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魔王

 魔王城の一室、そこに二体の魔族がいた。一体は椅子に腰かけ、一体は正座した状態で。


「ミオ、あまり城下を歩き回っちゃいけないと言っていただろう」


 椅子に座った青年は目の前の少女、ミオに睨みを効かせ、声高に言った。

 ミオは反発するように、ジト目で青年を見る。


「何だいその目は? 今は僕が説教しているんだ。ちゃんと聞きなさい」


「でも、アスタ兄さん。城内はひどい臭いだし、人間の死体がそこらへんに転がっているお城なんか居たくないの」


 ミオの言葉に青年……アスタはため息をこぼす。


「この城がそんなに嫌いかい?」


「嫌いよ! こんな悪趣味なお城、兄さんが魔王になったら変えてよ」


「魔王にって、無茶言わないでおくれよ。次の魔王はクルエル兄さんだろ。僕なんかじゃ無理さ。可能性があるとすれば、ミオの方だよ」


「……いやよ、魔王なんて」


「はぁ~、ミオは本当に魔族らしくないね」


 アスタは再び深いため息をこぼす。

 ミオの魔族らしからぬ言動、それはいつもアスタを困らせる。

 普通の魔族なら喜ぶ城の内装、それに対して愚痴をこぼすことも、魔王になる栄誉を栄誉と思わないことも、全てが魔族らしくない。

 言ってしまえば、人間と同じとも言える感性だった。

 ミオは異端、それはアスタだけでなく、魔族のほとんどが思うことなのだった。


「ミオが血生臭いことが苦手なのはこの際しょうがないけど、でも城下を歩き回ることは良くない。魔族らしくないと言ってもミオは魔族の王族なんだ。しかも力だけなら歴代でも最強レベル、もっと慎重な行動を心掛けないと。それに王族としての気品ある振舞いをしなくてはいけないよ。城下のみんなが言っていたんだよ? ミオ様は他の王族と違って話しやすくていい魔族だって」


「……いい魔族なら、べつにいいじゃない」


「良くないんだよ。僕らは王族、それにふさわしい振舞いというものがあるんだ。そもそも王とは住民の心を知ることが重要であっても、住民から尊敬される存在でなくちゃいけない。だからとっつきやすい性格よりも、毅然として近寄りがたい方がいいんだ。威厳がある、ということだね。あのクルエル兄さんだって、家族内じゃ口が悪くてめんどうくさいけど、住民と接するときや職務上父上と話すときは口調を変えてるだろ? ミオも王族として振る舞う努力をしなくちゃ」


 アスタは口を酸っぱくして、ミオの耳にタコができるほど、説教が続いた。

 いい加減うんざりしたミオはアスタに気付かれないように部屋をこっそりと抜け出す。

 それに気づかないアスタは、だれもいない虚空に向かって延々と説教を続ける。


「全く、アスタ兄さんは優しいけどマジメすぎるのよ。もっと楽しく生きればいいのに」


 愚痴をこぼしながら城内を歩き回るミオ。相変わらずの血生臭さに辟易としつつも、さっきの今で抜け出せばアスタが本気で怒るかもしれないと考え、城下に降りることはしなかった。

 ある程度清掃され臭いがきつくない自室へと向かう。


(私って、なんで魔族に生まれちゃったんだろう)


 ミオはいつも悩んでいた。アスタやほかの魔族に言われるまでもなく、魔族らしくないとは分かっていた。普通の魔族が好む物には嫌悪感を示し、魔族が興味を示さない物にどうしようもなく惹かれてしまう。

 分かりやすい例で言えば、人間の本なんかがミオの好きなものだ。

 魔族は本来、本を読むような殊勝な生物ではない。必要とあらば戦術書などの書物を漁ることはするが、ミオの好む小説や絵本などの娯楽系の本を好む物はほとんどいない。

 さらには芸術観においても、ミオは他の魔族とはまるっきり違う。魔族の崇拝するこの城も、ミオにとっては不純物でしかない。王族だから仕方なく住んでいるものの、本当はこのようなところには一秒たりともいたくないと考えている。

 住めば都、と言うが、ミオにとっては一向に慣れる気配もない。


 そんな感性に悩みを持ちこそすれ、そこまで悲観的になるでもなかったが。

 幸いなことにアスタからは普通の、偏見のない目で見られている。アスタはアスタで魔族らしく、血を好み人の叫び声に愉悦を感じる生粋の魔族だ。が、妹であるミオには十分な愛を注いでいる。軽率な行動に幾度も説教を繰り返すが。

 それが、ミオは魔族らしくないことに悩みこそすれ、絶望的にならない理由であった。

 もしもアスタがいなければ、この城から抜け出すぐらいのことはしていただろう。


(ゲッ)


 心の中で不満気な声を漏らした。

 ミオの視線の先には、ミオとアスタの兄、クルエルがいる。魔王である父親からは魔族らしい狡猾で畜生な性格が気に入られ、次期魔王候補筆頭と言われている。

 そしてミオの持つ魔力に嫉妬し、日々嫌がらせを繰り返す嫌な兄でもあった。


「おおミオ、また城下に降りたらしいな。まったく、何が楽しくてあんなとこに行くのか。人間を撲殺するショーでもやってたのか?」


 視界の端に映ったミオに即座に語り掛けるクルエル、うんざりしつつも、ここで無視をすればまた嫌がらせを受けると考え、社交辞令的笑顔を浮かべてクルエルの問いに答える。


「そのようなことはしていませんでしたよ、お兄様。私はただ、青空の元を歩きたい気分だっただけです。お兄様も今度一緒にどうですか?」


「誰がお前なんかと。ああそう言えば、父上がお前を探していたぞ。急いで行かないと、折檻されるんじゃないか?」


「そうでしたか。教えていただきありがとうございます、お兄様」


 スカートの裾を掴み、礼儀正しくお辞儀をするミオ。アスタがこの光景を見ていれば、なぜそれが城下の人間に対してできないと嘆いていることだろう。

 ミオは早歩きで父親……魔王の部屋へと赴いた。

 魔王の部屋の扉は他よりも一際物騒な、おどろおどろしい雰囲気を醸し出している。ドアノブについている謎のトゲトゲに注意しつつ、扉を開ける。


「ん? ミオか」


 部屋の中央にある巨大なイスに座した魔王が、入室したミオを見て立ち上がる。

 ミオの何倍も大きい、二メートル五十はあろうかという体躯は圧迫感を与える。


「お父さん、クルエル兄さんから聞いたんだけど、話があるの?」


「うむ、そうだ。まあ大した話じゃない。ミオ、魔王をやってみないか?」


「大した話すぎる!」


 規格外すぎる魔王の話に、ミオは思わず大声を張り上げのけぞる。

 それが面白かったのか、魔王は笑い声をあげて肩を揺らす。


「ハッハッハ、ミオの反応は相変わらず良いな」


「いやいや、いきなり魔王にならないか? なんて言われたら、だれでもこんな反応よ! せいぜいクルエル兄さんがバカ面下げて喜ぶぐらいよ!」


「……確かにそうかもな。あやつは自分が魔王になるものだと思っておるし」


「クルエル兄さんだけじゃなくて、私もアスタ兄さんも、他の魔族もみんなクルエル兄さんが次期魔王だと思っているわよ。なんで私が魔王をやるのよ?」


 次期魔王はクルエル、、それはこの城の中でも城下においても、まず間違いないだろうと考えられている。

 次点でアスタの名が候補に挙げられるのだが、それでもクルエルとは比べるまでもない。ましてはミオなど、この国に住む魔族の誰もが考えていない。

 なのに現魔王であるミオの父親は、ミオを次の魔王にと言ったのだ。

 ミオでなくとも驚き疑問に思うことは当然だ。


「なあミオ、お前から見てクルエルは、どう映る?」


「どうって、性格悪くてイヤミったらしくて頭が悪くて私よりも魔力は低くて、あと最近くさくなってきて……」


「わかった! もうやめてやれ!」


「……でも、魔王にはふさわしいと思うわよ? 魔王は性格悪くてなんぼだし、単純な強さよりも狡猾さの方が必要だし、変なにおいは普通の魔族からしたら良い匂いなんだろうし」


 クルエルのことを散々悪く言うミオだが、その悪い部分こそが魔王にふさわしいと真に思っている。


 性格が悪い? 魔王の性格がよくてどうする。

 魔力が低い? ここ何百年、魔王は一度も前線に赴いていない。

 頭が悪い? 悪知恵は働いている。

 くさい? 魔族にとっては非常に香しい良い匂いだ。


 ミオの挙げた欠点はあくまでもミオの感性によるものだ。普通の人間と比べて大差なく、魔族な中では異端と思われているミオの感性だ。

 だからミオは、自分は魔王になんか向いていないし、クルエルは魔王にふさわしいと本気で考えている。

 言ってしまえば、魔王などやりたくないとさえ思っているのだ。


「ではお前は、クルエルを魔王に推す、ということか?」


「何か問題があるの? お父さんはクルエル兄さんが魔王にふさわしいと思って、今まで可愛がってきたんじゃないの?」


「うーん、それはそうなんだがのぉ、どうもあやつには、なんかこう、魔王にはふさわしくないのではないかな? とか、他の役職の方が板についてるんじゃないか? とか思ってしまうんだ」


「それって単純に、クルエル兄さんには上に立つ器が無いってことなんじゃないの?」


「言っちゃった! こっちが口を濁してたのに、この子ストレートに言っちゃったよ! 濁りのない純真無垢な瞳で器がないとか言っちゃったよ!」


「濁してたって……もう言ってるような物じゃない。それに、クルエル兄さんの器が小さいことは誰でも知ってることよ」


 その通り。クルエルは器が小さい。そんなことは誰もがわかっていることだ。

 我儘で短気、大きな子供と言っても差し支えない。

 性格の悪さは魔王にとって必要なものであるが、いかんせんみみっちい男が上に立ったところでいずれ国は崩壊するだろう。

 ようは、カリスマが無いのだ。

 魔王はそこを懸念していた。


「まあそれを言ったら、私だって器が大きいとは言えないけど。それ考えたら、アスタ兄さんが一番魔王に向いてるんじゃない?」


「あいつは狡猾さが足りん。人間の悲鳴を天使の讃美歌と称える箇所は確かに魔族のそれだが、正々堂々過ぎる。自分の力で相手を屈服させ、その上で隷属させる。それがアスタのやり方だ。魔王には向かん」


「……それを言ったら、ますます私は魔王に向いてないんだけど」


 ミオは正々堂々を通り越してピュアだ。感性が人間に近いだけでなく、良い子とまで言えるレベルなのだ。泣いている子供がいれば手を差し伸べる。困った人がいれば助ける。

 人間であれば当然であり褒められることは、魔族にとっては褒められることではない。


 泣いている? 泣くような弱い奴が悪い。

 困っている? 自分の力で打破して見せろ。


 それが一般的な魔族の考えだ。

 どこをどう考えても、ミオは魔王に向いていない。それどころか、魔王になってはいけないとすら考えられるほどだ。

 だが魔王は、ミオをこそ魔王に据えようとしている。


「十年前のこと、覚えているか?」


「……それって、近くの沼地にピクニックに行ったこと?」


「そうだ」


 二人の言う十年前とは、ミオがまだ今よりもずっと小さい、子供の時の話だ。

 国からある程度離れた地にあるダグナの沼、葬った人間を埋葬してきたゆえ、赤く変色している独特の沼だ。

 かつてそこにピクニックに言った時、事件は起こった。冒険者を名乗る一行が魔獣討伐を目的に、この近くに来ていたのだ。

 ダグナの沼周辺には植物型の魔獣が生息している。それの討伐を終えた冒険者たちが、休息を兼ねて沼地に訪れたのだ。

 沼地にいた魔族はミオとその友人が数名、あとは従者が三名と、非常に少数だ。しかも遊ぶことが目的のピクニック、油断から従者の力はあまり高いものではなかった。

 襲われれば敗北は必至の戦力差だ。


「あの時、お前たちの存在に気付いた人間たちは、確か一目散に襲いに来たな」


「そうだけど……あの時何かあったっけ? 大人たちが何とかしたんじゃなかった?」


「なんだ、覚えてないのか? 従者から聞いた話によると、狡猾な罠で冒険者たちを沼に叩き落としたと聞いたが」


「狡猾な罠? そんなことしたっけ?」


 ミオは首を傾げ、過去にあったことを思い出す。


「確かあの時は…………ああそうだ。私が冒険者たちの前で座って、上目遣いで涙を流していたの。それを見て少しためらった冒険者たちを、友達と従者が沼に叩き落として、そのあと私が火魔法で焼き払ったの。でもそれだけよ? 罠ってほどのことでもないわよ?」


「まあ確かに、罠と言うにはあまりにも稚拙だ。だが、幼いながらに自らを囮にする胆力、冒険者たちを躊躇させる演技力、そして何より、敵を焼き払う非情さ、それを私は高く評価する。いざという時に動くことのできるお前は、向いていない魔王という仕事も忠実にこなすことが出来るだろう」


 声高らかに娘の魔王としての片鱗を語る現魔王だが、当の本人であるミオにとっては複雑でしかない。父親の言っていることはつまるところ、やりたくない仕事でも責任感から何でもやる、ということだ。

 結局のところ、やりたくはないのだ。人を過度に傷つけることはミオにとっては快い物でなく、その最たるものである魔王などもってのほかだ。

 しかもクルエルを差し置いて魔王になればグチグチと文句を言われることは想像に難くない。

 精神的に魔王になる以上の苦痛は他に存在しない。

 だからこそ、魔王にならないと父親にキッパリと断言する。


「私は魔王にならない。アスタ兄さんの補佐役ならしてもいいけど、アスタ兄さんに魔王をさせるぐらいなら、結局はクルエル兄さんが魔王になるんでしょ? だから、私は魔王軍には入らない。城下で普通に働いて余生を過ごすの」


 魔王にならない、それは予想通りだだが、城下で暮らすという発言に魔王は目を丸くして、取り乱す。


「じょ、城下で暮らすとはどういうことだ!? お前言ってたではないか! 将来はパパのお嫁さんになるって! あれは嘘だったのか!?」


「いつの話よ!」


「ま、まさかお前、すすすす、好きな魔族でも出来たんじゃ……」


「それはないわよ。まだ初恋もまだだし」


「そ、そうか。ならよかった……」


 ほっと胸をなでおろし、魔王は話を終わらせた。

 ミオのキッパリとした拒絶を受け入れ、魔王にすることはないだろう。

 となれば次の魔王はクルエルで決まり、なのだが……。


「ミオ……!」


 聞き耳を立てていたクルエルが、忌々し気にミオの名前を口に出す。

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