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ユートとミオ

「……あいつ」


 目覚めた少女は辺りを見回し、自分の状況を確認した。

 昨日のことは夢ではなかったのだと、あの男が自分を助けたのだと、その事実が現実であることを理解する。

 そして傍らに置いてある一杯の水を見て、昨晩、ユートに対して抱いた怒りが再発する。


「また、こんなこと……」


 話しかけるでも、ケガの手当てをするわけでもない。

 無造作に置かれた一杯の水、その中途半端なやさしさは少女を苛立たせる。

 こんな半端なやさしさを見せるぐらいならば、助けるなんてことをするなと。

 それでも、今の自分にはその中途半端なやさしさに縋るしかない。

 ユートに考えうる限りの非難の言葉を浴びせるには、怒りの対象の差し出したこの水で、喉を潤わすほかない。

 怒りを押し殺し、多少癒えた体でコップの水を一気に飲み干す。


「はぁ……はぁ……あー、あー」


 喉の調子を確認し、声が出ることを把握する。

 多少の痛みはあるものの、問題なく意思を伝えることは可能だ。

 これであの男に、自分の怒りをぶちまけることが出来る。

 少女はそう考え、声を荒げてユートに呼びかける。


「どこ! どこにいるの!」


「……元気そうだな」


 少女の声とは対極的、低く生気の宿らない声でユートは呼びかけに答えた。

 ユートの姿を見た時、少女は胸のうちに抱いている感情を思いのままに発散する。


「どうして私を助けたりなんかしたの! 放っておけばよかったのに……放っておいてほしかったのに! 何であんな余計なことをしたのよ!」


「…………」


 問いただされても、少女の望む答えをユートは提供できない。

 理由など自分にもわからないのだから。

 あの時、見捨てるつもりだった。

 自宅の前で野垂れ死なれてはなにかと面倒かもしれないと、声をかけた理由ならある。

 だがその後の行動、なぜ自宅にあげたのかは分からない。


 ユートは決めていた。

 もう誰かを助けるなんてしないと。希望を抱かせるような真似はしないと。

 一人で生き、一人で死ぬ。それがユートの誓いだった。

 誓ったはずなのに、助けた。見ず知らずの魔族の少女を、何の理由もなく助けた。

 そこに善意があったのかどうかは分からない。

 少女の言葉に一つ答えられる事実があるとすれば、それは……。

 打算が無いということだけだった。


「何か言ったらどうなの!」


 聞かれても答えられない。

 少女の望む答えを提示することは叶わず、自分には黙ることしかできないということを、ユートは分かっている。

 自らの心のうち、なぜ助けたのかは自分にもわからない、そんなことを昨日と同様に言ったところで少女の気を晴らすことなどは出来ず、逆に怒りを煽ることになるということは知っている。

 だから答えられない。


「……そう、何も言うつもりはないってことね」


 いつまでも沈黙を続けるユートを前に、少女は一人で納得する。

 この男は本当に分からないのだと納得した。

 どれだけ信じられないことであっても、ありえないことであっても、そう納得するしかなかった。


「これからどうするつもりなんだ?」


「私の質問には答えないくせに、自分は質問するのね」


「……そうだな。出て行きたければ出て行けばいい」


 ユートは自分勝手なことを言っていると感じていた。

 助けておきながら傷だらけのまま、あとは勝手にしておけと、突き放したのだという自覚があった。

 ユートは気付いていない。

 自分の言葉は突き放したものではなく、受け入れたものであることを。

 出て行きたければ出て行けばいい、それは裏を返せば、居たければ居てもいいというやさしさに他ならなかった。

 少女は気付いていた。

 ユートの言葉がやさしさゆえのものであることを。

 どれだけ無表情を貫いて、不愛想に振る舞おうとも、感じざるをえなかった。


「……ええ、勝手にさせてもらうわ。すぐに出て行くわよ。こんな偽善者のいるところ」


 少女はユートを一睨みし、ベッドから立ち上がった。

 ベッドから扉までは十歩ほど、数秒でたどり着く場所にある。

 そこまでの道のりを、一分以上かけてよろよろと歩く。

 生まれたての小鹿のように足をプルプルと震わせ、しかし少女の目には確かな意思が感じられるほど力強い物だった。


「……お水、ありがとう」


 それだけを言い残して、少女はこの家から去って行った。

 もう会うこともない、そう思っていた。

 変わらない日常の中、一度だけ起きたイレギュラー、それだけでしかない。

 ユートは一人になった部屋で、立ちすくんでいた。


「……どうしちまったんだ、俺は」


 去りゆく少女の背中を思い浮かべながら、ユートはつぶやく。

 かつて捨てたはずだった。希望を与え、絶望させる、救いを。

 あんなものには何の価値もない。

 だから、少女を見捨てるという選択はユートにとって当然のことであった。

 今までそうしてきた。数々の救いの声を見捨て、希望を与えてこなかった。

 ユートは見捨てなければいけなかった。

 そうしなければ、今まで捨ててきたものが無意味になってしまう。

 分かっていたのに。

 いつのまにか、外へ向かって走り出していた。


「おい!」


 少女はまだ近くにいた。もう何十分と経っていたはずなのに、少女は家から数十歩離れたところを歩いている。

 一歩に何十秒もかけ、時に転び、地面に這いつくばりながら、どこかへ向かっていく。

 その姿に、堪らないほどの何かを感じた。見捨てることは出来ない何かを。


「……なに、しにきたのよ……」


 気付くと、ユートは少女に肩を貸していた。

 出て行けばいい、そう言っていたのに。見捨てても問題ない、そう判断していたのに。

 少女に明確な救いを、ユートは与えたのだ。

 だが、


「離してよ」


 拒絶された。

 当然のことだ。なぜ助けるのかわからない、何を考えているのかわからない。

 善意こそが最もありえない、そう信じている少女は、得体のしれないやさしさに縋ることなどできない。

 差し伸べられた手がどれほど頼りになるものだとしても、そのやさしさには縋れない。

 拒絶するしかないのだ。

 ユートの示すやさしさは、タチの悪い打算よりも近寄りがたい。


「俺は、勇者を目指していた」


「……え?」


 突然の告白に、少女は疑問の声をあげた。

 それはユートにとって、唯一示せる理由だった。

 目の前の少女が、安心はできないだろう、しかし納得できるだけの理由があるとすれば、これしかなかった。

 かつて勇者を目指していた事実だけが、少女を納得させる可能性のある、唯一の理由だった。


「勇者は困っている奴を助けるものだ。だから、ただの善意で行動することは普通のことだ」


「……バカにしてるの?」


 明らかな敵意を放ちながら、少女はユートを睨みつける。


「勇者は困っている人を助ける? ええ、知っているわよ。でも、それ以前に勇者は魔を滅ぼす者でしょ! あなたが勇者なのだとしたら、なおさら私を助けるなんてありえない!」


 少女が述べるはありのままの事実だ。

 世に蔓延る魔の者、それを打ち倒すために勇者がいる。

 目の前の少女を魔族と知っているのだとしたら、勇者は助けてはいけない。

 見つけた瞬間に、剣を抜いて滅ぼすべきなのだ。

 だからこそ、余計に分からない。ユートが魔族の少女を助ける意味が、まるで。


「あなたが本当に勇者なら、私を殺しなさいよ! 剣でも魔法でも何でも使って、滅ぼしなさいよ! 出来るんでしょ? 簡単なんでしょ? 傷ついた魔族を殺すぐらい、朝飯前でしょ!」


 少女は叫ぶ。

 早朝の街の端、人などいはしない空間とはいえ、自分は魔族だと、滅ぼすべきだと、人の街で叫んでいる。

 だがもはや関係ない。

 少女にとって未来は、死ぬ以外に何もないのだ。

 ユートのやさしさに縋れない。提示された理由も、自分には当てはまらない。

 ここから離れたとしても、死ぬ未来しかない。

 だから叫ぶ。

 未来に絶望しかないのならば、今ここで何をしようとも関係はない。


「早く殺しなさいよ!」


 何度も何度も殺せと叫ぶ少女。抗いなどしないだろう。

 剣を向けられれば、首を差し出すだろう。

 魔法を放たれれば、避けることなく受け入れるだろう。

 ユートに……否、たとえ誰であろうと、向けられた死を受け入れていただろう。


「……俺は」


 少女の言う通り、勇者は魔族を滅ぼしてこそだ。傷ついた魔族を騎士道から見逃しこそすれ、助けることなど決してありはしない。

 それは絶対だ。

 だが、その常識があるのだとしても、ユートが魔族の少女を助けたことを納得させるのならば、それは勇者だからなのである。

 納得できるかどうかは分からない。

 また怒りを煽るだけになるのかもしれない。

 それでも、ユートは少女に伝える。

 かつての本心を。


「俺は、勇者ってのは誰にでもやさしくするものだと思ってる。人間でも魔族でも関係なく」


 偽りの言葉。

 かつては確かにそう信じていた。

 勇者とはすべての希望の光だと。

 魔すらも照らす光こそが勇者であると、本気で信じていた。

 これは偽りの言葉なれど、少女を納得させるならばこれしかないと、そう考えていた。


「納得、してくれないか?」


「……できない」


 少女には信じることが出来なかった。

 ならばなぜ、あんな冷たい目を見せたのか。

 やさしさを感じさせながらなぜ、そのやさしさを明確に示さないのか。

 ユートのこれまでの態度が、少女から信じるという行為をさせないでいた。


「私はあなたを信用できない」


 たとえ死ぬとしても、ユートの手を握ることは出来ない。

 その気持ちをユートは理解できる。

 自分の今までの態度が少女から信頼を奪ったことは百も承知だ。

 あの行動はユートの心の底から、本心で動いたもの。この状況も当然の物。

 それでもユートは、自分の行動を省みても後悔はせず、ただ淡々と少女を納得させるための言葉を続ける。


「俺は結局、勇者にはなれなかった」


「……それが、なんだって言うの?」


「俺には人を助ける資格なんてない。そう思っていたんだ」


 嘘だ。

 そう思っていた、ではない。

 そう思っている、だ。

 過去も現在も未来でも、自分には人を助ける資格などない。

 だが今この時は、嘘を本心として述べる。


「勇者でない俺はお前を助けちゃいけない。無責任な救いを与えるのなら、いっそ突き放すべきだと、そう判断した」


「……今は違うの?」


「今は……分からない。俺のしていることが間違っているのか、正しいのか。だから知りたいんだ。お前を助けることの意味を」


「結局、自分勝手な理由なのね」


 あくまでも自分のための行動だと。そう語るユートの言葉に、少女は揺らいでいた。

 この男の言葉を信じてもいいのだろうか?

 このやさしさに縋ってもいいのだろうか?

 自身を助けようとする青年、心の底から信頼することは出来ずとも、心の底から疑うことも出来ない。

 自分がどうすればいいのか分からなくなった少女は、ユートの目を見る。自分に答えを出させることを望む、懇願の行為だ。

 その末に出した答えは、


「……どうせ、死んでいるようなものだしね」


 死は確実だ。自分の未来に希望などない。

 ユートの元にいたところで、希望を抱きさえしなければそれでいいのだと。

 そうすれば、たとえこのやさしさに縋り裏切られたのだとしても、再び絶望することはないと。

 どうせ行く当てもなく、死を覚悟した身だ。

 どこに誰の元になんの目的で置かれていたとしても、問題はなかった。


「お前は……どうしたい?」


「お前じゃない。ミオよ」


「……そうか。俺はユートだ」


 名前を教え合い、ユートはミオを抱え、自宅まで運んでいった。

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