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逃れた地

 クルエルから逃れて一時間ほど、アスタは城下に紛れて身を隠していた。

 この国から出るということも考えたが、開けた場所に行けばクルエルの大規模攻撃の可能性がある。ミオが傷ついている今、それに対応するすべはない。

 人ごみに紛れることこそ、最善のはずだ。


「ミオ、まだ動けないかい?」


「……ごめんなさい」


 自分の足で立つことすらできないミオが、申し訳なさそうに謝る。

 アスタは優しい笑みを浮かべ、そんなミオの頭をそっと撫でる。


「謝ることなんかない。ミオは何も悪くないんだから」


 ミオは謝罪しつつも安心していた。アスタの暖かくやわらかな手のひらが、温もりを与えてくれる。絶望的な状況のはずなのに、安心感を与えてくれる。

 きっと何とかしてくれる、そんな根拠のない安心を感じていた。


(しかし、一体どうする? ここにいたところで兄さんがすぐに……)


「そこの人……どうしたんだい?」


 これからのことを思案するアスタの元に、一人の魔族が声をかける。

 声をかけたのは、獣の顔をした、だが言葉は通ずる中級魔族だ。種族名はライキ、実力はそこそこ、だが手先の器用さから戦いよりも裏方に徹する、城下に住む魔族だ。

 アスタは反射的にミオを隠し、魔族に対応する。


「何でもないよ。ちょっと気分がすぐれないんで、休憩していただけさ」


「気分が? それは良くない。なら私の家で休むといい」


 ライキはアスタに近づき、手に持っている水を差し出そうとする。

 一瞬、疑惑の目を向けるが、アスタは魔族の好意を無下にできる男ではない。警戒しながら近づき、差し出された水に手を伸ばす。


「ありがとう。だけどこれ以上、迷惑をかけるわけにはいかない。あとは放っておいて……」


「そういうわけにはいかないんですよ。アスタ様」


 近づくライキは、差し出していた水をアスタに投げつけた。


「なっ……!」


 アスタの顔面に水が降りかかる。その瞬間、ライキは声を張り上げ、街中に聞こえるほどの大声を出す。


「アスタ様がいたぞ! ミオ様も一緒だ!」


 国の住民は、すでにクルエルからの誤情報を得ていた。

 ミオが自身の父親に毒を盛り、殺害したと。アスタはそんなミオを庇った共犯者だと。

 無論、そんな話を信じる魔族は少ない。ミオは度々城下に降り、住民と交流を深めていた。その際にアスタがどれだけいい兄かも説明し、好感度だけで言えば王族随一だ。

 住民の大半は誤情報を信じず、特に行動を起こすこともなかった。

 だが、クルエルはミオを指名手配し、賞金を提示した。金に目がくらんだ魔族はミオとアスタを売り払い、欲望のために行動したということだ。

 ライキの声は国中に響き渡った、ほどなくしてクルエルも現場に到着する。


「短い逃避行、ごくろうさま。終わりだ」


 クルエルは歪な笑みを浮かべ、アスタとミオを見下す。

 もはや正常ではない、そう判断するには十分な表情だった。


「アスタ、俺はミオを殺したいだけだ。それを渡せば、お前の命は助けてやる」


「ふざけないでください! 実の妹を見殺しにする兄が、どこにいるんですか!?」


「お前の目の前にいるだろ?」


「くっ……!」


 もはや兄の意思は変えられない、そう悟ったアスタは、ミオだけでも助けようと行動に出る。魔力を集中し、それを放出、多少の時間稼ぎには……


「させるかよ!」


 行動を起こそうとしたアスタに、クルエルはすかざす魔力を放つ。特に変化のない、魔法ではない魔力のカタマリだ。

 ギミックがない分、速さにおいてはどんな攻撃にも負けない最速の攻撃。

 アスタの攻撃など、、後出しでも十分に間に合う。


「カハッ!」


 吹き飛ばされ、壁に叩きつけられるアスタ。抱えていたミオも放り出してしまい、二人は完全な無防備となった。

 それでもアスタは諦めず、そんな兄をミオは信じていた。この状況を覆すことを。


「アスタ兄さん!」


「……大丈夫だよミオ。兄さんは、約束は破らない」


 守ると口に出して宣言した以上、アスタはミオのために、全身をなげうつ覚悟がある。

 たとえ相討ちであろうと、クルエルの魔の手から守って見せるという、確固たる意志があった。惜しむらくは、意思だけでは強くなれない、ということだ。


「いいぜ、最後の慈悲だ。一騎打ちで葬ってやる」


 胸を押さえ立ち上がるアスタに、最後の慈悲とのたまうクルエル。

 その言葉が嘘など、アスタにも、配下の魔族さえも分かっていた。

 ただ自分の手でいたぶりたいという、歪んだ思想の言動ということはこの場にいるすべてに分かることだ。アスタはクルエルに敵わない。ミオ以外の全員はそう、分かっていた。

 予想ではない。確信だ。決して埋まることのない差があると、二人の本気の姿を見た事のないミオ以外は、分かりきっていたのだ。

 立ち向かうアスタを嘲るものさえいる、それだけ勝敗の見えた戦いだった。

 そして、変わらぬ実力差は当然の結果を生む。


「あ……あぁ……」


「どうしたアスタ? ミオを守るんじゃなかったのか?」


 体中から血を吹きだすアスタ、返り血で血まみれになるクルエル、凄惨な光景がミオの目に広がる。

 絶望にまみれた光景に、心に抱いていた希望の火は消える。抗い難い絶望の火が、ミオの心に燃え盛る。希望からの転落により灯された絶望の火は、希望をはるかに凌駕する豪炎だ。


「終わりだ。ほらミオ、これが俺には向かった魔族の最後だ」


 息も絶え絶えなアスタの身柄を、ミオへと放り投げる。

 ミオの体に覆いかぶさるように投げられた体は軽い。片手で持ち上げられそうなほどの軽さ、体中の血が放出されているということを理解させる。


「兄さん……!」


 悲痛な声で兄を呼ぶ。それに答えるよう、アスタは最後の力を振り絞って言葉を残す。


「……城の三階、一番奥の部屋……カーペットの下に……」


 最後に伝えるそれは、ミオを助けるためのもの。兄の最後の言葉を涙ながらに受け取る。ミオ自身、それが具体的に何を意味するか分からなかったが、自分を助けるための言葉ということは理解できた。

 兄の最後の意思を無駄にしないよう、自らの心に兄の言葉を刻み込む。


「……生きて、くれ……」


 それが、アスタの最後の言葉であった。

 最後まで妹のために命を燃やし続けた男は潰えた。


「ふん、死んだか。まさか一日に二人も身内を殺すとは思わなかったぜ」


「……え?」


 クルエルの言葉に、生きようと固く誓った決意が即座に揺らされた。


(身内を……二人?)


 一人は今まさに手にかけたアスタのことだろう。そんなことは馬鹿にも分かる。だが、二人目は誰だ? 何も知らなかったミオだが、答えに行きつくにはそう時間はかからなかった。


「お父さんは……病気じゃ……」


「毒を盛った」


 さも当然のようにクルエルは言い切った。

 その姿に歪な何かを見たミオは、これ以上ない恐怖を覚える。目の前の男は、狂っている。

 いかに魔族が人間よりも極悪非道、残虐な生物といえど、親への、家族への愛情はある。

 アスタは最後までミオのために行動し、魔王である父親ですら死の直前に子供たちへの言葉を送り、ミオの魔族らしくない願い、普通の幸せすらも肯定した。

 なのに、クルエルには何の情もない。肉親すらためらいなく殺すクルエルに、ミオは心底恐怖した。と同時に、怒りも覚える。最愛の兄と父、その二人の命を奪った男に。

 まだ体の傷は癒えず、クルエルに歯向かうには力が足りない。だが怒りに任せ、クルエルに言葉をぶつける。


「なんで、お父さんとアスタ兄さんを殺したの! 家族でしょ!?」


 今のクルエルに挑発的な態度を見せれば、即座に首を刎ねられることは間違いない。それが分かっていてなお、心の底から湧きあがる怒りを抑えられない。

 死を覚悟し、アスタや父の最後の願いすらも忘れ、怒声をクルエルにぶつけ続ける。


「どうして! どうしてなの!?」


「お前のせいだよ」


 叫ぶミオとは対照的に、冷ややかに言い放つ。この状況はお前のせいだと。

 意味の分からない言葉に、ミオは叫びを忘れ、口を開ける。


「分からないって顔してるな。けどな、俺は知ってるぞ。お前が父上に目をかけられ、次期魔王の座に近かったことを! この俺を差し置いて、お前が魔王になろうとしていることを!」


「あの時の話を……? でも、私は魔王になる気なんかないって……!」


 誤解だ。すべてが誤解だ。ミオに魔王になる気は毛頭なく、それを悟った魔王は次期魔王にクルエルを推すつもりだった。すべてがすべて、クルエルの思う通りに動くはずだったのだ。

 だがクルエルは知らない。あの時の話を部屋越しに聞いていたゆえに、断片的な情報しか頭に残らなかった。父親がミオを次期魔王にしていることだけを。

 ミオが断った事実を知らない。ゆえにクルエルは、妹が憎くてたまらなかった。

 自分が座するはずの魔王の椅子をかすめ取ろうとする妹が、許せなかった。


「お前さえいなければ、俺がこんなことをする必要はなかったんだ! お前がいなければ父上は死なず、アスタも死なずに済んだ! お前が二人を殺したんだ!」


 身勝手な暴論、客観的に見れば全ての非はクルエルにある。ミオには何の責任もなく、糾弾されるいわれはない。この場で間違っているのがクルエルだということは紛れもない事実だ。

 だが、精神が著しく摩耗しているミオには、冷静な判断が出来なかった。


「私の、せい……?」


 こともあろうに、クルエルの言葉に納得しようとしていた。自分のせいで二人が死んだという世迷言を、間違っていない正解であると、受け入れようとしたのだ。

 二人とも自分のせいで命を落とした。一瞬でもそう考えてしまったミオがすべてを諦めるのに、そう時間はかからなかった。


「あ……あぁ……!」


 頭を抱え、声にならない叫びを漏らす。その姿が愉悦だったのか、クルエルは笑みを浮かべる。口角はつり上がり、時折、抑えきれないのか噴き出すほど。


「お前など殺してしまってもいいが、それではつまらないな」


 殺す気は満々だった、だが項垂れるミオを見て、クルエルの歪んだ思想が道を変える。殺すという道から、蹂躙するという下劣な道へ。


「おいお前ら、こいつを連れて行け」


 部下に命令し、ミオを城へと連行するクルエル。

 これから行われる残虐な未来、ミオは想像した。だがもはや生きる意味などない。自分のせいで最愛の家族を死なせたという思いが、全てを諦めさせていた。

 その諦めも、すぐに変わる意思であるが。

 城に連れてこられミオに行われた苦行の数々は、想像を超えていた。

 何もかも諦め、なすがままにされることを良しとしたミオだが、クルエルという恐怖の対象から逃げ出したいという感情が芽生え始める。

 ここにいれば死ぬことすらできない。何もかもを取り上げられたミオは、最後の希望を胸に、アスタの言葉を思い出す。

 傷ついたミオはアスタの示した部屋へ足を運ぶ。普通に歩けば十分で行ける場所、しかし今のミオには地平線の彼方に等しい長い道のりだった。

 クルエルのいない、配下の魔族もクルエルについて行き城内の魔族が少なくなった時、長い長い時間をかけて、誰にも見つからずに這いつくばって部屋にたどり着く。

 渾身の力を込めカーペットをはがし、そこに隠されていたものを発見する。


 それは転移陣だった。


 王族がいざという時のため、逃げ出すために用意された抜け道。だが人間の使うそれとは作りが荒く、転移陣から転移陣へと送る転送ではなく、魔族の転移陣はどこへ行くかもわからない完全ランダム仕様。最悪の場合、人間の冒険者ギルドに飛ばされる場合だってある。


 どこだろうとクルエルからは逃れられる。ゆえに、何の躊躇もなくミオは転移陣に魔力を流す。転移陣は光輝き、中央に位置するミオの体を転移させる。

 そして送り出された地こそ、とある人間の自宅前のごみ置き場だった、という話だ。

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