12話 カーテンコール
僕たちのクラスの演劇は、大成功だった。
頭に響く拍手を浴びて、役者達がカーテンコールに戻って行った。
僕は放心したまま、クラスメイト達の背中を見送った。拍手の音をけたたましく鳴り響く鼓動がかき消していく。舞台袖から見るスポットライトは酷く眩しくて目眩がした。
「透真っ! お疲れさん! 間違いなく、大成功だったな!」
陽に叩かれた背中がヒリヒリと熱を持っていった。舞台袖から見た観客席の景色が脳裏にこびりついている。脳内でリピート再生されるその光景は、僕の心を高揚させた。
現実では無いような、夢の中にいるような、どこか浮ついた気持ちのまま、気がつくと納涼祭は終わりを迎えようとしていた。コンクリートの階段に座って夕焼け空を見上げて感傷にふけっていると、浸る間もなく小道具の入ったダンボール箱を教室へ片付けるようにと半ば強引に押し付けられた。
「……そういえば、先輩もあの客席の中にいたのかな」
教室へと向かっていたつもりが、無意識に文芸部の部室がある方向へと足を運んでいたようだ。
納涼祭も最後。キャンプファイヤーの準備に忙しく行ったり来たりとすれ違っていく生徒達を視線で追いかけては見送った。
「……っ、透真っ……! あたしも、教室にこれ持ってかないと、だから……一緒に行ってもいい……?」
振り返ると、夕日で赤く染った頬を隠すようにして、小さな箱を抱えた明穂が立っていた。
「うん、いいよ。行った時戻ろうか」
僕の返事に明穂の表情が安心したように綻んだ。
「……演劇、大成功してよかったね」
「そうだね。勇気を出してみて、よかったよ」
「うん。透真の脚本、ファンタジーな感じもしっくり来たし、二人が結ばれてよかったよ」
「ロミオとジュリエットは悲劇として完成され過ぎているからね。下手にハッピーエンドにするよりは、ファンタジーに寄せた方が抵抗ないかなって思って」
「ご都合主義ってなっちゃうとチープな感じがするから?」
「そう。劇は二人が結ばれておしまい。本当は妖精の国に行って二人と他の家族はもう二度と会えない、っていうのをオリジナルでの死んだ後の描写に結びつけようかな、とも思ったんだけどそれだとやっぱり死んだっぽさ出ちゃうからね。二人を失った後悔で両家が争いをやめる、っていうのはあくまで脚本外での出来事で、クラスの演劇では蛇足かなって」
「……ふふっ。なんだか、本当に脚本家さんって感じ。……透真、本当にお話を書くのが好きなんだね」
嬉しそうに明穂が笑う。言われてみて、自分が脚本に込めた意味なんかを饒舌に語りたい衝動があったことに気づいた。
僕は、自分で思っていたよりも言葉を文字に表すという行為を気に入っているらしい。
「……そう、かも。……気づかせてくれた先輩には感謝しないと」
「先輩?」
「……僕が変わるきっかけをくれた人。僕のことを引っ張って、思いもよらないような世界を見せてくれて、弱気になってるといつも背中を押してくれて……照れくさいから面と向かっては言えないけど、感謝してるんだ。ちょっと、強引な人なんだけどね」
「……そっか。透真にとって、凄く大切な存在なんだね。……その人のこと、好き、なの?」
「好きだよ。凄く、尊敬してる。たった二歳差がこんなに大きいものだとは思っていなかった。僕がこんな風に諦めずに話せるようになったのも、言葉を紡ぐ喜びを知ったのも、全部先輩のおかげなんだ」
ふと顔を上げると、文芸部の部室にぱっと明かりがついた。思わず、部室の方に吸い寄せられるように肩が跳ねる。
「……最近の透真、本当に雰囲気良くなったもんね。透真がクラスの皆を内側にいれてくれるようになったこと、あたし、嬉しかったんだ。……そっか、先輩って人のおかげだったんだ……」
何故か、明穂が少しだけ寂しそうに目を細めた。
「……ねぇ、その先輩に報告したいんでしょ? 行ってくればいいじゃん」
「いや、片付けも残ってるし……先輩だって、少し立ち寄っただけだろうし」
「片付けならあたしがやっとくからさ。ほら、これ置いてきたら今日は解散でしょ? ……皆も、キャンプファイヤーに行っちゃうだろうし、さ」
「そうだけど……。明穂だけにやらせるわけには……」
「あ、陽! 丁度いいところに……! 透真の荷物持ってくれない? ちょっと用事があるみたいで……!」
「ちょっ、明穂!?」
通りかかった陽を呼び止めて、半ば強引に明穂が僕から荷物を奪う。
「ほら、行ってきて!」
これ以上、反論は受け付けないといった様子の明穂に観念して、快く受け入れてくれた陽に荷物を預けて僕は部室へと走り出した。
「明穂、陽、ありがとう!」
走りながら振り返って手を挙げると、二人が大きく手を振り返してくれた。
校舎からキャンプファイヤーへ向かう人達をかき分けて、人の流れに逆らいながら走った。早く、先輩に会いたかった。
「……行かせてよかったのか、明穂。透真のこと、好きなんだろ?」
「……なんのこと?」
目に涙を溜め込んだ明穂を見て、陽はがしがしと頭をかいた。
「……あー、悪い。俺の気のせいだった」
「…………うん」
「……これは、独り言なんだけどさ。さっきの明穂はさ、すげーいい女だったよ」
「…………馬鹿」
振り返ることのない透真の背中を見つめて、適わないなぁと明穂は呟いた。
聞こえないふりを続ける陽に、背中を向けたまま。
◇ ◇ ◇
「……っ、先輩!」
駆け込んできた僕を見て、先輩が大きく目を見開いた。
「後輩くん? そんなに慌ててどうしたの」
「……いえ、部室に明かりがついたのが見えたから……」
「あー、空いてたから入っちゃった。なんでだろう。少しだけ、キミに会いたかったのかも」
そう言って、微笑んだ先輩が少しだけいつもと違って見えた。
「何か、あったんですか?」
「ううん、何にもないよ。クラスの喫茶店は大盛況で休む間もないくらいだったし、友達とも楽しく過ごしたし。ただ……」
「ただ?」
「そこに後輩くんがいないのが、ちょっとだけ寂しかったんだ。……ふふっ。こんな夜だからかなぁ、センチメンタルになってるみたい」
寂しげに微笑む先輩に胸がぎゅっと締め付けられる。けれど、それは苦しさだけではなく、嬉しさも含んでいるような気がする。
「……わかります。僕も先輩に話したいことが沢山あるんです。演劇、大成功したんですよ! それで、すぐにでも先輩に伝えたくて……!」
「……あははっ、それで走って会いにきてくれたんだ?」
「……はい」
そう言われてしまうと、なんだか少し気恥しい。
こんな気分になるのも、納涼祭という非日常の熱に浮かされているのかもしれない。
「……ごめんね。喫茶店が忙しくって、ちょうど劇の時間に休憩貰えなかったんだ……」
「少し残念ですけど、仕方ないですよ」
「でも! 大成功したならよかったー! 後輩くんのその様子、凄くいい舞台になったんでしょ! ……よかったね」
「……はい!」
「ね、聞かせてよ。キミの書いた物語を、大勢の人が目撃した。その感動を」
幕が上がった時の不安の混じった高揚感、幕が下りた時の身体の内側から込み上げるような熱い昂り、カーテンコールで光の元へ向かう役者を見送った時の胸の高鳴りを、僕は無我夢中になって興奮気味に先輩に話した。
先輩は頬杖をついて、嬉しそうに、静かに僕の話に耳を傾けていた。
「……透真くんがこんなに自分のこと話してくれるのって、初めてじゃない?」
「そんなこと……ある、かもしれません」
「いつも私ばっかり話しちゃうもんね」
「僕は先輩の話、好きですよ。ほら、そんなに話すの得意じゃないって、先輩が一番わかってるでしょう」
「ふふっ、心の中はこんなに饒舌なのにね」
部室の窓から、キャンプファイヤーに明かりがついたのが見える。
「納涼祭も終わりだね」
「先輩は行かなくてよかったんですか? あぁいうの好きそうなのに」
「うーん……今は、そういう気分じゃないんだよね」
そういった先輩は何処か寂しそうで、やっぱりいつもと様子が違っていて戸惑ってしまう。
「ねぇ、後輩くん。二人で抜け出して、海。行こっか」
月に照らされた先輩の横顔が普段よりも大人びて見えて、僕は抗えずに小さく頷いた。




