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溺れる青とキミの声  作者: 日華てまり


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14/22

14話 秒針を止めて

 



 朝方降った小雨が路上の草を濡らしている。

 僕が歩けば、葉が揺れて、露が踊る。


 先輩が駆けると、水溜まりに映りこんだ入道雲がぱちゃん、と水飛沫を上げて姿を消した。ギラギラと照りつける太陽を手の傘で見上げて、僕は真っ青な空へと細めた視線を送った。


「透真くんは、文集用の小説は順調に進んでる?」


「まぁ……一応、テーマは固まってきたというか、海と……先輩に出会ってからの経験とか、気づきとかを関連づけた話にはしようとしています」


「嘘! 私と出会ったことを書いてくれるの? あはっ、可愛いところあるじゃん。後・輩・くん?」


「……別に先輩のことを書くわけじゃないですよ。ただ、その辺りから自分の変化が大きかっただけで」


「私のおかげで?」


「……そうですよ! ……これで満足しましたか?」


 にやにやと僕の顔を覗き込んで嬉しそうに笑う先輩に、気恥ずかしくなった僕は半分やけくそになりながら、ぶっきらぼうに言った。

 本心で感謝はしているのだけど、こうも本人から言われてしまうと素直に言えなくなるから困る。それでも、先輩は嬉しそうにしているからいいのだけど。


「先輩こそ、何を書くのか決めたんですか?」


「勿論! 海をテーマにした話を書くよ!」


「いや、それは最初から決めていた文集のテーマでしょう。先輩個人の話の題材は……もしかして、まだ決まってないんですか?」


 僕の言葉に、先輩がすっと視線を逸らした。

 あ、これは決まってないな。あれ程、僕にはアドバイスをしておいて、この人は部室に来た時は何をしていたんだろう……と心の中で首を傾げると、先輩が開き直ったように言う。


「だってー、読むのと書くのとじゃ、全然違ったんだもん! 透真くんはよく、そんなにさらさら書けるよね。やっぱり、キミは凄い作家さんになるんじゃない!?」


「そんなの最初から僕が言ってましたよね……。小説を書こうって言った時も、脚本を書いたらって言った時も、人にはなんとかなるって言ってたのに……」


「……あはは、ほら、透真くんは出来たんだから、結果オーライってやつじゃない? それに、その為の気分転換に来てるんだから、もっと肌で海を感じなくっちゃ!」


 防波堤に登り、両手を広げてゆらゆらと歩く先輩を見上げて、僕は小さくため息をついた。

 のんびりとした空気が流れるこんな時間も、本当は心地が良くて好きだった。


「でも、まぁ、夏休みも始まったことだし、ひと夏の思い出、みたいな爽やかで、でも最後は切なさもあって……みたいな話が書きたいなぁとは思ってるんだよ」


「恋愛物ってことですか?」


「うーん……。ひと夏の、っていうと恋を感じるけど、明言しない感じの……恋と友情の二人にしか分からない空気感を大事にするような……そう! エモい感じにしたいの!」


「エモい? ってなんですか?」


 先輩が一瞬だけしまった、と口に手を当てた。


「エモい、はエモーショナル。青春小説とかそれの爽やかさを感じる表紙とか、言葉に落とすのが難しいけど、優しさや厳しさや甘酸っぱさなんかに浮かんでる不思議な気持ちのことだよ! 海のバス停にセーラー服の黒髪の女の子が一人で座っていて本を捲っている。この文章の情景や写真、絵画なんかを見た時の気分がエモい! だよ!」


「なんとなくわかるよう、な?」


「でしょ!? めっちゃやばい! で伝わるのと一緒だよ!」


 強引に説明されてしまったが、言いたいことが何となく伝わるのが言葉のすごいところだ。


「……映画でありそうな、太陽の日差しが海を輝かせて、学生のシルエットが映る……みたいなのも、エモい、ですか?」


「そうそう、そんな感じ。透真くん、分かってきてるじゃん!」


「まぁ、いいな……って思う気持ちの事なのかなって思ったので」


 僕の言葉にわかるわかる、と深く頷いて先輩が腕を組む。


「海を見てると心が梳く想いがするのって、こーんなに広い海を見てると自分が凄くちっぽけな気がして、悩みなんて大したことがないんじゃないかって……忘れられる気がするからなのかな?」


 遠くを見つめる先輩の瞳に哀愁が漂う。

 最近の先輩は何か気がかりなことでもあるのか、こんな風に憂いを帯びた表情をするのに、僕の視線に気づくといつも以上に明るく振舞った。


 僕が勘づいていることに先輩だって薄々気がついている癖に、その笑顔(仮面)を外そうとしないから、これ以上踏み込むな、と言われているようで少し寂しかった。

 悩みがあるなら打ち明けて欲しい。先輩が力になってくれたみたいに、僕だって先輩の支えになりたいと思っているのに。


「あーあ。……このまま時間が止まっちゃえばいいのに」


 慈しむような、あまりにも穏やかな声色で先輩が言ったから、その横顔に吸い込まれてしまいそうになった。

 見上げた僕の方に向き直って満面の笑みを浮かべると、先輩は両手をばっと広げて、後ろ向きで海へと落っこちた。


「先輩っ……!?」


 慌てて防波堤に手をかけて、先輩が飛び込んだ海を覗き込む。


「あははっ! びっくりした?」


 らっこのように仰向けで海に浮かんだ先輩が、いたずらが成功した子供のように無邪気に笑った。


「……っ、当たり前でしょう! 海に飛び込むなんて、何考えてるんですか!」


「ここなら足がつくから、大丈夫大丈夫!」


「そういう問題じゃ……! ……っ、死んだかと……!」


 まだ心臓の音がけたたましく鳴り響いている。

 泣きそうな顔を隠して、へたりこんだ僕を先輩が楽しそうに見つめていた。


「ねぇ、透真くん。引っ張りあげてよ」


 先輩は懇願するような、試すような表情で真っ直ぐ僕のことを見つめると、海の中から両手を伸ばした。


「えっ……」


 ドボン、と水飛沫が上がる。

 慌てて水面に顔を出した僕を、びしょ濡れの先輩が笑っていた。


「ちょっと! 何するんですか……っ!」


「あははっ、お揃い!」


「お揃いって、こんなんでどうやって帰るんですか! 通りがかる人の視線全部、僕らに釘付けですよ!」


 勢いで食ってかかると、先輩は海の水を僕に思いっきりかけて言った。


「大人になっても忘れないくらいの青春をしよう、後輩くん! 私とキミで、夏らしいこと、全部全部一緒にやろう! どれだけ時が経っても、色鮮やかな色彩ととともに、キミと過ごしたこの夏が思い出せるように!」


 先輩の濡れた髪がキラキラと輝いていた。


 先輩があまりにも楽しそうに笑うから、僕一人で怒っているのが馬鹿らしくなって、僕は海水を腕いっぱいに抱えて先輩に向かって思いっきり跳ね上げた。


 ずぶ濡れになった先輩がきょとんとした表情で僕を見つめた。それがおかしくて、僕は馬鹿みたいに口を大きく開けて笑っていた。


 青い空と青い海、照りつける太陽の日差しと、肌に触れる冷たい波と先輩の濡れた髪。

 僕の視界を独り占めする青い夏を、千夏先輩と過ごしたこの時間を、僕はどれだけ歳を重ねても鮮明に思い出すことだろう。




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