ユートの日常
「ん、確かに」
ギルドに着いてすぐ、ユートは依頼完遂を受付に報告した。
いつも通りのやり取り。倒した証をギルドに見せ、その対価をいただく。
そうやってユートは今まで生計を立ててきた。
ユートだけでなく、この世に存在する数多くの戦士はギルドに冒険者として登録し、ユートと同じように魔獣を倒し、日銭を稼いでいた。
戦う魔獣の強さにかなりの差はあるが。
「そんじゃ、これが報酬だ。五匹で十万ガナ、手数料を引いて、五千ガナ」
慣れた手つきでお金の入った袋をユートに渡す受付。
だがユートはそれに手を付けず、受付の目を見てこう言う。
「今さらだが、これでは安すぎる」
渡された報酬に納得がいかないと、さらなる報酬を求めた。
それに受付は鼻で笑って言葉を返す。
「ホントに今さらだな。今までこの報酬でやってきただろう? 五千ガナもあればお前には十分だ」
そう言って、報酬の上乗せを断る。
明らかにおかしい対価であるのに、竜種一匹を討伐してユートの手元に残る金がたったの千ガナ、五匹で五千ガナ、ありえるはずがないのに。
これで何の問題もないと、これ以上の金を支払うことはしない。
「……そうか」
ユートはミオの言葉を思い出していた。
自分は騙されていると、明らかに割に合わないと。
そんなことは無論、ユートにもわかっていた。わかっていたが、それでも問題はなかった。だから今まではこの対価で満足していた。
物欲はあまりなく、おいしい食べ物などにも興味がない、そんなユートには一日五千ガナもあれば、十分すぎるほどの金額だった。だがそれは今までの話。現在のユートには、これまでより多少なりとも多めにもらわなくてはいけない。
ミオのために。
怪我の治療のための傷薬や包帯、さらには食費、普通に考えれば倍以上の金額が必要であることは計算するまでもないことだ。
だからこそ、ここで引くわけにはいかない。
「お前の懐に流れている金、十万ガナは超えているな?」
「……なに?」
「本来なら竜種の討伐の報酬は一匹につき百万ガナ、手数料は報酬の十パーセント、十万ガナのはずだ。だが俺への報酬は一匹千ガナ、本来俺が受け取るはずの八十九万九千ガナは、どこへ消えている?」
「そ、それは……」
「俺への不当な扱いは周知の事実。ならば残りの八十九万九千の大部分はギルドに持っていかれているだろう。だが……お前にも流れているな?」
「どうして、それを……」
「偶然知ってな」
もちろん嘘だ。
ユートはいつ仕事を無くされ、無一文になるかもわからない。
そのため、自分用の財布を作っておこうと考え、それにピッタリの人材がこの受付であると、白羽の矢を立てただけである。
ある程度の労力は必要であったが、その日を暮らすための行動、ユートは問題なく遂行した。
「告発する気はない。お前の財産を奪い取ろうとも考えていない。お前に流れているであろう十万ガナのうち、一万をこっちに渡せ。それでいい」
脅迫にしても、明らかに釣り合わない。
これでは結局、1匹につき一万一千ガナ、本来の報酬の1パーセントほどだ。
そして受付も、この脅迫を受け入れたとしても十分すぎるほどの金額が手元に残る。
断る理由はない。
「……ほら、全部で五万五千ガナだ。持ってけ」
不愛想に、しかしこの程度で済んで助かったと安堵の表情で金を渡す。
それを受け取ったユートは、今後必要になりそうなものを買いにある場所に向かう。
商店街を抜ける。路地を抜ける。
ユートが向かった先は、およそ人が立ち入らないであろう、路地裏に立つ一つの不気味な館だった。
「入るぞ」
中の人には聞こえないほどの、つぶやきにも取れる声で断りを入れて中に入る。
中は外観とは程遠いほど、綺麗に片づけられている。
隅には一切の埃が見当たらないほど清掃が行き届いており、家主の几帳面さがうかがえる。
「相変わらず、中だけは一丁前だな」
そうユートが感想を漏らすと、この館の主人が顔を出す。
「やあやあユートさん、いつも通り食材の買い出しですね。何にしましょうか?」
軽薄な口調、しかしその服装は黒ずくめの、見るからに怪しさ満載のうさん臭い男だ。
「今日はいつもより多めで頼む。それと、傷薬と包帯だ」
ユートは普段、ここの人間に日々必要な買い物を頼んでいる。
なぜこのような真似をするか、それは普通に買い物をしても、誰もユートには物を売ろうとしないからだ。
過去にユートが犯した罪が、そうさせている。
そしてここの主人、ソルドは金さえ積めば何でもやる。
普段は他人の買い物などするような善人ではない。奴隷売買、違法薬物売買、他にも様々な悪行を重ねている。そんな男がユートの頼みを従順に聞くのは、ユートが稼いだ金、そのすべてを受け取っているからだ。
普段の儲けからすれば微々たるものだが、たかだか買い物程度で金を得られるのならば、喜んでと引き受けてくれたのだ。
「傷薬と包帯、ですか? まさかユートさん、怪我でもなされたんで?」
ユートを物色するようにソルドは眺める。
それは心配からくるものではなく、不安からくるものだ。
ユートを傷つけるほどの凶悪な魔族、そんなものが存在することが不安なのだ。
「いや、俺じゃない」
「ユートさんじゃない? なら……まさか人助け!?」
ソルドはユートが怪我をしたと疑った時よりも一際、大きな声をあげた。
「違う」
驚きに対し、ユートは平然と嘘をつく。
いや嘘ではない。正確には魔族助けだ。
屁理屈とは理解している。
「いいから買ってきてくれ。ああそれと、女性服も頼む。身体情報はこれに記載してある」
ミオの身長とスリーサイズ、服を買うことに必要な情報を明記した紙を渡す。
「女性服……ですか? やはり人のため……ああいえ、なんでもありません」
深く追求しようとしたソルドにユートは睨みを効かせ、無言で黙らせる。
それ以上は聞いてこず、ユートから五万五千ガナを受け取りそそくさと出て行った。
ユートはソルドが買い出しから戻ってくるまで館で待つ。
傍らに置いてある来客用のいすに腰掛け、思いにふける。
「……本当に、どうしちまったんだ……」
これまでの行動を省み、ユートは頭を抱える。
もう誰も助けることはしないと決めた。
その結果、この街でろくに買い物もできない状態になり、それでもなお構わないと決めたはずなのに。ユートは見ず知らずの人間……いや、魔族を助けた。
十分な食料と怪我を治すための道具、果ては衣服まで、なんとも献身的である。
そんな自分の行動をありえないと感じていた。
知っているはずなのに。
誰かに希望を与えること、それは絶望を生む可能性を秘めていることを。
たった一人ならいい? そう考えてはいない。
たとえ一でも、万でも、その数に関係なく誰も助けないと心に決めていた。
だが助けた。
傷つくミオを自宅にあげ、一つしかないベッドに寝かせ、食事を与え……。
「なんで……だろうな」
悩んでいる。後悔している。
ミオを助けたことを、今から過去に戻ってなかったことにしたいと、そう考えているが、決してミオを見捨てたりはしない。
助けたことを後悔していても、一度助けるという行為を働いたのだ。
ならば責任を持ち完遂する。
ミオの傷が完全に治るまでは傍にい続ける。
それだけは何があろうとやり遂げると、心に決めていた。
「これが最後だ」
正真正銘、最後の助けだと、ユートは自分の心に言い聞かせるようにつぶやく。
ミオで最後だと、これからさきは金輪際、誰も助けることはないと、そう誓った。
「ユートさーん、ドア開けてくださーい。買い過ぎちゃってー」
館の外から、ソルドが大音量でユートを呼びつけた。
それを聞き、ユートはまるで自分の家のようにドアを開ける。
「買ってきましたよ、頼まれた物。いやぁ、安かったんで、つい買い過ぎちゃいましたよ」
男の手には、推測で五千ガナほどの食料と、それをはるかに超える、大量の衣服が抱え込まれていた。
「そんなに買って、どうするつもりなんだ?」
「もちろんユートさんの恋のおうえ……いえ、なんでも。安かったからですよ」
ソルドの言いかけた言葉に、ユートはあらぬ誤解を受けていることに気付いた。
頼んだ衣服が自分の意中の女への贈り物であると、誤解していると。
確かに女性服を頼めば、そう邪推することも分からなくはない。
ユートはソルドの誤解を解こうともせず、目の前で大量に抱えられている食料やら衣服やらを受け取り、礼を言ってこの場を去る。
「また頼む」
「こちらこそ」
両手に必要なものを抱え、自宅へと戻るユート。
その道中、自身へと向けられる住民の視線に、ユートは針を刺される気分だった。
十分な食料を持つことにいら立つ視線、数多くの衣服を購入したことに嫉妬する視線、そのすべてはユートに対してよく思っていない感情であった。
これが誰も救わないと決め、それに準じた結果であった。
ユートは贅沢をしているだけで許されない、平和を謳歌しているだけで許されない、ただ生きているだけでも許されない。
それが世間の見解であった。
しかし、それを知りつつユートは普通の生活を続ける。
日々金を稼ぎ、食事をとり、睡眠をとる。ごく一般的な生活を送り続ける。
今までも、そしてこれからも。
……ただ、これからミオの怪我が治るまでは、今までとは多少、変わることは覚悟していた。
そんな住民の視線を浴びながら、ユートは自宅にたどり着く。
出て行ってから六時間後、ちょうど昼食の時間だ。
「帰ったぞ。調子はどうだ?」
家に帰って早々、ミオの具合を尋ねる。
「別に変わらないわ。傷は痛いし、暇だし」
不満気に伝えるミオは、ユートの顔を見ない。
窓の方を向いて、外の景色を眺めながら問いかけに答える。
「そうか。すぐに食事の準備をする。少し待っていてくれ」
そう言い、食事の支度にとりかかる。
材料は今朝よりボリュームの多い、肉中心の物だ。
それを焼き、味付けし、食べやすい形にカットして皿に盛るだけの簡単料理だ。
あとは野菜とパンを用意し、昼食の準備は終わる。
「ほら、食べろ」
ミオの元に、無骨に皿を置くユート。
「今朝よりも多いのね」
「朝はあまり食べない奴の方が多いからな。多かったら残していいし、少なかったら言え」
「うん……イツッ」
手にフォークを持って食事をとろうとしたミオが、痛みで声をあげた。
それから数秒の間、硬直して動かない。
それを見てユートは今朝のことを思い出す。
「もしかして、今朝も朝食を食べるとき、痛かったんじゃないか?」
「……うん」
ミオは言いたく無さそうに、目を伏せてそう言った。
痛みを押して食べようとしたこと、その理由をユートは知らない。
だから何も考えず、こうすることが最も合理的であると、行動に移す。
「ほら、口を開けろ」
フォークで肉を刺し、それをミオに食べるように促す。
これが、ミオが痛みながらも無理をして食べようとした理由だ。
こうなることはわかっていた。食べられない自分にユートがこうして…………アーン、とすることはわかっていたのだ。
昨日今日あったばかりの男に、このような恋人同士がするような行いをしたくはなかった。さらには今朝、自分の下着姿を見たユートにこの仕打ちは、ミオにとって恥辱以外の何者でもなかった。
傷つくミオに選択肢はないが。
「……あーん」
口を開けて、ユートが差し出した食事にありつく。
無防備な姿を晒していることに恥ずかしみ、男の人に食べさせてもらっていることに恥ずかしみ……ミオの心臓は、これでもかというほど高鳴っていた。
「うまいか?」
そう聞くユートに、ミオは赤面しながら答える。
「……おいしい」
本当は、味など分からなかった。