Episode12 求める何か
バランはシチューの入った器を片手に持ち、部屋の扉を閉めた。
「食うか」
椅子に腰かけ、器を手に持ってスプーンでシチューを食べる。湯気が立ち、野菜がゴロゴロと入っている。
──美味いな
野菜を歯で細かく噛み砕きながらシチューと共に喉に流し込む。ゴクリと喉を通る音を鳴らし、またバランはシチューを口に運ぶ。
ただ黙ってシチューを食すバラン。そのまま食べ進め、ものの五分でシチューを食べ終わる。
──量はそこまで多くはなかったが、意外と腹が脹れたな。野菜がデカかったからか?それともただ単に俺が少食になっただけか……まぁどっちでもいいか
バランは椅子から立ち上がり、器を持って扉を開く。暗い廊下をまた歩き、リゲルの元に行く。
「おっさん、これどこに直せばいい?」
「お?なんじゃもう食い終わったのか?まだいるか?」
リゲルのその言葉にバランは首を横に振った。
「いや、いい」
「もう腹いっぱいなんか?それとも口に合わんかったか?」
「前者だよ」
リゲルは胸をそっと撫で下ろし、指を差した。
「そこの扉の奥に台所がある。皿はテキトーに置いといてくれ」
「わかった」
バランは指の差された扉を開き、台所へと足を踏み入れる。外よりも室温が少し高く、シチューの濃厚な香りが部屋を包んでいた。
手に持っている器をシンクに置き、洗剤に手を伸ばした。
──ご馳走になったしな、洗っとくか
バランは水道栓を捻り、水を出しながら洗剤とスポンジで皿を洗う。
皿についた泡を洗い流し、水道栓を閉める。皿についた水が光を反射し、輝く。そのまま皿置きに皿を置き、バランはタオルで手を拭いて扉を開く。
「皿洗いしとったんか?わしがやったるのに」
「ご馳走になってんだ、これぐらいはするさ」
「律儀じゃのぉ」
「礼儀ってやつだよ」
バランはそう言葉を残してまた自室へと戻った。
扉を閉め、先程座った椅子に腰をかける。
「さて、これからどうするかな」
さんざん寝てしまったせいでバランに眠気は無い。天井を見上げ、ただボーッとする。
──まだ一日しか経ってねぇのか……
昨日のことが脳裏を過り、ため息を零す。
「……こういう時、大体のヤツらは実感が湧かねぇって言うんだろうけど、俺は恐ろしく実感湧いてんなぁ」
死した三人の顔を思い浮かべる。その三人の死を受け入れ、過去のことだと思っている自分に驚きを密かに感じていた。
──今の俺の行動、アイツらが見たらなんて言うだろうな
何となく予想してみる。歓迎などされない。明らかに敵視されて止められる。
──きっと、アイツらなら俺を止めて来るだろうな
バランは机に背を預ける。そして、昔の記憶を思い出していた。
……
…………
………………
バランの妙な発言にファルバ達は首を傾げた。
「「「もしバランが悪さをしたら?」」」
「う、うん……」
少し縮こまってそう口にするバラン。それに対してファルバが笑みを浮かべた。
「何言ってんだよ、お前がそんなことする訳ないのは俺でも分かんだぜ?」
「も、もしもの話だよ……それに、そんな事しないだろうって……僕が一番思ってるし」
更に萎縮するバランの肩をシグマが叩き、顔を覗き込んだ。
「もしも、バランが悪さをしたなら全力でそれを止めに入る。そして理由を聞くだろう。なぜこんなことをしたかって」
「……理由を聞く、か」
申し訳なさそうな顔で笑うバランの頭をぐしゃっとし、シグマは前を向く。バランはその顔を見上げ、それからシグマと同じ方向に顔を向けた。
「バランがそんなことをするなど、微塵も思っていないからな。もしバランが悪さをするのなら、それ相応の理由があると最初に思う。だから理由を聞く」
シグマの目は真っ直ぐだった。それは信頼している証だった。
「もし、相応の理由がないとしたら?」
更につけ加えるバランにシグマを少し考え、それからバランの顔を見て微笑んだ。
「そのもしもは絶対にない。バランはそんな奴じゃないって知ってるからな」
信頼し切った笑顔がとても眩しく、バランは思わず顔を逸らしてしまう。
「……どうして、そんなに信頼してくれるの」
ボソッとバランの口から出る言葉。その言葉を放った声はとても小さく、ファルバやフェルアには届かなかった。
が、隣に立つシグマは少なくとも聞き取っていた。だが、その言葉について言葉を返すことはしなかった。
ただ頬を持ち上げ、黙って前を見ていた。
………………
…………
……
バランは笑みを浮かべ、顔を下ろした。
──そういえば、なんであんな信頼されてたのか聞きそびれちまったな
体を起こし、机に向かい、肘を着いた。手のひらに顎を置き、窓の外に浮かぶ月を眺めていた。
──思えば、シグマが一番俺を信頼してたな
理由は分からない。だが、その信頼があの時の支えだったのは確かだった。
目を瞑り、笑みを浮かべてバランは机に突っ伏した。
「はぁ……」
ため息が零れる。顔を横に向け、感傷に浸る。
「まだ一日しか経ってないってのに、こんなにあの頃が恋しいなんてなぁ。いや、まだ一日しか経っていないからか」
バランはまたため息をつき、頭を搔く。
──こんなこと考えてても、仕方ねぇのにな
バランはまた目を瞑り、顔を戻した。眠気などないが、ただ今は突っ伏していたいと、バランは思った。
「可哀想に……慰めてあげましょうか?」
不意に背中に当たる柔らかな感触。ふわふわとした声が耳を撫で、全身を滑る。
バランは目を見開き、顔を少し上げた。
「……お前誰だ」
目だけ後ろに向けるが、ギリギリ顔が見えない。バランはその体勢を保ち、背後の人物に問いかける。
「ふふ、さぁ……誰でしょうね?」
背後の人物から殺意を感じなく、これといった敵意もないため、バランは少し様子見をすることにした。
「どうやって入ってきた、表にはおっさんがいるはずだが」
「それも秘密。種明かしなんてつまらないじゃない?」
ワクワクした口調で話す背後の人物にため息をつき、目を瞑った。
「そろそろ離してくれ」
「女の人に後ろから胸を押し付けられるなんて、男の人からすれば夢の話じゃないの?」
「知るか、俺はお前の体に興味は無い。さっさと離せ」
「そんなこと言ってぇ、本当は嬉しいんでしょ?♡照れ隠しなんてしなくていいのに♡」
耳もとで囁かれ、バランは指をぴくりと動かす。その指を見て背後の人物は密かに微笑んだ。
「なんだかんだ言ってるけど、あなたの体は正直なのね。そういう人、嫌いじゃないわよ」
バランは呆れた表情をして顔を下に向けた。
「もういい、好きにしろ」
「あら、やっぱり男の人ね♡そういうことに興味があるんだ♡」
背後の人物はそう言って片手をバランの首から離し、胸からゆっくりと下へ手を滑らせ、撫でていく。
下舐めずりをし、手はバランの股へと伸びた。その時、背後の人物は目を見開いた。
「……どういう、こと」
絶句する背後の人物にバランはまたため息をつき、目でまた背後を見る。
「何度も言わせるな、興味ないっつってんだ。いい加減離せ」
睨み付けるバランの目と本当に興味を示さないバランの体に背後の人物は慄き、バランから手を離した。
その瞬間、バランは素早く背後に振り返り、その人物を押し倒した。
「きゃっ!」
ドン!と大きな音と共に声が響く。バランはその人物を見て眉を顰めた。
「婬魔族?なんでこんな所にいるんだ、もっと遠方に国を築いてるはずだろ」
バランのその言葉にサキュバスの女は汗を垂らしながら笑みを浮かべた。
「あんな国、知らないわよ。それにしても、女性を押し倒すってことがどういうことか、分かってるの?」
「知らん」
「本当に薄情者ね。男性が女性を押し倒す行為、その意味はね、男性が本気で女性を犯すという示しなの。その示しを今私に向けているあなたは、もうそういうことなのよ」
そう言いながらサキュバスの女は右手をバランの胸に手を当て、腹の方へと滑らせる。
バランは呆れ気味に抑えている手を離し、また椅子に座り直した。
「お前、俺に押し倒された時震えただろ。サキュバスの中にも男との行為を拒む奴がいるってのは耳にしたことがある。お前その類だな」
「あなた、意外と私の体をまじまじ見てたのね。確かにそう、私は男との行為は好きじゃない。私の恋愛対象は女性だもの」
サキュバスの女はそう言って唇を噛んだ。
「でも、私はもう幾度と穢されてきた。穢されないためにも、私は穢されて任務を遂行する必要がある」
真剣に語り始めるサキュバスの女にバランは足を組み、膝に肘を着いた。そして掌の上に顎を乗せ、サキュバスの女の顔を見た。
「皮肉でしょ?穢されないために自ら穢れるなんて。サキュバスにとって恥でしかない」
悔やみを顔に出すサキュバスの女。それを見てバランは立ち上がり、サキュバスの女の前まで歩み寄った。
そしてバランは極平然とした顔で言葉を口にした。
「ならやらなきゃいい」
サキュバスの女は顔を上げ、バランの顔を見た。衝撃的過ぎた。あまりにも率直で、脈絡のない言葉だった。
「……私の話、聞いてた?」
「?そりゃそうだろ」
「穢されないために、やってる事なのよ?」
「あぁ、ならやんなきゃいいだけの話だろ?」
「……ふざけないでよ」
サキュバスの女は勢いよく立ち上がり、バランの胸倉を掴む。
「やらなきゃ、私は穢される。でもやっても穢れなきゃいけないのよ。どれだけ、この苦痛を私が味わってきたと思ってるの。そう簡単にいかないから、そんな単純な話じゃないから、私は今こうして穢されに来てるのっ!私の苦しみも知らないで、そんな簡単に言わないでよ!」
胸倉を引き寄せ、間近くてバランの目を睨みつけた。その目には涙が浮かんでいた。
バランは胸倉を掴むサキュバスの女の腕を掴み、口を開いた。
「悪いが、俺はお前の苦しみは知らんし、お前が穢れようとどうだっていい。だが、何も抵抗しないまま苦痛がどうのと喘ぐ権利はねぇぞ。従わなければ穢されて、従っても穢れる。それで?お前は一度でも抗ったか?一度でもそのクズに一泡吹かせたか?」
「そんなの、幾らだってあるわよ!何度も何度も抗ってきた。でも、私じゃどうにもならなかった。私の力じゃ、一泡吹かせることなんて出来なかった。だから私は──」
「だから今の現状がいいってか?笑わせんなよ。てめぇが変わらなきゃ変わんねぇんだ。誰かが助けてくれるなんて甘ったれた考えしてんじゃねぇぞ。そんな考えしてる奴助けてくれるバカはどこにもいねぇぞ」
バランの言葉にサキュバスの女は胸倉から手を離し、地面に崩れる。そして止めどなく涙を流し続けた。
「……だったら、どうしろって言うのよ……」
ボソッと呟かれた言葉。バランはそれを聞いてため息をつき、口を開いた。
「お前は現状を変えたいか?」
バランの言葉に反応はなかったが、少なくとも意図は感じ取れた。バランはただ静かにサキュバスの女の頭に手を置いた。
「だったら変われ。黙って助けを待ってちゃ意味は無いぞ」
サキュバスの女は顔をゆっくり上げ、バランの顔を見た。そして、喉の奥につっかえている言葉を漏らした。
「……私を、助けてください」
バランは笑みを浮かべ、サキュバスの女の頭をわしゃわしゃっと掻き、しゃがみ込んで同じ目線で口を開いた。
「その言葉を待ってたんだよ」
その笑みを見たサキュバスの女は抑えきれなくなった涙を流し続けながら声を荒らげて泣いた。




