氷上の狼
「何読んでるんだ?」
「私の先生が貸してくれた童話です」
幼い頃、二人はよく隠れて二人で会っていた。
出会ってからエレナはベルグレドを見つけるとすぐにベルグレドを確保した。ベルグレドに拒否権はない。
そんな二人に父は何も言わなかった。
ただ笑って行っておいでと言うだけだ。
ベルグレドは何故父が止めないのか不思議だった。
母なら絶対に嫌な顔をするに違いない。
相手はこの国の王女である。
「珍しいな童話なんて。どんな話だ?」
「奇跡の卵って童話です。読んでみますか?」
ベルグレドは何故かその絵本に興味を引かれた。
頷くとエレナはその絵本を読み始めた。
昔、とても貧しい国にエリィという女の子が住んでいました。
エリィは病気のお父さんと二人きりで暮らしていました。
エリィのお父さんはもうずっと寝たきりです。
エリィはそんな父の薬代を稼ぐためお城で使用人として働いていました。
そのお城には我儘な姫と姫に仕える騎士がいました。
姫は騎士に恋していましたが騎士は実はエリィに恋していたのです。
そんな騎士に腹を立て姫はエリィに言いました。
"神の神殿にある奇跡の卵をとっておいで。その卵の中身には願いを叶える力があると言われている。もしそれを持って来れたらお前の父に暖かい寝床と病気を治す医者を与えてあげよう。その代わりお前一人だけでとってくるのです"
その神殿には守り神の狼が出ると言われていました。
しかしエリィはその神殿に行くことにしました。
エリィは父がもう長くないことを知っていました。
最後に暖かいベッドに寝かせてあげたかったのです。
エリィは美しい神殿に一人、入って行きました。
そこは見たこともない様な美しさでした。
周りには美味しそうな果物や植物がなり、花々が咲き乱れ甘い香りに包まれていましたが彼女はそこを通り過ぎ奥へ進みました。
お腹はペコペコで遠い神殿まで来たその足はボロボロでした。
それでもエリィは決して休まず卵がある奥へと進んで行きました。
エリィが神殿の一番奥に着くと、そこには輝く卵とそれを守る様に大きな狼がいました。
エリィはその狼に卵を譲ってくれるよう懇願しました。
話を聞いた狼は彼女に問いました。
"この卵が孵ればこの貧しい国の人々を救うことが出来る。今持ち帰ればそれは叶わない。しかしお前の父だけは助ける事ができるだろう。欲しいのなら持っていくがいい"
エリィは泣きながらそれでも卵を諦めました。
エリィの国はご飯を食べることも出来ないくらい貧しかったのです。エリィは泣きながら懇願しました。
"どうか必ず皆がお腹を空かせる事がなく暖かい寝床で暮らせるよう卵をお守りください"
エリィはそう言うとそのまま力尽きてしまいました。
騎士はエリィが一人卵を取りに行ったと知って嘆きました。姫はそんな騎士をみてやっと自分の間違いに気づきました。
姫はエリィの父に暖かいベッドと医者を与えると一人ドレスを脱ぎ捨て神殿へ向かいました。
やっとのおもいで辿り着いたその奥に輝く卵と大きな狼がいました。
姫はエリィを返してくれるよう懇願しました。
狼は彼女に問いました。
"この卵が孵ればこの貧しい国の人々を救う事が出来る。今持ち帰れば叶わない。しかしエリィは生き返らせる事が出来る。どうする?"
「・・・・それで?その姫は何て言ったんだ?」
エレナはベルグレドに微笑むと絵本を閉じた。
「続きはご自分でお読み下さい。もう少し大人になってから」
その絵本の続きをベルグレドはその後、自分で読んだが、よく覚えていない。結末はなんだったろう?そして思い出した。
"エリィを。この国は貧しい、しかしそれは私のせいです。貧しさは私達の努力次第。しかし彼女はそうではない。この国にとってかけがえのない女の子です。"
狼は立ち上がると彼女の前にやって来ました。
"自分の国の民よりも一人の少女を選ぶのか?"
その問いに姫は首を振りました。
"エリィもこの国の民です"
狼は彼女の願いを聞き入れました。
エリィはお城のベッドで目が覚めます。
"姫様おはようございます"
起きるとエリィはその国のお姫様でした。
その傍にはエリィに仕える騎士がいました。
そしてその部屋の隅には輝く卵が置かれています。
狼は二人の少女の願いを聞き入れてくれたのです。
そんなエリィを姫と狼は遠い神殿からずっとずっと見守っていました。そして彼女は幸福な国と自分に仕える騎士に愛され、ずっと幸せに暮らしましたとさ。
ベルグレドは思った。では我儘姫の幸せはどこにいったのだろう。
きっとこの童話の真の主人公はエリィではない。
自分の愚かさに気づき、思い直し、彼女を救う為神殿に一人向かい、安易に国を救う選択をせず、失った尊い民を取り返した姫の物語。
エレナはずっとこの国の王女だった。
生まれた時から彼女はその責任を理解し、そして死ぬまでその責務を背負い続けた。
ベルグレドはそんな彼女をずっと尊敬し、そしてだからこそ彼女に従って来た。ベルグレドは彼女の臣下だった。ベルグレドの血には正統なファイズ家の血が流れている。彼女を、自分の王女を守る血が。この国を守る。その血が。
ベルグレドは眼を開いた。
辺りは辺り一面氷が張り自分の身体も氷に覆われて、すでに身体の感覚はない。
それでもベルグレドは起き上がろうと力を入れた。
(エレナ。最後まで守る)
ゆっくりと視線の端で、何かが近寄って来る。
ベルグレドはそちらは見ず、ただひたすら彼女のいた場所に視線を向けようと必死に身体を動かそうとした。
(お前が守るこの国を、お前の下に行くまでずっと)
魔力の暴走が徐々に収まっていく。ベルグレドは一瞬でも彼女と一緒に死んでしまいたいと思った自分を恥じた。
彼女は最後まで必死でこの国を守る為、戦ったのに。
「エレナ、必ず守る。この国の民を。この、世界を」
その時、ベルグレドの身体が青い炎に包まれた。
そして目の前にその炎に覆われた一匹の狼が現れた。
[やっと会えた。我が主人]
狼はベルグレドの前まで進み出るとベルグレドの顔にすり寄った。驚くほど暖かい。
「精霊?」
[私はずっと貴方の側にいた。貴方が私を目に映さなくともその使命を果たす為に]
その狼はずっとベルグレドの側にいた。呼ばれている間も。しかしベルグレドに見つけることは叶わなかった。
[貴方がその使命に目覚める。この時を待っていました]
「使命・・・」
その狼の瞳は美し金色だった。
ベルグレドはその狼に手を伸ばした。
[その御心のまま貴方の望みを叶えるのです。それがこの世界を変えて行く。私の名を呼んで下さい]
ベルグレドの頭の中にその名が浮かび上がる。ベルグレドはそれを疑問に思うことなくその名を口にした。
「俺と共に来い。"オルファウス"」
ベルグレドがその名を口にするとオルファウスの体は炎に溶けてベルグレドの身体に吸い込まれていった。
それと同時にベルグレドは元の場所に戻された。
ベルグレドの手の掌には白い羽根が握られている。
[べる!!だいじょうぶ?だいじょうぶ?]
[いたい?いたい?]
先程まで居なかった妖精達が一斉に騒ぎ出した。
ベルグレドは上手く動かせない体を引きずりながら歩き出した。
(行かないと。兄さんの下に)
しかし、ベルグレドの体は力を無くしそのまま意識を失った。
****
目覚めるとそこは誰かの屋敷のようだった。
ベルグレドは視線を巡らせる。
全く覚えがない場所だ。
その時、誰かが部屋に入って来た。この屋敷の侍女だ。
「お目覚めになられましたか。良うございました」
侍女は淡々とベルグレドの身体を起こすのを手伝い白湯を渡した。ベルグレドは黙ってそれを受け取った。声が上手く出ない。それを飲み干すと少し声が出しやすくなった。
「ここは?どなたのお屋敷でしょう?」
「今、主人をお呼び致します。少々お待ち下さい」
ここはガルドエルムの筈だ。だとすると貴族の誰かの屋敷である。ベルグレドは入って来た人物に眉を寄せた。余りに予想外の相手だったからだ。
「・・・・ザクエラ様?」
「お久しぶりです、ベルグレド。無事目が覚めて良かったです」
気の弱そうなこの男はバードル家次男ザクエラ・バードルである。自信家のアストラや頭脳明晰で美しいリュカに埋もれ、この家の中で最も目立たず無害な人物。
「貴方はあれから四日もの間眠り続けていました。その間、陛下は乱心され亡くなりエルグレド様はアルド・ラズを殺害し、逃亡されました」
ベルグレドは眼を見開いた。しかしザクエラは首を振った。
「どうやら、アルドは禁忌の術でエルグレド様を操っていたようです。それを彼の婚約者が救いに来ました。その時アルドは殺されたのです。この事は一部の者にしか知らされておりません」
ロゼが兄を助けに来た。それにベルグレドは安堵した。あの時急いでいたので屋敷に置いてきてしまったが大丈夫だったらしい。
「私の兄のアストラはリュカ殺害の罪で未だ宮廷に捕らえられております。殺される事はありませんが、二度とバードル家の家督を継ぐ事はない。優秀なリュカもいないとなれば私が後を継がねばなりません」
彼は覇気がない声でしかし意外な事を口にした。
「私には祝福が使えます」
「え?」
彼は悲しげに話し続けた。
「バードル家はかつて祝福が使える者が一目で分かりました。しかしそれはその力に目覚めている者だけです。私がこの力に気付いたのはつい最近なのです」
その時すでにアストラが王候補だった。ザクエラはその事を誰にも言えなかった。
「しかも、私の魔力は非常に弱い。アストラやリュカとは比べものにならない産物です。それでも力があるのは事実です」
ベルグレドはザクエラが何故ベルグレドを助け、こんな話をするのか考えた。彼はもしや知ったのかもしれない。
「エレナ様は密かにリュカと親交を持っています。私はリュカが死んだなどとは思えません。この一連の出来事は必ず繋がっている筈。私はこの家を継ぐと知らされた時、ある真実を告げられました。バルド様の事です」
ザクエラの気の弱そうな瞳にはしっかりとした決意が感じ取れた。
「貴方が知っている全てを教えて頂けないでしょうか?エレナ様は何処へ連れて行かれたのか。そして、私は何処へ向かって行けばいいのか」
ベルグレドは眼を閉じた。
エレナが残した希望が僅かに芽を出し始めていた。