2.王都に凱旋、物語の終着
そして遂に、勇者は魔王へと挑む時がやってきた。
スタン達が旅に出て、一年が経っていた。その間、当然応援役としてアニエスも帯同させられていて、その時の宿で彼らを見送る、という日々を過ごしていた。
だが、最後の魔王の棲家の近くには当然宿泊出来るような宿はなく、またアニエスの護衛に割く人員の余裕もない、ということでかなり手前の村でアニエスはスタンを見送ることとなった。
総力戦であり、それまで交代で勤務していた騎士達も全員共に打倒魔王へと出発していく。ノインも、同様だ。
「姉ちゃん、俺頑張ってくるよ!」
その頃にはスタンは泣きごとを言うことは減り、心配そうなアニエスをむしろ励ますような言葉をかけることさえあった。
体も分厚くなり、鎧も体に馴染んだ。細かな傷痕は増えたが、表情も自信に満ちたものになっている。
「うん、気をつけて。あんたならやれる!」
「うん! 帰ったら、姉ちゃんの煮物が食べたい!」
「任せて!」
アニエスが快活に笑うと、スタンの隣にエルサ姫が並んで立った。一年旅を続けてきても、お姫様は相変わらず輝くばかりに美しい。
「アニエス、わたくしからもお礼を言うわ。よくここまでスタンを支えてくれました」
「あ、はい……ええと、勿体ないお言葉です」
弟を励ましてきたことを、よその人に感謝されるのは変な気分だな、と思いながらアニエスはエルサの言葉を受け取った。
まぁ、お姫様は下々の者にこうして声がけするのも仕事の一つなのだろう、と納得していると、また何故かアニエスの隣に立っているノインがこれみよがしに溜息をついた。
「あなたは……結構鈍いですよね」
「よし、喧嘩ならいい値で買うわよ!」
「あなたに払える額じゃないですよ」
冷たく言われて、アニエスは拳を握る。が、この男もこれから戦場に向かうのだと思えば、さすがに矛を収めざるを得ない。
「ノインも気をつけてね。頑張って」
「…………珍しい。スタンの盾になれ、とか言わないんですか」
「さすがにそこまで言ったことないんですけど??」
じろっとアニエスが彼を睨むと、ノインは珍しく無邪気に笑った。
「嘘ですよ。ありがとうございます、ここまで勇者を支えてきた応援の言葉、俺ももらえたんだから百人力です」
「何それ。あの発破、そんないいモンじゃないでしょ?」
アニエスもつい笑う。
スタンが死なないように、生きて帰って来れるようにありったけの気持ちをこめて応援していたが、しょせんは小娘の叱咤激励だ。思い以上の効果なんてない。
「俺はこう見えて、案外ロマンチストなんです。担げる験は何でも担いでおきますよ」
「は~そうですか。まぁここまで勇者を支えてきた魔法の言葉ってことで、無事に戻ったら王都で応援団でも旗揚げしようかしら」
下らないことをわざと言ってみると、意外にもノインはそれに乗る。
「いいですね、初仕事は俺に依頼させてください」
「お。応援して欲しいことでもあるの?」
「ええ、是非。予約お願いします」
「それフラグだよ、侯爵令息サマ。まずは生きて帰ってきなよ」
ぽん、とアニエスはノインの肩を叩き、彼は大きく頷いた。
「大丈夫です。この命に代えても、スタンのことは守ります」
縁起でもないことを言うな、と叱ろうとしたがノインはすぐに背を向けて行ってしまった。
旅立つ勇者一行を見送ったアニエスは、一行を世話する為に同行している非戦闘員達と共に、魔王の棲家にもっとも近い村で彼らの帰りを待つこととなる。王都に戻ってもいいと言われていたが、ここまで来てそんなことは出来ない。
村の仕事を手伝いながら、アニエスは毎晩眠れない夜を過ごした。どうかスタンが無事でいますように、姫も、騎士達も、魔法使い達も、皆々無事でいますように。
祈りが通じたのかどうかは知らないが、やがて見事一行は魔王を討ち果たしたという報せが村に届いた。
村人や、王都から一緒に来た非戦闘員の皆で出迎えた勇者一行は、そりゃあひどい有様だった。傷ついていない者は一人もおらず、重傷の者も多かった。慌てて皆で建物の中に担ぎ入れて、手当てをする。
あのいつも綺麗なお姫様、エルサすら負傷していてアニエスは真っ青になったが、エルサはスタンと共にしっかりとした足取りで宿に入ってきた。
「姉ちゃん!」
「スタン!!」
騎士の手当てを他の人に任せて、アニエスはスタンに駆け寄る。怪我が酷いので傷に障るだろうか、と抱き着くのを躊躇うと、お構いなしにスタンの方から抱きしめられた。
「姉ちゃん! 俺やったよ!!」
「……よくやった! さすが私の弟! えらい!! 最高!!」
「ふ、何その語彙」
「だって……他に何を言えば……心がいっぱいで」
アニエスの両目から、ぼろぼろと涙が零れた。見れば、スタンの目にも涙が溢れている。
「うん。なんかようやく帰ってきたって感じする。煮物、ある?」
「あるけど、さすがにお粥とかにしたほうがいいんじゃない? てかまず手当ね!」
ぺし、と腕を叩くと、スタンは大仰に痛がってみせた。彼の隣に立つエルサにも目を向ける。
「おかえりなさいませ、王女殿下」
「ええ、ありがとう。ようやくスタンをあなたの下に帰してあげられて、わたくしもホッとしたわ」
にっこりと微笑むエルサは怪我をしていて尚美しく、アニエスは感心した。スタンとエルサが互いに肩を組んで支え合っている姿はなんだか様になっているし、共に戦い抜いた戦友ってこんな感じなのかな、と暢気に考えた。
そこに、大声が響く。
「おい! 彼だけでも転送出来ないか!?」
「ひどい傷だ!!」
そう言いながら複数人の騎士に担架で運ばれてきた男を見て、アニエスは驚いた。ノインだったのだ。
満身創痍といって差し支えない有様で、素人目にもひどい怪我が見て取れた。
「ノイン」
呆然とアニエスは呟いたが、意識のない彼には届かない。
エルサがすぐにまだ魔力のある魔法使いを集めて、一番重傷のノインを王都まで転送魔法で送るように手配した。王都には専用の治癒魔法使いがいて、その人に診てもらえばまだ助かる可能性はあるのだという。
魔法使い達が皆で力を合わせてノインの身柄は王都に送られ、彼がいた痕跡は床にこびり付いた夥しい血の痕だけとなった頃、ようやくアニエスは息をついた。それまで、知らず息を止めてしまっていたのだ。
「姉ちゃん、大丈夫?」
手当てを受けたスタンが歩み寄ってきて、アニエスを見る。
「うん……ノイン、大丈夫かな」
「大丈夫でなくては困るわ。彼は宰相の息子で次期侯爵。国としても、あれほど優秀な男を失うわけにはいかないから……王都で最善の治癒がなされるに違いないわ」
またもスタンの隣にいるエルサに言われて、アニエスは首を傾げた。
「ノインは自ら志願して来たのよ。勿論戦力としては有難かったわ、彼は騎士としても腕がたつけれど、高位貴族だから魔力も多いから。ご家族は彼の意見を尊重したけど……正直国としては、戦場で亡くしたくない人材だから渋っていたわね」
アニエスがどれほど止めたくても、無理矢理戦場に出されるスタン。対して、自ら戦場に来たノイン。
「自分で志願したってことですか? なんでそんなこと……」
「あら、彼も報われないわね」
エルサは面白そうにそう言って笑ったが、説明はしてくれなかった。
さて、休養の後、一行は王都へと戻ることとなる。凱旋だ。
ノイン以外の負傷者も、状況に応じて転移魔法で王都に輸送される者も幾人かいたが、騎士や魔法使い、その彼らの世話をする非戦闘員の大所帯の為、全員が転移、だなんて出来る筈もなく、休み休みの帰還になった。
だがそれでも、往路は魔物の棲家を叩きながらだったので時間がかかったが、復路は真っ直ぐ王都を目指せばいいのでかなり早かった。
そして一行が王都に入る頃には、当然報せが行っていて、都はお祭り騒ぎだった。
舞い散る花と紙吹雪。大通りの家の窓という窓から人が手を振り、花と紙を撒いている。
沿道にはずらりと人が並んで立ち、こちらも花を撒いたり歓声を上げて勇者一行の帰還に祝いの言葉を投げかけていた。一行の先頭は勿論、勇者スタンと聖女エルサ。
アニエスは最後尾を非戦闘員達と一緒にぞろぞろと歩いていたが、そちらにも労いの温かい言葉が掛けられた。
一緒に旅をする内にお世話係の彼らとすっかり仲良くなったアニエスは、共に自分達の苦労も報われたことを喜び合う。
「いやぁ、アニエスさんの叱咤は俺達にもよく効いてたよ」
「ほんとほんと、元気出るよな」
「ありがとう、皆が支えてくれたおかげだよ」
実際、女性であるアニエスには過酷な旅だったが、仲間に恵まれたことは有難かった。
お世話係の面々は騎士や魔法使いと違い平民で、中には魔物の巣窟に近づくことが恐ろしくて途中で逃げ出した者もいたが、今ここに残っているのはそれに耐えて頑張ってきた者ばかりだ。
曲がりなりにもアニエスは子爵令嬢だったが身分の分け隔てなく彼らのことが誇らしかったし、彼らの方もアニエスを子爵令嬢として扱いつつも同時に仲間として扱ってくれたことが嬉しかった。
「アニエスさんはこの後どうするんだい?」
「いや、アニエスさんはこれでも貴族のお嬢さんなんだから」
「ちょっと、これでもって何よ」
アニエスが唇を尖らせると、彼らが笑う。アニエスの顰め面も長続きせずに、最後には一緒に笑った。
一行は城に入り、数日の後に魔王打倒と勇者一行の帰還を祝うパーティが開催されることが発表される。
お世話係の面々はさすがに出席出来ないが十分な褒賞をもらい、それから城下の高級な宿で疲れを癒す手筈も国側が整えてくれた。
彼らとはここでお別れだ。アニエスは一応勇者の姉で、子爵令嬢なので城に留め置かれることが決まった。
勇者は今後も城で何がしかの役職に就くのかもしれないが、アニエスは一連のお祭りが終わったら子爵領に帰るつもりだった。
スタンのことは誰よりも大切だが、命の危険がないのならば彼が自由に生きていくことをアニエスは咎めるつもりはない。王都でスタンが幸せに暮らすのならば、それは大賛成だった。
スタンにはスタンの人生が、アニエスにはアニエスの人生がある。
「アニエスさん、元気でなぁ」
「手紙送るな」
「皆も元気でね。本当にありがとう」
城の前庭で、それぞれに身支度を整えたお世話係の皆と別れと惜しむ。彼らにもそれぞれの人生があるのだ。地方の村に住む者もいれば、王都で家族と暮らす者もいる。こうして集まるのは最後になるだろう。
「何か困ったことがあったら、声掛けてくれよな」
「本当に? じゃあ逆の時も言ってね、応援に駆け付けるから!」
「はは、アニエスさんの応援なら勇者様のお墨付きだ!」
一人一人と握手して、彼らが城から去って行くのをアニエスは最後まで見送った。その最後の一人が門を出ると、急に寂しさが込み上げてくる。さっきまで通りは大騒ぎで、ここには大勢いたのに。
今、アニエスは一人でこれからスタンとも離れて暮らすのだ。
「……これからは、自分に発破かけていかなくちゃ」
「鼓舞しなきゃいけない状況なんですか?」
「うぇっ!? ノイン!?」
いつの間に来たのか、アニエスの隣にはノインが立っていた。