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過去を語るユート

「……ねえ……」


 声が響く。あまり大きいとは言えない部屋に、少女の声が響き渡る。


「……ねえ」


 少女の言葉は続く。心配したように、不安そうな様相で一人の青年に言葉をかけ続ける。


「ねえ! ユート!」


「ハッ!?」


 声をかけられ続けた男、ユートはようやくその言葉に反応した。

 汗を大量にかき、頬にはうっすらと涙の痕を残して。


「ユート、大丈夫?」


 心配そうに顔を覗き込むミオ。それに対し、ユートは息を乱して平静を失いつつある。

 さきほど見た悪夢に心を支配させられている。


「ユート、まずは深呼吸しなさい。はい、スーッと息吸って」


 いつもと立場が変わり、ユートがミオの介護を受けているかのような状態になっている。

 ミオの言葉を聞き、ユートは息を吸い、肺に溜めた空気をゆっくりと吐く。

 その動作を三回ほど繰り返して、ようやく息を整える。


「……怖い夢でも見たの?」


 まるで幼子に聞くかのようなミオの言動に、ユートは苛立った。今は自分がミオの看病をしているはずなのに、そのミオに心配され、宥められている。

 悪夢に続いて現実でもいら立つとは、とユートは考えていた。


「なんでもない。まだ外は暗い。寝てろ」


 布団をかぶり、自分の顔を見せないようにユートは言った。その仕草はこれ以上、詮索するなという意思表示に他ならなかった。

 だがミオはその意思を無視し、今までのユートのように、相手の気持ちを考えない無神経な発言をする。


「ユートって昔、僕って言ってたのね」


 半ば笑っているような口調で言っているので、バカにしているということがよく分かる。

 さきほどまでユートを心配していた態度はどこへ行ったのか、動揺のあるユートをここぞとばかりに揺さぶりに来た。

 悪夢を見ている時にユートの口から出たのだろう、僕という一人称をあざ笑いにかかった。


「普段クールぶってるくせに、昔は可愛いところがあったのね」


「……やめろ」


 笑いを含んだミオの言葉にユートは不快感を募らせ、低い声でやめるよう言った。


「うわ言のように言ってたわよ? 僕は……勇者に……って」


「うるさい。さっさと寝ろ」


 なおも続けるミオの言葉を聞きながら、ユートは布団をぎゅっと握りしめる。

 怒りをそこに発散するかのように、思いっきり。

 それでもミオは止まらない。


「しかもすごくつらそうな顔をしていたわよ? 何度も何度も、僕は……! って繰り返して。あなたの過去に、一体何があったのかしらね」


「やめろっつってんだろ!」


 ついに我慢の限界が訪れたユートは、かぶせていた布団を放り投げ、夜中だというのにミオに大音量の叫び声を聞かせた。

 それを聞いてミオは、ほくそ笑んだ。


「やっと、素顔を見た気分だわ」


「……クソッ!」


 その言葉に、自分がはめられたと気づいたユート。

 ミオはいまだユートのことを完全には信用していなかった。いや、信用はしていただろう。ユートは自分に対して不利益なことはしないという確信があった。

 ただ、ユート自らも分からないと言っていたこと、その真意を単純に知りたかっただけだ。自分の恩人であるユートの、本当の気持ちを。

 そのためにユートの心に余裕のなくなりつつあった今を好機と捉え、ユートの言われたくないであろうことを的確についたのだ。


「ユートのこと、教えてくれない?」


 あざ笑う表情は鳴りを潜め、ミオの顔は真剣そのものだ。

 知りたいと思う気持ち、それだけではない。ミオの中には確実に、ユートの心の捌け口になろうという考えがあった。

 それこそがユートの今までの行為に報いる唯一の方法だと信じて。

 もちろんユートの機嫌を損ねて終わってしまう可能性もある。だがここで聞かなければ、ユートとの関係はこれ以上進展しない。何もできないのだ。

 このままあと数か月を過ごし、ケガが完治すればそこでおしまい。ユートとミオの関係は終わりを迎える。

 ミオとしてはそれは避けたかった。あの日、別に助けてほしかったわけではなく、野垂れ死ぬつもり満々であった。自分の人生はこれで終わりであると受け入れていたし、もっと正確に言えば、ミオは人に助けてもらうという行為すらもしてもらいたくなかった。

 このまま誰にも救われず、一人のまま死んでいく。それが今の自分の最大の幸福だと信じていた。

 なのに、ユートの差し伸べた手を取った。

 自分でもわからないが、助けを受け入れ、今まで良くしてもらっていたのだ。その行為に対する誠意を見せないでユートの元を去るのは、ミオの性格が許さなかった。

 たとえ拒絶される可能性があろうとも、ユートについて知り、ユートのための行動ができる唯一のチャンスを逃すはずがなかった。


「……聞いて、気分のいいものじゃないぞ」


 それを聞いて、ミオの顔が明るくなる。

 初めてユートのことが聞ける。何を考えているかもわからないこの超合理的能面男の素顔について知ることが出来ると、ミオは喜んだ。

 対するユートは苦虫を噛み潰したような顔を見せ、話すことを嫌がっている。

 これ以上この件についてチクチク突かれるよりもマシだと考えたのだが、自分の忌むべき過去を語るのも心苦しい物なのだ。


「……どこから話すか」


「とりあえず、あなたがどんな夢を見たのか教えて」


 とりあえずというが、それはほぼすべてだ。ユートがこのような人間になった原因、そのすべてがさっき見た夢に詰め込まれている。

 ユートはため息をつき、語り始める。


「俺は……」


 それから長々と、たっぷり一時間ほどかけてユートは説明した。

 さきほど見た夢を、過去を。今の自分を形成したすべてを。

 ミオは黙って聞いていた。が、顔は雄弁に語っていた。

 ユートが勇者候補生の時の話をするときは面白そうに。

 少年を魔人に落とし倒した時は悲しそうに。

 国王に逆らい勇者が悪だと悟った時は真剣に。

 全てを語り終えた時、ミオは涙をあふれさせていた。


「ユート……あなた、つらかったのね」


 真にユートの過去に涙を流していることは、誰の目にも明白だった。


「……つらかったのは、魔人に落ちた子だ」


 ミオの言葉を否定するようにユートは語る。

 重々し気に口を動かし、自らの内に秘める心の内を吐露する。


「俺が中途半端なやさしさを見せたせいで、あの子は地獄を見たんだ。妹の死に本来感じるはずの悲しみ以上の絶望をあの子に味わわせた。その結果魔人に身を落とし、負う必要のない罪も被った。全部俺のせいで、一人の少年を地獄に叩き落としたんだ」


 少年の顔を思い出し、ユートの目には涙がにじんでいる。だがミオの手前、無様に泣くことはしない。歯を食いしばり、あふれ出る涙を押し殺し、語り続ける。


「そのあと俺は、俺のために行動してくれた少女に恐怖を与えた。大量の血を幼い少女に浴びせ、恐怖させたんだ。すべての人間を助けたいなんて不可能で愚かな夢を見たバカな俺のせいで、二人の子供をつらい目に合わせた。しかも、少年を魔人に落としたせいで、数え切れないほどの屍を作り上げた」


 あの時の騒ぎで生み出された死者の数は千を超える。多くの人間は涙を流し、血を流した。

 中には生き残っても家を無くし、生活することも困難になった人間もいるだろう。

 ユートは思う。自分の行いはエゴのカタマリ、さらにそのエゴも満たせないほどの愚者っぷりだと。

 自分が生み出した不幸の人間は数え切れなく、自分が負う苦しみ、これは当然の物だと。

 だから、つらいなんて言葉は死んでも使ってはいけない。

 ユートは長らくそう考えていた。


「俺は最低の人間なんだ。死すら生ぬるい罪を背負ってるんだ。つらい目に合わせた人間が数多くいる俺は、決してつらいなんて言ってはいけない」


 そこで、ユートの語りは終わる。

 自分がいかに汚れた人間か。自分がいかに愚かな人間か。

 それをひとしきり語り終えたユートの目に宿るのは、深い後悔だった。

 過去に戻り勇者を目指した自分を抹殺したいとさえ思う後悔。不可能と知りつつも、過去の自分を殺すことを考えない日はないほど、過去の自分は罪にまみれた人間であり処罰されるべきと、今のユートの心に刻み込まれている。

 うむ、話を聞けばユートの言い分には納得しよう。己が未熟なせいで数多くの人間を不幸に叩き落とし、今の人格を形成するきっかけにもなり得よう。

 ならば一つ疑問が残る。

 心に深く刻まれた助けるという行為の愚かさ、それを知っていてなぜ、ユートはミオを助けたのか?

 自らの助けは良くない道へと続く、そう信じ疑っていないはずだ。ミオを助けたその日からも、街の住民の困る顔を素通りしてきた。転んで怪我をした子供に手を差し伸べることをしたことはない。

 全部見て見ぬ振りをしてきたのだ。

 ユートの行動、それは全くの謎である。本人はおろか、周りの人間には全く持って見当のつかない難問だ。

 話を聞いたミオも疑問をさらに膨らませ、ユートに猜疑の目を向けるはずだ。

 なのに、ミオのユートに向けた瞳には、疑いは宿っていなかった。むしろすべてを理解したかのような瞳をユートに向ける。


「ユート、一つ言っていい?」


「……言いたいだけ言え。ただし今日限りだ」


 この話について逐一言われたくはなく、今日限りにしたいユートはミオの発言を許可する。


「言いたいだけ、か。じゃあ…………」


 ミオには言いたいことが山ほどあった。一つと言わず、十ぐらい。

 だから言いたいことすべてを言う権利を得たミオが最初に放つ言葉は、罵倒だった。


「バッッッッカじゃない!?」


 ミオの叫びが、部屋中に響き渡った。

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