紙の小説が置きっぱなしになっていて、このまま終電まで行けば海につくなって思っただけ」


 僕はただ、先輩の話に言葉を失うばかりだ。


「何も考えずに殆ど無意識で海に入って、このまま死ぬんだって思った。……でもね、春の海の寒さで鳥肌が立って身体中が震え上がった時、生きることを諦められないことに気づいたの。そんな時、電車の中でたまたま拾った小説の台詞が私を引き戻してくれたの」


「落ちていた海の表紙の本、ですか?」


「そ。海に行こうって思ったきっかけだったからかな、電車の中で読んじゃってさ。まだ最初の方だけだから感傷を覚えるほど話は進んでなかったんだけど、なんとなく手放せなくて持っていったの」


「どんな台詞だったんですか?」


「『キミの隠したい本音だから、キミが愛してやらないと。キミを救えるのはキミだけだから』っていう台詞。だから、さっきのはただの受け売り」


「隠したい本音だから……」


「私だけが我慢するなんてずるい、悔しい、死にたくない。そんな本当は隠したい醜い本音を誰かに気づいて欲しかった。誰かに認めてもらいたかった。それを、その台詞が肯定してくれた気がしたの」


 そう言った先輩の視線は優しげで、キミもそうだったんでしょう? と、僕に問いかけているような気がした。


 我に返って海から上がり、びしょ濡れのまま海辺を歩いていたら警察に保護されたのだと先輩は言った。毛布とストーブで暖をとって、親が迎えに来るのを交番で待っている間、拾った本を読んでいたのだそうだ。


「その小説は海を舞台に、白黒つかない心の機微(きび)を海に(たと)えた言葉の難しさや美しさをテーマにした心の葛藤を言語化しようとした作品だった。それがもうその時の私には刺さっちゃって、これ、私のことだ、って思っちゃって初めて人前で泣いちゃった」


「その小説に救われたから、海が好きなんですね」


「うん。それから私は小説の魅力に取り憑かれたの! だから、お節介かもしれないけどさ。キミにも言葉の持つ力ってやつを知って欲しかったんだ」


 先輩も伝えきれない心に溢れた言葉を、自分だけの隠したい感情を抑えてしまって、心の糸が切れてしまった経験があったから。だから、言葉を伝えるのが苦手だと言った僕を放っておけなくて、小説を書こうなんて言い出したのか。


「だから、キミも隠したいキミの心の声に耳を傾けてあげて。自分でも見たくないような嫌な心だったとしても、無視してばかりじゃ気づかないうちに拗ねちゃうんだからね! たまにはそっと寄り添ってあげて! 先人が言うんだから間違いないでしょ?」


 そう言って悪戯っぽく舌を出してみせる先輩の声はいつも通りの明るい声色に戻っていて、僕のことを真っ直ぐ見つめて力強く笑う姿に僕は酷く安心していた。




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