3.まさかの告白、お姉ちゃんは聞いてません!
最後に見たノインの姿は血まみれの怪我だらけだったので、思わずアニエスは彼の腕に触れる。
「大丈夫なの!?」
「…………ええ、王城の治癒士は優秀ですから、傷はすぐに塞いでもらいました」
ノインはそう言っていつも通りの風情で立っているが、顔色が悪い。きっと血が足りていないのだ。
治癒士は傷を癒すことは出来るが、貧血は解消しないと聞いたことがある。つまり、彼はまだまだゆっくり休む必要がある筈だった。
「真っ青じゃない! 部屋……病室? に戻んなさい!」
「せっかく出迎えに来たのに、あんまりじゃないですか?」
「うるさい! 私がお見舞いに行くから、あんたはちゃんと寝て、ちゃんと体を休めるの!!」
ぐいぐいとアニエスがノインの背を押して建物の方に向かわせようとすると、ちょうどそちらから看護服を着た男性数名が駆け寄ってくところだった。
「分かりました。では必ず見舞いに来てくださいね」
「……他に見舞いに来てくれる友達いないの?」
何故か強く約束を取り付けようとするノインに、寂しいのかとアニエスは眉を顰める。
「そんなわけないでしょう。大勢来るので予約制にしているぐらいですよ」
「それはそれで怖い」
アニエスが容赦なく言うと、ノインは思わずといった風に笑った。それから駆けつけて来た一人にアニエスをきちんと案内するように言いつけて、ノインは看護人達に抱えられるようにして建物の中に戻って行った。
その背が見えなくなるまで見送っていると、後ろに控えていた使用人が声を掛けてくる。
「勇者様のお姉様。こちらへどうぞ、ご案内します」
ノインに命じられたので、待っていてくれたのだろう。
確かにお世話係の皆を見送った後はどこに向かえばいいのか、アニエスは分かっていなかったので有難い。だが、ここでは自分は「アニエス」でも「ランダール子爵令嬢」でもなく、「勇者様のお姉様」なのだと実感してつい溜息を溢した。
そういえば、旅の間も騎士や魔法使いはアニエスのことをそう呼んでいる者が多かった。
お世話係の人達やノインは名前を呼んでくれていたのであまり気になっていなかったが、王城でそう言われると、いかにもスタンのオマケなのだと痛感させられる。
だがそれは当たり前のことで、アニエスが寂しく感じるのはただの感傷に過ぎないのだ。
スタンのことをまだもう少し見守りたいので数日は王都に滞在する予定だが、それでもアニエスは近々ここを出ていくのだ。ジクリと痛むような感傷は今だけのもの、と気持ちを切り替えてアニエスは歩き出した。
そして明後日開催が決まった、勇者一行の功績を讃えるパーティ。まさかのアニエスもそれに出席することとなった。
社交界デビューだけは済ませ陛下への謁見こそしていたものの、それは大勢のデビューの令嬢達と一緒に、だ。まさかパートナーもいないのに、初めて出席する正式な夜会が王家主催のものだなんて、目眩がしそうだった。
しかも、まだまだアニエスが驚くことはあった。
あの日使用人が通してくれたのは、広くて綺麗な客室でアニエスはそこに滞在するように手配されていた。
部屋付きのメイドも浴室も付いていて、食事も日に三度素晴らしく美味しいものが運ばれてくる。許可の出ている範囲ならば王城の中を自由に出歩いてもいい、という破格の待遇だった。
ノインと話してから一晩経った翌日。
メイドの用意してくれたほかほかの美味しい朝食をたっぷりと戴いて、過酷な旅との大きな違いに感激して泣きそうになっていたアニエスのところに、スタンとエルサが訪ねて来たのだ。
「スタン! エルサ様まで、どうしたんですか?」
勇者とはいえ弟はまだしも、エルサは王女なのだ。あちらに何か用があったとしても、アニエスの方が出向くのが当然だろうに、突然やってきた彼らにアニエスは大いに驚く。
「姉ちゃん、話があるんだけど今って時間ある?」
「この王城に今いる中で、一番暇なのは私でしょうよ」
キッパリとアニエスが言うとエルサは目を丸くしたが、慣れ親しんだ姉の率直な言い方にスタンは笑顔になった。
「じゃあいいよね。話聞いて」
「勿論」
メイドがお茶を用意してくれて、三人はめいめいにソファに座る。並んで座ったスタンとエルサの距離がやけに近いような気がして、アニエスは目を瞬く。ソファはさすが王城と言うべきか十分な大きさがあり、もっと紳士的な距離を保てるサイズだった。
「……近くない? 失礼なんじゃないの、スタン」
つい小声で指摘すると、エルサは顔を赤くしスタンはニカッと子供のように笑う。
「それが、失礼じゃないんだ。さっき王様に許可ももらってきたし、次は姉ちゃんに言わなきゃって思ってその足で来たんだよ」
王様の次がアニエス、とはどういうことだろ?
スタンのこれからのことだろうか? だがそれならば別にアニエスは知らされるのが一番最後でも構わないぐらいだし、スタンもそれは分かっているだろう。
アニエスの望みは、スタンが幸福に暮らしていくことだ。ここで勇者として暮らすのも、一緒に領地に帰って子爵として暮らすのだって、スタンが望んでいるのならばアニエスにとっては変わらない。
「話が見えないわ……」
アニエスが言うと、スタンは心得たように頷き隣に座るエルサの手をぎゅっと握った。
「姉ちゃん、俺、エルサのことが好きなんだ。結婚しようと思ってる」
「へぇ!?」
驚きすぎて、思わず変な声が出た。
アニエスが慌てて口を両手で押さえエルサを見やると、彼女は美しい顔を真っ赤にして小さくなっていた。旅の間、常に美しく堂々としていた聖女様とは思えないぐらい、恋する一人の少女の姿だった。
「……そ、それはエルサ様も合意でってことですよね……?」
一目瞭然だったが、アニエスはスタンの姉として一応聞いておかねばならない。
まさかスタンが勇者として功績を利用して、望んでもいない結婚をエルサに強いているとは思えないが、一応、というものだ。
「ええ、勿論。わたくし達……苦楽を共にする内に、あ、愛し合うようになったの」
更に顔を赤らめたエルサを、アニエスはまじまじと見つめてしまう。恥いるように縮こまったエルサを庇うようにスタンが身を乗り出してきたので、アニエスは弟に視線を向けた。
「えっと、それで王様に報告したってこと?」
「そう」
「許可もらったってさっき言った……?」
「言った」
キッパリとスタンは頷く。頬は僅かに赤らんでいて、自信に満ち溢れたピカピカの笑顔を浮かべている。
「はぁ……そりゃビックリだわ。でも、おめでとう二人とも! 王女様、ちょっと気弱だけど私にとっては自慢の弟です、よろしくお願いします」
アニエスが祝福するとスタンは大きくまた頷き、エルサは大きな瞳を潤ませた。
「そんな、わたくしの方こそ……アニエスとは姉妹になるのだから、これからもよろしくね」
エルサにそう言われて、アニエスは微笑んで頷きながらも「なるほど、そうなるのか!」とまた内心で驚いていた。
二人が帰っていった後、アニエスはまたモリモリと昼食を食べて昼寝をしてから、夕方近くになってノインの病室を訪ねた。ノインは侯爵令息なので、病棟の奥に設えられた個室に滞在している。
中に入るとなるほど、昨日本人が言っていた通り見舞い人は多く訪れているらしい。あちこちに見舞いの品や花が置かれていた。
「人気者ね! 私も予約してから来るべきだったかしら」
キョロキョロと部屋を見渡して言うと、ベッドに半身を起こしたノインはつまらなさそうに唇を尖らせた。
「大体が俺じゃなく侯爵家の子である俺への見舞いなので、断っても構わないものですよ」
「そういうもの? でも中にはあなた自身を心配して来る人だっているでしょう、私みたいに」
アニエスがそう言って勧められた椅子に座ると、ノインは片眉を器用に上げる。
「アニエスは、俺のことを心配してきてくれたんですか?」
「勿論。そりゃ一番は昨日約束したからだけど……うん、昨日よりは顔色いいね、よかった」
彼の顔を覗き込んで、アニエスはホッと息をつく。
そんなアニエスをノインはじっと見て、今度は彼の方から顔を覗き込んでくる。
「何かありました?」
「え?」
「こう……調子が狂ってる感じがしますよ」
「すごい、よく分かるわね」
「……あなた、わかりやすいので」
「失礼な男ね」
アニエスは唇を尖らせたが、ノインの視線を受けてゆるゆると唇を解く。
それから身を乗り出して、口に手を添えて内緒話の体勢を取ると、ちょっと眉を寄せたノインだったが耳を寄せてくれた。
そこにコソッとアニエスは囁く。
「あのね、まだ内緒にしてて欲しいんだけど……スタンとエルサ姫が結婚するの」
「ああ、王の許可が降りたんですか。よかったですね」
「!? 知ってた!?」
あっさりと言われた言葉に、アニエスがギョッとして彼の耳元で叫ぶとノインは慌てて距離を取った。
「アニエス……」
「ごめん! だって! つい!!」
両手で口を覆いつつ、アニエスはまた大きな声を出してしまう。
「え、知ってたの? 有名なこと? 皆知ってたの??」
スタンとエルサに打ち明けられた時よりも驚愕して、自分の髪や頬をあちこち触りながら驚きを表現するアニエスにノインは苦笑を浮かべる。
「落ち着いて、アニエス」
「落ち着けるわけないでしょう!? 応援だのなんだの言ってくっ付いて行っておきながら、弟の気持ち一つ気づけなかったなんて……!」
アニエスは青褪める。
スタンとエルサが愛し合うようになったのはいい。まさに死線を共に潜ってきた仲間同士、芽生える気持ちがあるのは自然なことだ。そして愛し合う者同士が結婚することだって、障害がないのならば当たり前のこと。
けれど二人の、特にスタンの心の変化に気づけなかったことが、アニエスには密かにショックだったのだ。
とはいえ二人が隠していたのならば、と何とか納得していたのに、ノインや一行の他の誰かも気づいていた、というのならば話は変わってくる。
「いや、俺は立場上他の者よりも二人の近くにいることが多かったので気付いただけで、他の騎士や魔法使い達は気付いていないと思いますよ。旅の間は二人も隠したがっていたし」
「私だってスタンの近くにはいたのに、気付かなかったんだけど!?」
今、アニエスの「お姉ちゃんのプライド」は著しく傷ついていた。