愚者の乱心
ミオを魔王に、その話から何日か経過したころ、事件は起こった。
『魔王様が病気! 魔王交代か!?』
大々的な見出しを施した一枚の紙が、魔王城の前にでかでかと張られている。
その掲示された情報の詳細はこうだ。
魔王が体調を崩し、一晩中ベッドで寝ている。あらゆる地域からあらゆる薬を採取し、冒険者を襲い薬を強奪するなどしているが、魔王の体調が回復する兆しは見られない。
このままでは数日のうちに死すだろうとのことだ。
衝撃的な情報にざわめき立つ市民。魔王の交代という魔族にとって見過ごすことの出来ない状況は、普段生活にしか思考を費やさず、たまに侵攻してくる人間たちとの戦闘しかしてこなかった魔族の住民たちに、今後の身の振り方を考えさせるものだった。
最悪の場合、人間の少ない地域にあるダンジョンに赴き、そこで養ってもらおうと考える者もいる。
そんなざわめき立つ住民たちの前に、一体の魔族が現れる。
「皆の者、静まれ!」
現れた魔族の一喝により、ざわめきは少しずつだが静まり、二十秒後には静寂に包まれた。
静まり返った群衆に向かい、現れた魔族……クルエルは演説を開始した。
「知っての通り我が父上、魔王様は現在ご病気に伏せている。このままではいずれその身は地に落ちるだろう。だが! 心配することはない! この私、クルエルが、魔王様の遺志を継ぎ、新たなる魔王になる! そして民たちに永遠の平和を約束しよう!」
「……お、おぉ……」
「……クルエル様……」
堂々と演説を行い、民に永遠の平和を高らかに宣言するクルエルに、民衆は声をあげ始める。
初めはいきなりの王族の登場に面をくらっていたものの、徐々に声量は上がっていく。
『クルエル様!』
群衆がクルエルの名を幾度も叫ぶ。
この場のほとんどの魔族の心をつかんだと、クルエルは確信した。
「ククク、住民は味方につけた。これで俺が魔王になるのは確実」
歪な笑みを浮かべ、住民たちに背を向ける。他の誰よりも早くざわめく民衆の前に現れ、心に巣くう不安を多少なりとも緩和させたことにより、クルエルへの信頼は他の魔族よりも頭一つ抜けたものとなったろう。
魔王への道に確実に近づきつつあるクルエルはつぶやく。
「あとは手筈通り父上が死ねば、俺が魔王に……」
全てはクルエルの手のひらの上だった。
魔王が病気にかかったことはクルエルの策略、自身が魔王になるために実の親を手にかけたのだ。己の欲望は親への情を上回った、ということだ。
その欲望を抱えたまま、床に伏せる魔王の元へクルエルは、心配する顔で近づく。
「父上、死なないでください!」
「お父さん、死んだらいや!」
魔王の傍にはミオとアスタが涙を浮かべながら、弱り切った魔王に声をかけ続ける。
魔王は柔らかな笑みを浮かべ、アスタとミオの頭に手をそっと置く。
「すまんな、お前たち。私はもう、ダメだ」
「そんなこと言わないでください! まだ手はあるはずです! 今僕の部下が医術の心得のある人間を攫いに行っています! あと、ほんの少しのご辛抱を!」
「……よい。それよりも、そこにいるのはクルエルか?」
もはや目もあまり見えていないのだろう。クルエルの存在に確信を持てない魔王が聞く。
「はい、クルエルはここにいます」
魔王に近づき、手を取るクルエル。歪んだ思考を隠し、取り繕った表情で魔王を見つめる。
傍から見れば、心配しているように見えるのだろう。実の父親が死にかけているというのに、腹の中では舌を出しているなどと、露にも思っていないだろう。
一体を除いて。
「クルエル、お前に一つ、言っておく」
「……はい、なんでしょう」
クルエルは心の中でほくそ笑む。ついに自分を魔王に指名すると確信した。
だが魔王からの最後の言葉は、クルエルにとって予想通りで、予想外の物だった。
「それでこそ……魔王だ」
「っ……!」
クルエルを魔王と認める言葉だ。だがミオとアスタは不思議に思う。
それでこそ、とは何を意味するのか?
ミオもアスタも魔王も、さっきのクルエルの住民に対する演説を知らない。
ならば、答えは一つしかない。
クルエルが魔王に毒を持ったことを、それでこそと、褒めたたえたのだ。
すべて自分の手のひらであったなどと錯覚していたことが、魔王が自分の意思でこの状況を作りだしたことが、すべてがクルエルの理解を超える。
目の前の男の思惑が分からず、クルエルの思考は停止する。
「お前がいれば、魔族は安泰だ」
ほしかった言葉をかけられているのに、素直に喜ぶことが出来ない。
あれほど夢に見た魔王の座が手に入ったのに、言葉にできない感情が心を支配する。
問いただしたかったクルエルだが、ミオとアスタがこの場にいるのならば、言葉には出来ない。言葉にすれば今回の、父親を踏み台にしたことが露呈する。
何を考えているのか分からない父親だが、自分を魔王にするという意思だけは分かった。
だからこそ、何も言えない。
「アスタ……クルエルを支えてやってくれ」
「……はい」
「ミオ……幸せに暮らしてくれ」
「……うん……!」
それが、魔王の最後の言葉だった。
これより魔王はクルエルとなる。
外道すぎる策があった、だが父親に魔王と認められた正当な魔王だ。他者の意見により覆されることのない、新たな魔族の支配者はここに誕生した。
アスタは新たな魔王のサポート役となり、ミオは自由に生きることを認められた。
それぞれがそれぞれの指定された道を歩み、各々の魔生を歩む。
はずだった。
クルエルが最初に行うべきは、魔王の引継ぎだ。今まで魔王が行ってきた仕事に目を通し、完璧に把握すること、それが第一にクルエルのすべき仕事だ。
が、クルエルの行う最初の仕事は、抹殺だった。
「父上は死んだ。これより俺が魔王となる」
「うん。微力ながら、精一杯サポートするよ」
「……私も、出来る限りのことを……」
「それはダメだよ」
ミオが魔族のために尽力する旨の言葉を口にしようとしたが、それをアスタが阻む。
「父上はミオに幸せになれと命じた。ミオは、この城にいるべきではない」
魔族らしからぬミオは、この場では幸せをつかみ取ることが出来ないことは自明の理だ。
理想としては城下か別の魔族の集落にでも移住する、それが最善であるとアスタは判断した。
「そうだな。ミオ、お前はここにいるべき魔族じゃない。とっとと出て行けばいい」
アスタの言葉に便乗し、クルエルもミオの退散を命令する。
この場にミオを受け入れる魔族はいない。誰もがミオをこの城からいなくさせる、そのことだけを考えていた。
ミオ自身、それが自分のためであるということは十分に理解している。だが魔王であった父親が死に、これから魔族は大騒ぎになるであろうことは容易に想像できる。
その時に自分だけがのうのうと幸せを謳歌することなど、ミオには出来なかった。
なんとかしてこの城に残り、出来る限りのことはしたい。本心からそう思い、その意思を曲げることは容易ではない。
「……そうか。出て行かないのなら、放り出すだけだ」
「え……?」
クルエルはミオの無防備な体に、手をかざした。そして渾身の力を込め、魔法を放つ。
「マトイイズチ!」
直後、ミオの体に電撃がまとわりつく。
「キャアアアアアアアアアアアア!」
まとわりつく電撃はミオの体内さえも侵食し、死すらありえる激痛を与える。実際、この攻撃はクルエルの魔法の中で最も殺しに特化した魔法だ。体内に電撃を送る、言葉だけでもそれが生物にとって致命的であることはわかる。
「っ……その魔法をやめろ!」
魔法の放出を続けるクルエルに、アスタが手をかざす。己の全魔力を込め、これ以上やるのならば殺すと、その言葉が聞こえそうなほどの意思をクルエルに感じさせた。
「何の真似だ、アスタ?」
「やりすぎだ! いくらミオをこの城から遠ざけるため……父上のご命令に沿うためとはいえ、それではミオが死んでしまう!」
アスタは誤解していた。このミオに対する攻撃が、ミオ自身にこの城を立ち去るという選択をさせるための、苦渋に満ちた行いであると。
だが事実は違う。ミオがこの城から出て行かないという選択をした時点で、クルエルの心は決まった。自身から魔王の地位を奪いかけた忌むべき妹を、屈辱を味わわせた恨めしい妹を、最大級の地獄に叩き落として抹殺することを。
結果的には魔王になった、だがクルエルのプライドはひどく傷つけられた。その元凶となったミオを、クルエルはどうしても許すことが出来ない。
この城から出て行けばそれなりに留飲は下がるかもしれなかったが、ミオは残る選択をした。
ならば殺すしかない。極限まで狭まった視野では、クルエルにはミオを殺すという選択しか取れなかった。
「クルエル兄さん、早くその手をどけてくれ! いくら兄さんでも、魔法を放ちながら僕の魔法をくらえば、ただでは済まないんだよ!」
「……分かったよ」
脅しが効き、ミオに対する攻撃をやめる。だが敵意を放つことはやめず、アスタが気を抜いた瞬間に攻撃に転じようとする意思は筒抜けだ。
クルエルへの警戒を怠らず、ミオへ激を入れる。
「ミオ、分かっただろ! 君はこの城にいてはいけない! 早く出て行け!」
アスタの言葉を聞き、ミオは立ち上がろうとする。だがクルエルの不意打ちにより傷ついた体が言うことを聞かない。まるで自分の手足でないかのように、指先を動かすことすらできない。痙攣するように体を震わせるだけだ。
「どうしたミオ? 出て行かないのなら、また……」
再びミオに手をかざす。自身への脅しがある以上、下手な攻撃はしないだろうが、その行為はアスタを不安にさせ、ミオに恐怖させる。
クルエルのこの目は、決してミオのためなんかではない。自分の欲望のために殺そうとしている。そのことを二人に確信させる目だ。
ミオは傷つく体に鞭を打って動かそうとし、アスタはどのようにこの場を切り抜けようか思案する。
クルエルの実力はアスタ以上ミオ以下、そのミオが傷ついている現在、クルエルが最も強い者となる。
アスタの攻撃も耐えようと思えば耐えられる。多少の傷を負う覚悟を決められた時点で、ミオはすぐさま命を落とすだろう。
この危険な状況下では、アスタにできることは一つしかない。
「兄さん。落ち着いてくれ。どうしてここまでするのかはわからないけど、ミオは僕たちの妹だよ? こんなこと……」
唯一出来ること、それは説得以外、他になかった。
乱心した兄に説得など無意味かもしれない。むしろより怒りを煽る結果になるかもしれない。だがこれこそが、誰もが傷つかずにこの場を収める方法と信じ、アスタは言葉を続ける。
「父上が言ってただろ? ミオに幸せに暮らしなさいって。最後の言葉なんだ。言う通りに……」
「うるせえよ」
アスタの説得を遮り、クルエルが魔力を高める。それはクルエルの全力の魔力。あれが魔法として放たれた時、ミオが死ぬことは確実だ。
もはやこれまでか、アスタはそう考え諦めかけたが、地に伏し傷つくミオは、最後の力を振り絞る。
「スプ……レッド……!」
ミオの手から、水が放出される。子供の使う水鉄砲レベルの貧弱な水、そんなものは人間の子供一人倒すことは出来ないだろう。
が、放出された水はクルエルの両目へとピンポイントで直撃し、視界を奪う。
「ぐ……ぅ……!」
目をこするクルエル。その一瞬のスキを突き、アスタはミオを抱えて部屋から脱出する。城内にいてはミオの死は確実、そう考え迷いなく城の外へと出る。
城外には民衆がいる。乱心した兄も下手に攻撃できないはずだ。
「安心して、ミオ。僕が絶対に守るから」
父の最後の願いをかなえるため、アスタは駆け抜ける。道中、部下の魔族たちに声をかけられるも無視し、一心不乱に足を動かす。
いつクルエルが追撃に来るか分からない。背中に恐怖を感じながら、ミオだけは守るために。




