好きって言っておけばよかった(1/1)
やることがなくなってしまった私は、仕方なく一人でイルカでも見ようと桟橋に近づいた。
「あら、シンシアも来たのね!」
そこでエルフリーデ様と会う。もちろんクリストフ兄様も一緒だ。兄様は、私の周囲を見回して、怪訝そうな顔になった。
「グレンは一緒じゃないのか?」
「何だか忙しいみたいで……」
私は緩く首を横に振って、海の方へ視線をやる。でも、イルカどころか海面すらもよく見えなかった。人が多すぎる。
「シンシア、クリストフ、もっと前に出ましょう?」
エルフリーデ様がクリストフの後ろに隠れて、人波に揉まれるのを避けながら言った。
「わたくしたち、人間を見に来たんじゃないんですもの」
「はひ、そうでふね」
エルフリーデ様の代わりに周りの人にぎゅうぎゅうに押されながら、兄様が返事した。肩車してもらっている子どもの足が頬に当たっているせいですごく変な顔になってるけど、クリストフ兄様は最愛の恋人を守れて幸せそうだ。
私もエルフリーデ様に便乗させてもらう形で、クリストフ兄様の後ろを歩く。兄様は割と身長もあるから、こういうときは便利だ。
「それにしてもこの桟橋、随分古いのね」
赤いサンドレスの裾を器用にからげながら、足元に目をやったエルフリーデ様が言った。
「床の木の板、割れたりしないかしら?」
「確かに、ちょっと危ないかもしれませんね。下手したら海に落ちそうです」
この桟橋は木製だ。あまり丈夫そうな造りには見えないし、エルフリーデ様の不安もよく分かる。
「だいじょぶ、でふ、えるふり殿下! 殿下が海、おったら、わた、助けまふ!」
私たちの会話が耳に入ったクリストフ兄様が、不明瞭な発音で何かを言っている。多分、『大丈夫ですよ、エルフリーデ殿下! 殿下が海に落ちたら、私が助けます!』って言いたかったんだろう。兄様、泳げないのに。
でも、エルフリーデ様はその言葉を聞いて頬を染めた。
「頼りにしているわ、クリストフ。わたくし、イルカのエサにはなりたくないもの」
「イルカは人間を食べたりしないと思いますけど……」
私が苦笑いしていると、不意に足元からギシ、という不穏な音が聞こえてきた。
……え? まさか、本当に割れちゃうの?
そう思った瞬間に、体が浮遊感に包まれる。派手な飛沫が上がり、体が水に包み込まれる感触がしたかと思うと、すぐに息ができなくなった。
開いた口から大量の泡が漏れる。海中に投げ出されたんだとすぐに悟った。
「……っ!」
私は必死の思いで水を掻き、水面に顔を出す。海の中にいたのは私だけじゃなかった。あちこちで人が浮いたり沈んだりを繰り返し、木の破片がそこら中に飛び散っている。
さっきまでそこにあったはずの桟橋は、なくなっていた。きっと、上に乗っている人の重さに耐えられなくなって壊れてしまったんだろう。
「クリストフ! どこなの、クリストフ!?」
エルフリーデ様がすごい勢いで私の傍を泳いでいった。かなり水泳は達者みたいだ。それにしても、やっぱり溺れたんだ、兄様。大丈夫なのかな?
でも、すぐに人の心配をしているどころじゃなくなる。私の体も沈み始めていた。このままじゃ海底に引きずり込まれてしまうと気が付いて、私は岸を目指して懸命に泳ごうとした。
けれど、段々手足が動かなくなってくる。布地をたくさん使ったドレスが水を吸って、重くなっていたんだ。まだ足がつかないのに、体がどんどん沈んでいく。
「誰か! 助けて!」
救助を求めたけど、周りでも知り合いを呼ぶ声があちこちから上がっていたから、私に注目してくれる人なんて誰もいなかった。
大きな波が頭上に降りかかる。それと同時に、私は完全に海中に沈んでしまった。
「……! ……!」
私は最後の力を振り絞って上を目指そうとしたけど、体が全然動かなかった。海面が遠くなる。そこから降ってくる淡い光を見つめながら、私は意識が段々遠くなるのを感じていた。
……ああ。私、もう終わりなんだ。これで死んじゃうんだ。
こんなことなら、無理をしてでもグレンを引き留めておけばよかった。好きって言っておけばよかった。
でも、後悔したってもう遅い。今度グレンに会えるのは、あの世ってことになるのかな? 再会できるの、どれくらい先になるんだろう?
そう思っていたら、グレンの顔が目の前に現れた気がした。……あれ? ここってもう天国なの?
――好きだよ、グレン。
私は言葉の代わりに泡を吐いて、そのまま意識を手放した。




