兄が恋人とのバカップルっぷりを見せつけてくるので、私も頑張って婚約者とのイチャイチャに挑戦することにした(1/1)
私と婚約者のお茶会は、いつも気まずい空気になる。
「……今日、いい天気だね」
「……ああ」
広い庭園にしつらえられたカフェスペース。豪奢な丸テーブルを挟んで、私は婚約者のグレンと向かい合って座っていた。
せっかく話しかけてみたけど、返ってきたそっけない返事に、少しがっかりしてしまう。私はお茶菓子をつまみながら、横目でグレンのことを観察した。
高い身長に広い肩幅。日に焼けた手足はがっしりとしている。昔から体格はよかったけど、先月騎士団に入隊してからは、さらにたくましくなったように思えるのは、私の気のせいなのかな。
「お茶、少なくなってるね」
グレンのティーカップの底が見え始めているのに、私は気が付いた。
「いれてあげる」
使用人たちは下がらせてしまったから、ここには私たちしかいない。私は、手ずからお茶を注ごうとティーポットに手を伸ばした。
「いいよ。自分でするから」
でも、それをグレンが止めた。グレンは広い手のひらでポットの取っ手を掴むと、トポトポと音を立てて、蜂蜜色の液体を自分のカップに注いだ。
……はあ。
私はこっそりため息をつく。私の気遣いなんていらないってことなのかな?
昔のグレンは、こんな風じゃなかった気がする。
確かにグレンは小さい頃から口数は多くなかったし、表情も豊かとは言えないような子だったけど、前はもっと打ち解けた雰囲気だったはずだ。幼なじみの私が言うんだから間違いない。
「庭、散歩しようか」
そんなことを考えていると、グレンが話しかけてきた。
「座りっぱなしはよくない」
「……うん」
……あれ? もしかして、気遣ってくれてるの? 暗くなっていた心に、少し光が射し込んだような気分になる。
でも、散歩をしている内に、そんな明るい気持ちも失われてしまった。だってグレンが、私を先導するみたいに前を歩き始めたから。隣に立ってほしかったのに。前はこうじゃなかった気がするんだけど……。
やっぱりグレンが少し変わっちゃったのって、私と婚約してからだよね。一緒にいても黙り込むことが多くなったし、こんな風に、隣を歩こうとすらしないんだから。
もしかして……私と婚約したこと、後悔してるのかな?
「……いい天気だな」
「……うん」
今私たちがいるのは、うちの屋敷の中にある庭園だ。
カスケードと呼ばれる階段状の水路の傍を歩きながら、私たちは、ついさっきしたばっかりの会話をもう一度繰り返していた。
でも、やっぱり話が続かなくて、また沈黙が落ちる。けれど今度は水が流れる音がしているから、そこまで気まずくはなかった。
……これ、悪くない。今度からグレンと会話するときは、水の傍を選ぼうかな。
うっかりそんなことを考えてしまって、何だか虚しくなってきた。だって、私はグレンと会話がしたかったから。
私は、小さい頃からグレンのことが好きだった。昔から彼のお嫁さんになるのが夢だったんだ。
だから、婚約の話が出たときは、すごく嬉しかった。やっと夢が叶うんだ、って。
でも、その結果がこれだ。私、実は嫌われてるのかなって何度不安に思ったか分からない。
一体いつまでこんな状態が続くんだろう。もしかして、結婚してからも? ……ああ、そんなの本当に嫌だ。
ちゅぷ、ちゅぷ……。
私が顔をこわばらせていると、どこかから水音が聞こえてきた。
初めは誰かが水路で水遊びをしているのかなと思ったけど、目を凝らした私はあるものを発見してしまった。
「殿下、殿下、エルフリーデ殿下……。なんてお可愛らしい……愛しています……世界で一番……」
「もう、クリストフったら。知ってるわ、そんなこと」
巨大な木の下で一組の男女がじゃれ合っていた。
……いや、『じゃれ合っていた』なんて言葉じゃ足りないかもしれない。お互いの脚や指を相手に絡み合わせたその姿は、『もつれ合っていた』って表現する方がしっくりくる。
つかの間唇を離していた二人は、楽しげな笑いを漏らすと、再びキスを始めた。大きな水音を立てながら。
「……行こう」
グレンが心底気まずそうに促してくる。私たちは、足音を消しながらそこから立ち去ろうとした。
「あら、これはご挨拶ね。このわたくしを無視するなんて、お前、随分と生意気じゃない」
……うわ、見つかった。私とグレンは仕方なしに振り向く。
「……ご機嫌よう、エルフリーデ様、クリストフ兄様」
私はドレスのスカート部分を持ち上げて礼をした。グレンも長身を折り曲げる。
「それでいいわ、シンシアとグレン。無礼は罪よ。覚えておきなさい」
エルフリーデ様は高らかに笑う。そして、クリストフ兄様の手を借りながら立ち上がった。
艶のある長い黒髪を背中に流したエルフリーデ様は、国王陛下の末娘……つまりこの国の王女だ。
でも、真っ赤なドレスを好み、常に高飛車な態度を取っている気位の高い彼女には、『女王』の方が似合いそうな気もする。
「二人とも、今日はいい日だな。絶好のお出かけ日和だ。だが、私は出かけた先で迷ってしまったらしい。『エルフリーデ殿下との愛』という名の迷宮に……」
「ああん、素敵、クリストフ!」
エルフリーデ様が目を輝かせてクリストフ兄様の胸に飛び込む。
信じたくはないけど、この寒いセリフを吐いているのは私の実の兄だ。
私と同じダークブロンドの髪の線の細い優男。顔立ちは悪くはないはずだけど、エルフリーデ様にひっつかれているせいでかなり締まりのない表情になっているから、色々台無しだ。
よくそっくりな兄妹って言われるけど、私はこんなにだらしない顔はしていないと断言できる。
見たら分かると思うけど、二人は恋人同士だ。宮廷内では、「風紀が乱れる」と評判のバカップル……って言うより、ただのアホかもしれない。
「じゃあ、俺たちはこれで……」
完全に引いてしまったグレンは、そそくさと退散しようとする。だが、クリストフ兄様がそれを「待て」と制止した。
「どうした、二人とも。私たちの仲のよさに妬いてしまったのか?」
クリストフ兄様は挑発するような声を出した。
「まあ、それはそうだろうな。……ほら、こんなこと、君たちではできないだろう?」
クリストフ兄様は、エルフリーデ様の白い首筋に唇を這わせ始めた。エルフリーデ様は、くすぐったそうに身をひねっている。
「……用がないなら、行っていいですか?」
グレンは遠い目になりながら私の肩に手を置いた。早く退散しよう、って言ってるみたいだ。
でも、私はその場から動けなかった。恋人を抱きしめるクリストフ兄様と、そんな兄様の首に腕を絡めるエルフリーデ様をじっと見つめる。
うらやましい。
真っ先にそう思った。クリストフ兄様に言われた通りに。
「シンシア。ほら、お前もやってもらいなさいよ」
エルフリーデ様が、クリストフ兄様の背筋を意味深な手つきで撫でながら話しかけてくる。
「いいわよ……すごく。やみつきになるわ」
甘い声で囁かれ、私はごくりと喉を動かした。やみつき……?
「シ、シンシア……?」
私の様子が変わったのが分かったのか、グレンが狼狽えた。
私はそんな婚約者に視線を送る。
「グレン……」
直後、ぴちゃぴちゃ、ちゅぷちゅぷという水音がまたしても聞こえてきて我に返る。エルフリーデ様とクリストフ兄様は、濃厚なキスを始めていた。
「な、何でもないよ!」
私は真っ赤になって首を振った。今、ものすごく恥ずかしいことを考えていたかもしれない! 言わなくて本当によかった!
「残念でした。今回は、お前たちの負けよ」
不意にキスをやめたエルフリーデ様が言い放つ。
……うん? 今回?
「あの、エルフリーデ様……?」
「勝負しましょうよ、勝負」
エルフリーデ様は歌うように告げた。
「どっちが仲睦まじく過ごせるのか、競うの。楽しそうでしょう? わたくしたちだって、対戦相手がいた方が燃えるもの」
「えっ、それって……」
「もう、勘が悪いわね」
エルフリーデ様は不満そうな顔になる。
「わたくしとクリストフの二人組と、お前とグレンのコンビ、どちらが濃密な愛の時間を過ごせるのか決めるのよ」
「え、えええっ!?」
思わず奇声を上げてしまった。何それ!? どっちが濃密な愛の時間を過ごせるのか決める!? 話が急すぎてついていけないよ!
「決定事項だ、シンシア」
混乱する私に、クリストフ兄様が優しい目を向けてきた。
「まさか殿下に逆らったりはしないよな?」
そう言うとクリストフ兄様は、またエルフリーデ様の肢体に絡みつき始めた。
「おい、嘘だろ……」
グレンの呆気にとられたような声が聞こえてくる。
訳が分からないまま、おかしなことに巻き込まれてしまった私たちは、ただイチャイチャするバカップルを呆然と見つめているしかなかった。