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ミオの苦痛

「……ユート」


 両手に鎖をつけられ、荷台に無造作に転がされたミオが蚊の鳴くような声でつぶやく。

 これから自らを襲う苦痛、それらを想像する。いずれ死ぬのだろうが、そう簡単には死ねない苦痛を、かつて受けたクルエルからの凌辱の限りを。

 だが不思議と、ミオの心の中に巣くう恐怖はあまり大きくない。未来が完全に閉ざされていることへの諦念か。かつて受けたことがあるという経験ゆえの慣れか。

 ……いや、どれも違う。諦めるほどの責め苦に心を閉ざすことなどできない。慣れる事も出来ない。決して拭いきれない恐怖はミオの心に刻まれているのだ。

 恐怖をあまり感じない理由、それは恐怖以上の感情がミオの心を支配しているから。


 ユートへの申し訳なさ、それは恐怖に勝る感情だ。

 最後にユートのためにミオは言った。一度も希望を抱いていなかったと。

 希望を抱かせることを過度に恐れているユートへの、今までの感謝を込めて放った言葉。だがその言葉に効力がないことをミオは悟っていた。

 きっとユートはまた自分を責めている、希望を抱かせ絶望させたことを後悔している。もしかしたら涙を流してわめいているかもしれない。己を傷つけているかもしれない。

 そう考えると、ユートへの申し訳なさでミオのこれから傷つけられることへの恐怖心は和らいでいた。

 それも、一時のことであろうが。

 いざクルエルから苦痛を与えられれば、再び恐怖する。いつ死ぬか分からない、死ぬことを望む真の恐怖を思い出すことだろう。


「いっそ今死ぬのも、一つの手かな」


 ケガが完治していないとはいえ、それなりに回復してきている。魔力もある程度戻り、自殺するぐらいなら容易だ。

 ほんの少し力を込め、三つある心臓に向かって魔力を放てば、いとも簡単に死ねる。

 もはやこの世に未練はない。ミオは死ぬことそのものには、恐怖していなかった。


「…………できない」


 苦痛を与えられると分かっているのに、ミオは死ぬことが出来ない。今死ねば苦しまなくても済む。楽になる。それが分かっているのに、どうしても死ぬことは出来ない。

 なぜだろうか?

 ミオは心のどこかで、望んでいるのかもしれない。

 ユートが助けに来てくれることを。


「そんなこと……あるはずないのに」


 胸に抱く淡い希望を自身で打ち砕き、目を虚ろの物とする。

 まもなく与えられる苦痛に、少しでも長く耐えるために。


「ミオ様、着きましたよ」


 荷台の窓からイツノが顔を出す。声をかけても放心状態のミオは返事をせず、四肢を動かそうともしない。

 イツノは適当に魔獣を連れ、ミオの連行を始める。

 ミオの連れてこられた場所は、魔族国家グアール、魔族が統治する魔族だけの国だ。

 建てられる建物は人間の街の建物と同じ、住宅街があり、商店街がある。

 人間の街とはまた違う活気に溢れる街だ。


 かつてミオが言ったように、魔族の文明は人間から流用したもの、便利であると上位魔族が認めた文化が複数入り乱れている。

 中には奇怪なデザインのトーテムポールがあったりと、本当に便利な物かどうかは分からないが。


「いつ見ても、芸術的ですねえ」


 魔族の芸術観は人間とは違う、ということだ。

 それから数十分、ミオを連れてイツノは移動を続け、街の中央に建てられたひときわ大きな建造物、魔王城へと入る。

 外観は人間の城とあまり変わらない、しかし内装は魔族らしくおどろおどろしいものだ。

 照明は最低限の薄暗さ、骸骨や人間の生首が並び、腐敗臭が立ち込める。


(相変わらず、うんざりするわ)


 鼻につんざく臭いも、視界を汚すグロテスクな物体も、ミオにとっては不快なものでしかない。だがミオが特殊なのであり、普通の魔族はこの景観に感嘆する。


「良いですなぁ。落伍者のミオ様に見せることすら不敬なほど、いつみても良い城です。ここで働かせてもらっている栄光、噛みしめねば」


 しみじみと城内の内装に感想を漏らし、うっとりした目で見回す。

 時折、城内を見過ぎて足を踏み外すレベルには目を奪われている。

 イツノに連れてこられた魔族も感激の涙を流すほどだ。


「おっと、もう玉座の間に着きましたか。ミオ様、クルエル様がお待ちです」


 ついに、この時が来た。

 ミオにとって本当の地獄の始まり。いずれ死ぬことを望む境地に至る、真の絶望だ。

 今度は逃げることなどできないだろう、そんなことを考えながら、開かれる扉をミオは見つめる。

 玉座の間にて、魔王クルエルが大勢の女性魔族を侍らせていた。


「おおミオ、久しいな。いつぶりだ?」


 高いところからミオを見下すようにクルエルは話しかける。

 圧倒的地位についていることの余裕による笑み、ハーレムを作り出していることによる満足げな表情、力を誇示するように傍らに鎖をつけた人間を侍らせていること、そのすべてがミオの癇に障る。

 そんな不満を感じ取ったのか、クルエルは一切の躊躇をすることなく、ミオに対して魔法を放った。


「イナビカリ」


 クルエルの手から放出される電撃、ミオの体にまとわりつき、絶え間ない苦痛を与えた。


「キャアアアアアアアアアアア!」


 想定していた苦痛、だが声を押し殺すことは出来なかった。どれだけ心で覚悟していようと、苦痛に対する経験があろうとも、耐え難い苦痛がミオを襲う。


「ハッハッハッハ、相変わらず良い声で泣く。そう思わんか、イツノ?」


「全くでございます。いやはや、初めて聞きますが、心地よい物ですな」


「そうだろうそうだろう。それ、威力を上げてみようか」


 ミオにまとわりつく電撃が、さらなる輝きを放つ。それは小規模の雷と言っても差し支えないほどの、絶大な威力だ。


「アッ……アァ……!」


 もはや悲鳴をあげることすらおぼつかない激痛がミオの体を駆け巡る。


「ふむ、そろそろか。ほれ、やめてやる」


 ミオの限界が近づいた時、突如として電撃を収めるクルエル。ミオは涙を瞳に溢れさせ、力なくクルエルを見上げる。


「そんな顔をするな、もっといじめたくなるだろ。だがまあ、私もそんなに暇ではない。これからダンジョンの視察や部隊編成、配下の訓練など色々とやることがあるのでな。それに突然、竜種が何者かにやられたらしくてな。その後始末も忙しいのだ」


 クルエルは椅子から立ち上がり、この場を後にしようとする。その際、わざわざ通り道をミオの体がある地点にし、踏みつけ仕事へと向かった。


「今日のところはこれまでにしておきましょうか。最初、苦痛に慣れていない時こそが極上の表情を浮かべる物、それをクルエル様に見せるのは当然のことですからね」


 イツノは床に這いつくばるミオの髪を乱暴に握り、引きずるように牢獄へと連れて行く。


(……痛いなあ)


 この痛みが、明日はさらにひどくなる。傷ついた体はさらに蝕まれ、常人ならば死に至る責め苦が続く。だが死ぬことはないだろう。

 クルエルは細心の注意を払い、ミオへの攻撃を調整する。死の一歩手前、その苦痛を常に与え続ける。死ぬほどの苦しみを永遠に与え続けられる、それがミオのこれからだ。

 希望も何もない。絶望に染まる未来だけが待っている。

 いつ死ぬともしれぬ地獄のような日常こそが、ミオの生きる道なのだ。


     *


 三日ほど経った。

 ミオは衰弱し、体中に無数の傷を作り、体力も魔力も空の状態になっている。

 今なら人間の子供のひ弱な殴打ひとつで死ねる自信があった。

 死の一歩手前、生きてることすら不思議である。だが、ミオが死ぬことはなかった。

 クルエルは絶妙な加減でミオを痛めつけ、死に至らしめるようなヘマはしない。傷だらけになりこれ以上の暴行は死を招くようになってからは、ミオに恥辱の限りを尽くす。

 身に纏っている衣服は引きちぎり、五十を超える魔族の視線に晒す。ミオの入れられている牢獄に発情期の魔獣を放り込み、屈辱を与える。

 女の尊厳を踏みにじる行為をクルエルは平気で行い、ミオは心身ともに衰弱していった。

 いずれ壊れてしまうだろう。度重なる苦痛に耐えるため、生存本能を働かせて精神を崩壊する日も近い。

 そうなればクルエルはミオに興味を失い、この地獄は終焉を迎えるだろう。

 無論、ミオの死とともに。

 愛玩動物として楽しめ無くなればクルエルがミオを生かす理由は一つもない。ギリギリのところで生かすのには、少量といえど食料がいる。人間用の牢獄も一つ使うことから、奴隷を飼うことはタダではないのだ。

 ゆえにミオの感情がなくなった時、それは死ぬ時だ。

 ただ、クルエルは出来るだけ長く楽しみたいと考えていた。ミオを生かす資源が必要といえど、娯楽にはある程度の消費は必要不可欠なものだ。おもちゃを買うのにはお金がかかり、その整備にもお金はかかる。ペットを飼うのにも食費がかかる。

 楽しむために何かを失うことは、必然なことなのだ。その消費をクルエルは、これだけで済むのなら安い物だと、そう考えている。

 だから奴隷を永久に飼いならすことに抵抗はない。むしろ大歓迎というものだ。

 そこで、ミオの心を少しでも生きながらえさせようとクルエルはある話をする。


「お前を匿っていた人間……たしかユートといったか?」


 クルエルが聞くも、衰弱したミオはその問いに答える気力もない。その場で項垂れ、クルエルの声を耳に通すだけで精いっぱいだ。

 そんな対応に構うことなく、クルエルは話を続ける。


「あいつのやったこと、アスタに似ているとは思わないか?」


「…………」


 ミオは沈黙を続ける。


「お前を助けようとする。だが助けられない。希望を抱かせさらなる絶望を与えたところなど、そっくりだろ?」


「…………」


 ミオは何も語らない。

 ただクルエルを見上げるだけ。言葉を発するどころか話を聞いているかも怪しいほどだ。

 なにも反応を示さないミオ、クルエルにとっては非常につまらないもののはずだ。だがニヤニヤと笑みを浮かべ、ミオを見下している。


「そこのお前、あれを持ってこい」


 傍らに控える魔族にクルエルは命令する。指示された魔族は部屋から出て行き、ある物を持ってくる。

 数十秒後、そのある物はこの部屋に運び込まれ、初めてミオの表情に変化が現れる。


「っ……!」


「ようやく、感情を見せたな」


 ミオの反応に喜びを隠さず、口角を釣り上げ、配下が持ってきた物とミオを交互に見やる。まるでおもちゃを目の前にした子供のような反応、だが置かれている物はおもちゃなどとは程遠い物だった。


「アスタの死体、取っておいて良かったな」


 持ってこられた物とは、一体の魔族の死体。

 アスタという魔族だった。


「ん? どうしたミオ? よく見てみろ。お前を助け、絶望に叩き落とした男の顔を!」


「……兄さんは……悪くない」


 ミオが初めて言葉を発した。だがそれはただのつぶやき、クルエルの耳には正確になんと言っているのか分からなかった。

 クルエルは感情をさらに昂らせようと、揺さぶりをかける。


「本当に無能なバカだったなアスタは。兄である俺ではなく、妹のミオに肩入れするとは。人間一人殺すことすら躊躇する甘ちゃんに、一体なんの価値があるのか。理解に苦しむね。しかも最終的には俺にミオを助けるために牙を向けるなんてな。さっさと殺すべきだったよ」


「うるさい! アスタ兄さんは何も悪くない!」


 ミオが叫んだ。それにクルエルは機嫌を良くし、さらにたたみかける。


「何が悪くないというんだ!? 助けられないくせにミオを助けようとした! 何もできないくせに希望だけを抱かせることは悪ではないのか!? 悪に決まっているだろ! 極悪だよ。分かっているんじゃないのか? お前はアスタから見放されている方が、今よりも悲しまずにはすんだと。俺の機嫌を損なわず、きっと今よりはマシな生活をしていたはずだ。アスタのしたことは完全に悪だ! お前自身が分かっているんだろ!」


「……違う」


「違わねえよ! アスタのやつはお前を守ってやると言い、結局は守れなかった。その結果今の状況を招いた。どこからどう見ても悪じゃねえか。違うって言うなら、何が違うか説明してみろ。そうしたら納得してやるよ」


 納得する、そう言いつつもクルエルは自分が納得するはずもないと考えていた。

 ミオとアスタの関係性、それをよく知るクルエルは、ミオがアスタを恨んでさえいると、錯覚していたのだ。

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