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溺れる青とキミの声  作者: 日華てまり


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16話 揺らぐ世界

 



 夏休み最終日のあの日、先輩が消えた。

 あれから夏休みが開けて、学校が始まっても、先輩は一向に部室に姿を現さなかった。


 僕が落とした鍵を先輩が持って帰ってしまったから、僕が部室を開けることは出来なかった。誰も閉めたはずもないのに、何故か鍵が閉まってしまった部室の前で、今日も僕は先輩が訪れるのを待っていた。


 まるで、主人に捨てられた犬にでもなった気分だった。


「……どうして急に、来なくなっちゃったんですか。やっぱり、あの日の先輩は何か悩んでいたんですか……?」


 宙に向かって問いかけるも、返事が返ってくるわけはなく、この廊下の先に何事も無かったかのように明るく手を振る先輩が今にも見えるんじゃないかと淡い期待を抱いては、僕は夕暮れを迎えていた。


「……少しでも、何か伝えていれば、何か変わったのかな」


 僕はいつも、大切なことに気がつくのが遅すぎる。


 先輩の面影を追って、先輩と何度も昇った山道を超えて、海を目指す。ここでなら、先輩に会えるんじゃないかと、先輩の幻を追いかけた。

 走る足がもつれて砂利を蹴飛ばした。自分の足に躓きそうになるのを、地面を踏み締めて留まった。息を切らして登り切ると、黄金の光を放つ太陽が無情にも海へと落ちていく。


 太陽(先輩)を失った()が暗く沈んでいった。


「…………雨だ。……もう、帰ろう」


 何度目になるか分からないため息をついて、僕は来た道を下っていった。

 バスに乗り込むと、雨が本格的に降り出して、冷えた窓が白く濁った。雨粒がバスの屋根に落ちる音が、ぽつぽつと反響している。


 僕は頭をもたげて力なく窓へと寄りかかった。小雨で霞んだ視界に車のヘッドライトが瞬いては消え、ぼやけた光の球を僕は眺めていた。

 窓ガラスの向こうに映る無数の水滴が斜線を描いて走り過ぎる。


「……流れ星みたいだ」


 僕の心を、この瞬間を、切り取りたくて僕は筆をとった。伝える相手のいなくなったこの感情を書かずにはいられなかった。


 じっとりと肌に纏わりつくような空気が、夏の終わりを予感させた。先輩と過した日々を置き去りにして、もうすぐ、秋がやってくる。




 ◇ ◇ ◇




「最近、元気ないけど大丈夫か? 納涼祭頑張りすぎて燃え尽きたのかー?」


 取り憑かれたように小説の完成を急ぐ僕に、心配そうに(はる)が尋ねてきた。


「そういうわけじゃないんだけど……ちょっと、ね」


「それ、例の文集にするって言ってた小説?」


「うん。言葉が溢れて止まらないんだ」


「そっちの調子がいいのはいい事なんだけどさ、顔色悪いぞ? ちゃんと寝てんのか。締切がもうすぐとかで急いでるとか?」


「締切は無くなっちゃったんだ。一緒に書いていた人が来なくなっちゃって……。でも、この小説が完成したら、読みに来てくれるような気がして……」


 僕の様子に何かがあったのだと察して、陽が声を潜めた。


「もしかして、いつも言ってた先輩って人、退部したのか?」


「……わからない」


「わからない? なんだそれ」


「僕にもわからないんだ。夏休みの最終日に様子がおかしくて……逃げるみたいに出てっちゃったと思ったら、そこからぱったり来なくなったんだ」


「なんだそれ! いや、それはおかしいだろ! なんでもっと早く相談しなかったんだよ。同じ学校の先輩なんだろ? 学校に来てないとか、家庭の事情とか、同じ学年の先輩に聞けばなんかわかるだろ?」


「……あっ」


 陽の言う通りだ。どうしてそんなに簡単なことを思いつかなかったんだろう。

 神出鬼没な先輩のことだ。僕と先輩は二人きりの世界に存在しているような、そんな気がして、先輩にも文芸部の外で過ごす姿があることを今の今まで考えていなかったのだ。


「……あー、昼休みに部活の先輩に聞いてきてやるよ。何年だっけ?」


「名前は……日向千夏先輩。学年はわからない……。多分、制服的に三年生だと思う」


「わからないって透真、お前……。いや、なんでもない」


 呆れたように陽が言いかけて、僕の顔を見て口を噤んだ。先輩のことを話そうとしてやっと分かった。僕は自分で思っていたよりもずっと、何も先輩のことを知らなかったんだ。


「その、走り高跳びの凄い選手だったって言ってた。多分、それだけで伝わると、思うから……。ごめんね」


「謝るなよ。こういう時はありがとう、だろ?」


「……うん。ありがとう、陽」


 それ以上、陽が聞いてくることはなくて、ただ僕のそばに居てくれた。

 長年の付き合いがそうさせるのか、陽の無言の気遣いに目頭が熱くなった。


 先輩がどうしているのか、それだけでも知りたかった。



 昼休みに陽が教室を出ていってから、時計の長い針が半分周っていた。

 バタバタと廊下を走る音が聞こえて、陽が血相を変えて教室の扉を開けた。


「……っ、陽?」


 まさか、先輩は事故にでも合っていたのではないか。

 嫌な予感が頭をよぎる。


 考えなかったわけではない。もう二度と会えない悪夢を何度も繰り返し夢みていた。僕の空想が現実にならないように心の中で手を合わせた。


「……陽、先輩は? 先輩に……何か、あったの?」


 視線を落として言い淀む陽の肩を掴んで強く揺さぶった。


「……その、本当に先輩の名前は千夏って人、なんだよな?」


「うん」


「からかってる訳じゃないから落ち着いて聞いてくれ。三年の先輩と、二年の先輩にも聞いてみた。だけど……この学校に、千夏なんて名前の人はいないんだ」


「………………え?」


 陽の言葉の意味が理解出来なくて、頭が真っ白になる。


「何、言ってるんだ。千夏先輩は走り高跳びの有名な選手で、ふらっと文芸部にやってきた強引な先輩で、夏の間ずっと一緒に過ごしてたんだ。……居ないわけないだろ!?」


 勢いよく椅子が倒れて、大声を出して立ち上がった僕に、クラスメイトの困惑したような視線が向けられる。


 陽がこんな時に嘘をつくやつじゃないことは、僕が一番わかっている。協力して、今も心配そうに僕を見つめる陽に怒鳴りたいわけじゃないのに、感情が制御出来なかった。


 こんなにも感情を剥き出しにするのは初めてだ。

 先輩に出会ってからの僕は、自分でも戸惑うことばかりだ。


「……俺も、先輩達が知らないだけなんじゃないか、学年が違うんじゃないかと思って、仲のいい他の先輩にも聞いてみたんだよ。……だけど、皆が口を揃えて言うんだ。誰も……そんな人は知らない、って」


 鼓動の音が煩くて、陽の言葉が上手く聞き取れない。

 耳の奥で、潮騒のような耳鳴りが響いていた。



「なぁ、透真……。お前は、誰と過ごしてたんだ……?」



 ぐらつく視界の端で、けたたましく叫んでいる蝉の姿が見えた。

 真っ青な夏の空が、夢の終わりだと僕のことを嘲笑っているような気がした。




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