第二章④
Ⅶ.
私は元来、神経質である。
故に、このようなつまらない会話が第三者の耳に届く事を良しとしない。
この失礼極まりない視線の主には、自らの愚鈍さを思い知らさねばなるまい。
「だ、そうなので。殺す前に聞きたい事があればどうぞ」
餌を垂らせば直ぐに食いついた。
「まさかお気づきとは」
無自覚の上から目線が大嫌いだ。
物陰から現れ、コート姿て優雅に黙礼する様は誰かを彷彿とさせ、更に苛立ちが増していく。
「私はその男を片付けに派遣された者です」
高い鼻、片方だけ器用に山にした眉。気取り調子。
つまるところ、私は目の前に存在する、黒髪の男が心底気に入らなかった。
撫でつけられた短い前髪から強い油の匂いがした。
真鍮の金ボタンは死体と同じものであった。
「馬車に潰されていたのは、貴方の仲間ですか」
「ご想像に、お任せします」
殺し屋を二人も雇える何者かの存在を少しだけ気にする。
キナ臭い感じも受けるが、私には関係のないことだと切り捨てた。
しかし墓掃除へ行かずに済むのは魅力的だ。
飽きるまで、この茶番に付き合うのも悪く無い。
「アンタが本来の追手って訳ね。あーあ、本当に嫌になっちゃう」
子供の風情をした男が呆れた声を出した。
場の空気を読まない発言だが、目の奥で動いているのは計算高い冷静さだ。
この状況で、一体何を企むというのだ?
「それでは用件をお伺いしましょう。これを引き渡せという提案はお断りします」
「いえいえ、とんでもない。貴方の楽しみを奪うような真似はいたしませんとも」
男は大げさに手を振ってみせた。
「勿論、きちんと正しく処理していただかなければ、当方としましても困るのです」
困った表情を男は見せたが、本心からの言葉ではない。
いざとなればコレもろとも私を屠る気なのだ、この男は。
それだけの腕と自信があるらしい。
嫌いな所ばかりの男に、ようやく良い点を見つけられた。
この自信満々の男の鼻っ面を叩き折れば、さぞかし気分が良いだろう。
「影、死ぬ前に聞きたいことがある」
小柄な男を見下ろし、嫌味男が腰の後ろで腕を組んだ。
「影?」
「これの通り名ですよ。新聞でご覧になったことはありませんか? 影のように、どこにでも現れる殺し屋の事を」
『閃きマーク』
「はい?」
「なんでもありません」
表情を無に戻しながら、首を絞めてやりたい衝動に駆られる。
ひっこめこのバカと再三言えども、目を爛々と輝かせる最悪の人格は表に近いところから離れない。
どうやら成り行きを間近で見たいらしい。
章の失言を追求するより、男が眼前の情報を優先したのは幸いと言えた。
「廃棄品をどこへやった?」
「しらなーい」
「とぼけるな」
「惚けてなんていないわ? あんたのボスとオレとの間に、深いふかーい、相容れない溝があったから仕事を中断しただけ」
軽口を叩きあうような仲なのか。
それとも、この二人の人間性が軽いだけなのか。
どちらでもいいが早くしてほしい。手がだるくなってきた。
「でも来てくれて助かったわ、執事さん。あのジジイに伝言を伝えて頂戴」
場の空気が冷えていく。目の前の少年――男の空気も変わった。
茶化すような雰囲気から、怒りへと染まっていく。
「オレは子供を殺さない。そこまで堕ちてねぇよ、クソ野郎ってね」
「理解しました。伝言、確かに承りました。伝えはしませんけど」
影は唾棄した。
文字通り、言葉と唾を男に向かって吐きかけ、危うく私は靴を汚すとろこであった。
「それで。言いたい事は終わりですか?」
「そうよ。あんた程度の男が、あの子を見つけられるとは到底思えないもの。一生探していなさい」
殺し屋同士は、互いに互いを嘲りあった。
互いの境遇を見下し、満足したような笑みを浮かべた。
『閃きマーク・リターンズ』
「静かに」
二人の会話はそれで終わりだった。
壁から離れた男が耳の直ぐ傍で囁いてきたものだから、ゾッと背筋に鳥肌が立つ。
「ミスター、お楽しみ中のところ失礼致しました。それで仕事の報酬はいくらですか?」
「いりません。金に困っている訳ではありませんから」
「それは良かった」
にっこりと笑顔を向けられる意味が分からず、軽く目を眇める。
「我が主人はケチなんです」
「あぁ」
口止め料を払わずに済んだから、喜んでいるのか。
代わりに私の殺人を黙認しておいてやる、とでも言いたいのだろう。
私がこれを殺すつもりなのだとまだ勘違いしているならば、この殺意を騙った殺気も、まずまずの及第点に至ったのだろう。
子供でも無い。女でも無い。見た目幼児で中オッサン。
そのような詐欺物件、私が殺す意味がない。
「では私は次の仕事に」
『ちょーっと待ったぁ!』
「……誰です?」
黒髪が振り返った。
私が呼び止めた訳では無い。
リチャードは私から身体の主導権を奪う事ができない。
ならば借り一つと、と念を押し、場所を譲る。
弱った握力が荷物を落とし、ずれた眼鏡を指で直した。
『拙者、黒幕の完全犯罪が子供を殺せない殺し屋によってぶち壊されるの大好き侍と申す者』
「いや、誰だよ」
流れるような早口の名乗りに、男が突っ込んだ。
そのツッコミはもっともなので何も言わない。
大好きと言えども、その状況は極めて限定されており、今生で再び出くわす可能性は極めてゼロに近い。
ざまあみろ。
『義によって助太刀いたす!!!』
「いや、何でよ」
今度は影が言った。
そのツッコミももっともなので何も言えない。
義って何だ。辞書引いたのか。こいつら全員殺人者だぞ。義もクソもあるものか。
あと決めポーズをするな。殺すぞ。
『それじゃあオン先生、やっちゃってください!』
「オン・センセーって、もしかしてオレの事かしら?」
突然、妙な名で呼ばれた影が静かに混乱した。
私は早くも場所を譲ったことを後悔した。全力で押し退ける。
「人任せにするなら自信満々に名乗りをあげるなぁ!!」
『分かってるよ、でも見たいと言う欲望に抗えなかった!だってミス・トリ界で殺人犯同士の対決は意外とあるけど、殺し屋同士の戦闘は初めてだったんだもん。なお殺人犯と殺し屋は僕の中で別枠に分類されます』
「もん、じゃないでしょう。頭、大丈夫ですかァ!? 命のやり取りを娯楽にする以上は、他人ではなく自分の命を掛け金にするものなのですよ! やはり英国の為に貴様を消すしか無い! リチャード、いいですね!?」
「トマス……立派な突っ込みが出来るようになって……成長したね……」
「畜生! 今日はボケしか居ない日だった! あ?」
殺し屋二人は、唖然とした表情をしていた。
否定はしない。
突然、目の前の人間が一人で会話を始めたら、私だって同じような顔をする。
目が合った。
できれば私も、そちら側に回りたい。
しかし当事者である以上、それはできない。
消えたい。
しかし、私が消えるのは御免被る。
ならばどうする。
目撃者を消すしか、ない。
静かにナイフを取り出した。
Ⅷ.
『本編では影さんが獲物だったワケじゃないんだ。影さんが守ろうとしていた子供が、父親の、本来の獲物だったんだ。影が答えのなぞなぞを出したのは、影さんの正体が分かっていたからなんだろうね。ってことは子供は茶髪で、どことなくリチャードに雰囲気が似ている子なんだろうなぁ。いや~、それにしても、実物を見たら感動するなぁ』
ショウ君の考察をBGMに(聞いていないとも言う)、影さんを手伝った。
目の前には、180cm近い、麦を入れる袋が落ちている。
中身は麦だ。大きな麦。時々動く。
「助けてくれたことには感謝しているわ」
「いえ、怪我をさせてしまったことに変わりはありませんから」
「此方から襲ったようなものだもの、不可抗力よ。まぁ、ビックリしたけどね。悪魔憑きを見るのは初めてじゃないの。だから、あの、トマスだっけ? あれをどうにかすれば助かるかもと思ったのよ」
額から流れる汗と血を拭いながらフードを被り直せば、影さんは再び小柄な少年の姿を取り戻す。
「それで、影さん」
「その呼び方は固定なのね」
「これからどうするの?」
「どうするも何も」
フードが俯き、つま先で麦袋(大)をつついた。
見るからに生暖かい、ぐにゃりとした感覚が伝わってくる。
「またコレみたいなのが来る前に、ロンドンから離れるわ。話は大体分かったでしょう。私は殺しの仕事を依頼されて失敗した、お尋ね者なの」
「子供は殺さない?」
「……そうよ。御者は抵抗されたから仕方なくやったけどね。人間の底辺にも、どうしても譲れない矜持ってものがあるの」
「うっ」
「最初から獲物が子供だって聞いていれば受けなかったわよ。こんな仕事」
『尊い』
「あなたも、コロコロ変わって大変そうね」
心に傷を負ったり、尊さで胸がいっぱいになったりしていると、哀れみを込めた視線で同情された。
改めて言われると、何だか本当に大変な気がしてくる。
「ねぇ、ショウ君」
『いいと思うよ!』
「トマスは?」
『空いた墓穴に麦袋を植えましょうねェ』
突然会話を始めた僕たちに、影さんは目を白黒させた。
「あの、影さん。その子を連れて一緒に教会に行きましょう。僕たち、今から墓掃除に行くんです」
「墓掃除? あなた達が? 何で?? 隠語か何か??」
「いえ、知り合いの牧師さんが体調を崩されたので、今日は墓掃除のお手伝いをする予定だったんです。遅れているので心配していると思います」
服装を改めて見せれば「納得できない」「信用できない」を半分ずつ混ぜた顔をされる。
これ以上遅れたら、雨が降り始めてしまう。
彼女との約束を破りたくはない。
今の所、敵が有力者であり追っ手が殺し屋というのは此方にとって不利な点だ。
ついでに追いかけられている方も殺し屋で、子供を連れて動きが取りづらいというのもマイナスポイント。
逆に良い点を考えてみる。
すでにロンドンで一、二を争う探偵コンビのどちらかが動いている可能性が高い。
レイヴンさんとナンシー。二人なら遅かれ早かれ、影さんの存在に辿りつくだろう。
そして、彼を雇ったという爺さんの存在にも気がついてくれるに違いない。
これは大きなアドバンテージだ。
最後に、僕たちに出来る事を考えてみる。
僕たちの特技は、火に油を注ぐこと。
被害者と加害者を逆転させること。
そして知り合いが多いこと。
最後以外、碌な特技が無い。
「今から行く教会はロンドンで一番安全です」
「不可侵の聖域にでも頼るのかしら」
冗談っぽく影さんが言う。
シスター・ナンシーの事を言って、信じてもらえるかどうか。
それに今回、墓掃除を手伝ってもらおうと色んな人に声をかけた。
かけてしまった。
「いいえ、攻撃は最大の防御を身を以て体感できる教会になってしまったというか……」
「……アナタの言っている意味が、更に分からなくなったわ」
「僕も、何と説明してよいのやら。ただ」
僕は影さんに曖昧な説明しかできない。聞く側も言う側も神妙な顔つきのまま、厳粛な心持ちで言葉を吐き出した。
「今日、墓掃除する人の中では、僕が一番弱いです」