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第37話 冷たくて優しくて、透きとおった卒業式を

 波のさざなみが、鼓膜を涼やかに揺らした。

 肌を刺すような海風を吸い込むと、胸が空いた気分になる。


 地平線の上で広がる空では、お天道様が顔を見せ始めている。


 夜と朝のグラデーション。


 ケンと葵生は、手をつなぎながらボンヤリと眺めていた。



「夏と比べると、人がいないね」

「季節以前に夜明け前だからな」

「確かに」



 2人とも、普段通りの服装をしている。

 特別気合が入っているわけでもなく、いつも通り。


 それで十分だった。

 特別な服装は必要ない。

 死ぬことなんて、特別なことじゃないから。



「夜明け、キレイだね」

「そうだな」



 白いため息が、透き通っていく。

 


「去年の今頃は、こうなるなんて思わなかったな」

「ホントだよ。まさか神様に女体化させられて、ケンの子供を妊娠するなんて」

「1年前のオレ達に言ったら、信じてもらえないだろうな」

「メチャクチャ笑われそう」

「そうだな」



 少し笑うと、またため息を吐く。



「なんか、もう疲れたよね」

「そうだな。もう立ち上がる気力もない」



 当たり前のように未来へ歩ける人間もいる。

 自分が生き続けることを疑問に思わない人がいる。


 その一方で、そうでない人間もいる。


 たった数歩道を踏み外しただけで、生きるのに疲れてしまう人間なんて、この世界にどれだけいるだろうか。


 この世界は、一回道を踏み外してしまったら簡単に戻れない。

 挽回のチャンスなんてない。

 失敗はずっと負債となって蓄積する。


 自分のせいの失敗じゃなくても、苦しめてくる。

 

 成功するんじゃなくて、失敗しない生き方。

 すごく疲れてしまう。



「クラスメイトのみんな、今頃何してるんだろうね」

「引っ越しとか、いろいろ大変そうだよな」

「神メイト、元気にしてるかな」

「たしか、実家の大工を継ぐんだっけか」

「うん。だったと思う」



 ケンは微妙な気分になって、足元に落ちていた瓶を蹴った。

 

 入郷にいた死体が飲んでいたのと、同じもの。

 願掛けとして、2人は多量に服用したのだ。



「他のクラスメイトはどうなんだろうね」

「順調そうだよなぁ。失敗している生徒なんて、ほとんどいないと思う」



 もちろん自分たちを除いて、とケンは付け加えた。



「あの筋肉マッチョ先生も、次のクラスを受け持つんだろうな」

「そう考えると、感慨深いね」



 数秒の無言。

 アイコンタクトをしなくても、一緒に立ち上がった。



「なんだか、清々しいな」

「そうだね。マラソンでゴールする時よりも、全然清々しい」

「もう苦しまなくていいんだ」

「うん。サイコー。この赤ちゃんも」

「……そうだな」



 楽しくても、つらさがまぎれるだけだ。

 心の中ではずっと、何かが引っかかっている。

 忘れることは出来ない。


 漠然と、ずっと心の中に残り続ける。


 完全に拭う方法は、1つしかない。


 一歩一歩進んでいく。

 足首まで、海水に浸かる。



「あはは。なんか沁みるなぁ」

「腕がか?」

「うん。噛み痕」

「全身にいっぱいつけたからなぁ」

「いっぱい噛まれたなぁ。左腕なんて、元の肌の色がわかんないぐらい。ひどーい」

「悪かったな」



 また、一歩進んでいく。


 

「それにしても、こういうのって、崖から落ちるものじゃないの?」

「ここら辺の近くになかったからなぁ」

「雰囲気だけで、そんなことは決めていなかったね。まあ、こういう抜けた感じも僕達らしいか」

「そうだな。いい子でも優等生でもない、オレ達らしい」



 徐々に、体が海に浸かっていく。



「ねえ、ちゃんと手を離さないでよ」

「ああ。絶対に離さない」

「ケン。大好き」

「ああ、オレも大好きだ」

「もっと言うことない?」

「いっぱい言ったさ。全部伝えてきたさ」

「……そうだね」



 肩まで浸かった瞬間。


 一気に、深くなった。


 崖に突き落とされたみたいに、海中に落ちていく。


 口の中に海水が入り込んでくる。

 肺から空気が抜けていき、その代わりに冷たい液体がなだれ込んでくる。



(あ、やばい)



 ドクン ドクン ドクン……トッ


 突然、心臓が割れるようと音が聞こえた気がした。


 弱っていく。


 止まっていく。


 消えていく。


 沈んでいく。


 周囲は冷たい。

 暗い。



 突如。

 途方もないほどの不安に包まれる。

 いくらもがいても、抗えない。

 


(ああ、でも――)



 しっかりと握られた手。


 冷たい海の底でも、(ぬく)もりをしっかりと感じられる。



(安心する)



 こんなに安心したのは、いつぶりだろうか。

 きっと、生きていてこんな気持ちになったことはない。


 ああ、これだけでよかったと思えてしまう。


 オレの人生はなんだったんだろうか。

 なんのために生まれたんだろうか。


 ずっと、考えないようにしてきた。

 どうせ答えなんて出るわけがないから。


 でも、今わかった。


 この瞬間。

 この、とてもささやかな温もり。



 オレの全て。



 ただただ、この気持ちをずっと味わっていたい。

 もう覚めなくていい。


 この泥の中で、ずっとずっと浸っていたい。



 ああ――。



 こんな土壇場で、言いたいことがどんどんあふれてくる。

 好きだ。

 愛してる。

 ずっと一緒にいたい。

 ありがとう。

 ずっと、ありがとう。

 出会ってくれてありがとう。

 一緒にいてくれてありがとう。

 手を繋いでくれてありがとう。



 こんなにも言いたいことがいっぱいあった。


 でも、伝わっているかな。

 葵生も、温もりを感じてくれているかな。

 もし感じていてくれるなら、とっても幸せだ。











 ありがとう。



 葵生のおかげで。



 今夜もゆっくり眠れそうだ。























次回から最終章です

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