ミオの勇者
「ミオ……痛くないか?」
ライドラに結び付けた荷台にミオを寝かせ、ユートが聞く。ライドラの乗り心地は良く、時速百キロを超えるスピードにもかかわらず揺れはあまりない。だがミオはかつてユートと出会った時と同じ、もしくはそれ以上の傷を受けている。ほんの少しの衝撃でも痛みを誘発するだろう。
「ちょっとつらいけど……全然マシよ」
それは虚勢でも何でもなく、紛れもない事実だ。魔王城で受けた数え切れないくらいの苦痛に恥辱の数々、それらを思えば、ライドラの生み出す少しの揺れによる痛みなど、痛みと呼ぶことすらおこがましい。
「それにしても、剣やブーツも売るってどういうこと? それにあの魔石っていうのも、高価な物だったんじゃないの? このライドラと合わせて、だいぶ高くついたんじゃない?」
「ん? ライドラが高いのは事実だが、魔石は違うぞ?」
「……違う?」
「自分の魔力を送り込んで爆発するなんて便利な代物、あるわけ無いだろ。あれはただの飴だ」
「飴?」
「今頃、あのバカの体内で完全に溶けきっているだろ。恐怖は消えてなくならないがな」
「呆れた、クルエル兄さんを騙したのね?」
「騙せるとは思ってなかったがな。想像以上にバカで安心した」
「フフッ…………ねえ、ユート?」
横になっているミオはユートの目を直視し、真剣な声で問いかけた。
「どうして、助けてくれたの?」
かつてと同じ質問。
数々の苦痛をもたらされたミオの心には、理由が必要だった。どれだけ打算的な物であったとしても、理由のないやさしさは不気味なものでしかない。
だからこそ、ユートの真意が知りたかった。
だが今は違う。あの時はユートという人間が何もわからず、ただ単純に疑わしいという理由で質問を投げかけたが、今は知っている。ユートが何を考え、何を思い行動しているのかを。
これは確認だ。質問を投げつけるも、投げ返される返答が何かはミオには予想が出来る。ユートの過去を知り、心情を聞いたミオには。
「お前が、あの子と同じ目をしてたんだ」
「……そっか」
返された返答に、ミオはやはりと思う。
ユートがミオを助けたのは、魔人に落ちた少年と同じ目をミオがしていたから。
希望を抱きながら、その希望に裏切られ、絶望していた者の目。ユートは本能的に直感していたのだ。聞くはずだった少年の最後の言葉を、同じ目をするミオなら示してくれると。
自分が聞くべきだった罵倒の言葉を。
少年に……少年と同じ目を持つミオに非難してもらうために、助けたのだ。
「なあミオ……あの子は、最後になにを言おうとしたんだ?」
「……あくまで私の想像よ。それでもいいなら、言ってあげる」
ついにこの時が来たと、ユートは覚悟した。
自身の犯してしまった罪、それを雪ぐことなどできはしない。誰かを助けるためという大義名分は言い訳にすぎず、少年を魔人に落としたという事実は消えることがない。
報いを受ける機会は逃され、自分は今までのうのうと生きてきたのだ。
そのことに対してようやく裁かれることを、覚悟しつつも安堵した。
少年の言葉ではなくミオの言葉、だがいかなる罵倒も受け入れよう。死ねと言われれば潔く死のう。それが少年の本心なのだと、真摯に受け入れよう。
それだけが、ユートに唯一出来る贖罪なのだから。
……そう、言ってしまえば、ユートは期待していた。己の心を軽くするために罰せられたいのだ。罪の意識を無くしたいのだ。
それを知ってか知らずか……いや、知らないだろう。
ミオの出した言葉は、ユートを罰してはくれなかった。
「その子はきっと、ありがとうって、伝えたかったんだと思う」
「……は?」
まったく予想していなかった、ありえるはずもない言葉。
いかにすべてを少年の言葉として受け入れると決めていたとはいえ、その言葉を真っ向から受け止めることは出来なかった。
「それは……それだけは、ありえないだろ」
「どうして?」
「どうしてって……俺は、あの子を魔人に落としたんだぞ。助けてと願うあの子の妹を助けなかったんだぞ。そんな男に、ありがとうなんて言うはずがない」
どうしようもない罪を犯してしまったという自覚がある。なのにその罪に対する言葉がありがとう、という感謝の言葉であると、なぜ信用できよう。
罵倒しかありえないと考えていた、信じていた。
己の心にのしかかる罪悪感を少しでも軽くしてくれる言葉は、罵倒しかありえない。
感謝の言葉など、聞きたくはなかったのだ。
「俺はあの子を助けられなかったんだ。助けると言ったのに、あの子の妹を助けなかった。だから魔人に落ちた。俺への恨みはあっても、感謝なんてするはずはない。だいたい、それならあの子は魔人に落ちなかったはずだ。俺の無責任な言葉が、あの子を魔人に落としたんだ」
「……まあそれは否定しないわ。あなたがその子に……その子の妹に、助けてあげると言ったことが魔人に落とした原因なのは、変わりないわ。けどね、それでもあの子は、あなたに感謝してたはずよ」
「じゃあなんで、あの子は魔人になったんだ!」
信じられるはずもない言葉を続けられ、ユートはついに叫んだ。
感謝などしているはずもない。なぜならそれは、少年は確かに絶望していたからだ。
魔人に落ちるほどの絶望、それを感じた少年は誰かに対し……ましてユートに対し、感謝の念を抱くはずなどはない。
何度も何度も、あの少年の言葉の続きは考えた。
想像の中の少年は常にユートを罵倒する。感謝の言葉など、一言も発さなかった。
「ユートって、やっぱりバカよね」
苦悩するユートを見て、慰めるでも罵倒するでもなく、ミオは呆れた。
ユートという人間の視野が限りなく狭まっていること、その結果、見えていてもおかしくない当然の帰結にたどり着けないユートに対しての呆れだ。
深いため息をついて、ミオはその当然の理屈を説明する。
「大切な妹が、自分は悪い子だと思って死んじゃったら、誰だって悲しいでしょ?」
「……!」
言われて、初めて気づく。その当然の理屈に。
ユートにもう家族はいないし、いたとしても兄弟の類はいなかったが、その理屈は当然分かる。分かって当たり前の理屈だ。
大切な存在が自らを否定して死に至る。それほどの絶望が他にあるだろうか?
家族を失ったほとんどの人間は環境を呪うだろう。そして、妥協する。
この環境が悪い、だからしょうがない。死んだのは悲しいけれど、何も打つ手がなかったのだ。受け止めることのできない現実であろうと、妥協が緩和させる。しょうがないという気持ちが、状況を説明してくれる。
だが少年は、妥協が出来なかった。妹が信頼し、自身もまた信頼を寄せつつあった、勇者を目指す男の言葉を、いい子にしていたら助けるという言葉を信じ、疑わなかった。
ゆえに、少年の妹は環境を呪うことはしなかった。自分が良い子ではなかった、悪い子だったから助けてもらえなかったと、悲しい結論を出してしまったのだ。
そんな、悲しすぎる結論を。
「結局……俺が悪いのか……」
自身の無責任な言葉がどれだけ人の心を傷つけたかを痛感する。やはりすべての原因は己にあると、ユートは結論付ける。
だからこそ、分からない。少年が深い悲しみに至った理由、それは妹の自虐によるもの。それを引き出したユートを呪うこともまた、ごく当然の帰結のはずだ。
間違っても感謝などありえない。
「魔人に落ちたのは全面的にあなたが悪いわ」
ユートの苦悩をミオは肯定する。
あくまでも、魔人に落としたという部分だけだが。
「でもね、それでもやっぱり、その子はあなたに感謝してたのよ」
「……論理的に破綻してるぞ」
「一つ聞くけど、どうしてあなたは魔人を倒せたの?」
「……それは」
当時の苦い記憶をユートは思い出し、思案する。
あの少年の力は人智を超えていた。今のユートなら問題なく倒せるだろう。だが当時の、技術はなく、戦闘経験も浅いユートに勝てる相手ではなかったのは事実だ。
今まではそのことについて、考えてなどいなかった。少年の最後の言葉、そのことだけが気がかりで、考える余裕もなかった。
改めて考えれば、確かに疑問の残ることだ。
少年にとどめを刺した時の一撃、それはユート自身でもひどいと思うほどの稚拙な攻撃だった。下手をすれば素人でも躱すことが容易の、あまりにもお粗末な一撃だ。
現役の勇者や歴戦の冒険者を葬った魔人の少年ならば苦も無く対処できたはずなのだ。
「その子はね、あなたになら殺されてもいいと思ったのよ」
「俺に……なら?」
「そう。感謝しているあなたになら、殺されても構わなかったの」
「そんなこと……あるはず……」
「私はそう思うから」
否定の言葉を出すユートに被せ、ミオは語り続ける。
「アスタ兄さんに助けてくれた時、私はすごくうれしかったの。兄さんだけは私の味方なんだって、すごい安心したわ。でも結局、私を助けることが出来ずに死んだ。私はクルエル兄さんに傷つけられて、とてもつらい思いをしたわ。きっと、アスタ兄さんが私を庇う行動を見せなかったら、あれほど傷つけられることもなかった。死にたいと思うほどの傷を負うことは無かった」
それは、ユートと少年の関係に似ている。
助けられないくせに助けようとする行動がさらなる絶望を生み出し、苦しめる。
少年は深い悲しみを、ミオはひどい苦痛を。
もしミオが人間であったのなら、魔人に落ちるほどの絶望だっただろう。
恨んでいても、おかしくはない。
「でもね、やっぱりうれしかったのよ。誰も助けてくれない状況、そんなときに差し伸べられた手が、たとえ絶望から掬い上げられなかったとしても、心に残るの。どれだけ辛い目にあったとしても、助けてもらったことは絶対に忘れない。感謝し続けるの」
「……あの子も、そうだと?」
「当然よ。少なくともあなたに対して感謝してたから、殺すことはせず、殺されたのよ」
「でも、俺はあの子の妹に、自分が悪い子なのだと誤解させた」
「違うわ。あなたの発言で妹さんが自分を悪い子だと言ったとしても、それはあなたを信じていたから。心に残っていたからよ。たとえ死の間際でもあなたの言葉が心に残り続けて、それを信じていたのだとしたら、そこには感謝しかないはずよ」
「……妹の方はそうでも、あの子もそうとは……」
「恨んでいる相手になんか、魔人に落ちて理性が飛んでも、死んでも殺されなようとしないわ」
「……なにがあっても、か?」
「なにがあってもよ」
「そうか……」
ユートの心が、解き解されていく。
ひどい仕打ちをしたと少年たちに懺悔をしていた。自分など虫けらにも劣るゴミクズだとさえ思っていた。なのに、少年たちは感謝していたと。恨んでなんかいなかったと。
信じられなかった。信じることなどできなかった。
だがミオの言葉はユートの心に流れ込み、無数の傷を癒していく。
のしかかる罪悪感を取り除いてゆく。
ユートの心は確かに、救われていた。
「オレ……バカだな……!」
「ちょ、ユート!? なにも泣かなくても……」
ユートの目から、大量の涙があふれている。鼻水が垂れている。
傍から見れば何とも不細工な顔、そんなみっともない顔を、ミオの前で晒す。
不快な顔、驚いた顔、色々見せた事だろう。だがこれほどまでに感情を露わにした顔を見せるのは、おそらく初めてだ。
それほどまで、ユートの心が救われていた。
ほどなくして、ユートは涙を流し終える。
目は真っ赤に腫らし、鼻水をすする音を響かせる。
絶望に染まった顔とは対極の、清々しい顔で。
「ユート……これからどうするの?」
「どうするって、何がだ?」
「あなたが魔人に落とした少年は、あなたに感謝していた。もう、我慢して誰も救わないなんてしなくてもいいんじゃない?」
「……違うな。俺は誰も救わない」
「その少年が魔人に落ちたのは事実だものね」
感謝されていた、それを事実として認めても、ユートの今までの考えは変わらない。
いくら心を照らし続けたのだとしても、魔人にしたという結果は残る。そんな自身に人を助ける資格などないと、ユートは自覚していた。
頑固だと呆れるだろうか? それでも、ユートのこの考えは変わらない。
だとするならば、一つ懸念がある。
「私を助ける理由も……ないわよね」
誰も助けない道を選ぶのならば、ユートがミオを助ける理由はない。
なぜ助けたのか、その理由はすでに分かった。ただ単純に知りたかった。それだけだ。
その結果はもう出た。ミオが魔人の子と同じ目をしていて、知りたかった言葉を教えてくれそうだったから。助ける理由はもうない。
ユートの理念にのっとるのならば、ミオを助けない、見捨てるという選択肢を取ることが普通であった。ただ、その選択を取れるほどユートは悪人には成り切れない。
もしもミオを見捨てることが出来る人間ならば、少年のことであれほど悩まなかっただろう。
「お前のことは助けるよ」
「……いいの?」
「というかな、お前は俺を救ってくれた。だからこれは…………恩返しだ」
助けるというわけではない。あくまでも救ってもらったから、それに対する対価を支払うべきだ。そう、全ては合理的な判断だ。
「お前のことはこの先ずっと守る。安心するんだな」
そっぽを向いてユートは宣言する。
その横顔を見たミオは微笑みながら、つぶやく。
「あなた絶対、名前も知らない誰か助けるわ」
確信があった。この男は助けを求められれば、それがどんな存在であろうと助ける。
かつて目指した勇者のように。人々を助けるだろう。
きっと、不愛想な顔で。
「黙ってろ」
そう吐き出すユートの顔は、ミオにとって最も安心する顔になっていた。
かつて勇者を目指していたユートは、ここにいる。
本人は絶対に認めないだろう。自分は勇者などではないと。
それでもミオは、深い感謝の念を込め、ユートに伝える。
「ありがとう。私の勇者」
「……俺は、勇者じゃない」
ユートがこの先、本当に勇者になれるかは定かではない。
再び絶望を味わい、真に心を折るのかもしれない。
それでも、ミオにとってユートは勇者だ。
何があろうとも変わることのない思いは、ミオの中に残り続ける。
ユートにとって勇者は、人を助けることは、もはや悪ではない。
かつて夢見た、全てを照らす希望の光だ。
理想通りにはならないかもしれない。
だけど、ユートは何があろうとも、ミオだけは照らし続けるだろう。




