ただ知るために
「……死にたい」
ようやく動くようになったユートの第一声、それは死にたいだった。
もう二度と誰かを助けないと決めた。その誓いを何の気の迷いか一度曲げ、ミオを助けた。出来る限りの治療を施し、食事も与え、それなりの対応をしただろう。
時折、怒声で死ねと言われたこともあり、罵倒の言葉を浴びせられたりもしたが、それでもミオを確実に救えているという自負があった。
結果は御覧の通りだ。突如現れたイツノという魔族にミオが攫われた。迷い、何をすればいいのか分からなくなったユートの気を遣い、ミオが背後から一撃を浴びせた。
そして最後に、一度も希望を抱いていないというユートへの言葉を残し、消えて行った。
誰かに希望を与えることを、絶望を与える悪だと考えるユートへの言葉は、やさしさゆえのものだった。助けていると考えていたのに、最後はミオに気を遣われてしまった。
(情けなさすぎて、笑えてくるぜ)
自虐的に笑い、もう体は十全に動かせるというのに床から起き上がることはしない。
無力さが恨めしい。誰一人として助けることが出来ないことが心の底から情けない。
こんな自分に一体何が出来るというのかと、ユートは嘆く。その答えは……。
なにも出来ない。
やることなすことすべてが裏目、全ての人を助けたい一心で起こした行動は誰一人として助けることが出来ず、一人の少女を救おうと行動した結果は、ダメだった。
まるで呪いのようだと、無力さに打ちひしがれる。
日が昇り、何分も、何時間も、動こうとはしない。すべての行動が裏目になる自分は行動すらしてはいけないんじゃないか、そんな考えがユートの体を起こさせない。
「このまま……野垂れ死ねばいい」
飲まず食わずを繰り返し、身を滅ぼすことを決めた。どれだけ喉が渇こうとも、腹が空こうとも、何も口にすることはない。
何時間も放置した体には着実に死が近づき、その苦しみがユートの心に安らぎをもたらす。
苦しめば苦しむほど、自分の犯した罪が多少なりとも雪がれるんじゃないか、そんな自分勝手な錯覚を抱くほどには、ユートの心は衰弱していた。
あと十数日もすれば、ユートの思惑通り死ぬであろう。胃の中は空っぽになって、いずれ骨だけになって、人知れず死んでいくのだ。
(……さっさと、死ねばよかったのに)
ユートは今までの自分の行動を思い返す。死ぬ機会など幾度もあり、それを拒絶した記憶を。
ガナ王国に戻ればユートを殺す人間は数多くいただろう。この街の衛兵の元へ自首すれば、あっという間に処刑されていただろう。日々戦っていた魔獣に身をゆだねれば、秒で死んでいただろう。
数え切れないほどの死ぬ機会を逃してきた。……逃したのではなく、逃げてきたのだ。
身を粉にして死から逃げ出し、みっともなく生き抜いてきた。剣を振るい、盾を構え、迫りくる死を拒絶してきた。ユート自身気付いていなかったこと……死が怖かったのだ。
そうして生き抜いた結果が、再び少女の不幸を招いた。死ぬべきユートは生き抜き、生き残るべき、幸せになるべき人たちが死んで来た。
ミオは死んでないのかもしれないが、生きていても死よりつらいことになっているのだろう。
(助けようとしても、どうせ……)
傷つくミオの顔が目に浮かぶ。目に浮かぶのだが……助けようという気にはなれない。
自分が助けに行ったところで誰かが不幸になると、ユートの中で確定してしまっている。
(そもそもが気の迷いだったんだ。見捨てることが、いつも通りだ)
見捨てる行為を正当化する。これは悪いことではない。もし悪いことなのであったとしても、自分が誰かを助けること以上に悪いことではない。
ユートにとって救いはもはや救いではなく、良い行いですらない。
これ以上ないほどにあくどい行為、それこそが他者を救うことなのだ。
かつて勇者を目指した時の志などとうに消えうせた。残ったのは人を決して助けられない、弱い人間だ。
どうせ誰も助けられないのだ。じたばたしても仕方がない。
助けたいのに助けられないのであれば、生きている価値などありはしない。
(眠ろう。死ぬまで)
目を閉じてすべてを諦める。何もかもを捨て去ったユートは知らない。
自分がなぜミオを助けたのか、という疑問を解決できる存在がミオだということは、分からなかった。
ユートは死ぬ。いや、すでに死んだ。
生きる目的もなく、餓死という緩やかな自殺を選んだ時点で、ここにいるのは息をしている何かだ。決して生きた人間ではない。
解けない疑問を抱えたまま、ユートは生を終える。
どうしようもない、人を不幸にするだけの人生。
これでやっと、罪にまみれた自分を殺すことが出来たのだと、心から安堵していた。
……死んだはず、だったのだ。
「ユートさーん、居ますかぁ?」
家の扉をドンドンと不躾に叩く音が鳴り響く。長い時間をかける自殺の邪魔をされることにいら立つも、ユートはその音を無視して目を開けない。
もう、動きたくないのだ。
「開けますよー」
ユートの気持ちを無視し、声の主は扉を勝手に開ける。
(……ああ、そういえばカギ、開けっぱだったな)
いつからだろうか、扉のカギは常に開けていた。ミオのこともあるのに不用心だったなと、ユートは自らの愚かさに再び沈む。
「あ、いたいた。いつもの時間に来ないんで心配しましたよ。依頼失敗して死んだんじゃないかって」
声の主はズカズカと人の家だというのに勝手に入ってくる。そして床に這いつくばるユートに近づき、まるで未知の物にでも触れるかのように指先でつんつん突く。
「……生きてます?」
一切の反応を示さないユートに、声の主……ソルドはユートの安否を確認する。
腕を取って脈を測り、念のためにと心臓の鼓動も確かめる。
一通りの生存確認を行ったのち、ソルドは息を吐いて安堵する。
「生きてましたか。まったく、この家が訳アリ物件になったかと肝を冷やしましたよ」
心配するところが些かずれていると感じるも、もはや死に体のユートは反応を示さない。
ソルドの言葉を右から左へ受け流し、死体のように時を過ごす。
「あの、少しぐらい反応してくださいよ。知ってます? ウサギって寂しいと死んじゃうんですよ? 私も寂しくて死んじゃいますよー」
動かないユートをゆさゆさと動かし、無理やりにでも会話させようと躍起になる。
それでも動きを見せないユートに、ソルドは頭を拳で何度かこずく。
それらの行為が三分ほど続いて、死ぬことを決めたユートはうんざりして声を出す。
「いい加減にしろ」
「あ、やっと口をきいてくれましたね」
ユートの声を聞いてパアッと表情を明るくするソルド。この男をさっさと退散させようと、ユートは目覚めてから十時間ぶりに体を起こす。
「……何のようだ?」
「さっきも言った通り、いつもの時間になっても来ないから心配してきたんですよ。今日は仕事も休みで暇でしたし」
「……そんな用件で来るほど、お前はお人好しじゃないだろ」
「あらぁ、見破られましたか。いやね、一つお願いがあってきたんですよ」
やはりか、とユートは思い、うんざりした顔をソルドに見せつける。
「断る。俺はもう、なにもしない」
「そう言わないでくださいよ。報酬は弾みますから」
「お前みたいな最底辺の人間の頼みなんて、ロクな物じゃないだろ」
ソルドは奴隷、違法薬物、絶滅危惧動物、などなど、違法の商品を専門に扱う裏商人だ。
そんな男からの頼みなど、ユートのような人を傷つけることを良しとしない男が決して引き受けるはずもない。
「ひどい評価ですね。今までいろいろパシられてあげたのに。というか、依頼自体は普通ですよ? アリガ地域に出現した魔族の討伐です」
「……普通だな」
「でしょ? 報酬は正規の金額、五十万ガナです。引き受けてくれませんか?」
「却下だ」
「えぇ、そんなこと言わずにぃ」
手もみしながらすり寄ってきて、「なんなら報酬上げますよ?」と指でわっかを作りながら頼み込んでくるが、それをユートが聞く理由はない。
報酬などいくらあっても、もう死ぬのだ。意味はない。それにユート自身、動く理由がない。誰一人として守ることのできない自分になど何もする権利はない。そのように考えているので、もう魔獣と戦い日銭を稼ぎに行くなどしない。
「いつもなら誰も引き受けない魔獣討伐の依頼も引き受けるのに。というか何でそんな無気力なんですか? まるで…………あ、そうですか!」
ソルドは両手をパンと叩き、何を思ったのか全く見当はずれのことを口にする。
「女の子に振られたんですね!?」
「……違う」
「またまた、そんなこと言っちゃって! ユートさんがたまに女性用の商品を買っていることは知ってるんですよ? 買ったの私ですし」
ソルドがそう勘違いするのも分からないでもない。女性用の衣服を買い、食料の中には巷で女性に人気の甘い物を買ったりなど、明らかに異性の気を引くための買い物をしている。というかさせている。
その買い物をさせられている当の本人のソルドは、不愛想で色恋など興味もなさそうなユートにもようやく春が来たのかと思っていた。だが春が来たはずのユートは抜け殻のように地に伏している。
ソルドの立場からすれば、意中の女性に振られたゆえにこうなっていると、そう結論付けることは自然だった。
「ま、気を落とさないことです。一人や二人に振られたぐらいで。世の中には数え切れないほどの女性がいるのですから、いずれユートさんの良さに気付く女性が現れますよ。あ、なんでしたらうちの商品を買いますか? 最近いい子が入って来まして、ユートさんなら特別に先程の依頼の報酬として贈呈しますよ? 本来なら二百万ガナの上物です」
「違うって言ってんだろ。それに奴隷なんかいらん」
「認めたくない気持ちは分かりますが、素直な方が女性にはモテますよ? それに奴隷に悪いイメージを持ちすぎですよユートさんは。一口に奴隷と言っても、その用途は様々です。ユートさんのイメージ通りサンドバックや性奴隷にする人もいますが、単純に寂しさを紛らわすため、つまるところ家族として迎え入れるところもあります。言い方を変えれば、ユートさんが奴隷を買うことはその奴隷を助けるということに……」
「いらん! 依頼は受けない。それとお前に何かを頼むことはもう無い。帰れ!」
商魂たくましくユートに奴隷を売りつけようとするソルドだが、奴隷を買うことなどするはずもない。加えて、ユートの気持ちを知ってか知らずか助けるという禁句を持ちだしたこと、明らかな地雷だ。
怒りが臨界に達しそうになり、これ以上感情を揺さぶられることを良しとしないユートはソルドを追い出そうとする。
首根っこを掴み、この家から放り投げようと。
「ま、待ってくださいユートさん! 女性関係や奴隷についてもう話しませんから、せめて依頼については考えてください!」
「受けないと言っただろ。しつこいぞ」
「お願いですユートさん! 私の家族がアリガ地域にいるんです!」
「……家族?」
家族という単語に、ユートは放り投げようとした手を止めた。
商売柄、悪魔とも比喩できる男から出た他者のための言葉、ユートは信じられない物を見るかのようにソルドを見る。
「お前みたいな男が、家族? 冗談も休み休み言え」
「冗談じゃありませんよ。私はアリガ地域出身で、実家もあります」
「別にそこが本当にお前の故郷かどうか疑ってるわけじゃない。家族とはいえ、お前が他者のために動くことが信じられないんだよ」
「うわ、ユートさんの中で私ってそんなに最低な男なんですか? 心外だなぁ。いくら私でも、家族のためなら財を投げ出してでも行動しますよ。大体この商売も、家族を養うためにやってるんですし」
「信じられるか。なら、もっと真っ当な道を行くはずだ」
ユートには信じられない。家族のため、そんな善意に溢れた行動理由があるのなら、裏社会に染まるはずがない。真っ当な道を選ぶはずだ。
ソルドは取り返しのつかないほど闇に染まっている。家族のためと言われても、ユートは信じることなどできはしない。
「ユートさんが思うほど、世界は綺麗じゃないんですよ」
「……なに?」
「真っ当な商売なんかじゃ大した稼ぎになりませんし、そもそも私みたいな何の取り柄もないクソ虫は、裏の人間に媚び諂うしか家族を助ける道はなかったんですよ」
「だが、家族を救うために誰かを傷つけて、良心が痛まないのか?」
「全然? 三十年以上前に決めましたから。家族だけを救おうと」
「……!」
その言葉は、ソルドにとって他愛もない普通のことだった。何かを救うために何かを犠牲にする。大切なもの以外は傷つけても構わない。必要ならば、女子供にも容赦がない。
その言葉は、ユートにとって衝撃的な物だった。大切なものを救う、それ以外は何の関係もない存在であり、救う義務もないが、傷つけてもいけないと考えていた。
当然だ。自分の問題に他者を巻き込むなど、自分勝手、自己中心的な悪辣的思考であると疑っていない。事実としてそうだと信じ切っている。
だからこそソルドの、家族だけを救う、それ以外は傷つけても構わないという言葉は、ユートに衝撃を与えたのだ。そしてそれは、別に嫌悪感を抱いているのではない。
当然のように何かを傷つけることを良しとする理論、ユートの今までの思考とはまるで違う。
たった一人を救うために百を犠牲にする考えだ。すべてを救いたいユートとは根本から違う。
なのに、なぜか嫌悪はしなかった。むしろその考えに賛同さえしている。
「それでも、最初に誰かを傷つけるときは、何か思わなかったか?」
「まあ最初はね。ですが、もう覚悟はしてましたから。」
「……覚悟、か」
ユートにはすべてが分かった気がした。自分の行動の、志の、何が間違いだったのか。
覚悟がなかったのだ。
自らが傷つく覚悟ならすでにしていた。誰かを助けるためならいくらでも血を流そうと、苦しみに顔が歪もうと、全てを耐える覚悟だ。それはもちろん、死すらも。
そんなユートが唯一、覚悟しなかったものがある。
傷つける覚悟だ。
誰かを助けるとき、全てを無傷で助けるなど至難……いや、不可能な話だ。ユートの身は一つ、取りこぼしてしまう者が必ず出てくる。
少し考えれば分かることだ。一人には限界があることを。
それに気づかず、ただひたすらすべてを無傷で助けようとした。
そして傷つけ、絶望した。
別に傷つけてもいいというわけではなく、見捨ててもいいというわけではない。ただ、傷つく人間は当然存在する。傷ついた人間がいればその都度、助けることに絶望してしまってはいけない。そんなことをすれば、人はすぐに壊れるだろう。ユートのように。
だからこそ誰かが傷つくことを覚悟しなければいけない。自分の力では助けられず、傷つけてしまった時、また立ち上がるために…………違う。膝をつかないために、当然すべきであった傷つける覚悟をするべきだったのだ。
「だけど……俺にはもう、資格なんて……」
全てを助けることがユートの願いだ。
これもきっと間違いなのかもしれない。誰かを傷つけることが当然のことであり、それをすることの覚悟を持っていたとしても。
ユートが少年を魔人に落としたという事実は消えない。
覚悟を決めるのが、遅すぎたのだ。
「ユートさん、そんなに女性に振られたことがショックなんですか?」
いまだにユートの落ち込みが女性関係だと思い込んでいるソルドは、ユートの肩に手を置き、慰めの言葉をかける。
「だからちがうって」
「隠さなくてもいいんですよ。そんなに落ち込むなんて、振られた以外に考えられませんし。それで、なんて言われたんです、その女性に?」
心配そうな口ぶりだが、口角が少しつり上がっている。ユートの振られ話に興味津々だということが嫌でも伝わってくる。
「別に何も……」
言いかけて、気付いた。
ミオがユートにかけようとした言葉を。
『あなたが助けた、その魔人に落ちた少年は……」
その先は、何を言おうとしたのか?
ミオは少年の心が分かっているような口ぶりだった。ユートから話を聞いただけ、一度も会ったことがない少年の心境を。
言いかけた言葉が正解かどうかは分からない。仮に正解と思えるような物だったとしても、少年はもういない。正解かどうかを知る術は何もないのだ。
そんなことは至極当たり前、考える必要もないことだ。
それでもユートは、ミオの言葉こそが正解であると、そう直感していた。
なぜかはわからない。
でもきっと、ミオの言葉は間違っていないという直感に間違いはないと、不思議と確信していた。ならば行動理由は十分にある。
「……ソルド、依頼は受ける」
「おお、本当ですか!? ありがとうございます!」
「ただし、報酬はライドラを寄越せ」
「……マジですか?」
「マジだ」
「うーん、さすがにそれは……ユートさんは知ってるでしょ? ライドラが一頭いれば軽く五百万ガナは稼げること」
ソルドの言う通り、ライドラを一頭所持していれば、五百万などあっという間に稼げる。
扱う人間が経営に長けていれば、巨万の富を築くことも可能だろう。まあ総評すると、ライドラをそう簡単に手放す人間などいないということだ。
「あの子はうちの稼ぎ頭なんですから、今回の報酬としては些か多すぎですね。稼げなくなれば裏社会では生きて行けず、家族がどのみち危険になりますから……」
「全部売る。この剣もブーツも、今回の討伐で得られる魔獣の素材も。必要ならばこの家にあるもの何もかも。これで十分だろう?」
剣にブーツにエトセトラ、それらをすべて売り払えば一千万はくだらない。売る人間によればもっとたくさんの利益を得られるだろう。
ユートの名を使い、そいつの使っていたと武器という事実を巧妙に使えばの話だが。
ソルドの決断は早かった。
「売った!」
大声で、笑顔で交渉成立を口にする。
ユートは急いで依頼されたアリガ地域へと赴く。
たった一人の少女を救うため…………いや、少女の持つ答えを知るために、全てをかなぐり捨てることをユートは決意した。というより実行した。
命すら落としかねない蛮行、正気の沙汰ではないかもしれない。
自覚はある。これが自殺行為にも等しいということは。
分かっていてなお、ユートはミオの口から一言を聞くために、自殺行為を敢行する。
つい先ほど自殺しようとしていた身だ。いまさら死を怖がるほど、臆病ではなかった。




