無頓着な男
一体これから何をすればいいのだろうか?
ユートはミオを助けたものの、どう扱えばいいのかはまるで分らなかった。
怪我の手当てをすればいいことは分かる。傷薬や包帯、質の良いベッドはもちろん提供する。
だがそれ以外は?
魔族と言えど女だ。
女に必要な生活必需品は? そもそも魔族と人間の女を同じような扱いでよいのか?
魔族の上位種ともなれば人間と同等かそれ以上の知能を有し、それでいて人とあまり変わらない容姿の者もいる。
だがいくら外面が一緒であろうとも、中身まで一緒とは限らない。
下手な扱いをして怪我が悪化しても困る。
ならば、ユートの取るべき選択肢は一つしかなかった。
「ミオ、お前の体を調べさせてほしい。服を脱げ」
隅から隅までミオを、女の子の体を調べること。
それが今この場でユートにできる最適解!
分からないのなら知ればいい。聞くのではない、知るのだ。
人は己の体すらすべてを知っているとは限らない。
だから己の手で調べ、正解を得る。
それこそが最も信頼できる情報なのだから。
「なっ……!」
そしてミオは、顔を真っ赤に染め上げていた。
死を覚悟していたとしても、恥ずかしい物は恥ずかしいのである。
「ばか! そんなことできるわけ……イツッ!」
声を張り上げてユートを罵倒しようとしたが、いまだ癒えることのない傷にそれを阻まれる。魔族のミオだからこそ生きていられる傷、常人ならば死んでもおかしくないことは、魔族について十全に知っているとは言えないユートにもわかっていることだった。
「恥ずかしがることはない。ただ裸になり、ベッドに寝ていればすぐに終わる」
「ただって……」
ミオの、普通の少女ならば当然ともいえる反応に、ユートは眉一つ動かさずに対応する。
治療のための行為、やましい気持ちなど微塵もない。
なら恥ずかしがることもなく、またこちらとしてもなんの劣情も抱かない。
ユートは真にそう思っていた。
そんなユートの対応に、ミオはある仮説を立てた。
自分がおかしいのか?
魔族の常識では、女が男に肌を見せるときは特別な時のみだ。
だが人間はそうではないのかもしれないと、ミオは考えてしまったのだ。
今回の仮説、間違っている。
ユートがおかしいのであり、ミオの反応は人間の女としても正しい。
いくら治療のためとはいえ、さっき会ったばかりの青年に肌を晒すことは明らかに羞恥を感じるものである。普通は必要性があり、行わなければいけないとしても、多少は躊躇うものだ。
なのだが、その異常性を指摘できる生物はここにはいない。
ユートはおかしいと感じてはいなく、ミオもまた、おかしいと感じつつも正解を示す生物がおらず、何が正しいのかもわからない。
ミオはユートの言う通りにするしかなかった。
「……わかったわ」
ミオはボロボロになった衣服をゆっくりと脱いでいく。
ボロボロになって、ちゃんと身を隠しているとはお世辞にも言えない衣服だ。
肌は見え、上半身は下着すら少し見えている。それでも隠せているところはあるのだ。
どれだけ心もとない隠蔽力とはいえ衣服、それを一枚一枚脱いでいくことに、ミオは確かな羞恥を感じていた。
「これで……いい?」
下着姿になったミオ。これでいいか、という言葉には、これ以上は無理という意思をユートに伝える物であった。それを知ってか知らずか、ユートはこう答える。
「ああ、それでいい。それじゃあベッドに寝てくれ」
言われて、ミオはベッドに横になる。
ユートは目の前に下着姿の少女がいるというのに動じない。
ミオの体は、お世辞にも大きいとは言えない慎ましやかな胸、けれど世の女性のほとんどは欲しがるくびれがあり、スタイルは中々だ。顔立ちも平均以上の物を持っており、ピンク色の髪が可愛らしさを引き立てている。多少ボサついているものの、可愛い部類に入ることは間違いない。
だがユートは、顔を赤く染めるミオとは対照的、顔色を一切変えずにミオの体をまじまじと見つめる。
怪我の具合や魔族の体の構造を知るための、作業的な観察だ。
そして外見で判断できる物に一通り目を通した後、次の作業に移る。
「魔力を通すぞ。少し変な感じがすると思うが、我慢しろ」
ユートの手のひらに、光が灯る。
「魔力を相手の体内に入れるなんて、人間は器用ね」
「力がない分、小細工だけは達者なんだ。やろうと思えば体内に魔力を送って魔法に変えることもできる。多分俺しかできないがな」
「……どんな技術よ」
「始めるぞ」
魔力を手のひらに集約させ、それをミオの体の中心に沿える。
「んっ……!」
体内に異物が入っていく感覚に、思わず声をあげるミオ。
放出された魔力は体内を駆け巡り、得られる限りの情報をユートに伝える。
ミオの体内構造、怪我の具合、回復力、様々な情報を把握する。
そしてミオは、身体に駆け巡るユートの魔力に、熱を感じていた。
「あ……つっ……! ンン……!」
熱を感じている。だがそれは苦痛ではない。その熱は、ある種の快感をミオに与えていた。
「……終わりだ」
ユートはミオの体内に送り込んだ魔力を吸収し、得た情報を整理する。
これで今後のミオの介抱の仕方、その予定を作り出すことが出来る。
あくまでも冷静に物事を処理するユート。
それと対照的にミオは、
「ハァッ……ハァッ……」
息を荒げ、顔を押さえ、いまだ体に残る熱の余韻に支配されていた。
「とりあえずは普通の人間の治療を行っても問題はないようだ。それに、さすがは魔族と言ったところか。この傷、常人ならとっくに息絶えているレベルだ」
ユートの言葉をミオは聞き流す。
自分にとって意味のある言葉だとしても、周囲の状況に気を配れる状態にない。
「驚いたのが臓器だな。心臓と呼べる臓器の数も人間とは異なり、また強靭だ。とはいえこの傷、完治には相当の月日が必要となる。最低でも、半年といったところか」
冷静に分析結果を述べる。
これからのことを決めるためにも、ユートは先の行動で得た情報のほとんどをミオに教える。人間とは違う、魔族特有の身体機能を。言わなくてもいいことまでも。
「それと、人間よりも敏感らしいな。魔力による体内調査でこれほどの反応を見せたのは、お前が初めてだ」
「っ……!」
女にとって恥ずかしい分析結果を、少し冷静になったミオの頭をまたも熱くさせた。
まったくデリカシーのない発言に、ここから消えうせたい恥ずかしさと、ユートの顔を殴りたいという怒りを覚えさせる。
ユート個人には悪気は全くないのだが。
「もう服を着ていいぞ」
言われ、ミオは床に置いてある服に即座に袖を通す。
痛みも感じていたが、恥ずかしさと怒り、それが痛みを多少なりとも緩和させていた。
服を着終えたミオはユートに睨みを効かせつつも、とりあえずまともな分析であったことに安堵する。
もしかしたらなにか如何わしいことでも、という不安は抱いていたのだ。
しかし安堵はしつつも、一つ気に入らないこともある。
「ねえユート、私の体を見て、どう思ったの?」
「傷の具合は思ったよりもひどかったな。あと、魔族は丈夫な人間と考えても問題ないと知ったことか」
これである。
いかに種族が違うといえど、男と女だ。
自身の体を見ても、何も感じていない素振りはミオに取って中々に屈辱だった。
ユートが強いて感想を述べるとすれば、魔族にも下着の文化はあるんだな、程度だ。
「そうだ、朝食の準備は済ませてあるんだが、食事は人間の物でいいか?」
今までのことが些末な出来事であったかのように、ユートは話を切り替える。
それに憤りを感じるミオであったが、腹の音は正直な気持ちをユートに伝えてしまう。
『くぅぅぅ』
可愛らしい音が、ミオのお腹から鳴り響く。
その音はユートの耳にしっかりと届いた。
「……人間の食べ物は、食べたことがないから分からないわ。普段は知能を持たないはぐれ魔族のお肉を食べていたわ」
耳まで真っ赤に染めたミオは、これ以上の恥ずかしさをユートに知られないように、淡々とした口調で自身の食生活を語る。
それを聞いたユートは、ミオの態度には一切の関心を示さず、ひとり納得した顔で食事を乗せたお盆を運んでくる。
「はぐれ魔族ってのは、野生の魔獣ってことでいいんだよな? なら主食は人間と変わらない。とりあえずはこれを食べてみろ」
ユートの持ってきた食事は、パンにサラダ、コーンスープ、ごく一般的な人間の朝食だ。
「……よく分からない食べ物ね。まあ、出された物は食べるわ。贅沢を言える身分ではないし」
ミオは訝しげに、けれども仕方なく、差し出された食べ物を口に運ぶ。
まずはパンから。
「……味が薄い」
それは何の味付けもされていない、プレーンパン。
本来ならスープと一緒に食べるのを目的としたパンだ。
しかしそれを知らないミオは、味の薄いパンをまず頬張り、次にサラダへと移る。
「これは……普通ね」
パンとは違い、ドレッシングのかかったサラダに普通と感想を述べる。
しかし確実にパンの時よりも勢いのある手つきで、サラダを黙々と口の中へと運ぶ。
そしてパンとサラダを食べ終わったミオは、スープを飲む。
慣れた手つきでスプーンを使い、スープをすくい、口に入れる。
その反応は、パンとサラダの比ではなかった。
「んー! おいしい!」
ほっぺに手を当て、満面の笑みを浮かべて再びスープを口に入れる。
時折、熱さに耐えきれずにハフハフと口を動かし涙目になることもあったが、なんともおいしそうに、幸せそうに、ミオはコーンスープを飲み干した。
「……人間の食べ物も、悪くはないわね」
今までの幸せそうな顔が恥ずかしかったのか、一転して冷静な口調で感想を述べる。
「満足してくれたならいい。六時間後に昼食を持ってくるから、それまで寝ていろ」
食器を片付け、ミオに寝るように促し、ユートは剣の手入れをし始めた。
剣のみではない。ユートの体はいつの間にか、剣に盾、ブーツ、軽量の鎧と、明らかに戦闘用の装いになっていた。
「そんな格好して、どこかへ行くの?」
「ああ、仕事だ。昨日片づけ損ねた竜種の魔族が五匹ほどいてな。それの討伐だ」
てらいもなく、ユートは言った。
それがどれだけ大変なことかを知っているミオは、思わず声を張り上げる。
「竜種の魔族!? それって、魔族の中でもかなり強いのよ!」
ミオの言う通り、竜種の魔族はかなりの強さを誇る。
様々な種の魔族が存在する中、その実力は間違いなく上位に入っている。
それを冷静に、淡々と、討伐しに行くと言ったのだ。
昨日片づけ損ねたと、まるで倒すことが造作もないという風に。
「あなた……何者?」
「さっき言っただろう? 勇者を目指していた者だ。まあこれは、人助けではなく日銭を稼ぐためのものだが」
さらりと言った。日銭を稼ぐためのものだと。
そこに嘘偽りはない。
「竜種を倒して……いくらもらえるの?」
「二万ガナ。さっきのメシなら四十食分だな」
「騙されてない!?」
さきほどの食事に文句を言うつもりはなかった。
だが、あの程度の食事四十食分など、人間の金銭事情に疎いミオでさえ、割に合わない物だと予想することはそう難しいものではなかった。
「……少し訂正がある」
「そうでしょ、やっぱりありえないわよ。竜種を倒してたったの四十食分だなんて」
「一匹二万だ。だから合計すると、十万ガナにはなる」
「やっぱり騙されてるわよ!」
ミオにとっては絶対に信じられない。
竜種の魔族を殺し得られる対価が、さっきの食事四十食分など。
どんなに安く見積もったとしても、人間の通貨単位で百万はしなければ釣り合わない内容だと、ミオは確信を持って言える。
「そんな仕事辞めちゃいなさいよ。竜種を倒す強さがあるなら、もっと他に割のいい仕事があるはずよ」
人間についてほとんど知らないミオにさえ分かることだ。
ユートの仕事がどれだけ過酷で、どれだけ割に合わない物かを。
別にユートが心配なのではない。ただあまりにもバカすぎる。
目の前に選ぶ道を盛大に間違っている人間がいるのなら、それを正そうとするやさしさぐらい、魔族のミオにもある。
だがユートはそんなミオの言葉を聞き流す。
「五時間後には帰る予定だ。竜種の個体によっては時間が前後するだろうが、昼食までには戻る」
そう言って、ユートは体を武装で包み家を出た。
それをミオは、呆れて見送るのだった。