王国一の鍛冶師だが、王から聖剣を作れと言われた
オレことマグナは、自分で言うのもなんだが王国一の鍛冶師だ。
マグナ印の剣っていうだけで世の剣士どもは目の色を変えて飛びつくし、包丁の刃を作れば奥様方には感謝される。国からの依頼で剣を作ることも多くあったし、現国王の儀礼用の剣はオレが手掛けたものだ。
ちまたではオレの剣を持つ若造がいたら、貴族のぼんぼんを疑え。腕は大したことないへなちょこだが、剣の切れ味だけはいいから気をつけろと言われているらしい。人を選ぶ剣なんぞ目指していないから別にいいが、まるで売る相手を選ばなかったオレが悪いみたいに聞こえるのはどうなんだかね。
弟子も出来た。腕はまだまだな連中だが、皆磨き甲斐のある原石たちだ。中にはもう一人でやっていけるだろう腕のある奴等もいるが、未だにオレに追いつこうと努力している。
養子ではあるが、マリーという名前の娘も出来た。目に入れても痛くないと心から思えるほど可愛い娘だ。剣に溢れた環境で育ったからか剣士になってしまったが、マグナ印の剣を使いこなし、活躍してるらしい。
まあ要するにオレは名工だ。自分でもそれを誇りに思っている。誰にも技術は負けないっていう自負はあるし、王国一としてのプライドもある。
だけど、聖剣を作れはないだろう?
聖剣だぞ、聖剣。物語に出てくる英雄が、岩から抜いたとか湖の精霊から貰ったとか神様から頂いたとか言われている一品だぞ?
それを作れとか血迷いすぎだろ、あの王様。
ああ、言ってやったさ。身分だなんだなンて知ったことか。無理だ。それは人間の作る類のものじゃない。神話上の剣だってはっきしとな。
それをあの野郎、予言がどうのこうの言いやがって。何が『聖剣を持ちし勇者現れ、魔王は聖なる炎に飲まれるだろう』だ! もう占い師が王様でいいんじゃね? あいつが右向けって言えば右向くだろどうせ。ケッ!
だいたい本当に聖剣があるなら、時が来ればあっちから来るのが相場だろうが! それなのにどうしてオレに依頼するかねぇ。
しかもだ! ああ、これが一番許せねぇ! あの野郎、挙句の果てにオレに出来ないなら他の奴に任せるとか抜かしやがった!!
ふざけンなよ、このくそったれ!! オレに!! このマグナに無理だと言うのか!!!? 他の奴ならオレ以上の剣を作れるとほざくのか!?
ああいいさ。決めたよ。そこまで言うならやってやろうじゃねぇの。いいぜ、最高の一振りを打ってやる。
そう宣言したはいいが、さてどうするか。
そもそも聖剣って何で出来るんだ? 鋼なわけないだろうし、魔力との親和性の高いミスリルか? いやミスリルでも数えきれないほど剣は打ってきた。どれもが惚れ惚れするような出来だったが、聖剣と呼べるほどの代物ではない。悔しいが。
となると素材から探さなくてはいけない。それに素材が見つかったからと言ってすぐに作業にかかれるわけではない。素材によって加工法も変わるからだ。
とりあえず空から落ちてきたとかいう『天の涙』から試してみるか。数か月前に西の街で手に入ったと小耳に挟んだことがある。それを発注しよう。特別な力を宿すというし、丁度いいだろう。
後は冒険者組合に竜退治の依頼を出そう。一番は東の火山に住む星竜だが、さすがに厳しいかもしれない。何種類か候補を見繕って貰おう。ついでに目ぼしい魔物がいたらその素材も売ってくれるように交渉もしなければ。報酬のお金は心配いらない。剣一本で大金が手に入るからな。
他には……魔法の杖や道具に使われる素材を集めとくか。有名どころの世界樹の枝とかは知っているが、あまり詳しくはない。だけど伝手を頼れば一流の素材を揃えられるだろう。剣にどう加工するかはまた考えなければいけないが、やってやれないことはない。
だが……果たしてそれで聖剣を作れるのか?
普通に剣を打っても、常識の範囲内で終わってしまうのではないだろうか。人の手に余るだけの力を秘めた剣の域に、人の手だけで辿り着けるのだろうか。
否だ。
いくらこのマグナでも、未だにその域には辿り着いていない。所詮は人の子だ。
ふつふつと何かが燃え上がる。
目は興奮で冴え、熱情で体がうずく。
ああ、これだ。この感覚だ。常に上を目指し、己の腕を磨いていた若い頃を思い出させてくれる。
幼いころ、それこそ物心がついたころから親父と一緒に世界中を旅し、各地の鍛冶師の技を学んでいた。お袋はオレを産んですぐに、流行り病で倒れてしまったそうだ。オレが一人前に剣を打てるようになると、親父もまたぽっくり逝っちまったが、それでもオレは旅を止めずに修業していた。
そして親父とお袋の故郷という、この地に辿り着き、今に至った。
王国一の名声を得て、それでもより良い剣を作ろうと努力はしていた。だけどやはり、
腑抜けていた。満足していた。この感覚を忘れていた。
いつからオレは上を向かなくなった。かつては届かないかどうかなんて考えず、ただひたすらに星を掴もうと手を伸ばしていたではないか。あの輝きをいつか掴もうと、研鑽を積んでいたマグナはどこへ行ったのだ。
情けない。情けない。情けない!
血迷っていたのは王ではない。オレ自身だ。
聖剣だってオレに依頼したのは、オレならそこへ、神の領域に辿り着けるという信頼ではないか。
職人の技術を信頼してくれる。結構なことじゃないか。これほど嬉しいことはないはずだろうが。
絶対に聖剣を作って見せる。このマグナの誇りをかけて。
クソッ! これも駄目だ。
思いっきり鎚を出来立ての剣に打ち付けた。剣は折れずに、鎚を逆にはじき返した。それがより一層腹が立つ。
『天の涙』をベースに、竜の血と世界樹の樹液を聖水で割ったエリクサーを冷却水に、炉には竜の心臓と不死鳥の尾羽から作り上げた超高温の炎が渦巻いている。打ち方は東の国の独特の製法を取り入れた。
この特殊な加工法で打ち上げたこの剣は、間違いなく最高傑作だ。竜の鱗を容易く切り裂き、不死の怪物すら殺すことが出来る。
しかし、聖剣と呼べるほどの代物ではない。失敗だ。
これで何本目だ? 何度目の失敗だ? おいマグナ、いつになったら聖剣を作れるんだ? こんちくしょう!
鎚を放り投げ、頭を掻きむしる。
これでドン詰まりだ。これが思いつく最後の剣だった。これ以上の素材も、加工法も、オレは知らない。もう一度、同じ素材を集め、打ち直せばさらに良い剣が打てる自信はある。確約できる。
だが、それが聖剣の域に辿り着かないことも、気づいていた。
見えない。あまりにも神様の領域は高すぎて、いくら手を伸ばしても指先一つ触れられない。
聖剣、聖剣、聖剣、聖剣、聖剣、聖剣、最近はそればっかりを考えている。しかし何も進まない。
水を求めて砂漠を一人で歩いている気分だ。それとも暗闇を手探りで進んでいる感覚か? ふ、どっちでもいいか。
剣を持ち上げる。失敗作だが、弟子たちを食わしていくためにはきちんと売らなければならない。素材も馬鹿にならない値段だったので、先ほどは槌で力任せに叩いたが、壊すわけにはいかないのだ。
工房を出れば、気づかなかったが雨が降っていた。思わずため息が漏れた。
娘のマリーが勇者候補に選ばれた。
国の方で勇者は見つけると言っていたが、その候補の中にまさかあいつが入るとは。確かに剣士として一流だとは聞いていたが、それほどだったのか。
マリーの奴、よほど嬉しかったのか飛び込むように報告しに来た。子供の頃から変わらない満面の笑みで、父さんの剣を絶対に振るうのは私だ、なんて言いやがって……
マリーは未だにあの短剣を持っていた。オレが娘のために初めて打った剣だ。女の子に上げるものとしては物騒かもしれないが、剣こそがオレの与えられる最高のプレゼントだった。
あれから十年は経つのに、手入れを欠かさず行い、今でも使っているらしい。素材は一番ありふれた鋼だし、今の腕なら当時以上の剣を作れる。聖剣作りの息抜きにもなるだろう。オレは新しい短剣を作ろうか聞いた。
それをマリーは断った。あの短剣がいいらしい。素材とかは関係ない。オレがあいつのために鍛え上げたあの短剣こそ、マリーにとってかけがえのない宝物だそうだ。
その言葉に思わずオレは言葉を失ったよ。ショックからとかそういうのではなくて、あまりの嬉しさにだ。ジーンと胸に響いた暖かい気持ちをごまかしたくて、マリーの頭をぐりぐりと撫でまわしてやった。
その日は親子水入らずで酒を飲んだ。最近は聖剣製作に没頭していたので、まともに話したのも久しぶりだった。
酔いが回り、先に机で突っ伏して眠り始めたマリーに毛布を掛けると、オレは床に横になった。聖剣のことをこれっぽっちも考えず、泥に沈むように眠りについた。
次の日の明朝、オレは工房には行かず、自室のベッドの下の荷物を掘り出していた。そして古臭いが、頑丈な造りの長い箱を見つけ、取り出した。
箱の鍵を開け、蓋をゆっくりと持ち上げた。埃が舞い、錆ついた匂いが鼻につくも、それらをぐっと堪えて、蓋を箱の脇に置く。
箱の中には、一振り分の剣の破片が入っていた。
その一つをそっと、壊れ物を扱うかのように持ち上げる。不思議なことに、手入れをしていないのに綺麗なままだった。たぶん使い勝手を考慮しなければすぐにも武器として使えるだろう。
これは親父が最後に鍛え上げた剣だ。
親父は死を悟ったのだろう。突然滞在していた街の鍛冶師に大金と引き換えに工房を借り、一週間籠り始めた。そして出てきた時に、その手にはこの剣が握られていた。
見定めるように、隅から隅まで剣の欠片を見るも、思わず息が漏れた。いい剣だ。
鋼を鍛えて作られたこの剣は、言ってみれば平凡かもしれない。オレが先日打った剣と比較しても、オレの剣の方が切れ味も頑丈さも上だ。欠片になる前のきちんとした剣であろうと変わらない。どちらの方がいい剣かと言われたら、普通はオレの剣を指すに違いない。
それでもやっぱしいい剣だ。
親父が死んだ後、オレはこの剣に守られてきた。各地を旅すれば、危険なことは山ほどある。その危機を、この剣は一つ残さず助けてくれた。
剣はこの街に辿り着く寸前に、まるで役目を終えたかのように折れてしまった。それがとても悲しくて、親父がまた死んだように思えたのだ。だから見えないように、目を背けるように箱の中に仕舞っておいた。
『剣は魂で打て』
親父はよくそう言っていた。オレ自身、そのことを守ってきたつもりだ。いついかなる時も、このマグナの魂でもって数々の剣を鍛え上げてきた。
ふぅ、と息を吐き、欠片を箱に戻す。脇に置いた蓋も持ち、そっと静かに閉じる。
その箱をよっこらせと持ち上げると、オレは工房へ行くために自室を出た。
工房に箱を置くと、オレはもう一度外に出て、開き始めたいくつかの店に寄る。そこで干し肉やパンを大量に買うと、それらで膨らんだ袋を持って工房に戻った。
工房の前には、マリーが立っていた。丁度いいので、オレはマリーに聞いた。
勇者になるのか、と。マリーはそれに対し、迷うことなく絶対にと答えた。
マリーが勇者になれば、魔王との戦いにおいて前線に行くことになるだろう。いやもしかすると少人数の精鋭を引き連れて魔王の住むという城へ乗り込むかもしれない。危険だということは子供でもわかる。
そんな彼女に、オレは何をしてあげられるだろうか。
最も激しい戦場に赴く愛娘を、どうすれば守れるだろうか。
そんなこと考えるまでもない。
マリーに、しばらく外に出ないことだけを告げ、工房に入る。扉の鍵も閉めた。これで壊そうとしない限り、誰も入ることはないだろう。
食料の入った袋を無造作に部屋の隅に置く。そして親父の鍛えた剣の欠片を箱から取り出した。
それを金床に置き、材料を置いてある机からただの鉄塊を手に取る。腕に重くのしかかるそれも金床に置いた。
そう、この鉄塊から取り出す鋼でもって聖剣を作るのだ。
考えてみれば当たり前のことだ。聖剣という名、神の域に辿りついた者でしか鍛え上げられないという畏怖が原因で誤解していた。
そもそも神は素材になどこだわらない。
河原の石を拾い、それを手元で転がしながら「この石には大いなる力がある」と神が言えば、その石はたちまちに伝説のアイテムに変わる。それと同じだ。
聖剣というくらいなのだから、素材から特別に違いないと考えたのは浅はかだった。
素材は鋼と親父が残した剣。これだけだ。
これらを己の技を信じ、ただひたすら魂で打つのみ。
深呼吸を一度すると、オレは作業に取り掛かった。
リズムよく、規則的に鎚を振り落とす。鎚が鋼を打つたびに、金属が鍛えられる音が響き、無駄を省く火花が散る。
身を焼く熱気に、体中から汗を流しながらもその手は止めない。
もうどれだけの時間が過ぎたのか、それすらわからない。
どうしようもなく腹が減れば袋に手を突っ込み、掴んだパンや干し肉を口の中に放り込む。それを水で流し込んでまた作業に取り掛かる。一度に掴める量など大したことがなく、すぐに飢餓に襲われるも、それが一層感覚を研ぎ澄ました。
最後に寝たのは随分と昔のように感じる。しかしこの極限状態の中、眠気とは無縁の存在であった。
刃を熱し、打つ。熱し、打つ。熱し、打つ。
それをひたすら繰り返す。いつもならこんなに打ち込まない。打ち込み過ぎれば脆くなるからだ。だけど今作っているのは聖剣だ。常識で生みだせるものではない。
自分の直感を信じ、打ち込んでいく。
叩く、叩く、叩く、叩く、叩く、叩く。
マリーを守り、敵を屠る刃を作る。鍛冶師でしかない親に出来るのはそれだけだ。
ならばこの一振り、必ずや最高の剣として鍛え上げて見せよう。
魂で持って打ち続ける。
打てば打つほど、魂が磨り減るが構うものか。生半可な覚悟で神域に辿りつけるはずもないだろう。
熱く、熱く、熱く、熱く、熱く、熱く、ただひたすらにこの熱い想いを、祈りを伝えるかのように、鎚を振るう。
視界が白く染まる。しかし歯を食いしばり、打ち続ける。
頭の中が真っ白になり、考えることが出来なくなる。それでも研鑽され、何度も繰り返されてきたその技は、正確に鋼を鍛え上げていく。
そして──────
───星に手を伸ばした。
茫然と目の前にあるソレを見つめる。
曇りなき刃には、オレの真っ赤な瞳が映し出されていた。炉の灯りで銀色に光り、その美しい佇まいを前にほぅと息が漏れる。ソレがあるだけで、この工房という空間が神聖な場所のようにすら思えた。
産まれたての赤子に触れるように、そっと優しく指先で剣身に触れると、冬の焚火のような暖かさがあった。胸の内に、久しぶりに娘と話すときのような温かさが溢れる。
その身を撫でると、喜ぶように剣先から火花が散った。
ああ、間違いない。
ソレは紛れもない聖剣だった。
遂に手が届いた。垣間見た。捉えたぞ、神の領域。
念願は叶った。しかし不思議なことに、心は酷く落ち着いていた。燃え上がるような歓喜はなく、ただ静かにかみしめていた。心が満たされていく充足感ともまた違う、じんわりくる幸せだった。
聖剣を両手で大事に抱えると、親父の剣が入っていた箱に納める。王に献上するには汚いかもしれない。だがオレは王のためにこの聖剣を打ったわけではない。
だから、この箱でいいのだ。
そこでつけが回った。
蓋を取ろうと重心を変えた瞬間、ほんの一瞬だけだが力が抜け、視界が点滅した。慌てて体勢を整えようとするも、体は重く、いうことを聞かない。
ドン、という鈍い音とともに床に倒れる。そこから立ち上がる気力すら沸かない。
ああ、ちくしょー。その悪態すらつくことさえできず、ただ口元から息が漏れただけだった。
せっかく聖剣を打ったというのに、そこで力尽きるとは……我ながらどうしようもない。
頭に霧がかかり、目蓋が重くなってきた。そういえば、横になるのも久しぶりだ。そう思うと、この床が最高のベッドのように思えた。
少しだけ、眠ろうと思う。大丈夫だ、ちょっと寝るだけだから。ちょっと寝れば、また元気になるから。そうしたら聖剣を届けに行こう。うん、それがいい。
ゆっくりと、誘われるように、意識を落とし――――――
ドゴン! と轟音が工房に響いた。
それに驚くと同時に、頬を涼しく、心地よい風が撫でる。体に光が差し、眩しさに目を細めた。誰かが工房の扉を壊したのだ。
泥棒かもしれない。だったら、聖剣だけでも守らなければいけない。
即座に判断し、とっくに失われていたはずの力を振り絞る。腕に力を込め、体を起こそうとする。
その時、父さん、と扉前の影が悲鳴をあげた。影は俊敏な動きで近づいてくると、さっとオレに手を差し伸べ、体を起こしてくれた。影はマリーだった。
マリーに大丈夫だと告げ、どうしてここにいるのかを聞くと、どうやらオレは十日間も工房で聖剣を鍛えていたらしい。鍛えている間は、鎚が鋼を叩く音が響いていた。それがオレの生存を教えていたらしいが、ぽつりと音が止んだ。
作業が終わったのか、そうではないのか。わからずに扉の前で迷っていたマリーだが、工房内で何かが倒れる音が聞こえた。それにたまらず扉を壊し、中へ踏み込んだようだ。
……娘に迷惑と心配をかけてしまったようだ。
ふと、酷い空腹がオレを襲った。腹もそれを訴えるように情けない音を立てた。
マリーはそれを聞くと、心配そうな顔から、呆れた顔になった。面目ないという思いで一杯だ。
マリーに頼んで、工房内に置かれている仮眠用ベッドに移動させてもらう。そこで食料の入っている袋を指差し、とってきて貰った。それなりに食べた気になっていたが、あまり減ってなかった。
中に入っていたパンや干し肉を手当たり次第に貪った。気を使ったマリーが持ってきてくれたコップを受け取ると、中に入っていた水を一気に飲み干した。もう一度水を注いで貰うと、今度はそれを頭からかぶるように浴びた。冷たくて気持ちいい。
もう一杯水を貰おうとマリーにコップを渡そうとして、その傷だらけの手に気づいた。一流の剣士の手だった。
ちらりとマリー見る。父さんはしょうがないね、と言いたげなその顔は、慈愛に満ちていた。
そうか、もうそんな顔が出来るようにもなったんだなぁ。
仕事で構って上げられなくて、むくれていたのも、
友達と喧嘩したと泣いていたのも、
手を繋ぐと太陽にように明るく笑っていたのも、
つい昨日のように思い出せるというのに。全く子供の成長は早い。感慨深いなぁ。
目頭が熱くなった。慌てて先ほど被った水を払うふりをして、服の袖で拭った。歳を取ると、涙もろくなるというのを実感した。
誤魔化すように、マリーに聖剣のことを伝える。するとマリーは、コップ片手に机の上の箱に駆け寄り、中を覗いた。そして目を輝かせ、ほぅと息を漏らした。
こういうところはまだ子供らしいのか、それとも剣士らしいのか。
ああしかし、なんだ。マリーの喜ぶ顔を見てると、頑張ってよかったと、そう思える。
おかしな話かもしれないが、勇者になるのはオレの娘だと疑っていない。そもそもあの聖剣はあいつのために鍛えたんだ。マリーを守ってくれという願いが込められてるんだ。きっとあいつが勇者だ。
安心すると、眠気が襲ってきた。十日間も徹夜だったし、満腹なのも要因だろう。くぁーと大きなあくびが出た。
マリー、悪いがその聖剣を王に届けておいてくれないか。早く眠りたくてそう提案するも、マリーは断った。オレの手で納品することに意味があるらしい。
そうか。なら悪いが一眠りするので、その後行くことにする。なーに、それくらい王だって待ってくれるさ。なんならマリーも一緒に行けばいい。
ベッドに横たわり、毛布を上に掛ける。眠りはすぐに訪れた。
オレの鍛えた聖剣を持ったマリーの夢を見た。