エレナとベルグレド
エレナが12歳になった頃その力は突然目覚めた。
ゲルガドルから何となく聞いてはいたが、自分にその力が目覚めるとは思っていなかった為、エレナは少し狼狽えていた。しかも制御の仕方が分からない。その期間はゲルガドルとも上手く繋がる事が出来なかった為、エレナは仕方なく普段なら絶対に頼らないバルドを頼ることにした。この事がバレればバルドも困る筈だ。詳しい事は書かず謁見したいとだけバルドに伝えた。
意外にもバルドから許可が下りた為、その日エレナは早くに部屋を出た。
父とは大きな行事以外接触がない為、とても緊張する。
ただでさえ嫌われているのだ。
謁見室の前まで来ると兵に先客がいると言われ、エレナは外で待つ事にした。
外を見ると美しい緑が広がっている。
(ここも綺麗だけど、イントレンスはもっと美しかったわ)
エレナはゲルガドルにイントレンスを見せてもらった事がある。中にいる巫女の目を通してその景色を見たのだ。
空がとても近くて空気は澄み渡り美しい石造りの建物の周りには色とりどりの花が咲いている。そんな場所が何層にも重なっていて一番上がイントレンスの聖域になっているのだ。そこで生きる者は、皆穏やかに笑い仲が良い。
穏やかで平和な世界がそこにあった。
それに比べてここはどうだろう。
表面的には平和に見えて皆腹の底では他人を妬ましく思っている。争いが絶えず奪うことしか考えていない。
「エレナ様?」
エレナが振り返ると、そこにはベルグレドの母親のイザベラが立っていた。顔色が悪い。
「イザベラ様。お久しぶりでございます。今日はお一人ですか?」
エレナが不思議に思い、辺りを見回すと廊下の向こう側から何やら足音が聞こえて来る。
エレナはイザベラを見上げた。
「エレナ様。貴方はベルグレドを大事に思って下さっておりますわよね?」
いきなりそんな事を聞かれてエレナは思わず顔を赤らめた。そんなに分かりやすかっただろうか?
「お願いです。陛下に、エルグレドを我がファイズ家の跡継ぎとして認めるよう進言して頂けませんか?」
エレナは目を見開いた。
エルグレドは確かファイズ家に預けられているだけの筈だ。まだ彼をどうするかバルドは決めていない。
「そのような大事な事、私には・・・」
「私はベルグレドを連れてあの家を出ようと思っています。このままではあの子はいつかきっと連れて行かれてしまう」
そう。イザベラはファイズ家を捨てベルグレドを連れて行ってしまうと言ったのだ。エレナは目の前が真っ暗になった。
「い、嫌です。そんな事私・・・・」
イザベラはエレナの腕を掴んで詰め寄った。その目は決意に満ちていた。
「あんな場所ではあの子は守れない。私はあの子を守る為ならばどんな事でもします。例えこの国を裏切る事になっても!」
この頃からベルグレドとエレナの婚約の話が出始めていた。それによりイザベラは焦っていた。そんな事になればベルグレドを連れ出せなくなってしまうからだ。
「イ、イザベラ様」
二人が言い争っていたのは廊下の窓の近くだった。
イザベラに詰め寄られ腕を掴まれていたエレナはそのまま窓の際まで追い詰められていた。
「何をしているんだ!イザベラ!!」
その時、彼女の夫がその後ろからやって来た。エレナはホッとして力を抜いてしまった。その拍子に振り向いたイザベラの肘に押されて窓から外へ押し出された。
「っエレナ様!!」
落ちそうになる視界の端で久しぶりにバルドの顔が見えた。
体が反転するその瞬間、黒い翼がエレナの身体を引き上げた。
「・・・・え?」
その場にいた全員が絶句した瞬間。
バルドの剣が音もなくファイズ家当主の心臓を貫き、振り返ったイザベラもバルドに斬られた。
エレナの身体は廊下に転げ落ちると呆然と目の前にいる兵士とバルドを見つめた。
「お、お許し下さいバルド様!私は決して・・・」
バルドは何も言わず許しを乞う兵士にもその剣を振り下ろした。
「・・・・・・・あ・・・」
「愚か者が」
バルドは吐き捨てるようにエレナに呟いた。
エレナは血溜まりに埋もれていく二人を見つめた。
自分の大好きな人の大切な両親をこの日エレナは自分のせいで死なせる事になった。
「お前には後で魔力を制御する装飾品を届ける。それまで決して部屋から出るな」
バルドはそう言ってその場を去って行ってしまう。
エレナは頭を抱えて蹲った。
「・・・・あっ・・・ああ!!」
自分の大好きなあの少年の顔が浮かびエレナの心はズタズタに引き裂かれたようだった。自分の軽率な行いの所為でエレナは本当に全てを失った。
「ああああああああ!!!」
この日エレナは二度と彼の手を取らないと決めた。
****
ベルグレドはエレナの話を黙って聞いていた。
エレナが魔人であるとバレた時。バルドは躊躇わず二人を殺した。そして平然とベルグレド達に嘘をついた。
「ベルグレド様。私はずっと貴方を騙して来ました。貴方が必死で犯人を探している間もずっと黙って見ていただけでした」
エレナは何もしなかった。もう何も。ただ、自分の終わりを待っていた。
「私を殺したいですか?」
ベルグレドは立ち上がるとエレナの側まで歩いて来た。
その顔には怒りも悲しみもなかった。
「いや。俺はただ、事実が知りたかっただけだ」
彼の声もとても落ち着いていた。
エレナは不思議だった。何故この人はこんな事を告げられてこんなに落ち着いていられるのだろう。
「それでも、お前は俺の婚約者に変わりない」
ベルグレドは淡々とエレナにそう告げた。
エレナはその言葉に震え上がった。この人は何を言っているのだろう。
「お前が俺を愛していなくても、俺はお前の側にいる。それはこれからも変わらない」
「・・・何をおっしゃっているのですか?」
エレナは初めてベルグレドを怖いと思った。
何を考えているか分からない。
何故この人は私の側から離れないのだ。
ベルグレドはエレナの手を取った。その手は微かに震えている。
「エレナ。お前じゃない」
「・・・・え?」
ベルグレドは笑った。
床に膝をつくと彼女の手にそっと唇を落とした。
「両親を殺したのは俺だ」
その言葉にエレナは息を飲んだ。
「何故母がエレナにそんな事を迫ったのか俺は分かる。あの人はただ、お前に俺が取られるのが嫌だった。あの日、俺は母親に兄が家督を継がないのなら死んだ方がマシだと言い放った」
その後のイザベラの動揺は凄まじかった。ベルグレドはそんな母に心底嫌気がさしていた。
「エレナ。俺はお前が悪いとは思わない。お前は巻き込まれただけだ。あれは事故だった」
「違う」
「お前一人が背負う事じゃない。お前は悪くない」
「違う!!」
エレナは両耳を塞いだ。ベルグレドはそんなエレナの顔をのぞき込んだ。
「そんなに罰せられたいのか?一体何に?」
この人は誰だろう。エレナの知るベルグレドじゃない。
エレナの知る彼はもっと余裕がなくて無愛想で不機嫌なエレナに関心がない男の子だ。エレナは目を開いた。その先に美しいブルーの瞳が揺らめいている。
「パラドレアが攻めて来ます」
エレナの言葉にベルグレドはピクリと身体を揺らした。
「アストラの策略でエルグレド様が危険です。どうか、お側に・・・」
ベルグレドはしばらくエレナを見つめてから深く息を吐いた。そしてゆっくり立ち上がった。
「この屋敷から出るな。俺は宮廷に行ってくる」
出て行くベルグレドをエレナはただ呆然と見つめていた。
彼が行ってしまう。
「エレ・・・・・」
エレナは気がつくと振り向いたベルグレドに抱きついていた。ベルグレドは驚いて視線を落とした。
「どうして責めて下さらないのですか!!貴方が私を罵って下されば私は楽になれたのに!!!」
「・・・何だそれは。俺はそういう趣味はない」
ベルグレドは笑ってそんなエレナを抱きしめた。
エレナは泣いた。きっとエレナの全ての幸せはこの瞬間使い果した。
「ずっとずっとお慕いしていました」
「俺は最近、気が付いた」
はっきり言わないベルグレドにエレナは思わず微笑んだ。
そして最後まで自分の意思を貫けなかった事を心の中で彼に謝った。