一度も希望を抱いていなかった
ユートの鼓膜が破れてしまうんじゃないか、そう思わせるほどの爆音でミオは罵声を浴びせた。罵倒は覚悟していた。それでも予想以上にストレートな、大音量の罵倒にユートは思わずたじろぐ。
動揺したユートに、ミオは続けてこれでもかと口撃を繰り出す。
「助けたことが間違いとか馬鹿じゃない? そんなの結果論じゃない。事実あなたが助けたのはその少年少女だけじゃないでしょう? もしその少年を助けなければあなたはこれまで助けた全員を完全に救っていたってことじゃない。ホントバカ! たった一人だけ魔人にしたからってそれが絶対の基準とか子供なの? 救うこと自体が愚かなことなんて考えるあなたは底無しの馬鹿、目も当てられないわ。大体どでかい騒ぎが起こったからあなたの視野が狭くなっていることに気づかないの? その少女を助けた時のパレードを思い出しなさいよ。あなた自分で言ってたじゃない。たくさんの称賛の声があったって。それって数多くの人間を幸福にしてるってことじゃない。自分の言葉の矛盾に気付かないなんて、程度の低い魔族でもありえないわよ。あ、程度の低い魔族はしゃべれないか。いやそんなことはどうでもいいわ。いいユート? あなたの悩みなんて馬鹿馬鹿馬鹿! いっぺん川に身投げして頭冷やしてきなさい! それがすんだら頭を一度ぶん殴ってもらいなさい! その壊れた頭を直すためにね!」
時間にして一分きっかり、ユートを罵倒する言葉は続いた。
呆気にとられたユートは頭が空っぽになり、自らに降りかかった数多くの罵倒の言葉を整理するので精いっぱいだ。
「ちょっと聞いてるのユート! あなたが言いたいだけ言えって言ったんじゃない! それなのに人の話を聞かないって何様よ!」
「ちょっとまてミオ。少し冷静にさせてくれ」
繰り出された言葉を何とか処理するユート。ミオの話、なるほど正論だ。パレード時の人々の笑顔、それは間違いなくユートが作り出したものだ。ゆえに、ユートが自分の助けた人間がすべて不幸になるという理論は間違っていると言える。
が、ユートはそれでも自分は間違っていると考えている。単純な数の差だ。
ユートが少年を魔人に落として築き上げた屍の数と笑顔にした人間の数、それを天秤に乗せた時、屍があまりにも重すぎる。さらには屍に付随して、不幸になった人間の数は計り知れない。自らの行いを決して許せないほどに、それは心に深く刻み込まれてしまっている。
だからミオの言葉に納得する部分はあれど、自身の考え方を変える気は毛頭ない。
頭で自分の考えを完全に整理しきったユートは、言葉を待つミオに語り掛ける。
「お前の言ってることは正しい部分もあるのかもしれない。だけど、そう簡単には割り切れない。俺の助けによって傷ついた人間がいる以上、これは絶対だ」
かたくなに自身の考えを変えないユートに、ミオは深いため息をつく。
「はぁ~、まったくバカよ。ホントバカ。最後に一つ、言わせてもらうわ」
ミオは元々これだけを言うつもりだった。何をおいてもこの一言だけは。
ユートが言いたいだけ言えと言うから今までの辱めの恨みも込めて余計にユートを罵倒する言葉を並べたが、真に言いたい言葉はこれ一つだけ。
それはユートの考えを根本から否定する言葉。
「あなたが助けた、その魔人に落ちた少年は……」
そこまで言った時点で、ミオの言葉を遮るようにユートは立ち上がる。
「誰だ!?」
扉に向かい、殺気を放つユート。その様子を口を開けて見つめるミオ。
数秒の沈黙の後、扉がゆっくりと開いた。
「気付くとは、さすがですね」
現れたのはスーツに身を包んだ一人の人間……いや、人間の形をしてはいるが人間ではない。ミオと同じ、人型タイプの魔族だ。
溢れ出る魔力はユートの目を誤魔化すことは出来ない。
「はじめまして人間、私は魔族国家グアールの秘書官を務めます、イツノでございます」
「……イツノ?」
名を聞いたミオが首をかしげる。
「そんな魔族、聞いたことが無いわ」
「これはこれはミオ様、お初にお目にかかります。私は現魔王クルエル様に最近召し抱えられた新参者でしてね、知らぬのも無理はないことでしょう」
余裕の笑みを絶やさずに一歩一歩ユートとミオに近づく。
その立ち振る舞いに、ユートはイツノが強者であると感じた。
傍らに剣はない。取るためには敵との接触は避けられない。素手での戦闘を覚悟した時、イツノは足を止めた。
「そんなに警戒なさらないで結構ですよ? 話し合いに来ただけですので」
「話し合いだと? こっちは話すことなんかない。去れ」
「つれないですねえ。いいではありませんか。ねえミオ様? あなたは私とお話し、したくはありませんか?」
「するわけないでしょ! 魔族なんてみんな私を痛めつけた奴らじゃない!」
睨みを効かせ、イツノに自らの恨みを口にする。
死ぬ寸前まで痛めつけられた憎悪はそう簡単に消え去るものではなく、魔族すべてに対して恨みを持ち、拒絶することは当然であった。
その言動が予想通りだったのか、イツノは「フフッ」と一笑いして再びミオに語り掛ける。
「いいのですか? そこにいる人間が、アスタ様と同じ末路を辿ることになっても?」
「……!」
ミオの顔が歪んだ。アスタという名前、それに反応しての歪みだということは、空気の読めないユートでさえ容易に理解できた。
そして目の前のイツノが、明確な敵であるということも。
「悠長に話す気なんかない。構えろよ」
ファイティングポーズをとるユート。体内の魔力を高め、素手で戦う覚悟を決める。
「まあまあ、拳を下ろしてください。じゃないと、この家とミオ様にかけられている認識阻害、解除しちゃいますよ?」
「気付いて……! いや、当然か」
「認識阻害? なにそれ?」
緊迫した空気の中、ミオが無垢な声をあげる。聞きなれない単語に首を傾げ、ユートに問いかけた。
「お前が魔族ってことは、ちょっと魔力の扱いに長けた奴ならだれでも気づく。だから気づかれないように、魔族だと認識されない魔法をかけた。それと、お前の魔力が溢れ出ても問題ないよう、この家の周りにも同じ種類の魔法をかけた。気付いてなかったのか?」
呆れるようにミオに説明するユート。ミオに直接かけた魔法、周囲の人間なら見逃しても問題なく、またそのための魔法なのだが、かけられた本人のミオが気付いていなかったとは、ユートにとっては驚きだ。
「まあそれはどうでもいい。話があるなら早く話せ」
話をすることは了承した。だが臨戦態勢を解くことはしていない。敵はユートの認識魔法をいとも簡単に見破った魔力の扱いに長けた敵、敵意を放つことはなくとも、決して油断したりなどしない。
「話と言っても、そう難しい話ではありません。あなたが何の目的でミオ様を匿っているかは分かりませんが……それ、返していただきません?」
ミオ様と敬称をつけて話しているイツノだが、口を滑らしたのか何の臆面もなく「それ」と、まるで物のように扱っている。
そのことがユートを不快にさせる。
「出てけ。話す価値なんかない」
イツノの申し出をためらいもなく拒否する。いかに助けることを良しとしなくとも、ミオを傷つけた元凶たる魔族に易々と引き渡すことなどしない。
誰も助けないという思考の根幹は、誰かを不幸にしてしまうからというものなのだから。
「あなたにとってそれは役に立たない、それどころか害あるものでしょう?」
「それでもミオを渡すなんてことはしない」
頑としてイツノの申し出は受け入れない。話すことは終わった、あとはこいつを抹殺もしくは撃退するだけだと、ユートは距離をじわじわと詰める。
これから戦闘を始める、態度でそう示すユートだが、イツノは意に返さずユートの急所をえぐって来た。
「また、数多くを不幸にするのですか?」
「……なに?」
「失礼。さきほどのお話、聞いてしまいましてね。いやまったく、あなたほどおやさしい人間がこれほど苦しむ世の中、間違っていますよねぇ」
あざ笑うように話を続けるイツノ。その顔面を殴りたくなる衝動を抑え、ユートは歯を食いしばる。数多くを不幸にする、その言葉を聞いて、一歩を踏み出せずにいた。
「あなたのお気持ち、よく分かります。他者に希望を与えることの残酷さ、それを認識してしまったのならおやさしいあなたは誰も助けることなどできない。なぜなら、誰かを助ければ別の誰かが不幸になるから」
「……ミオを助けたら、別の誰かが不幸になるのか?」
「当然です。魔王様はミオ様がお嫌いでしてね。ぜひ苦しむ顔を見ながらワインを傾けたいと、駄々をこねているのです。なので、あなたがミオ様を渡さないというのなら、数多くの魔族をこの街に寄越しますよ?」
「なっ……!」
イツノの言葉にユートは戦慄した。
つまるところ、選べと言うのだ。この街を取るか、ミオを取るか。
ミオを取れば数え切れないほどの魔族がこの街に襲来し、住民たちはとばっちりを食い命を落とす人も出てくるだろう。
だが街を取れば、ミオ一人の犠牲で済む。ミオの苦しむ顔を見て見ぬ振りすれば、この街に住む人間の笑顔を守ることは出来るというわけだ。
特に好きでもないこの街、だがユートには選ぶことが出来ない。だれも傷つけないために今の道を選んだユートには。
「俺は……」
混濁する思考、まとまらない頭では言葉をうまく吐き出すことも出来ない。
街かミオか、どうすることが正解なのか。
合理的に考えれば街だ。ミオとその他大勢、比べるまでもなくどの道が正しいかは分かる。
そんな正論など、何の意味もないが。どちらかを助ける、それはどちらかを傷つけるという行為。
ユートには選べない。傷ついている人間を見捨てることは出来る。だが自らが手を差し伸べ、その手を握り返したミオの手を自分から手放すなど、できるはずもない
「悩むことがありますかねえ? あなたにとってミオ様はそこまで大切な人間なのですか?」
そういう問題ではない。大切かどうか、ではないのだ。ユートにとって生物は犯罪者以外すべて等価、全く同価値の存在なのだ。
それは数の差があっても変わらない。ユートの天秤は片側にどれほどの生物がのしかかろうと、決して傾くことのない不動の天秤なのだ。
「……はぁ~、しょうがありません。魔王城に連絡し、軍を寄越してもらいましょうか」
いつまでも結論を出さないユートに、イツノはこの場を後にしようとした。
背中を見せたイツノを抹殺するか、そう考えたユートだが、ここでイツノを殺してしまえばそれはミオを取ったも同義、いずれ魔族がこの地に現れることは間違いない。
ここで結論を出さなくてはいけない。魔族にミオを明け渡しこの街を取るか、ミオだけを助けてこの街にいる数え切れないほどの住民を見殺しにするか。
混乱する思考の中、ユートはどちらかを取り、イツノもそれを待つ状況で、岐路に立たされているミオはある覚悟を決めていた。
イツノについて行けば自分は死ぬだろう。死なずとも、魔王であるクルエルの永遠の愛玩人形となるだろう。
ユートの選択によっては破滅する、まさに瀬戸際に立たされている状態だ。
傷つきたくないと思うのはすべての生物に通ずる特性、ミオはこれからの自分の境遇を考え、胃の中が逆流する気持ち悪さを感じていた。
足が震え、恐怖に包み込まれ、その場に膝をついてしまいそうにもなる。
その震える足をギリギリのところで踏ん張り、ミオの覚悟は決まった。
目の前にあるユートの背中、それに手を重ねる。
「なん——」
声をかけようとしたユートの声が、途切れる。
「な……にを……!?」
急激な眩暈に襲われ、ユートは床に這いつくばった。意識が朦朧とし、視界も安定しない。虚ろとなった瞳、それはもはや何も捉えてはいない。ミオの恐怖に震える表情も、イツノの余裕の表情も、何も見えない。
辛うじて耳が働くだけ。口もうまく動かない。
「ミ……オ……」
絞り出したミオの名前、動かない手を伸ばそうとする。
無意味な行いだ。無防備な背中、傷ついたとはいえ高い魔力を持つミオの攻撃を受けたのだ。立ち上がることはおろか、ロクにしゃべることも出来ない。
もはや、何もできない。
「ユート、最後に一つ、言っておくわ」
イツノの元へ歩む足を止め、這いつくばるユートを見下ろすミオ。
恐怖を感じている。だがそれを感じさせない、決意を持ったユートのための言葉を送る。
これが最後の言葉だと、そう確信して。
「私は、一度も希望を抱いていなかった」
イツノに連れられたミオは、闇の中へと消えて行った。




