ユートの過去
ミオとユートの生活が三カ月ほど続いたある日、ユートは久しぶりに夢を見た。
かつて輝きに満ちた目を宿していた、勇者を目指していた若かりし頃の自分を。
誰でも救える勇者になり、全ての人々を、魔族さえも照らす希望の光となることを望んだ、英雄に憧れるただの少年の記憶。
何も考えなかった。誰かを救うことが正義であることを、疑問にすら思わなかった。
差し出された手を無条件で握り、必要と感じたのなら何も考えずに手を差し伸べる。
それこそが正義であり、やさしさであり、決して間違ったことでないと信じていた。
そう……信じていたのだ。
だが違った。誰かを助けるなどという行為は結局は理想論、助けられない人間は必ず存在する。そして、助けられなかった人間が抱く絶望こそは、元を辿れば誰かを助けるという行為をする人間が生み出すものであると、ユートは学んだ。
すべての生物に笑顔を与えるという願いは到底不可能なことであり、ならばユートが信じていた勇者でさえ、決して良いものではなかったということだ。
希望を振りまいたつもりで絶望を生み出し、勇者という称号に絶望したユートは、二度と人を救わないと心に決めた。
*
「カイナ村から来たユート=ガイド、十五歳です。みなさん、これからよろしくお願いします!」
一人の少年が、数多くの人間の目の前で自分の名前を奥の奥まで来こえるほどの大声で叫ぶ。
ここは勇者育成機関、文字通り勇者を育成し、選出する機関である。三年に一度、この機関で訓練をつみ、優秀な成績を収めた上位十名の訓練生は勇者の称号を得ることが出来、よほどの罪を起こさない限り、生涯勇者の称号を抱えたまま生きることが出来る。
今日この機関に入った少年、ユート=ガイド、彼は勇者に憧れた普通の少年だった。
かつて魔獣に襲われた自分を救ってくれたカッコいい勇者になりたい。
勇者に憧れ、勇者になりたかった普通の少年だったのだ。
「僕の夢は勇者になって、この世界を笑顔で埋め尽くすことです!」
無垢な瞳で周囲を見回し、自身の夢を赤裸々に語るユート。誰も真剣に聞いている者などいなく、中にはユートの夢を青臭いものと、あざ笑う人間までいた。
だが勇者を目指している、その一点だけを盲目的に見ているユートにとって、周囲の人間の嘲りの視線など、気付きもしない些細なことだった。
それどころかここにいる人間も自分と同じようにみんなが笑顔になることを望んでいる、自身が憧れた勇者に及ばないまでも、この機関で訓練し、自身の憧れに自分よりも近い位置にいる尊敬すべき先輩とすら考えていた。
ユートのような誰かのためでなく、自分のためだけに勇者になりたいと考えているだけとも知らずに。
勇者になれれば無条件でモテる。子供から老人、優しい女性から傲慢な女性、果ては男にすら好意を持たれるみんなの憧れ、それが勇者だ。
さらに勇者には国からの援助金として、毎月大量の金を得ることが出来る。
勇者になれば一生安泰、家族三代にわたって遊んで暮らせると言われている。
それが勇者だ。仮にも成績優秀者、たまには人助けもするかもしれない。それでも優先すべきは自分の欲望を満たすこと。勇者は遠くない未来、そこまで称賛される存在ではなくなるだろう。
ユートが勇者になり、数多くの人間を救おうとも、だ。
当然のことであるが、この機関では毎日訓練が行われる。勇者になるための厳しい訓練だ。中にはどれだけ幸せな人生が待っているとしても、耐えきれずに逃げ出す人間がいる。
厳しさを端的に言えば、朝の訓練では朝食を吐き、昼の訓練では昼食を吐き、夜の訓練では夕食を吐く。新人は常に胃の中を空っぽにすると言われている。
ユートも他の訓練生同様、数え切れないほど吐き。涙を流し、何度逃げ出すことを考えたかはわからない。
それだけでなく、青臭い夢を入所初日に語ったユートはみなの笑いものにされ、度重なる嫌がらせを受けていた。
まあこの嫌がらせに関しては、これも勇者になるための訓練なんだ、先輩たちも心を鬼にしていじめてくれているんだ、というポジティブシンキングによって、鬱陶しくは思いつつも、先輩らを恨むことはなかった。
このように、ユートの勇者への道は困難を極め、周囲の誰もがこいつはいつ逃げ出すのかと、そう囁かれていた。
だがユートは残った。自分と同じ新人がどれだけ逃げ出そうとも、時に先輩すらも逃げ出そうとも、ここに残った。
明確な目標があるから。ただの憧れ、ゆえにそこしか見えない盲目的信仰によってユートはこの育成機関を生き残り、着実に力をつけて行った。
そんなある日、
「今日から一週間は休暇とする。田舎に帰って親に顔を見せてやれ」
厳しい訓練がなくなり、つかの間の休息が訓練生に与えられた。
みな一様に荷物をまとめ、田舎に帰る準備を進める。
ユートはというと、実家はすでに魔獣に襲われて壊滅している。
魔獣に襲われた際、ユートは運よく勇者に助けられはしたものの、家族は無残にも惨殺された。ゆえに帰るべき場所はない。
初めての休暇、ユートはこの機関に残っていた。他の人はユートと同じように家族がいない者、もしくは家族から勇者になるまで帰ってくるなと、暖かくも厳しい言葉を与えられたものだけだ。
この時ばかりはユートへの嫌がらせもなくなり、何もない平穏な生活を送っていた。
街へと繰り出し、日々溜まりに溜まったストレスを発散すべく、なけなしの金を持ち、様々な娯楽を目指す。
ここは世界でも最大級の国家、ガナ王国。その規模は国の名前が通貨単位になっていることからも想像は容易だろう。
街中は馬車が行き交い、止むことのない商人たちの景気の良い声が鳴り響く。足の踏み場も少なく、立ち止まれば通行人の邪魔な存在になるほど混雑している。
田舎から出てきて、日々の訓練でろくに街の様子を知らなかったユートは、今日が何かのお祭りであると勘違いするほどの賑わいだ。
視線を動かし、状況を整理するユート。
今日はお祭りでも何でもない、これが普通の日常なのだ。
そう認識したユートは、大量の人波にのみ込まれないよう、目的もなく歩みを進める。
通行人の邪魔にならないように気を付けながら進み、およそストレスを発散する目的が果たされることはほぼない。むしろ歩いているというより歩かされているという状況が、少しずつだがユートにストレスをため込ませる。
これは訓練に組み込んでもいいほどにつらいのではないか、そう思うほどに田舎者のユートには刺激的な日常だった。
やがて人並みに流されて、ようやく落ち着ける場所にたどり着いたユートは一息つく。
「ふー、これが都会の日常か」
田舎者にとって年中お祭り騒ぎと同様の日常に嘆息し、ストレスすら感じつつも、ユートにとって非日常的日常は心を躍らせ、十分に楽しい物ではあった。
今度はどこかの店に入ってみようと、視線を泳がせるユートの目に、涙を流す少女が映った。
「うっ……うぅ……お母さん、どこぉ……」
その言葉から、少女が母親とはぐれ迷子になっていることが分かった。
見た瞬間、ユートの体は反射で動いていた。
「君、どうかしたのかい?」
突然見知らぬ男に話しかけられ、少女は体をびくつかせてユートを怖い物のように見る。
少し後ずさりし、今にも逃げ出しそうな雰囲気を醸し出す。
「そ、そんなに怖いかな、ボク」
見た目から恐怖されたことに傷心しつつも、自分以上に心に余裕がない少女のため、涙を振り払い、笑顔を作って語り続ける。
「お母さんとはぐれちゃったのかな?」
「……うん」
恐怖を感じつつも、少女はユートの見せる笑顔に少しばかり心を開いてくれたのか、返事をしてくれた。
「じゃあお兄ちゃんが一緒に探してあげるよ」
手を差し伸べ、少女がこの手を取るのをユートは待つ。
恐る恐る、恐怖をぬぐえない様子で少女は差し伸べられた手を取ろうかどうか思案する。
脳裏に浮かぶのは、知らない人について行っちゃいけませんという、母の教えだった。
「そうだ、飴があるんだ。食べるかい?」
少女は陥落した。
目の前の甘味という魔力に囚われ、口に飴を頬張ってユートと手を取り合って母親を探し始めた。
「へぇ、お父さんは冒険者をしてるんだ」
「うん。とってもかっこいいんだよ」
少女と他愛ない話をしながら、そこらじゅうを歩き回って母親と詰所を探す。
悲しいかなユートも田舎者でありこの街のことは知らない。迷子を扱ってくれるところがどこかも知らず、少女と一緒に手探りの状態で街をさまよい、母親はいませんかと大きな声を張り上げることしかできなかった。
時間にして三十分が経過したころ、一人の女性が少女の名前を叫び、駆け寄ってきた。
「マイ!」
呼ばれた少女はユートから手を離し、駆け寄ってくる女性の元へと涙目で走っていく。
「お母さん!」
少女は涙を、母親は安堵の息を。この再会を感動の再会とばかりにユートは喜び、笑みを浮かべてうんうんと頷く。
「よかったなぁ」
その言葉に反応し、少女の母親が血相を変えてこちらに振り返った。
「あなたが迷子のうちの子を助けてくださったんですね。本当にありがとうございます!」
大げさなぐらい腰を曲げ、何度もありがとうを繰り返す女性。その仕草にユートは戸惑いを覚えつつも、深い感謝の念を送られていることに今まで感じたことのない充実感を感じた。
ただありがとうと言ってもらえること、それから得られるこの感情、やはり人のために行動することは絶対的正義であり、最も尊いことなのだということを確信した。
「僕は勇者を目指してますから、誰かを助けるのは当然のことですよ」
当たり前のことのように言って、その場を去ろうとする。そんなユートの後ろ姿に、少女が言葉を投げかける。
「お兄ちゃん、ありがとう!」
その言葉に軽く手を振って答えて、これでもかと温まった心を胸に、再び街中を歩き回る。
(やっぱり人を助けるって気持ちいいなぁ。まあ、困った人がいないことが一番なんだけど)
豊かな気持ちのまま街を散策し、ロクに何も考えずに色んな所へ足を運ぶ。にぎわっている場所に無意識に足を運び、人の表情を見続ける。
楽しむ人の顔を見ることでさらに豊かな気持ちになるユートは、ドンドン歩みを進める。そして二時間ほど経過したころだろうか、ある事実にユートは気付く。
「ここどこ!?」
気が付くと街の路地裏に位置し、自分がどこにいるかもわからない。分かりやすく言おう。迷子だ。さっきの子供と同じく、たった一人で見知らぬ地にいる。非常に心細くなっている。
誰かいないか周りをキョロキョロと見まわし、すがるような気持ちで人を探す。
だが場所は路地裏、こんな場所に普通の人間はいはしない。半ばあきらめつつ、歩き回ればいつかは着くだろうという楽観的な考えで寮を目指す。
その時、ユートの目に人影が映った気がした。
気のせいかもしれない、だがもしかしたらと、希望を抱いて人影があったかもしれない所に素早く移動する。するとそこには二人の少年少女がいた。
また迷子かな、そう思ったユートは、自分もまた迷子であるにもかかわらず、二人の子供を助けようと声をかける。
「どうしたんだい? お母さんかお父さんは?」
聞くと、少年は怯えた表情で答える。
「……いない」
「そっか。じゃあお家がどのへんかは分かる? 方向さえわかれば、一緒に行ってあげるんだけど」
「……ここ」
少年は近くにある空き箱を指さした。まさかとは思い、再び質問する。
「あの箱で寝泊まりしてるってことかい?」
「……(コクッ)」
少年は無言でうなずく。見知らぬユートに恐怖を感じることを隠し切れず、小刻みに震えながら。その態度に少し傷つきながらも、恐怖を感じつつ少女は守ろうと、積極的に前に出ようとする少年の勇気に感服していた。
それはある種の尊敬とも取れる感情だった。
「そっか、あそこで暮らしてるのか」
この少年少女は、いわゆるホームレスというやつだ。見れば衣服はボロボロ、ガリガリの体でろくに食事をとっていないことが分かる。
こういう子がいることをしょうがないと思い、自分ではどうしようもないことだとは理解している。せめてもと、出来る限りにことをしてあげようと、ポケットから財布を取り出す。
あまり多いとは言えない、だが数日は生きていくに不自由はしない金額だ。
「これ、少ないけど」
「え?」
信じられないものでも見るかのように、少年はユートを見上げる。その目には、お金を恵まれた嬉しさなど微塵も感じられない、疑いだけが宿っていた。
見ず知らずの人間からこのような扱いを受けても、それを心の底から善意だと信じるなど到底無理な話だ。しかもこの二人は、人のやさしさというものに触れたことがないのだろう。
差し出されたやさしさなど、おいそれと受け取るわけにはいかない。
「あ、あの……ごめんなさい。ボク、何もお返しは……」
「そんなのいらないよ。これは君にあげるんだ」
やんわりと断ろうとした少年の意思をユートは感じ取れない。
いや、感じ取ってはいたのかもしれないが、どのような感情を持ってもここでお金を渡すことは必要なことだと、そう信じているユートは無償の善意をやめることはない。
何十秒か、このお金を受け取るかどうか悩んでいる少年に、ユートは安心してもらおうと自分がどういう存在なのかを伝える。
「僕は勇者を目指してるんだ。困っている人を助けるのは当然のことだよ」
「……勇者様?」
ユートの語りに、少年でなく少女が食いついた。
「リラ、お前は隠れてろ」
顔を出した少女を少年は慌てて隠そうとするが、勇者という言葉に興味を持っているのか、少女はユートの前に立って聞く。
「お兄ちゃん、勇者様なの?」
怯えが見える。だが好奇心が勝った瞳でユートを見つめる。
「正確にはまだ勇者じゃないんだ。けど、困っている人がいたら、誰でも助けてあげるよ」
「……私たちも?」
「もちろんさ。だからこのお金で、何かおいしい物でも食べるといいよ」
「……うん!」
少女はユートの差し出した財布を受け取ろうとした。
少年は今だ完全に信用した顔ではなかったが、妹が心を許した存在、多少だが気を許してくれたようで、少女がもらい受けた財布を返すよう指示することはなかった。
「また……助けてくれる?」
「もちろん。いい子にしていたら、僕は助けるし、周りの人も助けてくれるはずさ」
「ありがとう!」
少女の満面の笑顔、少年も完全な信用ではないだろうが、ほんの少し笑顔を見せる。
ユートは再び心を豊かなものとし、来た道を戻っていった。
道中、困った人間を見かけ十人ほどを助けた時だろうか、日は沈み始め、茜色の夕焼けが街を赤く照らす。
その色彩を暖かな心で見上げたこと、そのことが今日一番うれしかったとユートは感じながら、寮へと戻っていった。助けた人に寮を教えてもらい、迷子からは脱出していたのだ。
今回の休暇は、そんな人助けの連続だった。
街へ降り、路地裏を見て、困っている人を探す。迷子の少女のように涙を流す人がいればすぐ助け、少しでも困っている素振りを見せるようなら声をかけ、助けてと言われれば何の疑問もなく助ける。
これこそが勇者たるもの、ユートはその心持ちで街中を駆け回り、休暇が終わるころにはユートの名前はこのガナ王国に住む住民たちの噂の種になるぐらいは広まっていた。
ユートは人を助け満足し、住民は助けてもらって笑顔を浮かべ、その笑顔がユートの更なる活力となり再び人を助ける。
綺麗な世界を作り出すためのスパイラルは確実に回っていた。
やがて休暇が終わりユートが街中に降りることがなくなったのだが、それでもユートを会話の中心にする人間は少なくない。
彼のような人間が勇者になってほしい、なるべきだと、その思想は着実に広まっていった。
それはユートの勇者への道を歩むことへの後押しへと、確実になっていった。