不穏な周囲とベルグレド
エレナはその日まで結局エルグレドの婚約者の夢を一度も見ずに当日を迎えた。
会場の扉の前に立ち深呼吸する。
心臓は激しく鼓動している。エレナは珍しく緊張していた。
(おかしいわ。何故こんなにもどきどきするのかしら。やはり視える前に会う事なんてないからかしら)
扉の前の従者が扉を開く。エレナは真っ直ぐ前を向いて皆が注目している方向へ目を向けた。
そして彼女を目にした瞬間。彼女の頭の中で声が響きわたった。
[彼女は希望。貴方達とこの世界を導く役割を持つ神の御子である。彼女はまだその使命に目覚めていない。エレナ。貴方の使命を果たしなさい。そして貴方の望みを叶えなさい]
エレナはその時、彼女の胸元から輝く翠色の光が見えた。
(彼女が、神の御子・・・)
エレナは胸元を押さえた。
その言葉にエレナは聞き覚えがあったからだ。
[ベルグレドを救いなさい]
エレナはその日、自分の役割を正しく理解した。
「ベルグレド様!」
会場を出て行ってしまったベルグレドを追いエレナはその背を追いかけた。エレナの声にベルグレドは止まりはしなかったが歩調を緩めた。
「主役がいなくならないで下さい」
「不仲が広まって好都合じゃないか?」
ベルグレドに素っ気なく言われ、ズキリとエレナの心は痛んだ。しかし何でもないように話を続ける。
「そうですが、形式上挨拶だけは済まさなければなりません。少しお休みになられたらお戻り下さい」
エレナはそう言ってベルグレドの肩に触れた。
ベルグレドは嫌そうに眉を寄せる。エレナは構わず回復魔法をかけた。
「必要ない」
「あら?グズリオンに攻撃されたのでは?」
わざとエレナがそう言うとベルグレドは一瞬キョトンとしてから吹き出した。
「成る程。あれはグズリオンよりも凶暴だった」
エレナは笑いながら目を伏せた。
(こんなにも早くこの方が心を開くなんて)
やはりベルグレドには彼女が必要なのだ。エレナは処置を終えると素早く身を翻した。
「先に戻って挨拶して来ます。貴方は少しお休みになられてから来て下さい」
「いや、もう大丈夫だ」
「いいえ。その方が都合がいいので、後からでお願いします」
エレナはにっこり笑って振り向いた。そこにはいつもの不満そうなベルグレドの顔があった。
「・・・・ああ」
それを確認するとエレナはベルグレドを置いて一人会場に向かって足を進めた。
(陛下はベル様が神の御子だと知らない。恐らくロゼ様の事も知らされてない筈。だとするとやはりエルグレド様を守る為に何らかの予言が告げられた可能性がある)
エレナはギュッと自分の体を抱き込んだ。そうしないと震えてしまいそうだった。
(あの人が、現れるかもしれない・・・・)
あれから10年経っている。
そんなにも長い間バルドは呪われた身で耐えてきた。
この世界と自分の息子を守る為に。
(息子まで失ったあの人が、次は何をするかなんて想像もしたくないわ)
エルグレドは6年前このガルドエルムへ連れてこられた。
バルドが予言で居場所を突き止め彼を見つけた時、彼は瀕死状態で発見された。そして何とか命は繋いだものの今までの記憶を一切失っていたのだ。
最初、彼はバードル家で引き取られる予定だったがバルドがそれを許さず結局バルドと懇意にしていたファイズ家当主がその役目を引き受けた。そしてそのまま時は過ぎていった。誰にも真実を正しく告げられる事なく。
(もう、陛下は限界のはず。そう遠くない未来この平和な国は傾いていく。今この国にこの国を支えられるに相応しい人物は見つかっていない。陛下を王にした為に)
ここは人間族の国である。しかしバルドは魔人の身で人間族の王になった。その為この国の掟に逆らった事になるのだ。その年からバードル家の瞳に祝福の兆しは映らなくなった。本来この国の王は必ずその才能を持って産まれる事になっている。それはどこで生まれるか分からないがそれが分かるようバードル家が存在している。"祝福"が使える人間を探す為に。その力を使えるものは少数で、しかも人間は魔力が他の種族より少ない為、中々適した人物が見つからなかった。
しかしそれに魔力の強さは関係ない。祝福は実はガルドエルムで使うのなら魔力を消費しないのだ。先人はその事を正しく後世に伝えていかなかった。結果、ガルドエルムの人間は勘違いしたのだ。力が強いほどその効果があると。そして本来なら王になる筈の人物を認めず、あろう事か殺してしまったのだ。先代の王が。
(終わりが来る前に何とかしなければ。この国が、この国の住民達が苦しむ事になる)
エレナは心に決めた事がある。初めて真実を知ったあの日彼女は自分の幸せを捨てる事にした。先代の王や母がした罪を償うため、そして今もなお苦しみながらこの国にとどまっているバルドの願いを叶える為に。例えそれがベルグレドに対する酷い裏切りであったとしても。
****
ベルグレドは幼い時。よく父と宮廷に来ていた。
他の貴族の子供も決まった日、宮廷に出入り出来るようになっていた為その頃は賑やかだった。ベルグレドは閉鎖的な環境にいた為その日がとても苦手だった事を覚えている。
人混みを避け奥に行く内に道に迷ってしまった。
不安になり慌てて引き返そうと振り返るとそこには瞳を大きく開いた茶色の髪の女の子が立っていた。
ベルグレドは思わず驚いて後ずさり、そのまま尻餅をついて転んでしまった。それを見て女の子は目をパチパチさせそれから満面の笑みで笑った。
「凄いわ。あなた変えられるのね」
そして訳の分からない事を呟いたその子はベルグレドに手を差し出した。
「私はエレナ。貴方お名前は?」
ベルグレドは今でもあの時うっかり名前を名乗ったことを後悔している。その所為でこんなにも長い間、彼女に振り回される事になるなど誰が想像しただろうか。
「・・・ベルグレド・ファイズ・・・・」
「まぁ!そうでしたの!どうぞよろしくお願い致します!」
「ブラド。強い酒はあるか?」
ベルグレドは過去の自分の失敗を思い出しながらブラドに尋ねた。優秀な執事は一礼してその場を去って行く。
ベルグレドはここ数日のエレナの様子を思い出していた。
(何か変だ。ここ最近やけにエレナの周辺が騒がしい)
元々は二年ほど前久しぶりに会ったエレナから突然自分との婚約話を聞かされた事からこんなやりとりが始まった。
その頃ベルグレドもエレナも14歳。現実感がまるでなく勿論お互い恋愛感情も無かった二人は必死になってそれを回避する方法を考え結局仲が悪ければ無理に婚約させられないのでは?と、実行する事になりズルズルと今まで続けて来た。だが正直婚約発表までしてしまった今では意味が無い気がしているのだ。しかしエレナはそれを続けると言い張っている。意味が分からない。
(今まで宮廷の隅で大人しく猫をかぶっていたあいつが急に行動し出した理由。それはなんだ?)
持っているグラスの底をカツンとテーブルに当てベルグレドは考えても仕方ない事を考えた。
(婚約は破棄できるとエレナは言っていた。だがその方法が分からない。一体どうやって解消するつもりなのか)
そこまで考えベルグレドはふと思う。
そもそもそこまでして婚約を解消する必要があるのだろうかと。
二人には特に恋人も好いている者もいない。政略結婚などはよくある事だしベルグレドにこだわりはない。そう。ベルグレドは別にエレナと結婚しても構わなかった。寧ろ頑なに拒否しているのはエレナの方だと思う。彼女はある時期から明らかにベルグレドと距離をとっている。ベルグレドはその時期を正確に覚えていた。その時期はベルグレドにとって忘れられない日になった。
(一体何をするつもりなんだ。あいつ)
そんなベルグレドを彼等は今日も見守っている。
ベルグレドはまだ彼等に気付かないでいる。