プロローグ
屋上に上がって、ドアの鍵を開けて、外に出た。
市街から離れている山奥の学校だけあって、相変わらず屋上からの景色は人工的な光源の乏しい景色だ。9月も終りにさしかかると夜はずいぶんとすごしやすくなって、少し強めに吹いている風が心地よかった。
肩に担いでいる屈折式の天体望遠鏡を地面に下ろして、伸びをしながらいつもの独り言を口にする。
「さーって、今夜も一人で始めますか」
「何を?」
「何って、天体観測に決まってるじゃん。天文部なんだから」
「天文部?あぁそいえばあったねそんな部活」
「ありますよー。部員4人。そのうち幽霊部員3人の部活だけどね。って、え?」
独り言のはずなのにいつの間にか会話を行っていた。とっさにあたりを見回すと、ちょうど僕の後ろ側、少し離れたところに人が立っていた。高いフェンスの向こう側からこちらを見ている。声もわかっていたが、女生徒のようで、制服スカートがひらひらと風になびいている。
なんで、こんな時間に屋上にいるのだろうとふとそんな事を思う。時刻はすでに夜の9時を回っていて、学校が定める完全下校の時刻をとうに過ぎている。
僕はきちんと、顧問に活動許可と屋上の使用許可をもらっているので問題はない(本当は顧問が引率しなくてはいけないけれど顧問が不真面目なので引率したことになっている)けれど、どう見たって目の前の女の子は、部活動とかそういったまっとうな理由でこんな時間に屋上、しかもフェンスの外側にいるとは思えない。
そもそも、フェンスの外側で何をしようっていうんだ?危ないじゃないか。あれ?フェンスの外側?夜?屋上?女子生徒?
僕は自分の血の気が引いていくのがわかった。と同時に、テレビや新聞を定期的に賑わしている。「高校生」「飛び降り自殺」「いじめを苦に」「夜の学校」なんて、物騒な単語が頭からあふれてきていた。
先ほどまで心地よいと感じていた風が急に温度を落としたかのように冷たく感じた。
彼女はこちらをじっと見ている。僕はどうしたらいいものかと思って、動揺していると、彼女は話し出した。
「よかったわ。最後に誰かと話せて」
テレビドラマでよく聞くセリフを実際にこの耳にするとは思ってもいなかった。でも、それはテレビドラマのような深刻なトーンではなく、とても軽い、それこそ、昼休みにおしゃべりしているような軽い、はきはきとした話し方だった。
恐る恐る、僕は言葉を紡ぐ
「あの、差支えなかったら、今何をしようとしているのか教えてくれない?」
「えっ?ああうん。飛び降り自殺」
またしても、ちょっとコンビニに行ってくる。くらいの軽い感じで、とんでもない単語が出てきた。
「軽いよ!ちょっとコンビニ行ってくる。くらい軽いよ!そんなに軽く自殺なんて言ったらダメ!」
よっぽど、僕は気が動転しているようで、思っている事をそのまま口にしてしまっていた。
すると、彼女は突然笑い出した。あはははと大きく声を上げて笑っている。やがて、笑いつかれたようにはあはあと息を切らして、ようやく、笑うのを止めた。そして、
「そうだね。自殺するなんて簡単に言っちゃいけないよね。ごめんごめん」
そう言って、高いフェンスをがちゃがちゃと言わせて上り、あっという間にフェンスの頂点まで行くと、先ほどまでいたフェンスの外側ではなく、内側に飛び降りた。
フェンスを上った時に汚れでもついたのか、スカートをパンパンとはたきながらこちらに近づいてくる。光源がないので、2メートルほど近づいてきても、まだ顔がはっきりとわからなかった。
彼女はスカートをはたき終える頃には、僕の目の前まで来ていた。
「見えた?」
「は?」
「ぱ、ん、つ」
「は?」
「さっきフェンス上った時、見えた?私のぱんつ」
「……見えてません。暗くて何も見えません。そもそも、この状況でその発想にはいたりませんでした」
「そう。じゃあいいや。ごめんね、天体観測の邪魔しちゃって」
そういうと、彼女はそのまま、僕の横を通って、屋上入口へと行ってしまった。
と、そこで、近づいた彼女の顔に見覚えがある事に気がついた。
「何やってたんだ?生徒会長……」
ある秋の始まり、夜の屋上校舎。僕は、飛び降り自殺を図っていたいた生徒会長と出会った――――――。