Episode24 ⬛︎の決断
目の前に小綺麗に装飾された扉が佇む。ガルガンは扉の取っ手に躊躇なく手をかけ、勢いよく開けた。
「……もう来てしまったか」
ガルガンの眼前に広がったのは魔法陣の真ん中で木の板に貼り付けられた目隠しをしたガルガンの妹とそれを目の前にガルガンを睨みつける男だった。
「……俺の妹に何してんだ、クソジジイ」
吐き捨てるように言い、ガルガンは男を睨みつける。男はため息をつきながらガルガンに近づいた。
「もう貴様の妹では無いだろう。父親である私と縁を切ったのだからな」
「シノとは切ってないだろ。それに、シノもお前からは縁を切ってる」
「父親である私が許可していない。今も家族だ」
「……家族なら、殺そうとしてんじゃねぇよ」
拳を強く握り締め、ガルガンの掌から血が垂れ始める。
「何を言っている」
男は袖を捲りながらガルガンに歩み寄り、顔色ひとつ変えずに言葉を吐き捨てた。
「親だからこそ子の命を操ることが許されてるのだろう」
「この……ゴミカス野郎が!」
歯を食いしばり、ガルガンは血の滴る拳を振り上げ、男に勢い良く振り下ろす。しかし、ガルガンの拳は男に当たる直前で止まり、体ごと床に叩き付けられた。
「うぐっ……!」
男はため息を零し、床に叩きつけられるガルガンの頭を踏みつけた。
「床に書いてある魔法陣に気づけないとは……つくづく私の子供だとは思えないな」
「うる……せぇ……!」
体にかかる空気の重みを押し返しながら起き上がろうとするガルガンだが、勢い良く頭を踏みつけられ、また床に叩き付けられた。
「重力魔術に対抗しようとするとは愚かな。貴様にここからどうこうすることはできない。大人しくそこで寝転がって私の偉業を見ているといい」
男は踵を返し、ガルガンの妹シノに近づく。
「させるか……!」
「もう遅い。この街の住民も半数がこの儀式のための贄となってくれた」
「……は?」
腑抜けた声を漏らすガルガンに男は指を立て、言葉足らずの部分を訂正した。
「あぁ、半数と言っても、贄となった過半数の民は薄汚い者たちだ」
「……もし、かして!」
「貴様とシノを匿った罪の贖罪としては、とてもいい処遇だろう。ただ死ぬのではなく、私の偉業の手伝いとして死んだのだからな」
その時ガルガンはディルベットとその妹たちのことを思い出した。つい数時間前まではあんなにも陽気に話し合った友が、その数十分後には冷たく、硬くなっていた。それを横にすすり泣く二人のディルベットの妹たち。
吐き気すら催すほどの怒りがガルガンの胸の内から込み上げてくる。その怒りが力となり、ガルガンは腕に力を入れ、着実に立ち上がった。
「さて、長話はここまでにし──」
「ぐああああ!」
ガルガンは重くなった空気から脱し、男の頬に拳を押し込み、壁にまで殴り飛ばした。
「俺の家族たちを、退屈なことのために殺したってか?ふざけんなよ」
壁にもたれかかって倒れる男にガルガンは怒りを吐いた後、シノに手を伸ばした。
「大丈夫かシノ、今助けてやるからな」
その言葉にカクッと頭が動き、口が開かれた。
「……お兄、様?」
「あぁ、シノの兄ちゃんが助けに来たぞ」
「ありがとうございます、お兄様」
安心した声で感謝を述べるシノに微笑みを浮かべ、ガルガンは腕の縛りを解こうとした。その時だった。
──グサッ!──
「──!」
「……お兄、様……?」
鈍い音が物語る。ガルガンの右脚が魔術によって生み出された『重力の槍』に穿かれたことを。
「教えられたはずだろう、油断大敵だと」
「クソが……」
脚にできた貫通跡からは血が止めどなく流れ、床を赤く染める。
「お兄様?一体……何が──」
「気にするなシノ、兄ちゃんは大丈夫だ」
ガルガンはなるべく左脚に重心を置き、男を睨みつけた。
「……やっぱり、殺すべきだな」
「貴様は私の偉業の邪魔だ、ここで殺してやろう」
男は立ち上がり、掌をガルガンに向ける。その掌には魔法陣が細かく、綺麗に彫られていた。
互いに見つめ合い、攻めるタイミングを伺った。しかし、その二人を妨げるように轟音が鳴り響き、城が揺れる。
「っ!なんだ!」
男がそう言って他所を見た瞬間、ガルガンは走り出す。
脚の痛みを食いしばった歯茎の痛みで殺し、拳を振り上げた。
「うらぁ!」
ガルガンの右の拳が男の顔にめり込む、右の拳が顔から離れると同時に左の拳が首にめり込む。
一発、また一発と拳が男を捉える度に速度が上がり、ガルガンの拳は空を切り裂き、音を轟かせ男に連打を叩き込んだ。
「俺の家族を苦しめた報いを受けろ!このクソジジイが!」
「ごは──!」
右の拳が男の腹に重い一撃を喰らわせ、そのまま男を床に叩き付けた。それからガルガンは男の腹を踏みつけ、拳を掲げた。
「俺の家族を殺し、シノを磔にしたことを後悔しろ。そして永遠に懺悔しろ。クソ野郎が!」
ガルガンが勢いをつけ、拳を振り下ろそうとしたその時、男の顔に笑みが浮かんでいた。
一瞬、なぜ笑っているのか疑問を抱くガルガンだったが、目を見開き、男から足を退け、シノの方へと走り出した。
男は笑みを浮かべたまま横に顔を向ける。その顔の先、磔にされたシノの目の前に空間の歪みが生まれる。男の手がその方向に伸び、手を握りしめる。
空間の歪みは槍の形へと変わり、シノに刃先を向けた。ガルガンは脚の痛みを踏み付け、全速力で走り、シノに手を伸ばした。
そして、再び鈍い音が響いた。
「……お兄様?なんだか、鳩尾が少し、痛むのですが、一体何が?」
優しく少し震えた声がガルガンに問いかける。ガルガンは笑みを浮かべ、シノの問いかけに答える。口を開けた途端、口角から血が垂れる。
「大丈夫だ、シノ。何も無い、何も無いから、心配しなくていいんだぞ」
ガルガンはそう言い、シノの頬に触れる。それから鳩尾についた小さな傷から垂れる血を拭い、シノの頭を撫でた。
「体に傷が出来ちゃったな、すまない。また今度、治してやるからな」
ガルガンの声の合間合間に流れる静寂がポタポタと音を立てる。シノは小さく首を傾げ、またガルガンに問いをかける。
「お兄様?先程からポタポタと、音が鳴っているのですが、一体この音は……」
「ちょっと待ってろよシノ、すぐあいつを倒して、すぐ……手当を──」
男に体を向け、歩みを進めようとしたガルガンだったが、一歩踏み出した瞬間に体が前に倒れ、鈍い水音と共に重々しい音が鳴り響いた。
「お兄様……?」
シノの心配した声は男の嬉しそうな笑い声に掻き消される。
男は腹を抑えながら立ち上がり、ガルガンの頭を踏みつけた。
「だから貴様は弱いのだ。シノのことなど無視して私に拳を振り下ろしていれば貴様は勝っていた。だが、貴様の心の弱さがシノを助ける方へと傾いた、だから貴様は負けたのだ」
男はシノの前まで歩みを進め、目隠しを外す。シノの両眼が光に怯えながらゆっくりと開かれる。右眼は黒く輝き、左眼は真っ赤に煌めいていた。
シノは周囲をゆっくりと見渡した。そして色の違う両眼に映り込んでしまったのは。
「……お、兄……様?──」
シノの両眼は離れることをせず、怯え恐怖し震えながらもしっかりとガルガンのことを凝視していた。
「……今、兄ちゃんが……何とか、して──」
「まだ生きているのか」
男はガルガンに掌を向ける。ガルガンの上に空間の歪みが五つほど現れ、槍となってガルガンに降り注がれる。
鈍い音と血を撒き散らし、ガルガンの体は傷だらけになる。床には血が蜿蜒と広がり、ガルガンの死を侵攻させる。
「……な……で──」
「さて、放っておけばもう時期死ぬだろう。私は偉業を成し遂げるとしよう」
男の声が霞んでいく。シノの眼は未だに泳ぎ、冷や汗が顎から滴り落ちた。
──なんで、なんでなんでなんでお兄様なんでどうして待って行かないで死なないで置いて行かないでお母様みたいに居なくならないでどうしてそんなこんなこと
頭の中が言葉でぐちゃぐちゃに押し潰れていく。体全身が固まり、ガルガンの死以外に思考が裂けなくなっていく。
──嫌だどうして悪い何が誰が一体どうして行かないで死んじゃやだお兄様おかしい血が出てる死んじゃう生きて皆どうしてお母様なんでそんな助けてお願い悪い置いて居なくお母様死なないでお兄ちゃん……
荒い息が止まり、首がガクりと落ち、ガルガンから眼が離れる。しかし眼は未だ開かれたままで揺れていた。
──わたくしのせいで、お兄様は死ぬ。お母様も、わたくしのせいで死んだ……わたくしが生きているから、大切な人たちはみんなしんでいく……みんなみんな、わたくしのせいで……おにいさま、おかあさま……みんなみんな……わたくしのせいで……
目尻からゆっくりと頬を伝い、涙が顎から垂れる。床にポタポタと落ち、ガルガンの血に混ざり涙の存在をかき消した。
──わたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしのせいでわたくしわたくしわたくしわたくしわたくしわたくしわたくしわたくし……
その時、涙がピタッと止まり、左眼がゆっくりと閉じられる。涙が瞬間に消え、左眼が開かれる。真っ赤に煌めく左眼の奥は黒く澱んでいた。
── ” わたくしのせい ” だなんて、無理に思わなくたって良いのよ?
シノの脳に響き渡る。甘く優しく、そしてシノのヒビの入った心に触れる暖かい声。その声は自傷に追い込もうとするシノを優しく包み込んだ。
──貴女は何も悪くないわ。そう、何にも悪くない。後は私に任せて。もう、悲しまなくて良いのよ
──かな、しま……なくて……
──そうよ、自分自身を悪く言わないであげて。悪いのは貴女じゃない。あの男が、あれを産んだ親が、全てを生み出したこの世界が、嚚のよ
シノは濁った顔を向け、口を開き、拳を握った。
──ぜんぶこわして、ぜんぶころして、おにいさまがいないせかいなんて……しんそこどうでもいい
磔にされたシノはゆっくりと笑みを浮かべる。そしてそれに呼応するように右眼の色が赤く紅く、澱んでいった。
……いいわよ
誰にも聞こえない声が、シノの口から、シノではない何者かの口から発せられた。




