合理的判断
「帰ったぞ」
魔獣討伐を追え、両手に食料を抱えたユートが返ってきた。
それをミオは、わざわざドアまで歩いて出迎える。
「おかえり」
「……立ち歩いて平気なのか? 無理すると体に良くないぞ」
「少し体は痛いけど、これくらいなら平気よ」
「薬、効きすぎたな」
ミオに鎮痛剤を渡したことを若干後悔しながら、夕食の準備に取り掛かる。
そんなユートの姿を見て、ミオはあることに気づいた。
「あれ? ユート、盾と鎧は?」
ユートはこの家を出るとき、右手に剣、左手に盾、体に鎧、足にブーツの装備だった。それなのに今は、剣とブーツしかこの場にない。
「売った」
「えぇ!?」
ユートの言葉にミオは驚愕の声をあげる。そして信じられないものでも見るかのように、戦士にとって重要な武装を売り払った男を見つめる。
「あなた、何考えてるの? 魔獣と戦うのに防具は必要不可欠じゃ……」
「不可欠って程じゃない。足場の悪いところを移動するブーツと魔獣を殺す剣があれば、防具がなくとも問題ない」
そう語るユートだが、問題はあるに決まっている。
敵の攻撃を防ぐ、それも早さのある攻撃を防御する場合、盾は必須だ。
剣で受ければいいと考えるか? それではだめだ。
長物で防御するよりも、盾の方が小回りが利き、さらには守るための道具だ。剣以上に耐久性が優れていることは言うまでもない。さらに鎧も、大人数と戦う場合、奇襲をかけられた場合など、剣や盾で防ぎきれない攻撃をされた場合にも役に立つ。
そんな戦いに必要なものを、実際今日まで使っていたであろう装備品を、ユートはためらいなく売り払ったと。
戦う時は基本素手、魔力を駆使して戦う魔族でさえ、理解できるものではなかった。
「わからないわ。あなたがわからない」
「金になる。それだけだ」
ユートが金の詰まった袋を見せる。それを見て、ミオは理解する。ユートが自分の装備を売り払った理由が、自分のためであると。
ミオは多数の魔族から命を狙われ、命からがらここにたどり着いた、そんな存在だ。いずれ魔族がミオを狙いこの地に足を踏み入れたとしても不思議はない。
となると、ユートはミオから目を離すことが出来ない。いつどこで誰がミオの存在をかぎつけるか分からず、そいつがミオを殺すことを目的とした魔族だった場合、ユートは常にミオの元にいなければ危険である。
要約すれば、大事なものであるはずの防具を売り払い大金に換えたのも、今後、金を稼ぐために外へ魔獣討伐することを無くすため。
常にこの部屋にいて、ミオを監視下に置く。いつ来るかもわからない、もしかしたら来ないかもしれないミオを狙う者を警戒し、守るためだ。
どこまでもミオの安全を考えたやさしさに溢れた行動。本来ならこれほどまで良くしてくれることに感謝し、恩義を感じることだろう。
だがあまりにもやさしすぎるユートの行動は、同族である魔族にすら裏切られたことのあるミオにとって、不気味なものでしかなかった。
「どうして……そこまでするの?」
疑惑の目を向け、ユートを睨みつける。睨みつけるのだが、ミオはユートがあくどいことを考えているとは思えなかった。思えないのだが、やはり疑惑の目を向けてしまう。
何か考えがあるのかもしれない、それは自分にとってひどいことなのかもしれない。
何も考えてないのかもしれない、ただの善意でここまでしてくれているのかもしれない。
相反する二つの考えがミオの心の中で渦を巻き、疑心暗鬼にさせる。
「こうした方が良いと思った。ただそれだけだ」
ユートは事実しか言わない。
ミオの元にい続けるべきだと判断し、そのための金を得るために防具を売り払った。
その行動は合理的に考えてよいものと考え、だからこそ何のためらいもなくできる。
あくまで善意ではなく合理的に判断した結果だと、ユートはそう考えていた。
その行動が、ミオのことしか考えていない合理性の欠けるものであると気づきもせずに。
「夕食まであと1時間ほどかかる。それまで寝ておけ。暇なら本棚から適当に本でも取って読んでおけ。俺の本を気に入ればだがな」
言われ、ミオは本棚に目を移す。本を指さしながら、一つ一つ丁寧に物色し、本を選ぶ。
「あー、そう言えば、文字は読めるか?」
「ええ。魔族は生きるために人間の文化も取り入れているから。食文化なんかはさすがに違うけど、それ以外はほとんど人間と一緒よ」
ミオの語る通り、魔族と人間の文化はほとんど同じである。
衣服も家具も日常で扱うものは人間の文化から取り入れたもので、それを取り入れだしてから数十年、人間文化は魔族文化に浸透している。人と魔族は同じ存在になりつつある、ゆえにミオは尿瓶の存在についても知っていた。
ただ、文字を読み書きできるのは魔族の中でも上位の存在、人間は一般家庭レベルでも文字の勉強は出来るが、魔族は格差が大きい。その理由は、中位魔族以下の魔族の知能が獣のそれと同等レベル、もしくは魔族であることを誇りに思い、人間文化を良しとしないものがいるからだ。
「じゃあ、この本を貸してもらうわ」
ミオがとったのは、一冊の小説。巷でもそこそこ人気のある王道ファンタジーだ。
その内容は勇者に憧れる子供が様々な苦難を乗り越え成長するという、どこにでもある普通の小説だ。
ユートにしては意外なチョイスだなと、ミオは期待を込めて本を開く
「この家にあるものは基本なんでも使っていいぞ」
「……なんでも、ね」
ミオは部屋を見回す。
何でもと言うが、この部屋にはほとんど何もない。娯楽と言えるものは本棚に敷き詰められている本のみ。それ以外に面白そうなものは皆無だ。
もしもミオが本を読むことに楽しみを見いだせない魔族だったのなら、何の面白みもないこの部屋は何もないのと変わらない
それからミオは夕食が出来るまで本を読み続けた。
そして夜が来る。
これからの時間はただ寝るだけ、今日一日の疲れを落とし、明日また頑張るための英気を養うための時間だ。
心休まる……はずなのだ。
「ミオ、包帯を変えるぞ。それと体も拭く。服を脱げ」
「……やだ」
子供の様にそっぽを向き、ミオは布団に顔をうずめた。
「そのままじゃ汚いだろ。衛生面に気を使ってこそ看病だ」
「痛みは少し引いた。私が自分でやる」
「ダメだ。まだ体中に包帯を巻くのはつらいだろ? それに体を拭くのに、背中に手を届かそうとするのは痛いはずだ」
ユートの意見は正論だ。何も間違ったことは言っていない、合理的判断に基づく真っ当な意見である。だがいつの世も正論が正しいとは限らない。
正しいから正論? 違う。正論とは感情を度外視した理論であり、人間、および魔族に感情がある以上、必ずしも正しくはない。
かといって、間違っていると指摘し納得させることも難しいのが正論なのだが。
「子供じゃないんだ。駄々をこねるな」
このままこの会話を続けてもユートは折れない。
合理的に、これがミオのためには一番良い行動だと信じ、拒絶するミオを無理矢理にでも剥ぎ、強制的介抱を行うことは必至だ。
せめてもの抵抗、プライドや自尊心を保つためには、抵抗することよりもこれから行われることを受け入れ、毅然とした態度で物事が過ぎ去るのを待つだけだ。
それがミオにできる、精一杯の抵抗だった。
ミオは服を脱ぎ、今日三度目の下着姿となり、ユートに肌を晒す。
それを見ていつも通り何も感じないユートが、淡々と作業を進める。
巻き付いている包帯を手慣れた様子で巻き取り、新たな包帯の準備をする。
そして傍らには綺麗な温水の入った桶に、さきほど購入した中にあった新品のタオル。
濡らしたタオルを軽く絞り、汗ばんだミオの体を丁寧に拭く。
「…………」
ミオの態度は毅然としたものだった。
タオルで拭かれていることに多少なりとも感じるところがあるものの、今朝の魔力を体内に放出されたことや、傷薬を塗られた時と比べれば問題ない。
人間よりも敏感な体を持つミオも、一切の声をあげずにことが終わるのを黙って待つ。
が、敏感とかそんなのに関係なく、ユートのデリカシーのなさすぎる行動に、沈黙を決め込んだミオが声をあげることになる。
「ちょ、ちょっと!」
「なんだ?」
いちいち騒ぐなと言いたげな目を向けるユートだが、さすがのミオも黙っていられない。
ユートはあろうことかミオの下着をずらし、胸までもタオルで拭こうとしているのだ。
確かに下着の中が一番衛生的に悪いだろう。肌に密着しているがゆえに、細菌も繁殖しやすい。その中を清潔にする行為自体は普通のことであるが、常識的に考えてありえない、女の秘部を触ることと同義のそれをいともたやすく行うユートに、されるがままだったミオもさすがに反抗する。
「そこは私がやる! 体勢的に無理なことは一切ないし、何も問題ないでしょ!」
必死の提案、そこだけはやめてほしいと涙目で訴えるミオに、さしものユートもタオルを手渡し、ミオに拭かせる提案を受け入れる。
もちろんミオがデリケートゾーンを拭いている間、ユートは後ろを向いていた。
「あなた、どんな生活してきたのよ」
これほどまでに女心を理解しないユートが今までどのように人と関わってきたのか。
かつて勇者を目指していたのなら、それなりに交友関係はあっただろう。その中には多少なりとも異性との交遊もあったに違いない。
にもかかわらずミオに対してこの行動、魔族であるからという理由だけではないだろう。
この男は根本的に馬鹿であると、ミオは思った。
「……終わったわ」
体を拭き終えたミオが、後ろを向くユートに声をかけてタオルを渡す。もちろん桶に入った水でちゃんと洗った。
「じゃあ包帯を巻くぞ」
ユートは何も変わらない。
表情も手つきも、普段と全く変わることなく、無駄のない動きで作業をする。
ミオにとってそれだけが唯一の救いであった。この男は劣情を抱いていない、それが分かることは女としては安心できる要素だ。
女として屈辱的な要素でもあるのだが。
包帯を巻き終えた後は、もう寝るだけだ。
ミオは体中が傷つき、なおかつユートから受けた恥辱による精神的疲労から、今日はぐっすりと眠れることだろう。
ユートもまた、いつも通り魔獣を倒し、さらに慣れない人の……いや、魔族の介抱をしたことによる疲れが溜まっていた。
早く寝ようとミオはベッドで横になり、ユートは椅子に腰かけた。
「ってちょっと! あなた布団は!?」
椅子に座って目を閉じたユートに、ミオは驚きの声をあげる。
一体なんだと、眠りにつこうとしていたユートが不機嫌な目をミオに向ける。
「そんな体勢で、しかも毛布も無しに寝るとか、何考えてんの!?」
季節は冬、まだまだ凍える日が続いている。ユートは冬用とは思えないほどの薄着、しかも一枚たりとも毛布の類をかけていない。普通ならば風邪をひくことを心配される装いだ。
それが自分がベッドを使っているせいだという正解にミオがたどり着くことは、容易なことであった。
「私にベッドを渡して自分は椅子で寝るって、気分悪過ぎよ」
助けてくれとは言った覚えがない。だが仮にも命を救ってくれた人間に対して自分だけがぬくぬくと暖かなベッドで寝ることに抵抗を覚えないほど、ミオは良心のない魔族ではなかった。
「ベッドは一つしかないんだ。傷ついたお前を椅子や床に寝かせるわけにはいかないだろ?」
「そ、そりゃそう考えるのは分かるけど……でも、さすがに気分が悪いって言うか」
「じゃあなんだ? 一緒の布団で寝るって言うのか?」
ユートはミオの言っていることを鼻で笑った。下着姿を見ることを、その中を見ようとするユートでさえ、一緒のベッドで寝ることは男女のやるべきことではないと考えているようだ。
ミオもまた、年頃の男と一緒のベッドで寝ることに抵抗を覚えないほど尻の軽い女ではない。本来なら一人で寝たいと考えているはずだが、一緒のベッドで寝ることの恥ずかしさよりも、椅子で寝かせてしまうことへの罪悪感が勝ってしまうやさしい女の子であった。
「……一緒に、寝てもいいわよ」
「は?」
予想外だったのか、ユートの表情が動いた。。
「いいのか?」
「椅子で寝かせるよりマシよ」
そっぽを向き、あくまでもユートの顔は見ないでベッドの横に体をずらし、スペースを作る。
元々このベッドはユートが一人で使っていた一人用ベッドであったが、ミオの体はそんなに大きくないこと、ギリギリまで横に詰めてくれたことにより、ユートがベッドで寝ることができるほどのスペースは空いた。
ミオがいいと言った、ならばユートに断る理由はない。
少々驚きはしたものの、一瞬考えただけでユートは再び無表情に戻り、ベッドの中に入った。
そして目を瞑り、就寝につく。
ミオもまた、目を瞑って眠りにつこうとする。最初はすぐそばに男性がいることを意識してか眠りにつくことが出来なかったのだが、色々あった今日だ、恥ずかしさを超える睡魔がミオを襲い、大して時間がかかることもなく睡眠へと落ちて行った。
このような日常が続く。
ユートがミオを看病し、ミオがそれを受け入れる日々が。
デリカシーのない行動にミオが怒りもする、羞恥を感じる。たまに耐えきれなくなり暴力を振るい、身体の傷が痛むこともある。
なにやらミオの心労が多い気がするものの、このような日常が何事もなく過ぎて行った。